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7.至れ! 海!

 朝の華が丘に響き渡るのは、鋭いギターを奏でる音だ。
「海だこのやろー!」
 バスの上。どこからともなく取り出した白いギターをかき鳴らすのは、ド派手なアロハを着込んだ長身の男。
「おーい。そこのあなた! いい加減、バスから降りなさーい」
 華が丘高校と民家の間にはある程度距離があるから、そこまで近所迷惑にはならないはずだが……。とりあえずバス会社の人が嫌そうな顔をしているので、教師としても注意しておくことにする。
「飛鳥を殺したのは、お前かーっ!」
「……そこは、『俺の歌を聴け』じゃないの?」
 どちらにしても古いネタであることには違いなかった。
「いや、まあそこはギターの色に合わせて、だな。アンプもないし……」
 海と言えばギターということで、アパートの倉庫にそれらしいものが無いかと調べてみたのだが……見つかったのはこれしかなかったのだ。
 もちろんエレキが見つかったなら、俺の歌を〜で行くつもりだったが。
「アンプなんか使ったら近所迷惑じゃない。それに、その台詞なら白いスーツ着ないと」
「……はいりも子門さんの話に乗らないの。子門さん、ギターはいいけど、やるならせめて校庭の朝礼台か屋上でやりなさい」
 はいりと真紀乃のバカな言い合いに渋い表情を浮かべるのは、もう一人の引率教師。バカさ加減のお守りは慣れているつもりだが、慣れているのと疲れるのは、また別の問題だ。
「この暑く燃えさかる俺様を引き下ろせるのは、夕日が沈むその時だけだぜ! やれるもんならやっ……」
 てみろ、と言い切るより早く真紀乃の眼前に姿を見せたのは、長身細身のジーンズ姿。短い髪をふわりと揺らし、音もなく空を切り裂くのは濃紺のデニム地に包まれた細い足。
 魔法で空中に固定された体から放たれた一撃は、やや斜め下に叩きつけるように。
「いや、一応、容赦しなさいよ……はいり……。子門さん、女の子でしょ……?」
 やれと言ってしまったが故に本気でやられてしまった真紀乃をバスの中に運び込むように指示しつつ、1−Bの担任教師は同僚の愚行に呆れを禁じ得ない。
 それなりに生傷の絶えない生活を要求される華が丘高校だからこの程度の打撃はツッコミで許されるだろうが、これが他県の学校であれば大問題になるのは確実だ。
「ああ。男の体だったから、気付かなかったわ。子門さんだったんだ……」
 メガ・ラニカ行の帰りに学校で撮った写真に目を通しているが、性別の入れ替わった生徒を実際に見るのは今日が初めてなのだ。
「ねえ。みんなの額に名前を書くってのは……」
「却下」
 写真はアテにならない……そう思いつつ、はいりもいそいそと臨海学校行きのバスに乗り込むのだった。


 華が丘高校魔法科の生徒は、ひとクラス二十人。
 ふたクラス揃っても四十人ほどであるため、臨海学校への行程は大型バス一台での乗り合いとなる。
「どうしたんですか、ソーア君。調子悪いみたいですが」
 そんなバスの中。伏し目がちのレムに掛けられたのは、通路を挟んだ隣の席にいる祐希の声だった。
「ちょっと寝不足でな……。気にしないでいい」
 結局、昨日の晩に手紙は書き上がらなかったのだ。
 二度ほどコンビニに足を運び、便箋を買い足しもしてみたのだが……混乱する頭で気の利いた文言が思い浮かぶはずもなく、気が付いたら朝を迎えていたりする。
「それより、キースリンさんも何か良くないみたいじゃないか。付いてなくて大丈夫なのか?」
 祐希の傍ら、窓際の席に座っているのはキースリン。ただ、いつもの穏やかな様子ではなく、どことなく物憂げで、沈んでいるように見えた。
「ええ。どうも、召喚魔法の調子が良くないみたいで……」
「華が丘を出たから、ってワケじゃないんだよな?」
 メガ・ラニカの魔法は、マナの漂う場所でしか使えない。華が丘と降松の間にはマナの存在の境界線となる『境界』と呼ばれる領域があり、そこを過ぎればマナは存在しなくなるのだ。
 レムの問いに祐希は首を縦に振り、それが原因ではない事を示してみせる。
「華が丘でも、草薙が召喚に応じないそうです。他は大丈夫みたいなんですが……」
 異変に気付いたのは降松から帰った後、つい昨日のことだ。メガ・ラニカにいる間は使えていたらしいから、おそらく性別逆転の影響なのだろうが……。
 キースリンは今回の事件で、性別逆転に巻き込まれていないという事になっている事もあり、それが原因と言う事も出来ずにいる。
「そりゃ大変だな……。オレは良いから付いててやれよ。不安がってんだろ?」
「……ええ。なら、すみませんが、ソーア君もゆっくり寝てください」
 セミナーハウスに着くまであと三十分もない。だがその間に一秒でも睡眠を稼ごうと、レムはそっと瞳を閉じた。


 建物の掃除を済ませれば、次に来るのは料理の支度。
「え、ええっと………」
 山のように積み上げられた目の前の野菜に、百音は呆然と呟くだけ。
 班分けはテント生活の時と同じ。メンバーの料理の腕も皆熟知しているはずなのに、なぜか彼女が今日の料理係に選ばれていた。
 滞在している三日の内に一度は料理係をしなければならないから、仕方ないのは確かなのだが………。
 しかも、である。
「悟司……くん。これ、切ればいいの……?」
 料理班は、悟司も一緒。
 正直なところ、気まずいことこの上なかった。
「いや、野菜はレムが切るから、僕たちはそれをどんどん串に刺してく係ってことで」
 既に三人目のメンバーであるレムは黙々と作業を始めている。
 野菜を切って串に刺して、焼く。
 初日の夜はバーベキューだ。
「…………ん、分かった」
 平然と呟く悟司に何処か面白くない物を感じながら、百音も黙々と作業を開始する。
「………」
 他の班を見渡せば、キースリンやリリも調理台に立っているのが見えた。要するに、難易度の低いバーベキューのうちに、料理が苦手な者のカウントをしておこうという腹のようだ。
「………」
 セミナーハウスの調理室に響くのは、レムが野菜を切る正確なリズムだけ。
 悟司も黙ったまま、作業を続けている。
(うぅ、気まずいよぅ……)
 響く切断音に、緊張だけが増していく。
 手は機械的に野菜を串に刺していくが、頭の中には祖母から下された指令がぐるぐると渦巻いている。
 やがてそれも限界に達し……。
「「あ、あの………」」
 呟いたのは、二人同時。
「……み、美春さん、どうぞ」
 どうやら悟司も無理をしていたらしい。こちらに譲る言葉尻には、焦りの色が見て取れる。
「さ、悟司くんこそ……」
 もちろんそれは百音も同じ。胸の鼓動を必死に押えながら、とにかく平然と振る舞ってみせる。
「どうしたんだ、二人とも」
「「な、なんでもない!」」
 レムの言葉に、同時に返答。妙な所で息の合った様子に、声を掛けた側のレムが苦笑する有様だ。
「レイジー! 野菜、切り終わったんだけど、何かする事あるか?」
 付き合っていられないと思ったのだろう。全ての野菜を切り終えたレムは、庭で火の用意をしていたレイジに声を投げ付ける。
「だったら薪割り手伝ってくれ! なんかみんな、ナタの使い方に困っててよ」
 良宇と冬奈はブロックで即席のかまどを作っている最中だ。残るメンバーの顔を思い浮かべた後、今の性別が入れ替わった状況を思い直し。
 人員配置が間違ってるんじゃないかと苦笑する。
「ナタねぇ……。まあ、似てるっちゃあ、似てるか」
 ナタもレムの双刀も、どちらも刃物には違いない。普段ならそこで抗議の声を上げるはずの刃も、ストラップ状態、しかもマナのない降松では沈黙を守ったままだ。
「そっちは手が足りてねぇ奴、いねえか?」
 レイジの言葉に調理台を一瞥し……。
「悟司と百音さんが串の準備で苦戦してんだ。薪割りに行くから、レイジ、お前手伝ってやってくれよ!」
 串とちまちま格闘するよりは、ナタの方が相性が良さそうな気がした。
「え………? ……っと、お前、串の準備しない?」
「ナタの使い方が分かんないから手伝えって言ったの、レイジじゃねえか」
 いきなり逃げ腰のレイジに、首を傾げてみせる。
 串の準備が終わっても、薪の準備が出来ていなければバーベキューは始まらない。
「………あ、ああ。なら、任せる」
 レイジの様子をいぶかしげに思いながらも、レムは建物の裏手にある薪割り場へと向かうのだった。


続劇

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