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16.イン・ファイト

「こちらウィル。天候竜を、華が丘駅直上で目視確認。駅から西方向に飛行中だ。メールの配信、よろしく頼むよ。八朔」
 電話を切って数秒後には、携帯にメールの着信が来た。
 天候竜の目撃情報は大神邸にいる八朔に集められ、そこからメールで追跡班全員に配信される。おそらく、駅の西側……商店街近辺にいるメンバー達は、既に動き出しているはずだ。
「さて。私達も行こうか、悟司くん」
 携帯が壊れたおかげで単独での行動が出来ない悟司は、ウィルと行動を共にしていたのだが……呼ばれたその名に、わずかに反応を鈍らせてみせる。
「どうしたんだい?」
「いや、ああ、分かった」
 呼ばれたその名に、一瞬別の少女の姿を思い浮かべ……などとは、とても言えない。
「別に名前で呼ばれるなんて珍しくもないだろう? 百音さんだって、キースリンさんだって君を悟司くんと呼ぶだろうに」
「ああ……そうじゃなくて、美春さんには……」
 そう言いかけた悟司に、ウィルは思わず眉をひそめた。
「そういえば、前から思っていたけど……君は、名前で呼ばないのかい?」
 名前で呼ぶのが習慣化しているメガ・ラニカの出身者は当然として、同じ華が丘生まれの祐希でさえ、異性のパートナーを名字ではなく名前で呼んでいる。
 パートナーを名字で呼ぶ悟司のほうが、割合としてはむしろ少数派なのだ。
「そう……かな」
「それに君たちは幼なじみなのだろう? そんな君をパートナーに選んだのなら……そのくらいは許されると思うけどね?」
 西の空に、既に天候竜の姿はない。
 とはいえ、それほど大きく方向がずれているわけではないはずだ。ウィルは悟司を連れて、再び移動を開始する。


 百音の提げたバッグには、少し大きめのストラップがぶら下がっていた。
「ねえ……メレンゲ」
 ふかふかのぬいぐるみを模したそれに、百音が小さく声を掛ければ。
「何じゃ?」
 答えるのは、そんな静かな声。
 マナの充満した華が丘に戻ったおかげで、既に降松に抜け出た頃の痛々しい面影はどこにも見当たらない。
「これから……どんな災いが起きるの?」
 変身後の百音の姿は、一門の者以外には明かすことの出来ない秘密の力……だった。もし秘密が明らかにされてしまったのなら、百音とその近しい者達に、大いなる災いが及ぶという。
 それが悟司に知られてしまった今、どうなってしまうのか……。
「災い………? ああ、あれなら大丈夫じゃろう」
 さらりと言い放ったフクロウに、百音は疑問の表情を隠せない。
「なんで……? だってわたし、悟司くんに……っていうか、ならなんでメレンゲはあんな所に来たのよ!」
「お主らの危機を察したからじゃ」
 たったひと言の答えに、百音はそれ以上返す言葉もない。
 セミナーハウスの裏手にまでマナの境界が広がっていたこと。
 百音が反射的にレリックを起動させたこと。
 そして、メレンゲのひと声。
 そのいずれが欠けていても、悟司は助からなかったはずだ。
「あやつはパートナーじゃからな。じゃが、それ以外の者に知られれば……それに関しては、責任は取れんぞ?」
 何故パートナーなら、ハルモニィの正体を知られても災いが起きないのか。
 それだけでない。よくよく考えれば、百音のクリアしてきた課題はパートナーに絡むものがほとんどだ。以前はパートナー絡みの課題が多いのは、単純に祖母の趣味だと思っていたのだが……。
「ねえ、メレンゲ……」
 そう、フクロウの名を呼んだとき。
「百音! いま本部からメールが来た! そろそろ夕方だし、作戦、次の段階に進むって!」
「ふぇっ!?」
 いきなり呼びつけられた名に、思わずその身を震わせた。
「どした?」
「い、いや、男の人に名前で呼ばれるなんて、そんなになかったから……」
 しかも大声での呼び捨てだ。相手が真紀乃だから、正確に言えば男ではないのだが……それでも、低い男の声で呼ばれると、心臓に悪い。
「兄ちゃんだって、いつも呼んでるだろ?」
「にーには、そういうのとは違うし……」
 ごにょごにょと何やら呟いている百音に肩をすくめ、真紀乃は携帯をポケットに押し込んだ。
「とにかく急ぐぞ! 飛べない俺達でも、竜の位置の確認くらいは出来るだろ!」
 真紀乃の言葉に頷いて、二人は商店街に向けて走り出す。


 今回の作戦の運営本部は、大神邸の一室にある。
 天候竜に近付く行為は教師達から厳重に禁止されていたから、学校に本部を置くことは出来ない。
 華が丘のなるべく中心部に近い位置にあり、なおかつ四十人近い生徒達を集めることができ、情報を発信しやすいネット環境のある場所………ということで、八朔の家が選ばれていたのだ。
「手はずは分かってるな?」
 その庭で、待機していた部隊の最終確認が行われていた。
「はい。まずキースリンさんの八咫烏で移動し、そこから離脱したソーア君が天候竜に接敵。僕が制御するGPSとフィギュアを天候竜にくっつけたら、後は距離を置いて追跡……これで、いいんですよね?」
 幸い、天候竜はこの付近を飛んでいる。華が丘のどこへ向けても似たような距離で移動できる場所を本部にしたつもりだったが、移動距離が短いに越したことはない。
「そういうこと。なら、キースリンさん、頼む」
 レムの言葉に軽く頷き、キースリンが描き出すのは光の環。
 正式な手順を踏んで喚び出される魔法に、携帯から映し出される壁紙エピックは必要ない。
 やがてキースリンの輝く指先が空中に図形を完成させて。その内から巨大な翼を持つ三本足の烏が、ゆっくりとその身を覗かせる。
 だが。
「頑張りましょう、キースリンさん」
「あ……はい…………え? ひゃあっ!」
 キースリンの慌てた声に同期するように、八咫烏がばさばさと巨大な翼を羽ばたかせ、その場で暴れ始めた。
「こら! 静まりなさい……っ!」
 少女の叫びに、どうにか烏は羽ばたきを止めるものの……。
「魔法が不安定なのか?」
 周囲のマナの量、術者の集中の度合い、対象との関係性。そのいずれに狂いが生じても、魔法は暴走の危険を秘める。
 レムが今まで見てきた限り、キースリンの魔法は常に安定しており、暴走とは無縁のように思っていたのだが。
「そう……みたいです。多分……」
 無論、キースリンにはその原因が分かっている。
 術者の、集中だ。
 しかしそれを口にすれば、おそらく傍らにいる者を傷付け、それに連なるように烏も再び暴れ出すだろう。そうなっては、一日掛けたこの作戦そのものが水泡に帰してしまう。
「なら、さしあたりソーア君がキースリンさんと一緒に動いてくれますか?」
 その提案をしたのは、この作戦でレムと並ぶ中心人物だった。
「そりゃいいけど、お前はどうするんだ?」
 祐希はレムが提げているGPS付きフィギュアをコントロールする係だ。魔法の有効範囲は四百メートルほどだから、祐希が地上にいては、あっという間に効果範囲の外に逃げられてしまう。
「とりあえずレイジにメールしといたぞ。すぐ来るって」
 そう呟いたのは、庭にノートPCを持ち出していた八朔だった。どうやら気を利かせて、飛行魔法を持つメンバーに連絡を取ってくれたらしい。
「…………すみません」
「気にしないで下さい。こんな日もありますから」
 しゅんとうなだれるキースリンに穏やかに微笑んで、祐希は彼女からほんの少しだけ距離を置き、腰を下ろすのだった。


 図書館の駐車場に輝くのは、携帯から写し出された召喚の図形。甲高い嘶きが響き渡り、その内から飛び出したのは一頭の馬だった。
「よし、行くぜ! トビー!」
 元気よく叫んだレイジに…………。
 馬は彼女の姿などないかのように、辺りをきょろきょろと見回している。
「…………お前。ほら、俺だって。レイジ! レ・イ・ジ!」
 レイジの叫びも空しく響き。トビーの様子は、誰の目にもレイジの言葉に対して首を傾げているようにしか見えなかった。
「まあ、馬だしね……」
 なにせ肝心のレイジは少女の姿。
 事情を知らないトビーの反応は、まあ仕方が無いだろう。
「馬だもんね……」
「ホリンくん。ちょっと待って」
 身振り手振りでトビーに状況を説明しようとしていたレイジに声を掛けたのは、ファファだった。
 ポシェットから携帯を取り出し、そこから流れるのは鈴の音の転がるような涼やかなメロディ。
「…………うん。たぶん、大丈夫」
 どうやら、そういう魔法を使ったらしい。
 ファファの言うとおり、トビーは先ほどまでの様子とはうって変わって、レイジに従う素振りを見せている。
「助かったぜ、ハニエ。とにかく行く…………あれ?」
 いつものように馬の背中に飛び乗ろうとして、わずかに高さが足りないことに気付かされる。
 性別逆転が起きた際、レイジも若干ながら背が低くなったのだと、今更ながらに思い出す。
「ほら、先輩。掴まって」
 そんなレイジの両脇を抱え、軽く持ち上げてくれたのは……今のレイジよりも少し背の高い、真流理だった。
「あ、ああ………」
 軽くの高さで、戻ってきたのはいつもの感覚。地は蹴れないからひらりと飛び乗るというわけにはいかなかったが、それでも何とか両の鐙に足をかける。
「ボクも行くよ!」
 飛び出すレイジに続くのは、珍しくハークだ。
 いつものように背中のバッグから黒い翼をばさりと拡げ、大きく一度羽ばたかせる。
「あたしも……」
 携帯を開きかけた晶に投げ付けられたのは、ハークの声。
「晶ちゃん達は後から来て! ボクとレイジで先行した方が、きっと速いから!」
 晶の飛行魔法より、わずかにハークのそれは速いという。一分一秒を争う今、その微妙な差が後の結果に響いてくるのは晶でなくても容易く想像が付く。
「分かった! ならこっちも、真流理を連れて後から行くわ」
 晶とファファ、そして冬奈も、飛行の魔法の心得がある。その三人で真流理を支えれば、レイジ達には及ばぬまでも、徒歩より速く本部に向かうことが出来るはずだった。
 そんな少年の姿をした少女たちを後にして。
「へぇ……ハーク、少し見直したぜ」
 スピードを上げて飛びながら、レイジは傍らのハークに笑いながら呟いてみせる。
「そんなんじゃないってば……」
「何がそんなんじゃないんだ? 水月のことか?」
 おそらく、ハークは晶を前線に行かせたくないのだろう。今回の原因は故意でないとはいえ彼女にあるし、彼女の性格を考えれば一人で天候竜の巣にくらい忍び込みかねない。
 だからこそレイジについて図書館にやってきたし、こうして珍しく先行しているのだろう。
「…………うるさいよ」
 そんなレイジの邪推をひと言で切り捨てておいて、ハークは再び大きく翼を羽ばたかせる。
(無関心なんだって…………誰が無関心なんだよ。ホントに)
 家族に対してでさえ抱かない衝動にぎり、と唇を小さく噛み。
 ハークはさらに、黒い翼を羽ばたかせるのだった。


 それから数分の後。
「真紀乃ちゃんから連絡! 天候竜は、中学校方面からこっちに向けて移動中!」
 風の魔法で拡大されたハークの声に、周囲を飛んでいた大烏と天馬がゆっくりと距離を開けていく。
「来たぜ! レム!」
「ああ! 二人とも、遅れんなよっ!」
 言葉と共に大烏から小さな影が飛び降りて……。
 わずかに煌めきを放つと同時、弾かれたように加速する。
 緩やかな放物線を描いた落下から一転、描き出すのは愚直なまでの直線軌道。
 迎え撃つのは、全長二十メートルにも及ぶ巨大な姿だ。
「っかぁ……流石にでかいな」
 今の姿は晴れを象った晴天竜。大気の流れに影響を及ぼさぬそれは、羽ばたくところに近寄ってさえ、風の勢いを感じることはない。
 そうでなければ乱気流に巻き込まれ、レムもレイジ達も一瞬で吹き飛ばされていただろう。
「大丈夫か、あいつ……」
 レイジと祐希は天候竜のわずかに後方。けれどレムは、本当に接触する寸前の距離を翔けている。
 乱気流こそないが、体躯は完全な実体を持つ。一部にでも触れれば、吹き飛ばされるのは同じなのだ。
 その小さな姿が、バランスを崩し、後方へと吹き飛んだ。
「レムっ!」
「大丈夫! フィギュアを投げ付けて、バランスを崩しただけっ!」
 既に祐希はフィギュアと感覚を接続済み。その視界に映っていたレムが、天候竜にぶつかった様子はなかった。
 そして感覚を合一するフィギュアも、そのプラスチック製の筋肉にモノを言わせ、天候竜の強固な鱗に必死にしがみついている。
「なら、俺達が気張るのはこっからだな! 頼むぜ、トビー!」
 落ちていくレムをハークが回収する様子を横目に確かめながら、レイジは天馬の腹を軽く蹴り、飛翔の速度をより速めていく。


 強烈な落下感が浮遊感に変わったのは、手放しそうになっていた双刀を、必死で握りしめた瞬間だった。
 無論、双刀の力ではない。
 背後にあるのは、羽ばたく黒翼の巻き起こす強い風。
「…………助かった、ハーク」
 フィギュアを天候竜に投げ込んだ後は、バランスを取り戻す事より、天候竜の体の動きに巻き込まれないようにするので精一杯だった。はたから見れば吹き飛んだように見えたそれも、彼女なりに考えた動きだったのだが……。
 天候竜の間合から離れた後に体勢を取り戻すだけの集中を残しておかなかったのが、唯一の誤算。
「これでホントに女の子だったら言うことなしだったんだけどね……」
 女の子の体に公然と抱き付いていて構わないのは、役得ではあったが……人間、その状況に慣れてくれば欲が出ると言うものだ。
「大丈夫ですか? 二人とも」
 ゆっくりした羽ばたきで滞空している二人の所に寄ってきたのは、ハークの黒翼をはるかに凌ぐ大きさの、黒い翼。
「大丈夫だけど……さすがに、ちょっとキツいかも。まさか、天候竜の周りで風が起きないなんて思わなかったし……」
「そうなの?」
「ああ。いきなりこっちの空気の流れが変わったから、転んじまった」
 晴天竜が風を起こさないのは、資料を読んで知っていた。
 だがそれは天候竜の動きが風を起こさないわけではなく、起こした風を天候竜が自らの力で抑えているため……だったらしい。
 そうでなければ、刀の推進力と風のバランスを取って飛ぶレムが、フィギュアを一つ投げたからと言ってバランスを崩すはずがない。
「乗せてもらって良いか? キースリンさん」
 頷くキースリンの後ろに着地し、ようやくひと息。
 もちろん、まだ作戦は第一段階が終わったばかりだ。
「……頼むぜ、二人とも」
 既に豆粒ほどの大きさになった巨大な影を彼方に眺め、レムはぽつりとそう呟くのだった。


 強い向かい風の中。
「ホリン君!」
 叫ぶ祐希に、レイジも強く叫び返す。
「無茶言うな! これで、トビーは一杯一杯だって!」
 言いたいことは言わずとも分かる。
 なにせ天候竜との距離は縮まるどころか、少しずつ広がっているのだから。
「く………っ。限界……か……?」
 フィギュアから伝わる映像は、既に鮮明さを失い、時折強いノイズが混じるほど。
 そして全身に伝わる感覚も、途切れ途切れの弱々しいもの。
 既にフィギュアとの距離が、限界に届こうとしているのだ。
「………そうだ!」
 そんな中、頭の中に浮かぶのはふとした閃き。
 ダメで元々と、レイジに掴まったまま精神を集中。
 思い描くのは散々練習した力の調整でも、ノイズ混じりの視界でもなく。フィギュアと自身を結ぶ線を、より細く、しなやかなモノへと紡ぎ直すイメージ。
 ぐ、と身体を引かれるような感覚があり。
 次の瞬間、視界が開け、巨大な天候竜の背中と、そこに掴まる自身の両手が写し出された。
 これで、もう少しはいけるはずだ。
「大丈夫か?」
 どうやらレイジも、祐希が操作範囲を広げた事に気付いたらしい。
「ちょっとキツいですが……トビーだって頑張ってくれてるんです。何とか……持ちこたえてみせます!」
「よし! なら、こっちも根性見せてやろうぜ、相棒!」
 レイジの声に天馬がぐっと身を沈め。
 今までより少しだけ速いペースで、天候竜との差を縮め始める。


 レム達を迎えたのは、本部に戻っていた魔法科の生徒達だった。
「お疲れ! レミィ!」
「だからレミィって言うなって……」
 天候竜の追跡をしていた真紀乃達は言うに及ばず、図書館で資料探しをしていた晶達も戻ってきている。
「どうだった? ハーちゃん」
「うん。いま委員長達が追跡してる」
 西の空には、既に夕日が沈みつつあった。
 天候竜は夜は飛ばない。
 その説が本当であれば、そろそろ相手は巣に戻る頃のはずだ。
「これで上手くいけばいいんだが……」
 追跡班や資料調査はともかく、天候竜に至近距離まで接することになるレム達は、負担と危険が他のメンバーに比べて極端に大きかった。
 一度の成功は望みすぎだろうが、危険の数は少なければ少ないほど良い。
「だねぇ……」
 そんな一同に告げられるのは、本部であるこの家で、メールでの中継役を担当していた少女の声。
「レイジから電話だ! 天候竜の巣、見つかったってよ!」
 告げられたひと言に、大神家の庭は降ってわいたような歓声に包まれるのだった。


続劇

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