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14.禁じられた力

 普通科教室の長い廊下を歩いている子供を呼び止めたのは、臨海学校の荷物を抱えたままの長身の男。
「ルー太郎!」
「どこかの大柴みたいに言うな!」
 速攻で言い返すちびっ子教師の姿は、相変わらずいつもと同じ女の子の格好だ。中身はしっかり男だが、男の格好が落ち着かないのだろう。
「なあ、天候竜に……」
「ダメだ」
 そして真紀乃が口を開いた瞬間から、ダメ出しだった。
「ダメだって……まだ何も言ってねえだろ!」
 言い返す真紀乃にため息をひとつ。
 アップにしてある髪の根元を掻きながら、呆れたように男を見上げてみせる。
「どうせ核金を使いたいとか言うんだろ。ダメだ」
 真紀乃の表情は、何故分かった、ではない。
 分かっているなら何故、だ。
「そもそも天候竜には近寄るなって言ってあるだろ。そういう勝手なことをしてさらに勝手をするなんて言っても、通じるわけないだろ」
 天候竜は、猛獣だ。ただこちらに干渉してこないから放ってあるだけで、その力はこの地球上にいる生物の何よりも強い。
「じゃあルー太郎はそのまんまでいいのかよ!」
「よかぁないが、あたしらの所為で死人が出るよかマシだろうが」
 無論、今回の件で天候竜に干渉を行うという意見も無いわけではなかった。魔法庁の実働部隊を動かして、早急な解決を図れとも。
 だが、相手は一流の魔法使いでも尻込みする天候竜だ。それを相手にして一人の犠牲も出さずに解決できる保証はどこにもないし、ここで攻撃したことで天候竜との共存を崩せば、それは華が丘市民全体に累が及ぶ。
 人命が掛かっているならともかく、今回の件に関してはそういうわけでもない。結局、リスクに対して、リターンが少なすぎるという点から、魔法庁は最も安全で確実な策を取ったのだ。
「ああ、そうだ。お前、今までの錬金術部の事件についてのデータ、無断で取ってたんだってな。出せ」
 そして、ついでとばかりに投げられたルーニの言葉に、真紀乃は思わず眉根を寄せる。
「ウチの部、あんなだけど秘密組織なんだよ。魔法庁だとか警察だとか、めんどくさい組織の末端にも繋がってるから、そういう事を外部に漏らされると困んだよ」
 そもそも錬金術の存在は、世間に対して極秘なのだ。
 魔法世界の外でも魔法に近い効果を出せる技術……例えば錬金術部の保有する自動人形をたった一体、魔法薬をたったひと瓶世間に流しただけで、世界が激変する事は想像に難くない。
 普段気軽に扱っているが、実際はそれだけの物なのだ。錬金術というのは。
「これは……爺ちゃんに……高木先生の許可だって……!」
 その言葉に、ルーニはため息をひとつ。
「高木は聞いてないって言ってたぞ。お前、ちゃんと高木に報告したか? 他の連中はなんだかんだで申請書とか出して、ちゃんと許可取ってるんだぞ?」
 内々で使う分には黙認している面もある。だが、外部への持ち出しや他人への譲渡は、ああ見えて厳しく徹底されているのだ。
 少なくとも校内でのやり取りに関しては、探知の結界などで全て筒抜けになっていると思って良い。
「ただ、高木も向こうとは面識があるそうでな。必要なデータなら送ったって言ってた。何なら確認してもらっても構わんそうだが……」
 こちらに向けられた視線に気付いてなお、ルーニは普段の調子を崩さない。ただいつものように面倒くさそうに、言葉を紡ぐだけ。
「お前、何焦ってんだ? 周りをよく見てみろ。この世界には、お前が考えてるような敵なんか、どこにもいやしないんだぞ?」
「…………なら、どうしろってんだよ!」
 拳を構え、核金を取り出そうとして……核金の起動には目の前の相手か、顧問である高木の許可が必要だと思い至る。
 無論、この状況で起動許可が発令されるはずもない。
「まず核金とオリジナルのデータ寄越して、ひと晩ゆっくり頭冷やせ。で、自分のしてる事が周りからどう見られてるか、よーく考えてみるんだな」
 ならば、真紀乃の選ぶ選択肢は一つ。
「ンな時間ねえって言ってんだろ! テンガイオー!」
 構えた携帯から放たれるのは、四条の閃光だ。
 武装錬金が使えなくとも、通常のレリックならば起動許可は必要ない。
「……お前、あたしより年上だろうが」
 長い廊下を駆け抜け、時に重なり、時に散らばる閃光を退屈そうに見遣りながら、ルーニはあくびを一つ。髪に仕込んだ核金に指を伸ばす気配もないままだ。
「いつもの核金は使わないのかよ! ルー太郎!」
 ルーニの武装錬金は、起動に許可を必要としない。正確には自身で起動許可を出せるため、独自の判断で使うことが出来るのだ。
 もっとも今までの話だと、校内での独自使用は、全て高木に筒抜けになっているようだが。
「魔法が使えんのにあんなもん使うかよ。錬金術なんて、魔法が使えない時の代替手段だぞ?」
 そのぼやきと同時、指先をぱちりと一つ。
 呪文詠唱も携帯を出すこともないまま、長い廊下を覆い尽くすのは、万象を絡め取る光の蜘蛛糸だ。言うまでもなく、真紀乃はおろかテンガイオーも廊下を一掃したそれに絡め取られ、身動きを取れずにいる。
「な………着スペルは……?」
 携帯は分からないでもない。服の上から触れていても、杖の代わりにはなるからだ。
 そして錬金術ではなく魔法を使ったのも、魔法教師ならば当然の選択だろう。
 だが、何の準備をしている様子もなかったのに……。
「本場の魔女の実力、舐めんじゃねえぞ。あんなイージーモードなんか使うかよ」
 着スペルや待ち受けエピックは、いずれも形式化された呪文詠唱を簡略にする手段でしかない。逆に言えば、簡略化する必要がないほど習熟した呪文であれば、詠唱時間のぶんだけ隙を作ることにもなる。
「……ええっと、確かこういうお仕置きの時は、こう言やあいいんだっけか?」
 ちびっ子教師は凶悪な笑みを浮かべ。
「ちょっと、頭冷やそうか」
 ゆっくりと、呪文詠唱を開始した。


 白い肌に当てられたカッターが、すいと軽く引かれ。
 五センチほどの浅い傷から浮き出るのは、小さな血の玉の群れだ。
「なんじゃ、こんなもんでええんか。もっとばっさりやってくれてもええんじゃぞ?」
 腕をあえて切られるというのは流石に気分の良いものではなかったが、この程度の傷、別に痛くも痒くもない。これで手伝いになるなど、いささか拍子抜けなほどだ。
「……ばっさりやると死ぬでしょ。森永くん」
 傷を付けたカッターを引き出しに戻しながら、ローリは向かいの椅子に腰掛けている少女の名を呼んだ。
「はい」
 携帯を片手に、少女は正確に呪文詠唱。
 淡い光に包まれた手を良宇の傷口に近付ければ、腕に引かれた赤いラインが音もなく消えていく。
 皮一枚の薄い傷ではあったものの……光が消えた後には、良宇の腕には傷を示す跡などどこにも見えなくなっていた。
「治癒魔法は、だいぶ上手くなったわね……何か良いことでもあった?」
 わざわざ腕に傷を付けて治癒魔法の練習をするというのもあまり気持ちの良いものでもないが、保健室とはいえそうさいさい怪我人がいるわけではない。
 特に華が丘高校には保健委員という優秀な治癒術者が各クラスにいるため、軽傷の生徒は滅多に保健室までやってこないのだ。
「い、いえ……別に……」
 頬を赤らめる少女のわかりやすさに苦笑しつつ、小さな養護教諭は傍らに置かれた自身の携帯を軽く弾いてみせる。
「そう。けど、治癒魔法はここまで出来るのに、なんでそっちの子はあの程度なのかしらね?」
「……どういう事ですか?」
 ローリの問いかけに合わせるように、持っていた携帯に呪文を唱えれば。軽く放られた携帯は折り畳まれていた手足を伸ばし、机の上に手足の生えた携帯といった姿で着地した。
 ワンセブンの制御も、毎日きちんと練習している。最近はちょっとしたダンスも踊らせることが出来るようになったのだ。
「森永くん、灯火の魔法は使えたかしら?」
「はぁ。これで、いいですか?」
 ワンセブンを元に戻し、やはり呪文を詠唱する。
 手元に浮かび上がるのは、拳大の明かりの玉だ。
 授業で習ったそれは、特に何が出来るわけでもない。ただ手元に明かりを灯すだけの、基礎魔法だ。
「なら、明るさは変えられる?」
「そりゃまあ……基礎ですし」
 ほんの少しの集中で、明かりの玉はその明度を変え、やがて小刻みな点滅さえ繰り返してみせる。
「おお……こんな事が出来るんか! すごいのぅ、委員長!」
 素直に手を叩いてくる良宇に苦笑しつつ、祐希は灯火の魔法を解除した。さすがに細かな点滅は集中が必要だが、明るさを変える程度ならさして難しいことでもない。
「同じ事が人形遣いで、出来ない?」
 ローリのその言葉に、祐希は少し考えると……再びワンセブンを起動させた。
 歩み寄った先は、机の隅に置かれた五百ミリのペットボトル。
 手足の生えたケータイは何とかそれを持ち上げようとするが、お茶が一杯まで入ったそれは自重よりはるかに重く、抱えられそうな気配もない。
 だが。
「こう……ですか」
 その言葉と共に、ワンセブンはペットボトルをひょいと持ち上げたではないか。
「おお! やるのぅ、ちっこいの!」
 ペットボトルを元へと戻し、祐希はほぅと息を一つ。
「まあ、初めのうちはその程度でしょうね。けど、コツは分かった?」
 流し込む魔力を絞ること、強めること。
 今まで定量を流し込むだけだったそれに緩急を付けられるようになれば、祐希の魔法は……今よりもはるかに強くなるだろう。
「先生。もしかしてこれ、気力充填にも……」
「それは森永くんの努力次第ね。今のアレじゃ、困ったときには役に立たないものね」
 祐希の使う気力の受け渡しは、常に全量の移動しか出来ない。使った後は祐希は気力の全てを失い、役立たずになってしまうのだが……。
 その受け渡しの量が調節できるようになれば、使える状況は大幅に増えることとなる。
「頑張ります!」
 新たな方向性が見えたその時、保健室の扉が荒々しく開かれた。
「……また、酷いのが来たわね」
 入ってきたのは、傷だらけの長身の少年。
 大きな傷こそないが、細かい傷は全身に及んでいる。
「ベッドに横になりなさい。二人とも、空けてくれる?」
 二人が脇にどけば、真紀乃は倒れ込むようにベッドへと。
「それと維志堂くん、その子を押さえつけて」
「……え? じゃが、俺は……」
 今の良宇の体は、女性の体だ。男の時ほどの力は、ないはずなのに……。
「いいから!」
 とはいえ、もともと小柄なローリや、やはり細身の祐希よりは強い……かもしれない。ローリの言葉に従って、良宇は真紀乃を押さえつける。
「すまんの、子門」
「ぐぅ……っ!」
「……お?」
 大柄な真紀乃が押し返そうとする力は、思ったほどには強くなかった。むしろ、良宇の力が今までと変わっていないと……思うべきなのか。
「森永くんは治癒魔法を手伝って」
「いいんですか?」
「小さな傷ばかりだから、あなたの力で十分よ。手が足りないんだから、やってちょうだい」
 その言葉に小さく頷いて。ローリに続いて祐希も携帯を片手に、治癒魔法の詠唱を開始する。


 静かな寝息を立てている真紀乃を見下ろし、ローリはため息をひとつ。
「……ふぅ。これでひと息ね」
 治癒魔法は、対象の治癒能力を高めるだけの魔法だ。実際に傷を治す体力は、対象が消費することになる。
 小さな傷だったし、既に痕も見えないが……ここまで数が多いと、使った体力は相当なものだ。おそらく、しばらくは目を覚まさないだろう。
「どうしたんです? 子門さん」
「さあ。ちょくちょく来るけど、理由は言わないのよね。この子も……見てるこっちが心配しているっていう自覚はあるのかしらね?」
 も、という所に養護教諭として含む物を感じたが、あえてそこには触れないでおく。
 面倒な生徒が多いのは、学校の性質上、まあ予想できない所ではなかったからだ。
「のぅ、先生」
「何?」
「オレの力……この体でも、弱くなっておらんのかのう?」
 真紀乃の力は、男の体になってから強くなっているように見えていた。
 いかに傷付いていたとはいえ、いや、手負いだからこそ、真紀乃を押さえつけるにはそれに匹敵するだけの力が必要だったはずなのに。
「さあ。その薬の効果は知らないけれど、弱くなってないなら、そうなんじゃないの?」
「………ふむ」
 女の体になって、力が弱くなったと思っていたのは……良宇の思いこみだったのだろうか。
 白く細い手を握りしめ、良宇は呟きをひとつ。
 この細い手でも、まだ誰かを守ることは出来るのだろうか、と。
「さて……と。それじゃ、先生。今日はありがとうございました」
 思わぬ実習が入ってしまったが、本来祐希はローリに魔法を習いに来ただけで、良宇はその付き添いである。
「そうだ。森永くん、ついでで悪いのだけれど、このメモリを職員室のはいりか葵の所に持っていってもらえない?」
「それはいいですけど……名簿、ですか?」
 受け取ったメモリの脇にはただ、名簿とだけ書かれていた。
「この間見せてもろうたやつとは、違うやつか?」
 以前ローリが持っていたメモリとは、色が違っているように見える。形はどれも似たようなもので区別は付かなかったが、さすがに色なら違いが分かった。
「ああ、維志堂くんは見てたわね……ええ、あれは来年ので、今年はその次ね」
 首を傾げる二人に、養護教諭は意味ありげに微笑んでみせる。
「聞いたことはない? 華が丘高校の魔法科には、来年や再来年の新入生の名簿が、もう準備されてるって……」
「………まさか、冗談ですよね?」
 もちろん祐希も華が丘の七不思議の一つとして、その噂を耳にしたことくらいはある。けれど、それはあくまでも噂であって、ただの笑い話でしかない……はずだ。
 だが、来年や、再来年と言われれば……。
「再来年って……真流理の名前も……か?」
 再来年といえば、良宇の妹の進学する年だ。その合否が、既にこの段階で決まっていると……目の前の女性は、そう言っているのか。
「さあ、どうかしらね。……ともかく、よろしく頼んだわよ」
 そんな重要な品を生徒に委ねるはずがない。
 そう思いつつも。
 二人はメモリを手にしたまま、保健室を後にする。


続劇

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