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 法廷に響き渡るのは、重々しいジャッジ・マレットの音。
 日本の法廷では使われないはずの木槌の音が響き渡ったのは、その法廷が、日本で開かれたものありながら……日本のものではないからだ。
 メガ・ラニカ法廷。
 日本から唯一地続きで繋がる異郷にして、最も遠い世界。
 そこで裁かれるはずの事象が、場所を華が丘に移して開かれているのだ。
「被告、瑠璃呉 陸」
 被告席から応と叫ぶのは、まだ年若い少年だ。
 日本の法律であれば未成年として扱われる彼だが……メガ・ラニカにおいてはそんなものは意味を成さない。
「陸さん……」
 その被告席の対面。不安そうにその名を呼んでみせるのは、原告席の末席に座らされた少女だ。
「ルリ。心配すんな」
 少年の表情に浮かぶのは、少女の不安を一蹴するほどの笑み。それに続く頼もしい言葉……例え虚勢しか詰まっていなくとも、だ……に、少女は無言で頷いてみせる。
 マレットの音が連なり、次に立ち上がるのはルリの二人隣に座る、細身の男だった。
 襟元に付いた意匠は、メガ・ラニカの紋章にアリウムの花をあしらったもの。彼の国において『正しい主張』を司る者……検察官である。
「被告は、パートナーであるルリ・クレリックを……まだ高校生の身でありながら、身籠もらせたものである」
 読み上げる言葉に、傍聴席から上がるのはわずかなどよめき。
 無論、事件の概要は知っての傍聴である。だが知っていてもなお、言葉として明確に示されれば……衝撃的な内容であった。
「この事実を……認めるか?」
「ああ」
 裁判官の問いかけを、陸はあっさりと肯定。
「弁解は?」
「なんでルリに子供が出来たことで言い訳しなきゃいけねえんだ?」
 むしろ不貞不貞しいほどに堂々とした陸の言葉に、原告席の中央に座っていた女性が荒々しく立ち上がる。
「あなた! いくらパートナーとはいえ……していい事と、悪い事があるでしょう!」
 まさに激昂という言葉が相応しい叫びだった。ヒステリックな言霊に周囲のマナが同調し、小さく紫電を走らせる。
 メガ・ラニカでも有数の実力を持つ魔女……彼女がルリの母親だと陸が知ったのは、この法廷で顔を合わせてからだった。
「ああ…………まあ、そりゃな。ルリが可愛すぎて、つい手を出しちまったのは……軽率だったと思ってる」
「手をって………! 言葉を慎みなさい!」
「ミセス・クレリック。法廷では静粛に!」
 議長の言葉にもう一度紫電を走らせて、ルリの母親は荒々しく席に。
 その様子にルリは小さく身をすくませるが、彼女の視線を真っ向から受け止めているはずの陸は、微動だにせぬままだ。
「けど、親父になったんなら、責任は取るさ」
「………罪を認めるのだな?」
「認めるも何も、最初っからやったって言ってんだろ」
 メガ・ラニカの法律を、陸は知らない。
 責任を取って結婚すればいいのか、それとも本当に死刑か。
 無論、子供の顔も見ずに死にたくは無かったが、それがメガ・ラニカの責任の取り方だと言われれば……少なくとも、受け入れる覚悟は出来ていた。
 それが、彼女の現状を聞かされたときからの、陸の紛れもない想いだ。
「判決は今日の法廷では下さない。被告は発言を慎みたまえ」
 華が丘に作られたメガ・ラニカの法廷に響き渡るのは、閉廷を告げるマレットの音。
「………第一回法廷は、ここまで」


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。

 本編の始まりはこの十六年の後。
 2008年8月末。
 二学期と文化祭を……そして、物語の折り返し点を間近に控えた、華が丘高校から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#6 欠落楽園


1.夏の続きのハーモニー


 華が丘八幡宮は、華が丘で最も大きな神社である。
 だが境内に至るには長い階段を昇る必要があるし、そもそも田舎の華が丘だ。昼間のそこは、夏休みでさえ参拝客はごく希に見られる程度……ほぼ無人と言って良い。
「そういう事……だったんですか。キースリンさん」
 そんな社の隅で缶紅茶を開けながら、少年はぽつりと呟いた。
「はい。ですから、悟司さんには……」
 キースリンの手の中にも、少年と同じ紅茶の缶がある。
 そして脇に置かれた鞄の中には、悟司から譲ってもらった魔法薬のペットボトルが入っていた。
「……鷺原君にはお礼を言わないといけませんね」
 キースリンと手を繋いで見つめ合っていたときは何事かと思ったが、理由を聞けば大した話題でもない。むしろ、勘違いしそうになった自分の方が恥ずかしいほどだ。
「事情は説明できませんけどね」
「ですね」
 苦笑するキースリンに、祐希もつられて苦笑い。
 悟司達側の事情は、祐希達が黙っておけば済むことだ。後は向こうの二人が上手くやるだろう。
 だが、キースリンが性別逆転解除の魔法薬を欲しがった理由は……さすがに説明するわけにはいかなかった。
「けど、祐希さん………構いませんか?」
 缶紅茶にそっと口をつけたキースリンが問うのは、遠慮がちなひと言だ。
「何がです?」
 けれど問われた祐希には、質問の意味が分からない。
「私がこれを飲んだら……また、男の体に………」

 ……そんな事があったのが、数日前のこと。

「……なんであそこで、『構いません』って即答出来なかったんだろう。僕は」
 その時の事を思い出し、祐希は台所の椅子に腰掛けたまま、小さくため息を吐く。
 キースリンは既に自分の部屋で寝ているだろう。
 そして彼女は女の姿……性別逆転状態のまま。
 答えられずにいる祐希を前に苦笑いをひとつして、「なら……しばらく、このままでいますね」と漏らした、あの時のままだ。
「…………はぁ」
 コーラをあおっても、ため息しか出ない。
 祐希も健全な男の子だ。
 性別など関係なく好きになった相手とはいえ……男の体よりは、女の体のほうがいいに決まっている。
 だが、そう言ってしまえばキースリンの気持ちを傷つける事になるし、かといって元に戻れば……。
「どうしたの。こんな時間にジュースなんか飲んでると、オネショしちゃうわよ?」
 そんなため息ばかりの祐希に掛けられたのは、母親の声。
「何歳だと思ってるんですか」
「それより、お母さんにもコーラついでよ。喉渇いたー」
「………オネショしますよ?」
 速攻で前言をひるがえすいい加減っぷりに半ば苦笑、半ば呆れつつ、母親の差し出したコップにペットボトルのコーラを注いでやる。
 自分のコップにも半分ほど注いで、口につけた所で……。
「それより、夜這いしないの?」
 盛大に、吹いた。
「な、何を……!」
「だってキッスちゃん、今は正真正銘の女の子なんでしょ? なら、男ならやることは一つしかないでしょー」
 ニヤニヤとしたままの母親に、少年は盛大にため息を吐いた。
「……どこに親公認でする夜這いがあるんですか。しませんよ」
 吐くしか、なかった。


続劇

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