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3.理不尽というその名

 夕飯の洗い物を終え。居間のソファーに戻ってきた女性は、テーブルの上に出してあったメガ・ラニカ土産の菓子にそっと手を伸ばした。
「そう。こっちも大変だったけど、そっちも大変だったのねぇ……」
 魔法科一年の生徒達がメガ・ラニカに行っている間、華が丘には大きな台風が来ていたのだ。
 魔法都市とはいえ、台風を防げるほどの高位の術者などそうそういるはずもない。メガ・ラニカから台風の度に呼び出すわけにもいかず、結局魔法都市と言っても、台風の処置に関しては普通の日本家庭と大差ないのだった。
「だよー」
 背丈がほとんど変わる事なく、小さいままのパートナーを膝の上に乗せ。楽しそうに彼女の髪を結っているリリに、言うほど大変な様子は見受けられない。
「ねえねえセイルくん。こんな感じでいいかなぁ?」
 言われたセイルは、しばらく髪の具合を確かめるために頭を左右に揺すっていたが……満足したのだろう。長身になったパートナーを見上げ、無言でこっくりと頷いてみせた。
「けどこれ、二人が納得してなかったら、明らかにセクハラねぇ……」
 リリがセイルをオモチャにするのは普段と変わりないのだが、性別が逆になると同じ構図でもとたんに胡散臭くなる。
 もっとも、セイルの側もまんざら嫌でもないようだから、当人達にとっては問題ないのだろうが……。
「それよりリリ」
 そんな平和な光景を眺めていると、やはりその光景を眺めていた父親が、息子になってしまった娘の名を呼んだ。
「久しぶりにパパと一緒にお風呂入るか! 今日は男同士だし!」
「イヤに決まってるでしょ! パパのバカ!」
 速攻で打ち返された一撃に、母親は苦笑を浮かべるしかない。


「ただいまぁ……」
 水月家の居間の扉が開いたのは、その日の夜遅くになってからの事だった。
「おかえり」
 返ってきたのは、ソファーに寝ころんでマンガを読んでいる少女の声。
「……ハークくん、上にいるんじゃなかったの?」
 まさか返事が来るとは思っていなかったらしい。意外なそれに、少年は僅かに驚いた様子。
「どこにいようと、別にボクの勝手でしょ。……事情聴取、大丈夫だった? 晶ちゃん」
 晶の格好は、メガ・ラニカを出たときのまま。服もそうだし、メガ・ラニカで買った鈴蘭のヘアピンも、髪の先で力なく灰色の灯を宿したまま。
 即ちあの事件が起きてから今まで、身だしなみを整える間もなく、華が丘の魔法庁支所で拘束されていたという事になる。
「大丈夫じゃないわよ……。あたし、ポーチの中身なんか全然知らないっていうのにさぁ」
 今回の性別逆転事件は、晶が持ち帰ったポーチが原因で起こったものだった。正確に言えば、ポーチの中に入っていた魔法薬が暴発して、この騒ぎが起きたのだ。
 ただその魔法薬に関しては、晶もハークも全く覚えのないものだった。そもそも少し考えれば、これほど強力な魔法薬を学生の小遣いで買えるはずがないと分かるだろうに。
「信じられる? ……カツ丼も出ないのよ?」
 いくらなんでもそれは刑事ドラマの見過ぎだとハークは思ったが、さすがに口に出すまではしない。
「パパとママは?」
「仕事、遅くなるって。夕飯作ってあるけど、食べる?」
 ハークが帰ってきたとき、机の上にはいつものようにメモが一枚載っているだけだった。携帯はどちらも圏外だったから、送ったメールも見られていない可能性が高い。
「迎えに来てくれたローリ先生と食べてきたから、いい……。もう疲れたから寝るわ……」
 弱々しいあくびを一つして、晶はふらりと居間を後にしようとする。
「頼まれてたゲーム、受け取って来といたよ?」
「うん……明日やる」
 力なく返ってきたそのひと言に、ハークは晶が本当に消耗しているのだと理解した。
 メガ・ラニカから帰ってきたら、徹夜は当たり前だと豪語していた彼女だ。取り調べがどれほどの物だったのかは分からないが、彼女にとって相当堪えた事だけは間違いない。
 そうでなければ、眠気でダウンするまでハークを巻き込み、ゲームをしようとするはずだ。
「せめて、シャワー浴びてから寝なよ?」
「ありがとね……お休み」
 ばたんと居間の扉が閉まり。
 晶が階段を昇っていく音を聞きながら。
「……もぅ。待ってたボクが、馬鹿みたいじゃないか」
 ハークは自分のぶんの夕飯を温め直すため、寝ころんでいたソファーから立ち上がるのだった。


 夕食と、混乱気味のお風呂を終えて。
 部屋に戻ってきた百音の目に留まったのは、一通の手紙だった。
「そういえばばーば、何て言ってきたんだろ」
 落ち着いてから開けようと置いておいたものだ。今も落ち着いているとはとても言えないが、急ぎの用だと悪いし、お目付役のフクロウが手紙を読んでいないと知れば、やはり面白くない展開になるのは間違いない。
 魔法の手紙だ。
 折りたたまれた便箋を開けば、その中央に見慣れた祖母の姿が姿を見せる。
「百音かい。これを読んでる頃には、今出してる課題は全部クリアしてるだろうかね。ま、今までの課題は簡単だったから、そのくらい当たり前さね」
「………簡単じゃないよぅ」
 いきなりのジャブに、百音の心は折られ気味。もう閉じてしまおうかとも思ったが、一度起動した魔法は最後までメッセージを続けるだろう。
「まあ、全部終わってるなら、残り三つだ。がんばんな。次の課題もそう難しいもんじゃないからね」
 祖母の『そう難しいもんじゃない』に、今までどれだけ泣かされてきたことか。ため息を一つ吐き、ロクでもない内容がほぼ確定の手紙の続きに耳を傾ける。
「お前のパートナー……鷺原悟司とか言ったかね」
「悟司くん……?」
 少し、話題の方向が変わってきた。
 いきなり出てきたパートナーの名に、首を傾げ。
「そいつに、好きだって告白しな」
 吹いた。
「ちょ、ちょっと、ばーば!? 悟司くんはただのパートナーで……別に好きな人ってわけじゃ……」
 相手が一方通行の手紙だと分かっていても、そう突っ込まざるを得ない。
 それほどまでに、無茶なひとことだった。
「どうせお前のことだ。好きだの何だの、そういう青臭いことを言ってるんだろう? そんなことはいいんだよ。嫌いなわけじゃないんなら、別にいいじゃないか」
「そういうわけには………」
 無茶苦茶だ。祖母の無茶はいつものことだが、今回はそれに輪を掛けて酷い。
「……百音。そもそもお前、何か勘違いしてるんじゃないのかい?」
 そんな無茶な祖母の口調が、変わった。
 勢いで言っているわけではない。ちゃんと理屈の上に乗せた、大魔女としての物言いだ。
「一番最初に言っただろう。パートナー制度は、仲良しこよしのお友達を決めるための制度なんかじゃないんだよ?」
 百音がクリアした二つめの課題は、男子のパートナーを見つけることだった。
 その時にも、確か似たようなことを言われた覚えがある。
 だが、それは……。
「……そんなもののために、魔女王様が命を削って術を使ってるわけじゃないんだからね」
「それって……?」
 呟くようなそれは、流石の百音の耳にも全ては届くことがない。
「じゃあわかったね。そうそう、そっちの文化祭には見物に行くから、その時までに決着をつけるんだよ? いいね」
 そう言い残し。手紙に浮かぶ祖母の幻像は、夏の夜の風に掻き消されるように消えていった。
「何なのこの課題……意味分かんない!」
 百音はそうぼやき、ベッドにその身を埋めさせるのだった。


 華が丘の田舎道は、さして広いものではない。
 その狭い道を一杯に使いながら、大きな車が走っている。
「今日は疲れてるのに、付き合わせて悪かったわね。ホリンくん」
 限界までリフトアップされた4WDの運転席に座るのは、モンスターマシンには極めて不釣り合いな小柄な姿。子供と見紛うばかりの体格はいつハンドルに振り回されるか見ている側の肝を冷やすほどだが、運転手は慣れたものらしく、その操作に危ういところは見当たらない。
「いえ、メガ・ラニカ側で起きた事件ですし。俺が無理矢理付いてきただけですから」
 そんな車の助手席に座るのは、男物の服に身を包んだ少女。
 レイジである。
 晶は別のクラスだし、そもそも今回の件でクラス委員がローリに同行する必要はなかったのだが……それでも何か新しい話が聞けないかと、無理矢理同行させてもらったのだ。
「霊薬……ですか?」
「十中八九ね。ただ、現物を見つけない限り……解析には時間が掛かるでしょうけど」
 得られた情報は、さして多いものではない。
 事故の原因が、晶が手に入れられるはずのない霊薬だったらしいこと。
 解除の薬を作るのは、薬が見つからない限り時間が掛かるだろうと言うこと。
 天候竜から霊薬のサンプルを取り戻すのは、リスクが高すぎると言うこと。
 ……それだけだ。
「……ん? メール?」
 そんな事を話していると、ポケットの携帯が僅かに揺れて、メールが届いたことを知らせてくる。
「四月朔日からか……明日降松に買い物って、元気だな……」
 差出人は冬奈から。
 明後日に控えた臨海学校の準備だろう。男女揃って、買い出しに行こうという誘いだ。
 同報で宛名欄に大量のアドレスが並んでいる辺り、クラスの大半に向けて送ったものらしい。
「たいしたものね」
「全くです」
「……貴女もよ」
 携帯をポケットに戻しつつ、ローリの言葉にレイジは苦笑。
「俺ぁビックリが一周回って冷静になってるだけッスよ。多分、明日くらいには整理が付いて逆にどうしていいやら」
 実際、いまだに女性化したという実感は薄い。だが、着替えなり風呂なり、生活の中で少しずつその事実を思い知らされていくのだろう。
「普通はそう。こういう時は、落ち着く間がないくらい忙しいくらいの方がいいのよ」
 ぽつりと呟くローリに、何か似たような経験でもあるのかとレイジは思うが……はぐらかされるだけな気がして、それ以上の問いかけはせずにおく。
 やがて車は徐々にスピードを落とし、一軒の家の前で停止した。レイジがドアを開けるより早く車に駆け寄ってきたのは、二人の少女だ。
「レイジ、大丈夫じゃったか?」
「レイジ先輩!」
「よう、ただいま。良宇、真流理」
 やはり女性化したレイジのパートナーと……。
「……ホントに、女の人になってるんですね。先輩」
「貴女は……維志堂くんの妹さん?」
 ローリの記憶が正しければ、確か、そうだったはず。
「はい。兄がいつもお世話になってます」
 ぺこりと頭を下げてくる真流理に、ローリは思わず苦笑い。
「………ホントに、維志堂くんの妹さん?」
「どういう意味じゃ先生」
 良宇の問いに答えを返すこともなく。
 ローリの車は、轟音と共にその場を後にする。


 夜のとばりに包まれたその部屋に差し込んだのは、一条のまっすぐな光。
 それは音もなく幅を増し、やがて人が一人通れるだけの隙間を作り出す。
「ごめんください」
 放たれた声は、ごくごく小さなもの。
 声を潜め、ベッドから幽かな寝息が聞こえてくるのを確かめて……ゆっくりと、部屋の中へと忍び込む。
 山育ちで、夜目は利く方だ。月のある夜だから、十分に部屋を見通すことが出来る。
 あった。
 捜し物は、パートナーの枕元に。
 鈴蘭の意匠が組み込まれた、小さなヘアピンだ。
 その存在を確かめて、侵入者は自身のポケットの内にある物を確認する。差し入れた指先に触れるのは、やはり鈴蘭の意匠が組み込まれたヘアピンの感覚。
 夕方、ゲームを受け取るときに一緒に買ってきたそれを、枕元のそれとすり替えようと手を伸ばし…………。
「!」
 その手を掴まれたのは、一瞬のこと。
「やだなぁ……ハークくん」
 嬉しそうな声に、ハークの背筋がぞくりと震える。
「夜這いしたいなら、あたしから行ったのに……」
 恐る恐るそちらを向けば、月明かりの中、妖しく微笑む少年の顔がある。
 掴まれた手首をくるりと返され、その動きに流されるまま。
 音のなかった部屋に響くのは、少女の体がベッドに沈む音と、ベッドのスプリングがきしむ音。
「あ、あの……その……」
 より小さくなったハークの肢体は、いつもより少しだけ大きくなった晶の腕の中にすっぽりと収まっている。
「大丈夫。痛くなんか、しないから……」
 男性化したことと、もともとあった体格差。その二つに押さえつけられ、ハークは晶に抱きすくめられたまま、身動き一つ取ることが出来ない。
「……?」
 だが、身を固くしたハークに対し、晶の動きがぴたりと止まる。
 ハークの身を案じて、といったことはないはずだ。
 一度引いて緩んだ隙に攻め入ろうとでもいうのだろうか。
 混乱の極地の中。そんな思案を巡らせていると…………晶の両手から力が緩み、ハークの体を解放する。
「ああ、そっちがお好みなのね?」
「えっ……?」
 晶は苦笑すると、戸惑うハークをベッドの上に起き上がらせて、再びゆっくりと手を伸ばしてきた。
「………っ!」
 晶が嫌なわけではない。パートナーとなった以上、そんな展開があるかもしれない……ということも、薄々予想は付いていた。いや、ハークも男だから、期待していなかった……と言えば嘘になる。
 けれど、こんな状況での初めては……。
 少女のように硬く目を閉じたハークに触れるのは、いつもより大きな晶の手。
 その手がハークの伸びた髪を優しく撫でさすり……。
 ぱちり、という音がした。
「……………へ?」
「うん。似合う似合う!」
 耳を打つのは、いつもと同じ明るい晶の声。
 目を開けば、部屋を照らす蛍光灯の光と、こちらに手鏡を差し出す晶の笑顔が飛び込んできた。
「そうだよねぇ。やっぱり女の子だったら、こうやって髪を留めた方が可愛いわよねぇ……」
 鏡に映るのは、あの鈴蘭のヘアピンを額に留めた、引きつった表情の少女の顔だ。
「え……?」
「ふふっ。ハークくんがホントに嫌がること、するわけないでしょ?」
 穏やかにそう笑い、晶はベッドを飛び降りた。
 帰ってきた時のテンションの低さはどこへやら。元気よくクローゼットを引き開けて、中をがさがさと漁りだす。
「確かこの辺に、もっと可愛い服が……」
 中から晶が放り投げてきたのは、レースやフリルのたっぷり付いた白いワンピースだの、スカートだのの類だ。
「ええっと………」
 彼女が寝ている間に、こっそりとすり替えようとした苦労は何だったのか。
「大丈夫! あたしには可愛すぎて似合わなかった奴だから、きっとハークくん……じゃない、ハーちゃんなら似合うって!」
 鈴蘭のヘアピンを付けて困惑したままのハークに、復活した晶は元気いっぱいの笑顔を投げ付けてくるのだった。
 ヘアピンの鈴蘭は、困ったような嬉しいような、淡い橙の光をぼんやりと放つだけ。


続劇

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