25.三色薔薇の円舞曲
「大丈夫かな……ローゼリオンくん達」
ウィルが八朔と姿を消して、既に半刻ほどが過ぎていた。
冬奈の容態に大きな動きはないが、顔色は少なしか青ざめているように見える。
周囲に張った魔法で彼女から漏れ出るマナの量を抑えてはいるが、あくまでもそれは応急処置でしかない。
そんな状況に、扉をノックする音が響く。
「お婆さま。作業の準備が出来ました」
一斉に向けられた視線に、入ってきた海は申し訳なさそうな表情をしてみせるしかない。
皆の気持ちは、海も同じだ。
入ってきたのが海ではなく、薬の素材を携えたウィルであれば良かったのだろうが……。
「ファファさん。これから私たちは、隣の部屋で薬の調合に入ります。冬奈さんの事は貴女にお任せしますよ」
「え……? わたし……に?」
メガ・ラニカの魔法医を統率する大魔女の言葉に、ファファは持っていた魔法携帯を取り落としそうになる。
両親の見よう見まねで、ここまでのサポートは行ってきた。だがメガラニウスなら、彼女より優秀な魔法医などいくらでもいるはずだ。
「……この症状に対処の出来る魔法医は、貴女が思っているほどに多くはないのですよ」
マナの排出障害は、十万人に一人の難病だ。
人口百万のメガ・ラニカであれば、全土でわずか十人。地上であればもっと沢山の患者がいる計算になるが、マナが存在しない地上の大半では、そもそも罹っている事すら気付かない事がほとんどだ。
そしてメガラニウスの魔法医でこの疾患に対応した経験を持つ者は……大クレリックの記憶にはない。
「それと、これを」
「これは……」
代わりにファファへと渡されたのは、小さな杖を模したストラップ。
「貴女のお父様から、製作を依頼されていたものです。形にするのが遅くなってしまって、申し訳ありませんでした」
手のひらに載せて意思を籠めれば、それは一瞬でファファの背丈に丁度良い長杖へと姿を変える。
医療魔女が創ったものに相応しく、先端に輝くのは十字の意匠。
「その分、貴女の望むように仕上げてありますから……使い方は、分かりますね?」
彼女の望む形、望む特性、望む魔法。
そして、望む機構が与えられているというのなら……。
「……はい」
ファファは杖の先端をスライドさせて、その内に自身の魔法携帯をはめ込んだ。
口の中でいくつかの魔術語を転がせば、それに応じるように杖から緩やかなメロディが流れ出し、ファファが求める魔法を完成させてくれる。
「海は私と薬の準備を。リリは、ファファさんに付いていてあげてください」
頷くリリに連絡役を任せ、大クレリックはその場を後にする。
ばたんと閉じるドアを背に。ファファは自らの新たなる力を握る手に、わずかに力を込めた。
ローゼ・リオンは夜行性の魔法生物である。
夜間はエドワード以外の者に懐くことなく、こと無断で立ち入った侵入者に対しては凶暴性を露わにするが、昼間は薔薇園の地下で眠っており、滅多なことで姿を見せることはない。
昼間の薔薇園への無断での立ち入りが禁じられているのも、本来であれば万が一の事を警戒しているからに過ぎない。
だが。
「さすがに、寝起きは機嫌が悪いね……!」
逆を言えば、昼間に無理矢理叩き起こされたローゼ・リオンは、凶暴の極地にあった。
迫り来る無数の触手には薔薇棘を思わせる尖った瘤が各所に浮き上がり、かすった石畳に深い擦過の痕を容赦なく刻み込んでいる。
無論、それが人にかすればどうなるかなど、想像することもない。
「けれど、君の事を必要としている人がいるんだ……」
倒す必要はない。
さらに言えば、ローゼリオン家当主の資格を認めさせる必要もなかった。
薔薇獅子の頭部を彩る無数の花弁を、ほんの一枚。
それを得るだけで、この戦いはウィルの勝利となる。
「………やはり、お爺さまの言葉しか認めないか。貞淑なレディだね、貴女はという女性は……!」
踏み込み、駆け抜けようとしても、行く手を遮るのは無限とも思える茨の結界だ。遮られる度にウィルは軌道を変え、進路を見極め、その奥へ奥へと立ち入ろうとするが……。
「……しまった」
一瞬のミスが、命取り。
着地点と定めた箇所に振り抜かれるのは、棘瘤をまとう薔薇鞭だ。
防御も、回避も間に合わない。ダメージは必定。
ならばと思考を即座に切り替え、受けるダメージを最小限にする事に意識を凝らしたその瞬間。
足元の薔薇鞭を弾くのは、石畳を穿つ黒曜の弾丸だった。
「ノワール。君か!」
「試練でないなら、助太刀はありだろう?」
ローゼリオン家の試練に、助太刀は禁じられていた。だが、試験でないなら、力を貸さない理由はない。
「…………ああ、考えてもみなかったよ」
風にマントをなびかせて、悠然と立つ剣士の背後。
「それに、俺は貴方の影。二人で……一人だ」
彼の背中を守るよう、背中合わせに立つ仮面の銃士。
「ならば、援護は頼む! ノワール!」
「ああ」
ノワールの本領は、相手の動きを計算し尽くし、先制攻撃で相手を封殺する機能美の体現だ。
パターン化された薔薇獅子の動きを止める事など、造作もない。
王都の大通りを、ゆっくりと荷馬車が走っている。
「やっと……着いた………」
止まったのは、荷台に乗った一同がメガ・ラニカにやってきた時、最初に泊まった宿。
以前泊まったのはほんの五日前だったにも関わらず、誰もがそれを随分と昔のように思えてしまう。
「じゃ、父さん。ありがと!」
「ああ。着いたらちゃんと手紙書けよ!」
レムの父親が角に消えるまで見送って宿に入れば、ロビーには見知った顔が幾人もある。
「どうしたの? みんな」
だが、何かがおかしい。
旅程を終えてリラックスした様子や、旅の間に起きた事件を談笑する者は一人もおらず、皆どこか張り詰めた、重苦しい空気を漂わせている。
「おお、お前らか。……充電器の電池、余ってないか?」
顔を見合わせていると、向こうから袋を提げた大柄な影が歩いてきた。
良宇だ。
「充電器の電池って、携帯の? ……それより、何があったの?」
地上ならコンビニでも買える電池だが、メガ・ラニカは貴重品だ。だが、到着して早々ならまだしも、こんな旅の終わりに今更電池を集めても仕方ないだろう。
もしかして、それもこのおかしな空気に関係しているのだろうか。
「四月朔日が倒れてな。今ハニエが魔法でちりょ………うぐぐ」
「冬奈がどうなったって! ちょっと、説明しなさいよっ!」
良宇が説明し終わるより早く、その襟は細い少女の手によって締め上げられていた。
「あきらん! ロープ、ロープですっ! 維志堂さん、死んじゃいますっ!」
そもそも背丈の都合で極まっていなかったから、そこまでの事はないはずだったが……。
「………あ、ごめん」
真紀乃の仲裁を受け、晶も良宇の襟元から手を離す。
「……なんか、病気らしい。それで、ハニエがお医者の手伝いをしてるんだが、魔法携帯の電池があまり残っていないらしくてな」
魔法携帯は、電源が入らなくても杖の役割は果たす。
だが、着スペルや壁紙エピックといった多くの機能は、電源がなければ何の効果も果たさない。
「バッテリーは同じ機種でないと交換できないから、充電器か……」
レムはポケットを探るが、既に長い旅の間に充電用の電池は使い切った後。
真紀乃の顔を見ても、彼女も首を振るばかりだ。
ハロルドを見失った八朔が向かったのは薔薇園ではなく、館の深部にある書庫だった。
「確か、この辺りに……」
ウィルは、八朔に待っていろと言った。
即ち、彼の助力は必要ないという事だ。
「……そうそう黙ってばっかいられるかよ。莫迦野郎」
そう呟いて扉を開ければ。
そこにあるのは本の山ではなく、膨大な量のぬいぐるみ。
「……ハロルドの奴、これを見られたくなかったのか」
レイジ達とローゼリオンの手記を探していた時。先行して別の部屋を探しに行こうとした八朔を、ハロルドが必死で止めた事があった。
その後、ファファが彼が買ってきたばかりの大きなクマさんを持ち出してしまう事件もあったのだが……その時に彼女が入ったというぬいぐるみ部屋も、ここだったのだろう。
「誰しも、隠しておきたい姿のひとつやふたつ、あるという事だよ。八朔くん」
背後から響く穏やかな声に、八朔は思わず大声を上げてしまう。
「エドワードさん!」
それは、オリーザの品評会に出かけていたはずの、ウィルの祖父だった。
ウィルの事を伝えようとして。……ウィルが彼に内緒で薔薇獅子に挑んでいる事を思い出し、わずかに逡巡。
「君は、ハロルドにここを見たことを伝えるかい?」
その隙に放たれたのは、ここに八朔がいる理由でも、外で戦っているだろうウィルの事でもなく……このぬいぐるみルームの主について。
「いえ、別に。ハロルドは普通にいいヤツですし」
八朔の回りには、変わった趣味の持ち主が山ほどいる。男でぬいぐるみを集めているくらい、どうということはない
特に秘密にすることもないと思うが、本人は秘密にしたいというなら……そうするのが一番なのだろう。
「そうか。君がウィルのパートナーで良かったよ。……これを探していたのだろう?」
「これは……!」
エドワードが取り出したのは、青いマントと、同じ色で誂えた細身の騎士服だった。
先日八朔が隣の書庫で、本の奥から見つけたものだ。
「私の父上がかつて使っていたものだよ。必ずや、君やウィリアムの助けになってくれるはずだ」
八朔は一礼するとそれを受け取り。
内ポケットに収められていた仮面を、そっと取り出して……。
「ごめん。電池とか、ハークくんの家に忘れて来ちゃった」
電池どころか、荷物の大半がそこにある。
本来なら魔法のポーチに入れて持ち運ぼうと思っていたのだが、入れる荷物を吟味する前にゲートの洞窟へ行ってしまい、それから結局ハークの家には戻らずじまい。
当然、西の彼方にあるハークの家に戻るような時間はないから、彼女たちの荷物は送ってもらう事になるだろう。
「オレ達に出来る事とか、ないか?」
「ああ。足りない薬はウィルが心当たりがあるとかで、探しに行ったが……」
それ以外の薬は偉い魔法医らしいリリの祖母が準備しているそうだし、冬奈の看病はファファがしている。
現状の少年達に出来ることは、ファファの魔法携帯のために電池を集める事くらいだ。
「へぇ……足りない薬って、薔薇の花とか?」
ウィルが探しに行くくらいだから、花絡みなのだろう。
薔薇の花を薬に使うというシーンはあまり想像できなかったが、もともとハークも薬の類に詳しいわけではない。
「薔薇獅子の何とかとか言う、薔薇の花みたいな怪物の花びららしい」
良宇の大雑把な説明に、ハークが思い浮かべたのは……。
「………ねえ、晶ちゃん。その怪物って……」
「…………ちょっと、それって大丈夫なの?」
言われ、晶も同じ怪物の姿に辿り着いたらしい。
先日ゲートに迷い込んだ時、散々追い掛けられたのだ。忘れられるはずもない。
「大丈夫じゃ……ないのか?」
ローゼ・リオンはウィルの祖父の言葉には従うと聞いた。
花弁は良宇達で言う髪の毛のようなものらしいし、あのエドワードなら、事情を説明すれば快く力を貸してくれるだろう。
そのはず、だが……。
「薔薇獅子って、薔薇の花みたいな頭があって、触手がわさわさ生えて歩き回る奴でしょ?」
「おう。たぶんそれだ」
どこで遭ったのかは知らないが、生き物であるからには薔薇獅子がウィルの家の庭にしか住んでいない、という事はあるまい。
「ウィルの知ってる薔薇獅子がどうかは知らないけど、あたし達の見た薔薇獅子って、すっごく凶暴だったわよ!」
あそこで運良くミスリルの弾丸が飛んでこなければ、きっと今頃あの怪物のお腹の中にいたはずだ。
そういえばあのミスリルの弾丸も、結局誰が放ったのか分からずじまいだった。レムの父親達も分からないと言っていたし、ゲートの中で会った少年も心当たりがないという話だ。
そこまで考え、晶は思考を追いやった。
今はミスリルの弾丸の話ではない。
薔薇獅子だ。
「むぅ…………。ハーク」
晶が考えている間に良宇も考えをまとめたのだろう。
「分かったよ。これを集めて、ファファちゃんの所に持っていけばいいんだね?」
頷く良宇から袋を受け取り、ハークはフロントへ走って行った。
「ちょっと行ってくる!」
その様子を見届け、良宇は宿を飛び出していく。
「レムレム! あたし達も!」
「ああ!」
そんな彼に続くのは、真紀乃とレムの二人組だ。
戦場に咲くのは、黒薔薇のマズルフラッシュ。
戦場に煌めくのは、白い剣の閃光だ。
黒い弾丸が迫る触手を撃ち落とし、その間を白いマントが駆け抜ける。
光と影は表裏一体。
その言葉を体現するかのように、光の動きに影は追従し、影が先読むさらに先を、光は一路、目指しに目指す。
相手が一人なら、勝負は一瞬で終わっていたはずだ。
五人でも、目を見張る間に決着が着いていただろう。
八人、十人でも、負ける気はしなかった。
しかし……触手の数は、そんな数をはるかに超える。
たった二人の連携でここまで戦線を維持できている事さえ、奇跡的と言ってもいいだろう程に。
「せめて、あと一人いてくれれば……」
弱気な意思は、つけ込まれる。
「今度、父様達に頼んでみようか!」
そんな思いを吹き飛ばすかのようなローゼの言葉に、ノワールは苦笑。
だが。
「そうだ! 弱気になれば、つけ込まれるぜ!」
ローゼリオンの花園に響く声に、戦場の二人は耳を疑った。
薔薇園の東屋の上。
そこで優雅になびくのは、空の色を写し取ったような青いマント。
「八朔…………」
「どうしたの、それ……」
即バレだった。
「八朔じゃねえ! 俺は……俺は……」
しかも、肝心なところで詰まっていた。
「せめて考えてから来ようよ……」
あまりのグダグダさ加減に、二人どころか薔薇獅子さえも攻撃の手を休めてしまうほど。
「うっせえな……そうだ。マスク・ド・アズーロ!」
「アズーロ……青薔薇仮面か」
「青薔薇仮面でもねえ! ローゼがフランス語でノワールがドイツ語だから、アズーロがイタリア語でちょうどいいじゃねえか」
何が丁度良いのかはよく分からなかったが、ともかくまあ、そういう事らしい。
「まあ、気持ちは嬉しいけど、手助けは……」
再び動き始めた薔薇獅子と距離を取り、ローゼも細剣を構え直す。
だが、不要と言ったその言葉を聞くこともなく、アズーロと名乗った仮面の剣士は彼の傍らに舞い降りた。
「パートナーってのは、ンなもんじゃねえだろ。お前と俺で、二人で一人……違うか?」
「……だってさ。兄貴」
背後で苦笑するノワールに、ローゼは肩をすくめるだけだ。
先ほどのやりとりの間で、上がった息のいくらかを整えることが出来た。仲間も増えた。
だからまだ、戦える。
そして今なら、百人が相手でも負ける気などしなかった。
「ローゼ! 俺とノワールで何とかするから、決めて見せろよ!」
「ああ。こんなときに使うのに、ぴったりの必殺技を一つ、知っているからね! 三秒だけ、時間を稼いでくれ!」
中央を翔けるのは、白いマントの仮面の剣士。
「三秒だな! ノワール!」
「ああ!」
彼等の抜ける道を切り開くのは、黒マフラーの仮面の銃士。
「今だ! ローゼ!」
そして、慣れぬ剣を力のままに振り抜いて、至近から来る触手を防ぐのは青い騎士服の仮面の戦士。
「秘剣………薔薇の……くっ!」
白大理の細剣を構え、仮面の剣士は溢れ出す力に歯を食いしばる。未だ放ち切れた事のないそれは、ローゼリオン家に伝わる最大の奥義。
「修行してたアレだろう! 決めてみせろよ……相棒!」
だが。
「分かっているさ……」
この剣に賭けるのは、自分一人の想いだけではない。
友の、家族の、弟の、そして病床にある友人と、その回復を願う少女と友達の……。
「薔薇の……レクイエム!」
その想いの全てを籠めて。
ウィリアム・ローゼリオンは、剣に渦巻く力の全てを解き放つ。
駆け抜けた背後に咲くのは……。
薔薇の花を模した、大輪の爆光だ。
続劇
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