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4.歴史紐解くもの

 教室の戸を開け、入ってきたのは……。
「………おぁよー」
 驚くほどに、気の抜けた声だった。
「ンだぁ? 夏休みボケか? レム」
 非難の言葉ではあるものの、こちらもあくびをしながらでは、説得力のカケラもない。
「……なんか、気が付いたら居間に転がってた」
 うっすらと砂埃のたまった机を軽く払い、腰を下ろす。
 窓を開けて換気をしてはいるものの、ひと月半もの間ほとんど使っていなかった教室は、どことなく埃っぽく、何となく落ち着かない。
「何だそりゃ」
 夏休みボケもそこまで来れば大概だ。流石の少年も、だらけてこそいるが、それほどではない……はずだった。
「そうだ、八朔。お前、地上の風習って詳しいよな?」
「……まあ、人並みにはな」
 一応、日本生まれの日本育ちだ。少なくとも半年前まで異世界に住んでいたレム達よりは、日本の風習には詳しいはず。
「ちょっと聞くんだけどよ。オセーボって何だ?」
「…………今の時期だと、お中元じゃないのか?」
 もしも知らない風習だったらどうしよう……とわずかに身構えていたが、知っている習慣の名に心の中で小さく安堵の息を吐く。
「………オチューゲン」
 口にし慣れない単語をもう一度転がして、レムは難しい顔。
「どっちも、感謝の気持ちを持って、お世話になった相手にプレゼントを贈る習慣だよ」
 どうやら名前と概要だけどこかで聞いてきて、細かい内容は知らないらしい。そう見当を付け、大まかな説明を口にしてみる。
「オセーボと、どう違うんだ?」
 だが、そこで詰まった。
 何となくデパートで夏のセールが始まる頃にするのがお中元で、年の暮れ、ハムの人がCMに出てくる頃にするのがお歳暮……程度の認識はあるが、実際に送ったこともない立場である以上、それより細かい事は八朔にもよく分からない。
「盆の頃にやるのがお中元で、年の暮れにやるのがお歳暮じゃ。やることは変わらん」
 助けが来たのは、頭上から。
「じゃあ、オチューゲンはもう遅いのか……」
「盆も新暦で言えば九月の頭までずれる所もあるから、そこまで遅いわけでもないぞ」
 一分の淀みもなくさらりと出てきた低い声に、一同は返す言葉もない。
「……どうした」
 これが祐希達のような頭脳派からの説明なら、そんな反応はなかっただろう。
 だが。
「いや、良宇に物事を教わるなんて………」
「………どういう意味じゃ」
「まあ、だいたい分かった。ありがとな」
 八朔が再び言葉に詰まっているのを尻目に、レムは力なく笑ってみせる。
「みんな席に着きなさい。ホームルーム、始めるわよ」


「あたしが……副委員長?」
 呼ばれた名に、真紀乃は驚きの表情を隠せなかった。
 体育委員や他の係ならまあ、分からないでもない。
 だが、指名されたのが副委員長となると……。
「お願いしたいんですが、構いませんか?」
 指名したのは、副委員長の指名権限を持つ者。
 すなわち、二学期も委員長を続投することになった、祐希だ。
「え、でも、副委員長はローゼリオンさんじゃ……?」
 一学期のA組の副委員長は、キースリンとウィルの二人だった。どちらもメガ・ラニカ出身者ながら見事に役目を勤め上げ、何の問題もないまま一学期の任期を終えたのだが……。
 B組の副委員は一学期の二人が続投と聞いていたし、A組の二学期もこの二人が続投すると思っていたのだ。
「私の事なら気にしないで構わないよ。せっかくの祐希くんの指名なのだし、嫌でないなら真紀乃さんがするといい」
 穏やかに微笑むウィルに、真紀乃は少し考えて。
「あ……ありがとうごじゃ……」
 盛大に、噛んだ。
「い、一生懸命、頑張ります!」
 もう一度ぺこりと頭を下げて、辺りから起こる笑いを拍手に変える。
「で、もう一人はどうするの?」
 そして、拍手が収まった教室内の視線は……担任教師の言葉に、ただ一点に集中した。
「ええっと…………」
 クラスメイト全員の視線を受け、祐希は小さく頭を掻いて。
「……ハルモニアさん、お願いできますか?」
 上がるのは拍手どころか、はやし立てや口笛と、職権乱用だの野次が半々だ。
 要するに、十割が冷やかしとブーイングであった。
「理由を聞きましょっか。理由次第では、容赦ないわよ?」
 巻き起こる野次を片手で抑え、立ち上がったのは担任教師。
「……周りが」
 もちろん、その瞳に場の状況を押えようなどという気配は毛頭無く、興味の色だけが渦巻いている。
「ハルモニアさんは一学期にも手伝ってもらいましたし、実務的な所をお願いしたかったので。子門さんは、まだ華が丘に引っ越してきて半年も経っていませんし、学校活動を通じてもっと慣れてもらえればと思ったんですが……」
「………だ、そうよ」
 教師の目に浮かぶのは失望と落胆の色。
 そして周囲も、委員長の委員長過ぎる模範的な回答に、もはや反論する気も起こせずにいた。
「それよりキースリンさん、いいの? 副委員長に真紀乃ちゃんなんて、森永くんってば両手に花じゃない」
 そんな一同の中、その場に立っているキースリンにこそこそと話しかけたのは晶だ。
「いえ。その事なら、もう祐希さんから相談がありましたから……」
 実際の所、真紀乃を副委員長に据えた真意は、先ほどの祐希の言葉の中にはない。
 責任のあるポストに付けば、周囲に気を配る必要が出てくる。そこから何か掴めないかと……そういう意味合いを持って、彼女を副委員長という座に指名したのだと、キースリンは聞いていた。
 もちろんもう一人の副委員長は、祐希の計画のサポート役としての意味合いも持つ事になる。だからこそ、祐希はキースリンにその事を話してくれたのだろう。
「………はいはい。なんだか残暑が厳しいわねぇ」
 だが、晶はそれを別の意味に取ったらしい。
 小さく苦笑すると、ぱたぱたと軽く手を振ってみせるだけ。
「じゃ、委員長と副委員長が決まったのなら、その三人で司会お願いね。議題は………」
 そう言って担任教師が黒板に走らせた文字は……。
『華校祭』
 その三文字だった。


 放課後の保健室は、授業中に比べて賑わいを増すのが常だった。
 授業の合間は、保健委員という名の優秀なクラス専属治癒術者達が活躍してくれるのだが……放課を迎え、彼等が帰路に着いてしまうと、彼等が引き受けてくれていた怪我人達まで保健室が面倒を見る羽目になるのだ。
 だが、今日の放課後の保健室は珍しく客がいなかった。
「………近原先生」
 たった一人、客……怪我人でない巨漢を除いては。
「何か用? 今日は森永くんも、魔法の練習には来ていないけど……茶道部の活動は、今日はなかったわよね?」
 入室を断られなかった事を確かめて、良宇は保健室の扉をくぐり抜ける。
「………名簿のことなんじゃが」
「ああ。見たの?」
 ローリの口調にそれを咎める様子はない。むしろその返答は、彼女が預けたメモリの中身を見られることも折り込み済みだったのだろうと思えるほど、淡々としたものだ。
「見とらん。見とらんが………」
 実のところ、ローリからメモリを渡された後、二人が向かったのはパソコン室だった。
 極秘のファイルを預けると言われて興味を抱かない人間などいない。ましてやそれが来年、再来年の魔法科の生徒名簿……学園七不思議の一つと言われれば、なおさらだ。
「……見方が分からなかった?」
「それもある」
 だが、携帯のメールもまともに見られないような男である。祐希ならともかく、パソコン……それも、USBメモリから適切なファイルを選択し、開くなどと言う難易度の高いことが、出来ようはずもなかった。
「威張る所じゃないでしょう。……で、妹さんの名前があったかどうか、聞きに来たの?」
 良宇の妹は来年、華が丘の魔法科を受験する。仮にその名簿が本物だとすれば、彼女の名前がそこに載っていれば……。
「違う。真流理は自分で合格すると決めたら、合格するヤツじゃ。オレが心配なんかしても仕方ない」
 ただ一人、中身を見た祐希は……確かに名前が並ぶ、何かの名簿だったと言っていた。
 そして、知った後輩の名前も幾つかあったと。
 その中に妹の名前があるかどうか良宇は聞く気もなかったし、祐希もそれを語ろうとはしなかったが……少なくとも、その名簿が伊達や酔狂で作られたものでないことだけは、確かなようだった。
「妹思いなのね」
 だが、問題は良宇のあずかり知らぬそこではない。
「…………名簿には、生徒の名前がペアで書いてあったと言っとった。これは、どういう意味じゃ?」
 それも、知った名前と、知らない異界人らしき名前の、セットでだ。
 魔法科においてペアで並ぶ名前が何を意味するかなど……いくら良宇が鈍くとも、想像するまでもない。
「多分、維志堂くんの想像した通りの事だと思うわよ」
「どういう事じゃ! オレ達のパートナー合宿も、真流理の努力も、全部無駄だったっちゅう事か!」
 もし名簿に妹の名前が無いのなら、この先の努力は一切が無駄ということになる。
 だが妹の名前があったとしても、やはりこの先の努力は一切無駄という事になるのだ。仮に何の努力をしなくとも、名簿に名前さえ載っていれば合格ということになるのだから。
 さらに言えば、合格者にとっては……あのパートナー合宿さえ、結果の決まっている出来レースという事になる。
「知りたい?」
 良宇に言葉はない。
 ただ、首を縦に動かすだけ。
「後悔するかもよ?」
「せん」
 そして、連なるのは否定の一語。
「………まあ、遅かれ早かれ、知ることになるでしょうから……いいか」
 小柄な養護教諭は向かいの椅子を巨漢に勧めると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


 ワープロソフトに最後に打ち込むのは、END、という三つの文字だ。
 エンターキーを押して、確定完了。
「………出来た」
 山積みの資料の中、ぽつりと呟いたのは、そのひと言だ。
「やったね、レイジくん!」
 傍らにいた少女の声に、少年もようやく完結の実感を手に入れて。
「ああ! ありがとな、百音!」
 差し出された手をぎゅっと掴み、ぶんぶんと振り回す。
 振り回された百音の側も、夏休みからの膨大な作業に決着がついたのだ。喜んでいないはずがない。
 だが。
「あ、あの、ホリンくん、百音ちゃん……。図書館では、静かにしてね……?」
 遠慮がちに飛んできた図書委員……ファファの声に周囲を見回せば、こちらに向けられるのは敵意すら含んだ冷たい視線。
「あ………」
 互いに掴んでいた手を離し、赤面したまま席に着く。
「とりあえず、もっかい読み直してみるか……」
 その前に印刷だ。資料の山を片付けて、視聴覚室かパソコン室でプリンターを借りる必要があるだろう。
「それにしても、大作………だよねぇ」
 ページ数だけでも五十ページは優に超える。少なくとも、五分や十分のショートコントの分量ではない。
「大作………なあ、百音。俺、すごい問題に気が付いちまったんだけどよ」
 ページをページアップで延々と戻しながら、自分たちが一体どれだけのものを作ったのかと実感する。
 そして、その致命的な問題点にも。
「………この台本だと、裏方と役者さんが兼任くらいになっちゃうよね」
 もともと台本は、B組の舞台劇として企画したものだ。端役や裏方まで入れれば、本当にクラスの全員を駆り出すハメになるだろう。
 だが、クラスの出し物に参加できる人数と、クラスの総員はイコールではない。文化部員はクラスの出し物にまで手が回らない事が多いし、バイト中心の生徒に長い練習が必要な役を任せるのも気が引ける。
「まあ、その辺りは……おいおい考えようぜ」
 とりあえず形になったことを喜ぶべきで、その先の問題点は追々何とかしていけばいい話だ。
「ああ。出来たのか?」
 問題を先送りにして、乾いた笑いを上げている二人の所にやってきたのは、資料の山だった。
「おう。これでホームルームに出せるぜ! 八朔もありがとな!」
 不要と知って書架へと引き替えしていく資料の山に、レイジは小声で手を振ってみせる。
「ああ。そういやウィルから聞いたんだけど、A組も結局何をするか決まってないみたいだぜ?」
 A組はひと足早く華校祭の会議を始めたらしいが、決め手となる案が何一つ挙がらず、結局明日へと先送りになったのだという。
「…………マジか」
 おそらくはA組の動かせる人数も、B組と同じ程度だろう。
「ねえ、レイジくん。ちょっと考えたんだけど……」
 そして、百音の考えとレイジの考えは……。


「以上よ。……何か質問は?」
 長い話を終え、ローリは傍らのペットボトルからお茶をひと口。軽く口を湿らせて、問いを受ける構えを取るが……。
「…………」
 対する良宇は、微動だにしないまま。
 眠ってはいない。
 だが……。
「………分かってないわね、その顔は」
「おう」
 今度のローリの問いには、即答だった。
 それほどまでに、ローリの話は良宇の想像を絶しており……そして、難解なものであったのだ。
「じゃが……」
 しかし、それでも良宇は言葉を紡ぐ。
「俺はあいつじゃないし、あいつも俺じゃない。それに俺はあいつが気に入ったから、パートナーになったんじゃ。……それだけじゃ」
 分からないなら、分からないなりの答えを返す。
 それが、秘密を明かしてくれた相手への礼儀だと思ったからだ。
「………しっかり分かってるじゃない」
 その言葉に、ローリは珍しく苦笑い。
 無知と愚かは等しくはない。
 そして良宇は無知ではあっても、けっして愚かな男ではなかった。
「もう一つ、聞いてええか?」
「いいわよ。ついでだし」
「結局、俺達に何が出来るんじゃ?」
 分からないなりに核心を突く問いを放てるのも、その本質が愚かではないが故だ。
「何も出来ないでしょうね。あなた達は、今のまま、今の通りにいればいいのよ。……ひいては、それが世界を救う事になるのだから」
 そう。
 そうして世界は……そして、この十六年の歴史は、紡がれてきたのだ。
「…………それは、俺達が弱いからか?」
「そうでもあるし、そうでもないわ。例えどれだけ強くなっても、勝てる相手と勝てない相手がいるってこと」
「オレが、プロレスラーに勝てんようなもんか?」
 良宇の頭の中にあるのは、単純な力の比較だけ。
 それ以上の事は、彼の認識に余るのだ。
「プロレスラーに勝てるくらい強くなっても、数学のテストで百点を取るのは別問題でしょう?」
 ローリとしては分かりやすい例えを出しているつもりなのだが、良宇にはその二つがどうしても等号で結びつかない。
「……俺達全員でかかって、例えば……近原先生には、敵うんか? 勝てるようになれば、何か変えられるんか?」
 結局、良宇の基準はゲンコツらしい。
 その事を理解して、小柄な養護教諭は魔法科一年の主要な戦力を頭に思い浮かべていく。
「私なら……そうね、今のあなた達でも上手くやれば良いところまでいけるんじゃない?」
 魔法の強さは、単純な力だけではない。上手い策と狙うべき機があれば、力量の差など簡単にひっくり返る。
「もっとも、はいりは無理だと思うけど」
「……雀原先生じゃないんか?」
 良宇の知るはいりの魔法は、レリックを中心とした一対一の技がほとんどだ。それに比べて葵の魔法は、合宿で見せた結界のような圧倒的な防御と、複数の相手を同時に攻撃する、強力な範囲魔法が中心となる。
「違うわよ。少なくとも、昔はね」
 ローリの言葉は、過去形だ。
「本気のはいりは、それこそこの世の全てを思うままに操れたのよ。そんな相手に……私たちが束になってでも勝てると思う?」
 その言葉の示す意味を、良宇は把握すべきもないが……。
「本気の兎叶先生……今は、本気にならんのか?」
 ならないのか。
 それとも、なれないのか。
「……柚子がいないからね」
「柚子………」
 柚子。
 その名を良宇が思い出すのは、もう少しだけ先の話になる。


続劇

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