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「ねえ、陸さん……」
 夏も終わり。幾分勢いを潜めてきた蝉時雨を背に、少女は傍らの少年の名を呼んだ。
「どした? ルリ」
「一つ気になったんだけど……」
 今日の日付は八月三十一日。
 それは一部の学生にとって、夏休みのうちで最も忙しい一日となるべき日。メガ・ラニカの夏休みは華が丘とは幾分期間が異なるが、最終日の持つ本質はどこの世界も変わらない。
「宿題って、ちゃんと終わってる?」
 だから、そう問うた。
 ルリがメガ・ラニカから戻ってきて、陸は毎日のように彼女を誘いに来てくれている。それは彼女にとっても、とても嬉しいことなのだが……それが原因で夏休みの宿題が進んでいないとなると、流石に悪い。
 もちろんルリは全て終わらせていたから、最悪課題を見せることもやぶさかではなかったが……。それもひと晩の徹夜で終わる程度の量ではない。
「終わってるぜ?」
「………そうなの?」
 だが、さらりと返ってきたのは意外な答え。
「お前がいない間、暇だったからよ。それに先に全部終わらせといたら、帰ってきたルリと沢山遊べるだろ?」
 少年が見せるのは、屈託のない笑み。
「…………うん!」
 なら、少女にも遠慮する理由はどこにもない。二人に出来ることは、思う存分最後の休暇を楽しむだけだ。
「………仲、いいね。二人とも」
 そんな二人に掛けられたのは、単語で紡がれる穏やかな声。
「あ、月瀬さん! ちわっす!」
「こんにちわ」
 細身の長身に白衣を引っ掛けた青年は、二人の言葉に軽い会釈を返すだけ。どうやら、無口な質らしい。
「……宿題、終わってる?」
「当たり前ッスよ。ルリに迷惑掛けるようなこと、しません……」
 課題をサボれば、パートナーにも迷惑が掛かる。当然ながら少年がそんな事をするはずもなく……。
「って、ルリ? どした?」
 だが少年の自信満々な様子も、その場に無言でうずくまった少女の姿にあっという間に吹き飛んだ。
「あ、ごめん。ちょっと気分が……」
「大丈夫か? どっかで休むか? それとも、病院行くか?」
 休憩といっても、華が丘に喫茶店のような洒落た施設はない。それが出来るのは、あと数年を経てからのことだ。
「大丈夫だよぅ……大袈裟なんだから」
 魔法使いだからというわけではないが、少女もそれほど体力に自信があるほうではない。ただこのくらいなら、日陰で冷たいジュースでも飲んで安静にしておけば、じきに治るはずだ。
「ごめん。俺が毎日遊びに連れ出してたから……疲れたよな?」
 さっきまでの自信はどこへやら。ただオロオロするだけの少年に、少女は穏やかに笑うだけ。
「私も陸さんと遊びたかったんだから……それより、ごめんね? 来年はもっと、体力付けるね」
 きっと、少年は今日はもう遠出はしないだろう。少女としては自分の体調より、陸に心配を掛けたことと、夏休み最後の日を思い切り遊べない体力のなさが恨めしかった。
「………ウチで、休む?」
「そうさせてもらおうぜ、ルリ?」
 月瀬の暮らすアパートはすぐそこだ。確か、冷房も入っていたはず。
「え、でも、悪い……」
「…………遠慮は、なし」
 ルリはそれほど面識はないが、月瀬と陸はそれなりに長い付き合いなのだと聞いている。陸が側にいてくれる以上、男の部屋に上がることに不安はないものの……。
「お前が調子悪い方が問題だって! ……で、良くなったら今日は思いっきり遊ぼうぜ!」
 その言葉に、少女は思わずパートナーの顔を見た。
「ルリがいいならな。明日はどうせ学校だから、何だったら休んでも……」
 続けた言葉は無茶苦茶で、傍らの月瀬も流石に苦笑しているようだったが……。
「……うん!」
 その無茶な気遣いが嬉しくて、少女は少年に思わずしがみついていた。
 夏休み最後の日は、まだまだ始まったばかり。
 今日も暑く、長い一日になりそうだった。


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。

 本編の始まりはこの十六年の後。
 2008年8月9日。
 メガ・ラニカへの帰郷を終え、さらなる混乱に包まれる事となった華が丘高校から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#5 サマー・デイズ(後編)


1.夏の終わりの、はじまりに


 華が丘高校・魔法科実習棟には、一般生徒立ち入り禁止の一角がある。
 そこに響き渡るのは、少女の声だった。
「性別が入れ替わったぁ!?」
 リボンの色からすれば一年生。
 華が丘でも数少ない、メガ・ラニカに帰郷しなかった一年生の一人である。理由は山よりも高く海よりも深い事情(自称)があるのだが、あえてここでは触れないことにする。
「……うん」
 呟くのは、小柄な少女。
 いや、少女というのは正しくない。
 見かけや服装こそ少女のそれだが、今の性別は生物学的に間違いなく『男』なのだから。
「いや、ちょっとそれ、ない…………あ、でも真が女の子になるなら……アリだったかなぁ」
「ないよ。勘弁してくれ、雪穂」
 雪穂の言葉に、真と呼ばれた少年は苦笑を通り越して露骨に渋い表情をして見せた。ただでさえ女装だのなんだので、男としてのプライドはズタズタな今日この頃だ。ここで本物の女になってしまったら、いろんな意味で立ち直れそうにない。
「それよりファファ、キースリンはどうなったの?」
 一年生達がそんなやりとりをしていると、脇から小柄な少女が口を挟んできた。サイズ的には小柄なファファと大差ないが、リボンの色は二年を示すそれだ。
「キースリンさんですか? ロベルタ先輩。真紀乃ちゃんじゃなくて」
 おそらくは貴族繋がりなのだろう。ロベルタの口から出てきた名前に、ファファは首を傾げてみせる。
「あの子は平気でしょ。違う?」
 部員の事を信用しているのか、放任主義なだけなのか。放り投げるようなロベルタの言葉は、そのどちらと取るべきか微妙なもの。
「違ってませんけど。……なんか、演劇部の友達を紹介してくれって言われました」
「演劇部ぅ? 何で?」
 演劇部の舞台衣装の作成は、ファファが兼部する服飾研の主要な活動の一つだ。その絡みもあって、演劇部の知り合いはそれなりにいるのだが……。
「さぁ……? とりあえず、部長に紹介しときましたけど」
 幸い今日は文化祭で出す演目の練習日だったこともあり、演劇部の部室には主要な部員が揃っていた。真紀乃が何をしたいのかは分からないが、ファファに出来るのはそこまでだ。
「……で、キースリンはどうなのよ」
 だが、あくまでもロベルタの興味は部員の消息ではなく、キースリンらしい。
「キースリンさんなら森永くんが庇ったおかげで、無事だったみたいですけど」
 状況が落ち着いてから判明したことだが、女性化の起こったあの現場。全員が煙に巻き込まれ、無事な者は誰もいないと思われていたそこで……ただ一人祐希だけが、パートナーを守りきっていたのだ。
 引率の魔法教師でさえ結界を張る間も無かった場での咄嗟の行為に、隣のクラスにまで拍手が聞こえてきたほどだった。
「そうなの?」
「はい。ちゃんと女の子でしたし。どうかしたんですか?」
 ちゃんと女の子。
 上手く逃げ切ったものだ。その言葉の示す本当の意味を知るロベルタは、苦笑を隠せないが……。
「……いえ。この間、彼女から少し相談を受けたのだけれど……出来れば、ファファにも聞いておいて欲しくてね」
「わたしで出来ることならしますけど……病気ですか?」
 キースリンは体育の授業などは休みがちだから、何か病気の一つや二つ、持っていても不思議ではない。
 けれどハルモニア家の令嬢なら腕の良い魔法医を派遣するなど簡単だろうし、そもそも特殊な事情があるなら、事前に生徒達に説明があっても良いはずだ。
 例えば、隣のクラスにいる人狼種の少年のように。
「病気というか、体質ね。少しややこしい症状だから、細かいことは本人から直接聞いて頂戴」
 上級生の言葉にわかりましたと答えておいて、ファファは辺りを見回した。
「そういえば、桜子ちゃんは?」
 今日は本来、部活は休みの日だ。ロベルタと雪穂達がいただけでも本来なら珍しいことなのだが……。
「さあ? 今日は私達と先輩しか来てないけど」
「さっき、京本先輩は見たぞ?」
 いずれにせよ、大半のメンバーはいないと言うことだ。
「そっか。なら、わたしももう帰…………」
 そう言って立ち上がったところで。
 廊下のドアからこちらを覗き込む、笑顔の少女と……。
「あら、いらっしゃい。桜子」
 目が、合った。


 華が丘高校の前の坂を下っていけば、そこにあるのは商店街。
 その一角、オープンテラスのカフェで、一人の少女が頭を下げていた。
 男物の服を着た、長い髪の娘だ。可愛いというよりは知的な雰囲気を持つ彼女は、目の前にいるエプロン姿の女性にもう一度頭を下げてみせる。
「すみません。そんなわけで、この状態だとお店には……」
「ぜひ出て!」
 速攻で返ってきた言葉を、娘は一瞬理解しきれない。
「……は?」
 ワンテンポどころではない間を置いて、ようやくそんな抜けた言葉を放つのが精一杯。
「何だったらバイト代上乗せしてあげるから、ちゃんとシフト通りに来てちょうだい。ああ、シフトじゃない日も来て良いからね! いいわね?」
 もともとメガ・ラニカ行で長い休みをもらっていたし、この後にはセミナーハウスでの合宿もある。いずれにせよ、出勤日が増える上、バイト代の上乗せがあるというのは少女にとってありがたい話だったが……。
「良かったですね、祐希さん」
「ええ。キースリンさんも、付き合わせてすみません」
 本当なら女性化した段階で、仕事には出させてもらえないだろうと思っていたのだ。裏方はマスターで十分手が足りているし、そうなれば仕事は休むしかないと諦めていたのだが。
「菫ちゃーん。何か飲み物ちょうだーい。ふたつねー」
 テラスでそんな事を話していると、店の入口にある数段の階段を踏む足音と、暑さでしおれた声が飛んできた。
「有料の飲み物ならありますよ、先輩。……あら? お久しぶり、唯ちゃん」
「お久しぶりです、菫さん」
 常連の声に菫と呼ばれた女主人は、彼女の連れている女性の姿に僅かに驚いた様子を見せ、やがて穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「どなたですの?」
「ああ、キースリンさんは初めてだっけ。祐希くんは……」
 そう言いかけたところで、菫は祐希の顔を見た。
 常連の女性から隠れるように立っていた祐希の表情は、渋いを通り越して諦めのそれ。
「祐希………?」
 その名に、常連の女性はキースリンと菫の影にいる長髪の少女の顔を覗き込み……。
「祐希! ちょっとそれ、どうしたのよ!」
 思わず悲鳴を上げていた。
 無理もないだろう。自分の息子がいきなり娘になれば、驚かない母親などいるはずがない。
「可愛くなっちゃって!」
 だが、彼女なら悲鳴は悲鳴でも喜びの悲鳴を上げるだろうと、その場にいる誰もが分かっていた。
 そういう女性なのだ。祐希の母親は。
「唯ごめん! ジュースは私のぶんも飲んじゃって良いからね! ほら、キッスちゃんも帰るわよ!」
 嬉々として祐希の手を引いてカフェを後にする女性を、残された菫と唯は呆然と見送るしかない。
「あの……菫さん。ひかりさんとこの祐希くんって、女の子でしたっけ?」
 ひかりは当然として、祐希も知らない仲ではない。
 ただ、唯の記憶にある祐希の姿は、間違いなく男の子だったはずなのだが……。
「……色々あったのよ」
 そして菫から事情を聞き。
 唯と呼ばれた娘もまた、家路へと急ぐことになるのだった。


 華が丘高校・普通科棟。
 普段なら華が丘普通科の生徒達で賑わうそこも、夏休みの間は最も静かな場所となる。理由は極めて簡単で、夏休み中に活動するクラブの部室がないからだ。
「まあ、そういうわけだ。京本にも解析を手伝ってもらうかもしれん……というか、手伝え」
 そんな普通科棟の階段を上りながら、小さな子供は傍らの少年に偉そうにそう命じていた。
 誰かが冗談で連れてきた小学生の妹くらいにしか見えない彼女だが、これでも華が丘の教師の一人。しかもしっかりひとクラスを受け持つ、担任教師だ。
「いいでしょう。面白そうだ」
 ちびっ子教師の偉そうな口調を気にすることもなく、白衣の京本も鷹揚に頷いてみせるだけ。会話だけなら教師と生徒の間で交わされるごく普通のそれも、映像を加えると偉ぶるちびっこに高校生が頷いているという、少し変わった構図になる。
(だが、メガ・ラニカに帰った生徒全員が犠牲になったということは……もしかして『彼』も……?)
 白衣の少年の脳裏に浮かぶのは、白い仮面の剣士の姿。
 正体を皆に明かすなどと言う無粋な真似はする気もないが、彼もまた、華が丘魔法科の一年だったはず……。
「ブロッサム先生!」
 子供の話を頭の片隅で流しつつ、そんな思考を巡らせていると。
 二人の背後。下階の踊り場から掛けられたのは、少女の声。
「ソーアか。……どうしたんだ?」
 普通なら、性別も外見も変わってしまった彼女の正体を見抜く事など不可能に近い。現場に居合わせ、顔を知っていたルーニだからこそ出来たことだ。
「先生。単刀直入に聞きます」
 少女の瞳の鋭い光に、階上の二人は緊の色。
「武装錬金って、何ですか?」
 その問いに、白衣の少年も、ちびっ子教師も答えない。
「メガ・ラニカで、真紀乃さんからその名前と、六角形のレリックを見せられました。何ですか!」
「あの馬鹿……」
 だが、レムの続けた言葉に、ルーニが思わず舌打ちを漏らす。
「やっぱり知ってるんですね」
 京本からの無言の視線を受け、ちびっ子教師は再び無言。
 しかし今度の無言は無回答を気取るそれではなく、これ以上余計なことを喋るとロクなことがない……という意味を持つ、一周回った諦めの沈黙だ。
「おかしいと思ったんだ。水泳部の合宿なのに、兎叶先生じゃなくてブロッサム先生が引率するって聞いたから……」
 七月の京都遠征の時だろう。その時点で既にそこまで絞り込んでいるのであれば……もうかれこれ、二、三ヶ月……要するに、パートナーとなった直後から怪しんでいる計算になる。
「まあ、あれのあのザマじゃ、黙って信じろ……ってのも無理か。パートナー解消ってワケにもいかないしな。京本」
「結界ならもう張ってますよ。しばらくこの辺りには、誰も入って来ないでしょう」
 ちらりと横に視線をやれば、既に白衣の青年は袖の内に携帯を忍ばせた後。
 さらに言えば、そんな彼も秘密を共有する者の一人。その結界が魔法か、もしくは全く別の方法で作られた何かなのかは分からなかったが……いずれにせよ、秘密が広まる可能性は、ない。
「いいだろう。なら、ついでだから見せてやる。ただし……」
 ルーニは呟き、細い指を頭脇に留まっているヘアピンへと伸ばす。
「一応秘密なんだからな。他言すんなよ?」
 無言で頷くレムの前。
 叫びと共に、黄金の輝きが普通科棟の階段を埋め尽くした。


続劇

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