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9.波打ち際・青春物語

 窓から差し込むのは、夏の日差し。
「ったくよ……いつまでこうしてりゃいーんだ?」
 最高級の家具が並ぶ部屋の中。携帯の電話口にぶちぶちと呟くのは、かりそめの部屋の主たる少女の声だ。
「終わるまでよ。まだその時じゃないから、小鳥遊さんもゆっくりしていたら?」
 電話の向こうから聞こえる声は、冷淡とさえ取れる、静かなもの。小鳥遊と呼ばれた少女の苛つきなど、素知らぬ顔で受け流している様子が、電話を隔てた先にいる少女にも容易に想像できてしまう。
「つか、どーせ取るんならもっと下の階にしてくれりゃ良かったのに」
 さらに呟き、おっかなびっくり窓際へ。
 腰を少々引き気味に外に視線を投げてみれば、彼女にとっては見飽きた瀬戸内の海が広がっている。
 降松に隣接する島に一つだけある、高級ホテルの最上階だ。他人の出した金でなければ絶対に泊まることなどないそこで、少女はやれやれとため息を吐く。
「私が取った部屋じゃないもの。文句はメガ・ラニカの偉い人に言ってちょうだい。じゃあね」
「……メガ・ラニカぁ? 魔法庁じゃねーのかよ、ロリ近」
 終話音だけが空しく木霊する携帯にそうひと言だけ呟いて、そのままベッドに放り投げた。
 少女の属する組織は魔法庁であって、メガ・ラニカではない。さらに言えば、メガ・ラニカに対して貸しを作った覚えも、ないはずなのだが……。
「つかよ……なんでこんな時に境界が広くなってんだ……? 境界って、そんなに幅が変わるもんじゃねーだろ……?」
 その事を聞くのを忘れていたが、再び電話し直すことも面倒だ。
 小鳥遊柚子葉は退屈そうにあくびを一つすると、自身も携帯に続いてベッドへ向けて飛び込んだ。


 水着姿の女の子達が、波打ち際をはしゃぎ回っている。
「なんだかんだで、眼福ねぇ……」
 彼女たちの中身が男である……という事を考えなければ、なんだかんだで見ていて楽しい光景ではあった。
「一日掛けて買いに行った甲斐があったね」
 百音の言葉に、晶も満足そうに頷いてみせる。
 ただ唯一問題だったのが……彼女たち二人の外見は今は間違いなく男の姿で、その姿のまま女子達をニヤニヤと見守っているのは、かなり微妙な光景であった事、くらいか。
 もっとも今皆が遊んでいる海岸はセミナーハウスの設備の一部なので、他の海水浴客に見られないのが救いではあったが。
「ん……?」
 そんな少女たちの中に異変を見つけ、晶は目当ての少女の名前を呼びつけた。
「ちょっと、ハーちゃん!」
「ハーちゃんって言わないでよ!」
 女の子達と遊んでいた所を呼びつけられて、ハークは少々不満顔。
「じゃあハーたん!」
「もっとダメだよ! で、何?」
 遊んでいた相手はもちろん性別逆転した男子なのだが……中身が男なぶん向こうもこちらに遠慮なく接してくれるので、ハークとしては現在の状況もむしろ美味しいと思えるほどだったのだ。
「あたしが貸してあげたヘアピン、どうしたの?」
 そのひと言に、少女の表情がわずかに引きつった。
 油断していた。
 いくら何でもこの距離で気付くなど、思わなかったのだ。
「ちょっとぉ。まさか、なくしたんじゃないでしょうね!」
「なくしてないよ!」
 まさか葵に預けてあるとも言えない。咄嗟のことだったから、用意していた「海だとなくすから部屋に置いてある」という嘘を言っても、もはや信じてもらえないだろう。
「ああ、マクケロッグくん。探したわよ」
 そんな追い詰められたハークに、静かな声が掛けられた。
 シックなワンピーススタイルの水着にパーカーを羽織った、葵である。
「どうしたんですか? 葵先生」
 努めて平静を装って振る舞おうとする少女に差し出されたのは、小さなヘアピンだった。
「これ。洗面所に置きっぱなしだったから」
「もう。やっぱり忘れてたんじゃない」
「ごめん。でも、泳ぐときになくしたらヤだから、晶ちゃん、持っててくれる?」
 苦笑する晶に素直に頭を下げて、受け取ったヘアピンをそのまま晶に差し出しておく。
「そりゃまあ、そうね。でも、帰ったらちゃんと付けるのよ?」
「分かってるって」
 ヘアピンを置きに更衣室に戻っていく晶の背中を見送りながら、ハークは傍らの女教師にこっそりと問いかける。
「どうでした? 先生」
「簡単な魔法は掛かっていたけれど、悪い魔法じゃなかったわ。心配しないで」
 華が丘高校でも屈指の腕を持つと言われる葵が言うなら、間違いないのだろう。簡単な加護や芳香の魔法が付与されたアクセサリなど、メガ・ラニカでは駆け出しのホリック職人が小遣い稼ぎで作るアイテムの定番だ。
「ありがとうございます。……でも、どうやって魔法の反応なんて調べたんです?」
 マナの境界を越えた降松では、彼等の魔法は使えない。
 無論、魔法の効果を持つ鈴蘭のヘアピンも、いまはただのヘアピンでしかないはずだ。魔法の反応を探知する事は出来ないし、そもそも探知の魔法すら境界の外では使えないはずなのに。
「そっちの便があったから、少しね」
 どうやら生徒達と一緒にバスで来たはずの教師達は、別の移動手段も持ち合わせているらしい。


 少し遅れて海岸に来た祐希に、八朔は思わず聞き返していた。
「どうしたんだ、祐希。その格好……」
 八朔達のように水着姿でも、その上にパーカーなどを羽織っているわけでもない。
 祐希の姿は朝食の時に見た普段着のまま。
 遅れてきた割に、結局着替えていなかったのだ。
「何というか、一応、今の僕でも大丈夫そうな格好を用意してきたんですが……」
 おそらくはパーカーや、水着の上に着られる薄手のシャツを用意してきたのだろう。男子の中にはそういった格好で水着姿を誤魔化している者も、いくらかいる。
「開けたら、1−3って書いてあるスクール水着だけが入ってまして……」
 そのクラス名に、八朔は首を傾げた。
 祐希のクラスは1−Aだ。1−3では、普通科のクラスになってしまう。
「………母が着てた奴らしいです」
 今の祐希と彼女の母親は体格的にほぼ同じらしく、普段着のいくつかも貸してもらっていると聞いていた。
 だが、スクール水着までというのは、いくらなんでもハードルが高すぎた。
「スクール水着もキツいけど、俺だって着ろって言われたのこれだぜ? 怖くて泳げねえよ」
 八朔もそう呟くと、パーカーをめくり、その内側を少しだけ覗かせてみせる。
「…………ご愁傷様です」
 よりにもよってスリングショットだった。
 八朔には悪いが、それと比べればスクール水着の方がいくらかマシかとさえ思えてしまう。
「なあ、スクール水着って何だ?」
 二人でため息を吐いていると、脇からそんな声が投げかけられた。
「ああ、スクール水着っていうのは………ですね……」
 メガ・ラニカには当然ながら、スクール水着などという物は存在しない。レムの素朴な問いかけに、祐希は先ほどの話を繰り返そうとして……。
「………学校で着る、水着のことだ」
 詰まった祐希の後を継ぎ、八朔が適当に誤魔化した。
「まんまじゃねえか。そういう水着は、こういう場所じゃあちょっと空気読んでない感じだよなぁ……」
 そう苦笑するレムの水着の胸元には大きく『1−A』と彼女の名前が書かれていたのだが、さすがにそれがスクール水着だと指摘する勇気は二人にはないのだった。


「あ、悟司くん……」
 少し遅れて砂浜にやってきた姿を見つけ、百音は思わずそう口にしかけるが……。
「ん? 行かないの?」
「……うん」
 冬奈の問いに、小さく呟き。
 そのまま再び、砂浜に腰を下ろした。
 声を掛けてくれれば、行こう。
 そう胸の内で決めるてはみたが……向こうから声が掛かる雰囲気は、どこにもない。
 ちらりと視線を上げれば、向こうもこちらを気にしている様子。
「行かないの? 向こうもこっち、見てるっぽいけど」
「いいの」
 再び視線を上げ、少女の様子を確かめようとして……。
 重なったのは、二人の視線。
「っ!」
 百音の脳裏に浮かぶのは、祖母から下された課題の言葉。
『悟司に、告白しろ』
 その言葉にかぁっと頬が赤くなり、思わず視線を逸らしてしまう。
「……何やってんのよ」
 冬奈の苦笑を傍らに受けるが、それでも視線は上げられない。
「なあ」
 ついに掛けられた言葉に顔を上げれば……。
「一緒に泳がねえか?」
「あ、ホリン君……」
 こちらに手を伸ばしている少女は、悟司ではなく。
 レイジ・ホリン。
「紫外線が嫌だとか、泳ぐのが苦手ってんなら、別にいいんだけどよ……」
 ちらりと視線を脇に移せば、こちらを見ている悟司が見えた。
 こちらに来る様子は、ない。
「嫌か? ……百音」
「っ!」
 そのひと言が、決定打となった。
「……ううん。いいよ、行こ! レイジくん!」
 ひょいと立ち上がると、そのままレイジの手を取って、百音は大股で歩き出す。
 だが。
「痛っ!」
「あ、ごめん……痛かった?」
 三歩歩いたところで後ろから来た小さな悲鳴に、少年は思わず手を離していた。
「大丈夫だけどよ……。なんつーか、思った以上に華奢なんだな、女の子の体って」
 レイジとしてもいつもの感覚だったのだろう。普段なら、いくら体力面に自信のない彼でも、強く手を引かれたくらいで痛いとは言わないはずだ。
「うーん。考えたことなかったけど……。ごめんね?」
 少女に向かってそう謝りながら、いつも悟司が強引に動かなかったのは、そんな気遣いもあったのだろうか……などと、ぼんやりと考えてしまう。
「ま、気にすんな。行こうぜ!」
 その言葉に笑顔をひとつ見せると、百音とレイジは波打ち際に向けて走り出した。


 波打ち際を眺めていた祐希に掛けられたのは、穏やかな少女の声だった。
「祐希さんも、泳がれないんですか?」
「キースリンさんは?」
 変化しなかった女子組の着替えは、変化した女子組の後だった。先に変化しなかった組を着替えさせる意見もあったのだが、「全員出て行ってからゆっくり着替えたい」という意見が大半を占め、後での着替えになったのである。
「はい。あまり、泳ぐのは得意ではないので……良かったら、お隣、構いませんか?」
 白いワンピースタイプに、祐希から借りた大きめのパーカー。
 夏の日差しを避けるように、紛う事なき少女となった彼女は、パートナーの傍らにそっと腰を落ち着ける。
「え、あ………そ、その」
 少女の方を見遣れば、こちらを不思議そうに見上げてくる少女と、目が合った。
 視線を逸らせば、視線は自然と胸元へ。
 思い出すのは、レイジの胸に手を当てた昨日のこと。
『………ああ、やっぱりドキドキしたりしませんね』
 レイジの胸では、そうだった。
 けれど、キースリンに対しては……。
「す、すみません! 僕、ちょっと着替えてきます!」
 慌てて立ち上がり、祐希が駆け出すのは更衣室だ。
「あ、祐希さん………」
 あっという間に見えなくなったパートナーの姿に、少女は呆然とその名を紡ぐことしか出来ずにいる。


「青春だな」
 更衣室に走っていく祐希の背中を眺めつつ。
「青春だなぁ」
 呟くのは、隣同士に座る二人の少女。
 男同士ならわびしい光景も、女の子二人が物憂げに座っているのはそれなりに絵になる光景なのだが……当人達からすれば、わびしい光景に変わりない。
「で、レムは泳がないのか?」
「………聞くなよ」
 長い髪を結ぶ様子もないまま、レムは膝を抱えて座っている。
 組んだ腕に顔を埋め、恨めしげに波打ち際を見ているだけだ。
「すまん」
 髪もまとめていないということは、まあ、そういう事なのだろう。かく言う八朔もほとんど動けない格好なのだから、状況はレムと大して変わらない。
 着用物の都合上、寛いで日光浴をするわけにもいかず、結局は二人揃って小さくなったまま海を眺めていると……。
「レミィ!」
 その上に掛かるのは、大柄な影。
「レミィ言うな!」
 レムがそう叫び返すより早く、大きな手が伸び、少女の小柄な水着姿をぐいと引き上げた。
「泳がないのか? だったら俺と来いよ!」
「って、ちょっと待て、や、だからそんな引っ張るなって、真紀乃さん!」
 少女の必死の抵抗もどこへやら。
 長く引きずる悲鳴を残し、レムは真紀乃に連れられて山の方へと連れ去られていった。
「何だよ、レムも青春かよ……」
 残された少年は、ため息をひとつ。
「青春、ですか?」
 やはり一人残されていたキースリンがそんな声を掛けてくるが……。
「青春だよ。うらやましいねぇ」
 残念ながら、キースリンには祐希というパートナーがいる。パートナーが女の子だったらと思ったことは何度もあるが、かといって他人のパートナーにちょっかいを出せるほど、八朔も餓えているわけではない。
「青春………」
 とはいえ、不思議そうな顔をしているキースリンの様子を眺めるくらいは、バチも当たらないだろう。
「キースリンさん!」
 そんな事を考えていると、更衣室の方から凜とした声が飛んできた。
「あ、祐希さん……」
 祐希だ。
 着ている水着の胸元には、大きく『1−3 森永』と書かれていた。
「一緒に、海、行きませんか?」
 着るだけでも恥ずかしいだろうそれを意にも介さず、祐希はごく自然にキースリンに手を差し伸べてみせる。
「でも、私……あまり泳ぎは得意では……」
「泳ぐだけが海じゃありませんよ。波打ち際で遊ぶだけでも、きっと楽しいですし……どうですか?」
「はい……祐希さんがそうおっしゃるなら……」
 そしてキースリンも、パートナーのその手にそっと小さな手を重ね合わせ、ゆっくりと立ち上がる。
「………いいなぁ。俺もなんかああいう、青春の出会いってねえかなぁ……」
 波打ち際に駆けていく二人の背中を眺めつつ、呟いてはみるが……。
「おーい、八朔ー! なんか、変な像があるんだが、来てみんかー?」
 掛けられたのは女の子達の黄色い声。
 だが、中身はもちろん男どもだ。
 どうやら今の彼には、この手の出会いが限界らしい。
「おう! 行く行く!」
 八朔はパーカーのファスナーを一杯まで引き上げると、砂浜へと駆け出していった。


「でりゃぁぁぁっ!」
 良宇の鋭い拳の一撃に砕け散るのは、巨大な人型をした砂人形だった。
「とー!」
 間の抜けた気合から放たれる悟司の回し蹴りが、隣で両手を広げた砂人形を打ち崩す。
「ねえ。それ……壊していいの?」
「いいらしいぜ。先生達も大丈夫って言ってたし」
 この砂浜は、セミナーハウスの管理地である。そこに無許可で作られたそれは、むしろ教師達からも「壊しておいてくれ」と頼まれていたのだ。
 確かに魔法を使っていない砂人形にしては良い出来だが、そこまで言われて、壊さない手はない。
「ハニエさんもやるか?」
「……いいよ、別に」
 八朔が拳を振り下ろしかけた三つ目の砂人形をどう壊そうか考えていると、砂浜の向こうから冬奈の声が飛んできた。
「ファファー! あんたたちー! スイカ割りやるってよー!」


続劇

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