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10.フツヌシ

 大柄な影が進んでいくのは、海岸とは正反対の山手側。
 既に背後にあるはずの砂浜は、鬱蒼と茂る木々に隠され、その存在を感じる事さえ出来ずにいる。
「ど、どこに連れてこうってんだよ!」
 パーカーを貸してもらっていたから、寒くはない。どうやら目の前を歩く真紀乃は道を開いてくれてもいるらしく、素足に草が当たることもなかった。
「どこでもいいじゃねえか……二人っきりならよ」
 だが、レムの問いに返ってくるのは、そんな言葉だけ。
「な……」
「ん? ドキドキしたか?」
「そ、そんなこと……ないけど」
 それきり、レムにとっては微妙に気まずい沈黙が戻り。二人の間にある音は、真紀乃が道を切り開くがさがさという音だけになる。
 分け入っても分け入っても何とやら。
 日本語の授業で習った句をぼんやりと思い出していると、やがて視界に広い空間が戻ってきた。
「着いたぞ!」
 猫の額ほどの広場には、小さな鳥居と、やはり小さな祠がひとつ。
「祭ってる神様は………垣元灯室経津主?」
 どんなものかと祠の前に立てば、この規模の祠には珍しく、祭神の名を記した銘板が脇に立ててあった。
「カキモトノヒム……何だって?」
「カキモトノヒムロフツヌシ。経津主って事は、刀か鍛冶の神様だな……」
 経津主とも、布都怒志とも言われる神だ。
 日本の剣の歴史を紐解けば、古代の刀の神として必ず行き当たる名前と言って良い。だからこそ、神という概念に疎いメガ・ラニカ人のレムがその由来にまで行き当たることが出来たわけだが。
「島の岬側には造船所もあるから、その辺の神様なのか?」
「そこまでは分かんねえけどな。後はせいぜい……」
 だが、レムが分かるのもそこまでだ。もともと刀の歴史について調べていて行き当たっただけで、八百万人もいるらしい神様にそこまで興味があるわけではない。
「十七世紀頃に建てられたらしい……ってことくらいか」
 傍らに立て掛けられた銘板も、簡単な時代背景があるだけで、細かな由来や神の起源が書かれているわけではなかった。
「……で、真紀乃さんはこれが見せたかったワケじゃないんだろ?」
 レムの視線の先にあるのは、祠の傍らに置かれた幾つかの段ボールだ。脇には『演劇部』と極太のマジックで記されている。
「はいり先生達や演劇部のみんなに頼んで、色々貸してもらったんだよ」
 段ボールのフタを開けてみれば、中に入っているのは怪物を象ったマスクや、提灯のような小道具だった。
 中に入っていた冊子の表紙を見れば、『番町皿屋敷』とある。
 確か、日本に古くから伝わる怪談の一つだ。
「……………これを、手伝えと?」
 鳥居。
 祠。
 そして、怪談の小道具。
 やりたいことは、何となくだが予想が付いた。
 だが、レムの言葉尻にあるのは、わずかな苛つきの色。
「レミィ、秘密……ちゃんと守ってくれただろ? だから今度も……」
 そう言いながら段ボールから肝試しグッズを取り出していく真紀乃に、レムの眉間の皺が増えた。
「…………あの、武装錬金とかいう物のこと?」
 ぽつりと呟いたその銘に、真紀乃の手が止まる。
「………ごめんな。話せるときが来たら、ちゃんと話すから」
 真紀乃の言葉に返事はない。
 代わりに響き渡るのは、段ボールが蹴り飛ばされる、鈍い音。
「それって、今のオレは信用できないって事だよな!」
「そういう意味じゃ……!」
 立ち上がる真紀乃は、それ以上の言葉を紡げない。
 打ち付けられるレムの視線に宿るのは……苛立ちと、敵意にすら近い怒りの色。
「なら話せよ! そうやっていつもいつも裏でコソコソやって……! 怪我して俺達に心配かけて……へらへら笑って、何がしたいんだよ! 真紀乃さん!」
 大怪我をして帰ってきたこと、京都に嘘の理由で行ったこと、メガ・ラニカで姿を消そうとしたこと。
 核金を使おうとしたことは結果論にしても、その前提にあるのは全て真紀乃の独走だ。
「本気で俺に内緒にするんなら……騙し通してくれた方が良かった!」
 そう言い残して走り去るレムを、真紀乃は追い掛ける術を持たず……。
 ただ、その場に立ちつくすのみだった。


 よたよたと振り下ろされた木の棒が砂浜を打ち据える音は、ぽすんというどこか気の抜けた音だった。
「セイルくん、もっと上手く狙わなきゃー!」
 どうやら普段の得物に比べて軽すぎる重量が、勘を鈍らせたらしい。スイカの位置と打撃後の差を不思議そうに見つめているセイルに、リリがそんな野次を飛ばす。
「……………リリさん、次」
「ふぇっ!? ボク?」
 パートナーから強引に渡された棒をへっぴり腰で構え、見えない視界で力任せに振り下ろせば……。
 叩いた先で、ばしゃりと水しぶきが舞った。
「セイルくんよりひどいよ、リリちゃん!」
「ゆ、誘導したみんなが悪いんだもん! 誰よ、右って言ったの! 百音ちゃんじゃないの?」
「……………リリさん、左に歩いてた」
 セイルの反論に続ける言葉も見つからないリリの手から、すいと木の棒を取り上げたのは……。
「さて、次は私だね」
 片手持ちで木の棒を構えた、ウィルだ。
 するりと流れるような動きで目隠しを当て、腰に当てた木の棒を居合いの如く引き絞る。
「はぁっ!」
 叫びと共に跳躍し、絶妙の間合で木の棒を横に振り抜いた。
 方向と跳躍距離は絶妙。
 ウィルの手元に残るのは、西瓜を断ち切り、空へと抜けた手応えだ。
「うむ……!」
 目隠し代わりの幅広の布を振りほどけば、背後にあるのは真横に両断された哀れな西瓜の姿。
「テメェ! ぐるぐる回る前にさっさと斬りつけやがって! 反則だろ、反則っ!」
「な……目を回すなど、美しくないだろう!」
 賞賛どころか速攻で来たレイジからのダメ出しに、辺りから沸くのは笑い声だ。
「まあ、西瓜はもう一個あるし……次は誰?」
 西瓜は、担任教師からの差し入れだった。
 教師一人につき一つずつ。ふたクラス合同での研修だから、もちろんもう一つ残っている。
「じゃあ次、ボクがやる! ボク!」
「ハーちゃん、失敗したら罰ゲームだからね!」
「なんでボクだけ罰ゲームなんだよ!」
 反論するが、そんな反論が受け入れられる相手ではない。
「あ………」
 二分ほど後には、首以外は埋められているハークがいた。もちろん胸元には巨大な砂の山が、こんもりと二つ作られていたりする。
「次は誰? 誰もいないなら、あたしがやっちゃうわよ! 目隠しなしで!」
「目隠しはちゃんとしなよ!」
 首だけのハークのツッコミを颯爽と無視し、晶が木の棒を元気よくかざしてみせると……。
「………オレがやる」
 その棒を取り上げたのは、眉間に皺を寄せたままのレムだった。


 二つめの西瓜の寿命は、ほんのわずかな物だった。
「けど、何でお前ら、女装なんだ?」
 豪快に砕かれたそれを遠慮なくかじりながら、レイジが問うたのは二人の少女……ではない。
 性別逆転した今は、少年のはずの二人だった。
 冬奈と、ファファである。
「女装って言わないでよ……あたしは別に、フンドシでも何でも良かったんだから……」
 普段のファファより小柄な冬奈が着ているのは、フリフリの山ほどついたワンピースタイプの水着だった。もちろん先日降松で買ってきたものではなく、その前にメガ・ラニカで買ってきたファファ用の物である。
「そんなのダメーっ! せっかく似合うんだから、可愛い方がいいの! 鷺原くんたちもそう思うよね?」
「ま、まあ………なぁ?」
 一応、今の冬奈とファファは男の子。
 普段ならば頷くだけで済む問いも、今回ばかりは若干とは言えないほど微妙なニュアンスを含んでくる。
「俺に同意を求めようとするなよ……」
 無論、同意を求められた八朔も、渋い顔。
 そんな他愛ない会話に興じている一同から少し離れたところに、彼女はいた。
「レムくん」
 呼ばれたその名に、レムは無言で顔を上げてみせる。
「……一体どうしたんだい? さっきの一撃に籠もった気迫、相当なものだったけど」
 西瓜を砕いた一撃は、西瓜の中心線を打ち砕く見事な物だった。
 それはいい。
 だが、そこに込められたと少女が感じたのは……怒りとも戸惑いともつかぬ、負の想い。
「何でもねえ」
「そう。なら、聞かないけど」
 それきり無言でウィルが腰を下ろせば。
 代わりに立ち上がるのは、レム自身。
 そのまま食べ終えた西瓜の皮を放り棄て、海へ向かって一直線に走り出す。
「おいちょっとレム!」
「どうしたんだい? 水着だから、別に泳ぐのは当たり前……」
 ウィルの言葉を最後まで聞くことなく、八朔は慌てて走り出す。
「違う! アイツ泳げねえんだって!」
 だが、その言葉にウィルが立ち上がったときにはもう遅い。
「ちょっと! レムくんが溺れてるーっ!」
 ただでさえ泳げないところに、あれだけの長い髪の毛を結びもせずに飛び込んだのだ。あっという間に手足を取られ、水面を必死に叩くのが精一杯。
「ちょっ! 行くぞ!」
 慌てて泳げる面々が走り出した、その横を。
 黒い影が、一直線に海へと駆け抜けていく。


「まあ、大事にならなくて良かったよ」
 良宇の作った肉じゃがを摘みながらのレイジの言葉に、レムは頭を下げるしかない。
 教員室で散々お説教をされて、解放されたのがつい先ほど。手早くお風呂で潮水だけを洗い流し、こうして食事の席に戻ってきたのだが……。
「泳げないなら泳げないって、ちゃんと言えよ? っていうか、飛び込むなよ」
「……ホントにすまん」
 真紀乃との言い合いで最高潮に達していた苛つきに、ウィルからの見透かされたようなひと言。
 無論、自制が効かなかった自分自身が最後のひと押しになったのだが……。気が付けば布団の上だったというのは、いくら何でも気まずすぎた。
「けど子門のやつ、ちょっと凄かったな」
「……真紀乃さんが?」
 確か、山の上でイベントとやらの準備をしていたはずだ。レムを追ってこなかったから、呆れたか、戦力不足と見限ったかのどちらかだとばかり思っていたのだが……。
「ああ。ものすごい勢いで山から下りてきて、そのまんま海にどぼーんってな」
 実際、レムを助けたのはこの場にいた誰でもなく、真紀乃だった。抱え上げてきたその時にはレムは気を失った後だったから、覚えていないのも当たり前だ。
「その後はもう……なぁ?」
「なぁ……?」
「な、何があったんだよ! お前ら!」
 思わせぶりなやり取りに、しぼんでいたレムも思わず声を荒げてしまう。
「そりゃ、溺れたときの定番展開なんて決まってるだろ」
「まさか、あんな定番が見られるなんて思わなかったわよね」
「何! 定番って何!」
 レムもこちらの世界に来てから、ある程度の本やマンガは読んでいる。むしろ、その手の物を多く持つ真紀乃の影響もあって、多く読んでいるだろう自覚もあった。勿論、こういう場面での定番展開も、頭の中にインプット済みだ。
 インプット済みでは、あったが……。
「そりゃお前、決まってるだろ」
 次の言葉は、その場にいた全員が同時に紡ぎ出していた。
「じ、ん、こ、う、こ、きゅ、う」


続劇

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