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17.竜の寝床の朝に

 大神家の庭には、幾つかの高い木がそびえている。
 その一つの先端にすいと立ち、和装の少女はゆっくりと天を見上げた。
 重く天を覆う雲の隙間。はるか東の彼方から届くのは、彼女の銀の髪を紅く輝かせる旭日の光だ。しかし彼女が視線を翔ばすのは、瞳さえ灼きかねない強い光ではなく……。
 少女と同じく、その輝きを浴びるように曇り空を舞う、巨大な姿。
 曇天竜。
 重甲冑を思わせる灰色の外殻を重そうに揺すり、灰色の雲間をゆっくりと気怠そうに翔んでいる。それは昨日見た晴天竜の機敏な機動とはかけ離れた、重苦しささえ漂うもの。
「ふむ………」
 呟き、髪留めの根もとに仕込まれた飾りを悠然と引き抜けば。
 手元にあるのは細く長い白大理の刃と……。
 風にたなびく、髪飾りの尾羽。
 その身を愛らしく彩るのは、薔薇の意匠をその内に宿す無数のフリルとレースの束だ。
「なるほど、こうなるのか……悪くないね」
 刃をもとの髪留めへ。
 満足そうにひと言呟き、少女は大樹の先端から無造作に飛び降りた。


 華が丘高校の坂を越え、さらに北へ。
 朝の光の中。木々の間を高く翔び、無音の動きで駆け抜けるのは、シルクハットの白い影。
「いや……やっぱ、自分で行くよ。美春さん」
 その腕の中、視線を外して呟くのは、彼のパートナーだ。
 木々の間を魔法で跳躍するのが怖いわけではない。
 もちろん、ハルモニィとしての彼女の力を恐れているわけでもない。
「もぅ。急いだ方が良いって言ったのは悟司くんでしょ?」
「それはそうだけど……」
 ハルモニィとしての力……レリックの力を存分に解放した百音の力は、悟司の想像をはるかに超えるものだった。もちろんハルモニィとしての活躍は今まで何度も目にしてきたから、ハルモニィとして見れば当たり前ではあるのだが……。
 これだけの力を隠してきたのかと、悟司は内心舌を巻く。
「そうじゃなくって!」
 て、の叫びは強力な跳躍に置いて行かれ、木々の合間に消えてしまう。
「恥ずかしいよ! これ!」
 そう。
 百音が悟司を抱いているのは、両手で肩口と膝裏のそれぞれを支える抱き方だ。小柄になった悟司と長身の百音の組み合わせだからこそ出来た、抱く側の力を必要とする抱き方である。
 いわゆる、お姫様だっこ、という奴であった。
 悟司の恥ずかしそうな悲鳴を残し、百音は木々の間を駆け抜けていく。


 パートナーを先に下ろし、腰に手挟んでいた杖をひと振りすれば、そこに立っているのはいつもの百音だ。……もっとも、男の姿のそれをいつもの、と表現するのは少々語弊があるような気もするが。
「森永くんの言ってた場所だと、もうちょっと北……かな」
 杖から戻した携帯のGPSを起動させ、昨日祐希から聞いていた天候竜の巣の緯度経度と照らし合わせてみる。座標については秒単位のものを聞いていたから、携帯の表示を見た限りでは、北に百メートルも行けばたどり着けるはずだった。
「天候竜はさっき飛んでたから、今はもう無人のはずだよ」
「あ、そうなんだ……」
 大跳躍しながらの高速移動は、それなりに集中と体力を消耗するのだ。特に今日はパートナーが一緒だという初めての事態だったこともあり、疲労の度合いはいつもよりも大きく感じてしまう。
「じゃ、わたしが先に行くね!」
 ロッドを構え、百音は森の中をおっかなびっくり歩き出す。
「……………美春さん。あれ」
 数分ほど歩いたところで……そう言ったきり口をつぐんだのは、悟司だった。
「や。遅かったじゃない!」
 敵陣を伺うはずの緊張はどこへやら。
 森の一角。元気よくこちらに手を振っているのは……晶だった。
「まあ、考えは似たようなものってことね」
「ってことは、他のみんなも?」
 晶の案内を受け、進んだ道は森のさらに奥ではなく、小さな洞窟のようになっている場所だ。
「こんな所に……天候竜がいるの?」
 高さは百音の背より少し高い程度。翼を折りたたんでも十メートル近い高さのある天候竜など、通れるはずもない。
「見てなって」
 やがて抜けたのは、地下に広がる巨大な空間だった。
「へぇぇ………」
 小さく見積もっても、学校のグラウンドほどはあるだろうか。天井はかなり薄いか、所々隙間があるらしく、真っ暗というわけではない。
 その光を栄養としているのか、鬱蒼とコケやシダの生えそろうそこは……。
「秘密基地みたいだな……」
 悟司の感想が、最も近いだろう。よく見れば天井の中央あたりに大きな穴が開いており、竜はそこから出入りするだろう事が分かる。
 だが……上空から見ればその穴も、ただの窪地にしか見えないはずだ。まさかその地下にこんな大空洞があるなどとは普通思わない。
「で、ポーチはあった?」
 既に何の遠慮無く主不在の巣を漁っているクラスメイトの姿を見つけ、苦笑気味に問いかける。
「やっぱりないわ。祐希のフィギュアとGPSは見つかったけど」
 冬奈にファファ、ハーク、そして……。
「やっぱり、逃げ道は入口の所しかないか……っと、百音達も来てたのか」
「レイジくん……」
 レムを連れて現れた姿に、百音はぽつりとその名を呼んで。
「…………」
 そんな様子に、悟司は無言。
「あれ、どうやって来たんだ? キースリンさん達も一緒か?」
 魔法科一年で、飛行の魔法を会得している生徒はそういない。ここにいるメンバーを覗けば、後はキースリンかリリくらいしか思い当たらないが……。
「…………歩いてだよ。死ぬかと思った」
 正確には魔法で跳躍して来たのだが……まあ、地上を進んできたのはそうだから、あながち間違ってはいない。
「良い根性してるな」
「レイジとレムがいるって事は……良宇と子門さんは?」
 何かあったときの機動力を最重要視したのだろうか。ここにいるのは悟司と百音を覗けば、飛行魔法の使い手ばかりだ。彼等のパートナーである良宇と真紀乃すらいなかった。
「こっちにあんまり大人数で来ても仕方ねえからな。二人には麓で監視を任せてる。何かあったら携帯に連絡が来るはずなんだが……」
 魔法携帯のアンテナピクトは、一本とやや不安だが……アンテナなしや圏外になっているわけではない。
 着信履歴やメールさえないという事は、今の所は平和なのだろう。
「そっか……。後は、どうするかだな」
「夕方に出直しなのは仕方ねぇとして……」
 巣の中にポーチが転がっていれば楽だったのだが、さすがにそこまで都合良くはいかないらしかった。後は、天候竜がここに戻ってくるまでどうにもならない。
「祐希の話じゃ、夜もすぅっと消えていったらしいからな。それにポーチも巻き込まれるとすりゃ、消えるまでに何とか……って流れだろ」
 資料にあった、非実体化というやつだろう。
 他の魔法都市の天候竜などは、実体化と非実体化の合間にある事が多く、半ば透き通った姿をしているのだという。
 ここまで完全に実体化している例はメガ・ラニカを加えても華が丘しか例がなく、その本当の理由は今なお明らかになってはいない。
「何とか……って、どうするの?」
「なるべく素早く、確実にポーチに一撃加えて、落とす……」
 歯に引っかかっているだけなら、軽い衝撃を与えれば弾くことも出来るはずだ。最悪、落ちたポーチを回収するのは、次の朝でも何とかなる。
「……けどどうやんだよ、ンなもん。近寄るだけでも大変だし、風の魔法で吹き飛ばすわけにもいかないんだぞ?」
 こういう時に相性が良いのは、風で荷物を吹き飛ばすことなのだろうが……少なくとも晴天竜は、風の動きを体表付近でキャンセルする力を持つ。他の竜が同じ事を出来るかどうかは分からないが、確実に通じない可能性のある技を計画のメインに持ってくるのはリスクが大きすぎるだろう。
 レムの言葉に、一同は渋い顔。
 なにせ近寄った張本人が言うのだ。間違いない。
「射撃……かな」
 ぽつりと呟く悟司に向けられたのは、その場にいた全員からの視線だった。
「頼んだぞ、後方支援」
「………僕!?」
 風の力に頼らない遠隔攻撃、しかも精密狙撃の可能な魔法の使い手など、飛行魔法の使い手以上に稀少な存在だ。
 満場一致でその任を任されるのも、ある意味仕方のない話だった。


 それから数時間の後。
 レイジの姿は、華が丘の図書館にあった。
「良かったのか、百音? 悟司を置いてきて」
 メガ・ラニカの書籍の並ぶコーナーを歩きながら、声を掛けるのは傍らの少女に向けて。
「うん……。集中して練習できた方が、いいだろうし」
 悟司は精密狙撃の練習をするとかで、冬奈の道場に行っている。さすがに昼間から公園を使うわけにも行かないということで、その場に居合わせた冬奈が家の裏庭を貸してくれる事になったのだ。
「それに調べ物は、手数があった方がいいでしょ?」
 殊に今日の調べ物は、昨日のように天候竜……というわけではない。事情を知る者が少数である以上、分かる百音が付き合うのは当然の流れとも言えた。
(……ごめんね、レイジくん)
 もっともそれは半分は建前だ。
 悟司に正体を知られた気まずさは癒えきっていないし、祖母から言われた課題もある。
 さすがにそれをレイジに相談するわけにもいかず、かといって悟司の練習に付き合うのも落ち着かず……というわけで、流されるままに図書館へと来ていたのだ。
「まあな。……さて、メガ・ラニカの歴史、歴史…………っと」
 華が丘の図書館には、メガ・ラニカ関連の書籍もある。世界史や日本史の資料に比べれば少ないとはいえ、さすがにそれでもひと棚ほどの量があり、しかも一冊一冊が異様に厚い。
「片っ端からしかねぇか……」
「うぅ、これ、読むの……?」
 おそらく文字の大きさも、笑えるほどに小さいだろう。手伝うと言いはしたが、百音はどちらかといえば体力派で、調べ物は得意ではない。
「あれ? 百音ちゃん、どうしたの?」
 そんな二人に声を掛けてきたのは、ファファだった。いつも通りに可愛らしいワンピースを着ているが、性別が逆転したというのに相変わらず違和感がない。
 彼女は普通に本を借りに来たらしく、数冊の本を重そうに抱えていた。
「うん。ちょっと調べ物なんだけど、資料が多すぎて困ってて……」
「………何か……探してるの?」
 掛けられたのは、静かな声。
 無論ファファではない。彼女の傍らにいた、細身の少年だ。少し大きめのトートバッグを肩から提げている。
「え、あ、はい……アヴァロンっていう街について、調べようと思うんですけど……」
 少年はレイジの言葉に少し考える様子を見せていたが……。
「メガ・ラニカのアヴァロンなら……これと………これ。あと、これ」
 本棚の各所から数冊の本を抜き出すと、百音に渡してやる。一冊一冊ごく軽いような素振りで抜き出していたが、分厚いそれはやはり相応の重量を持ち、百音の腕の中にずっしりとした重さを残す。
「あ……ありがとうございます」
 ただ、少年がしゃがんだとき、トートバッグの中身がちらりと見えてしまったのだが……そこになぜか三十センチほどの女の子の人形が入っていた事については、見ないふりをしておくことにした。
「けど、これ全部読んだんですか? すごいなぁ……」
 瞬時に案内が出来たと言うことは、中身は既に把握済みと言うことだ。それだけでも尋常ではないのに、案内できるレベルで中身を覚えているということが、さらに凄い。
「読む時間は……たくさんあったから」
 暇だったのだろうか。
 そんな呟きを残し、少年はカウンターの方へと去っていった。
「ありがたかったけど……あれ、ファファの先輩か?」
 レイジと百音、どちらにも面識がないということは、少なくとも魔法科一年の生徒ではないということだ。普通科の可能性もあるが、それでも目にした覚えくらいはあるはずだった。
「同じ部活の、浅間原先輩だよ。今日は面白い本、教えてもらったんだ」
 浅間原先輩と呼ばれた少年は、貸し出しカウンターで数冊の本を借りている所。
 少々変わり者ではあるようだが……ファファも普通に接しているし、悪い人物というわけではないのだろう。
「それじゃ、わたしも帰るね。今日は四時集合で、いいんだよね?」
 今日は天候竜の追跡もなく、竜が巣に戻ってくるまでする事がない。だからこそレイジ達もこうして図書館に来る事が出来たのだ。
「ああ。頼むぜ」
 レイジの言葉ににっこり笑うと、ファファも浅間原を追い掛けて、カウンターへと去っていった。
 残されたのはレイジと百音。
 そして、浅間原から渡された、数冊の歴史書。
「まあ、このくらいなら二人でも何とかなるか……。百音は一番薄い奴からで良いから、ガンバレ」
「うぅ……がんばる……」
 こんな考えの中で、これだけの文字の羅列を整理しきれるだろうか。
 そう思いながら、二人の作業は始まるのだった。


続劇

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