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11.アップ・デート

 そして、長い夜が明けて。
 やってきた教室で、悟司が声を掛けたのは……。
「なあ、レム。そっちの練習、上手く行ってるか?」
 劇の上で百音のパートナーとなる、レムだった。
「真紀乃さんも協力してくれてるし、ぼちぼちだとは思うけど……何だ、詰まってるのか? 百音さん」
 悟司自身はそもそもレム達の演技をチェックする立場にある。いちいち聞かなくてもレムの状態など把握しているはずだ。
 そこをあえて聞いてくるなら……それは、パートナーの事以外にはないだろう。
「ああ。何だか、どう演技したらいいか分かんないみたいなんだよ」
「そんなの、オレが聞きたいよ……」
 真紀乃の騎士団長の役は、そもそも役作りが必要なほど出番がない。そして、同じ演技グループにいるウィルと晶の演じる役は、明らかに役作りが必要ない……彼等の地そのもののキャラだった。
 要するに、勇者一行で役作りが必要なのは、レムだけなのである。
「だよなぁ…………。ねえ、水月さん。その本って?」
 彼等の隣の席にいたのは、ちょうど冬奈の所に遊びに来ていた晶だった。
 何やら十ページほどの薄い冊子を読んでいる。
「何? 華が丘の情報誌だけど、どうかした?」
 表紙をかざしてみせれば、そのタイトルは悟司達もよく知っているものだ。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
「今月はあんまり面白いこと、書いてなかったわよ?」
 読んでいたのは単なる暇つぶしだったらしい。悟司の言葉に首を傾げはするものの、ひょいと冊子を渡してくれる。
「普通は面白いこと、書いてあるの?」
 わざわざ隣のクラスに遊びに来ているのに情報誌を読むというのもどうかと思いつつ、隣の席に座っていた冬奈は苦笑い。
 彼女の家にも同じ情報誌は届いているが、地元のどうという事のない話題と広告ばかり……という印象しかない。
「たまーにあるんだって。っていうか、あたし達が行ける距離のイベントが書いてある本なんて、これくらいだし」
「まあ……確かに」
 イベント欄で書くことがない時には、降松や遠久山の行事が書いてあったりするくらいだ。逆を言えば、貴重な市内のイベントは、ほぼ完全に網羅されていると言っていいだろう。
「これだ……」
 先ほど晶が読んでいたときに目に留まったページを開き、目当ての項を確かめる。
「なになに。……劇団荒地?」
 日本でも有数の商業劇団だ。その巡回公演が、珍しく降松のイベントホールに来るらしい。
 だが……。
「………今日か」
 公演日は、今日まで。
 劇団荒地の巡回公演、それも千秋楽となれば、完売御礼になる事も珍しくない。若干の当日券くらいは出るかも知れないが、競争率は極端に高くなるだろうし、前売り券の段階で全席売り切れていれば当日券はそもそも出ない。
「なるほどなぁ……」
 おそらく悟司は、百音をその公演に連れて行きたかったのだろう。プロの演技を生で見れば、何か得られるものがあるかもしれない……そう思ったに違いない。
「いえ。情報収集が遅すぎたって事で……」
 せめて、演劇が決まった段階で手を打っていれば、隅の席くらいは入手できたかもしれないが……。
 そんな悟司の情報誌をひょいと頭上から抜き取ったのは、日に焼けた長い腕。
「ちょ、ちょっと……四月朔日さん?」
「晶。どう?」
 そして冬奈の問いかけに、晶は開いていた携帯をぱたんと閉じて。
「今日の最終公演のチケット二枚、押えといたわよ。学生席でいいわよね?」
 あっさりとそう、言い放つ。
「………は?」
「………どうやったの?」
 悟司が試しにチケットサイトを覗いてみれば、荒地の降松公演のチケットは随分前に全席完売になっていた。
 後に調べたところでは、その日の公演はベテラン俳優の卒業式も兼ねており、チケットの入手難易度は近年でも類を見ない倍率だったという。
「ま、その辺りは企業秘密ってヤツでね」
 くすりと悪戯っぽく笑い、晶は携帯をひらひらと振ってみせるだけだ。


 職員室のある本館から魔法科棟までは、校庭を横切る長い渡り廊下が存在する。
 魔法科の校舎が主要校舎から離れているのが原因なのだが……。魔法科が後付けで作られた科であることと、強力な魔法を授業で操る危険性を考えれば、まあ当然の措置とも言えた。
「あの、はいり先生……」
 その渡り廊下で1−Aの担任教師を呼び止めたのは、自身が受け持つ女生徒だった。
「どうかした? 子門さん」
「ちょっと、ご相談が……」
「何?」
 声の調子から深刻な類らしいことを察するが、あえて声の調子を変えず、平然と応じてみせる。
「あの……レリックが暴走することって、あるんですか?」
「……してるの?」
 真紀乃が操るのは、複雑な変形合体機構を持つレリック群だ。
 はいりの経験上、維持するだけで大量の力を使うこのタイプのレリックが暴走する事は、滅多にないはずだが……。
「そういうワケじゃないんですけど……」
 どうやら、暴走したのは真紀乃のそれではないらしい。
「そうねぇ。使いこなせないのもそうだけど、魔力の使い手がそれをほとんど使っていなかったら……中に魔力が溜まりすぎて、暴発することはあるかもね」
 高度なレリックの中には、自身の中にマナを貯め込み、必要時に貯め込んだそれを一斉に放出するタイプもある。そういったタイプのレリックをあまり使わずに溜め続けていると、内に溜まった魔力が限界量を超え、暴走することはある。
「そうなんですか……」
「だいたいは、適度に魔力を発散させてやるのが一番なんだけど。……参考になったかな?」
「ありがとうございます!」
 ぺこりと頭を下げ、真紀乃はぱたぱたと魔法科棟に向けて駆けていった。
 そんな彼女に元気よく手を振って……。
「…………これでいいのね? ルーナ」
 呟いたのは真紀乃にではなく、渡り廊下の壁に向けてだ。
「悪いわね。今度、飯でもおごるわ」
 壁にもたれかかるのは、華が丘高校の制服を着た小柄な少女。だが、学年色を示すはずのリボンタイは……黒。
 無論、そんな色は華が丘高校の学年カラーには存在しない。
「今のルーナからおごられたら、悪い事でもしてるように見えるじゃない。勘弁してよ」
 本来なら、少女と彼女は同い年。
 だが、狂った時の中で暮らすルーナが実際に過ごした時間は、はいりのそれとは大幅に異なっているはずだった。
「家飯よ。どうせロクなもん食べてないんでしょ?」
「葵ちゃんを養うくらいには作ってるよ。……って、ルーナは今はどこにいるの? 柚ちゃんち?」
 さらりと紡いだのは、ルーナレイアの本当のパートナーの名。
「柚子の家に月瀬まで連れ込めないでしょ」
「じゃ、ルリちゃんち?」
 苦笑する少女に、今度は華が丘に暮らすクラスメイトの名を出してみる。確か当時は、彼女やそのパートナーとも仲が良かったはずだ。
「あっちはセイルがいるじゃない。陸からアパートの空き部屋、貸してもらってるわ」
 なるほどね、と呟くと、かつてのケンカ相手の世話になっている様子を想像して……はいりは小さく苦笑する。
「けど、目的のためには手段を選ばずか。あんたも大概、悪くなったわね。……皆殺しのソニア」
 けれど、はいりの苦笑もそのひと言に、ほんのわずか、硬くなる。
「この歳でその呼び名もないでしょ……いつの話よ」
 最後にその力を使ったのは、いつのことか。
 十六年以上は使っていないのは、間違いないだろうが……。
「それに……あの子達をコマとしか見てない大魔女達よりは、マシだと思うけど?」
「どうだか」
 嘲るようなルーナの笑みに、鋭い視線を打ち付ければ……既にそこから、少女の気配は消えている。


「レイジ、今日の練習なんだけど……」
 一時間目の授業が終わり。
 呼びかけたレイジは、いきなり悟司に手を合わせてきた。
「すまん、悟司。今日は冬奈達から大道具のチェックを頼まれちまってよ。悪ぃが、舞台稽古の指揮はおめぇ一人で何とかしちゃくれねぇか?」
「…………そりゃ、いいけど。遅れてるの?」
 衣装や大道具などの裏方は、祐希がメインになって進めていたはずだ。昨日の段階で顔を合わせもしたが、そんな事はひと言も言っていなかった。
「いや。天候竜とかある程度形になったらしいから、動きとか何とか、チェックして欲しいって言われてな」
 レイジは今回の合同劇の監督の位置にある。確かに進捗管理は祐希や悟司の担当だが、最終判断はレイジ……そういう事なのだろう。
「たぶん、そんなにはかかんねぇと思うんだが……。そっちも何かあったか?」
 悟司からも彼に何か言おうとしていた事を思い出す。
「いや、いつも僕、勇者組の担当だろ? だからこっちで見てる間の演技が問題ないかどうか、チェックして欲しいと思ったんだけど……」
「そいやそうだよなぁ……。とりあえず、大道具のチェックが終わったら考えるわ。だから今日は悪ぃが」
 苦笑いをぬぐえない少年に、悟司は穏やかに頷いてみせる。
「ああ。全体練習の出来るシーンから始めておくよ」
 努めて平静を装いつつ。
 そして、心の中でほんの少しだけ、罪悪感を感じながら。


 B組の二時間目の授業は、体育だった。
「百音さん!」
 校庭から更衣室を経て、教室へと戻る廊下。
 呼ばれた声に、百音は思わず足を止めて振り返る。
「悟司くん……」
「あのさ……今日の晩、空いてる?」
 男子の体育は、試合の決着がついていなかったからか、終業のチャイムが鳴ってからも終える気配を見せなかった。
 それが終わった瞬間、慌てて走ってきたのだろう。悟司の格好は体操服のままだ。
「空いてるっていえば、空いてるけど……どうしたの?」
 空いているも何も、ホームステイ先に戻った今、百音と悟司は同じ屋根の下に暮らしている。しかも、昨日の晩も遅くまで劇の練習を続けていたのは、付き合わされた悟司が一番よく知っているはず。
「うん。今、降松で劇団荒地の舞台があるんだけど……今日の最終公演のチケット、二枚手に入ったんだ」
「劇団……荒地?」
「今の日本で一番有名な劇団だよ。でさ、良かったら……」
 言われれば、テレビのCMで何度か見た覚えがある。
 ただ、知名度に関しては……メガ・ラニカから戻って半年の身としては、そこまで有名な団体なのかは分からなかったけれど。
「ええっと………」
 悟司としては、演劇の参考になるから、という意味での誘いなのだろう。
 けれど百音の感覚としては、明らかにそれは……。
「家には僕から連絡しておくから……ダメかな? 忙しい?」
「うぅ………」
 頭をよぎるのは、祖母から出された理不尽な課題。
 そして、ヘラリと笑う金髪の少年の顔。
「…………」
 答えぬ少女に、悟司も一瞬歩むことを止めかけてしまうが……。
(こ、こういう時は、確か………)
 悟司の頭をよぎるのは、女子のパートナーとも上手くやっている、小柄な少年の途切れ途切れのアドバイス。
「……百音さん!」
 瞳は正面に。
 声は、ひと息ぶん強く。
「は、はいっ?」
 珍しく強い声に、思わず硬直した百音は思わずそちらを向き直り。
「一緒に行こう! 絶対に参考になることがあるからっ!」
「あ、う、うん。……分かった」
 勢いのままそう答える少女に、少年は穏やかな笑みを浮かべてみせるのだった。


続劇

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