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21.十六年前からの旅人

 白い世界の中。残った力でひたすらに飛んで、ひと息つく頃には……彼らの背後から、何の気配も追っては来なかった。
「助かった……。けど、誰だったんだろうね? あれ」
「分かんないけど、無事だったんだからいいじゃん……」
 翼を仕舞った鞄を脇に置き、ハークは大の字になって息を吐くだけだ。
「けど、ミスリルの弾丸か……すごいなぁ……」
 白銀色の軌跡を描いた弾丸は、おそらく魔法銀であるミスリル製。魔法の効果を何倍にも高め、普通の銀の特性をそのまま備えるとされるそれは、魔法世界でも破格の価値を持つ。
「何? 詳しいじゃない」
「メガ・ラニカ人なら誰でも知ってるよ。このくらい」
 ミスリルの神器と言えば、メガ・ラニカの子供達全ての憧れだ。地上の感覚で言えば、特撮ヒーローのそれに近い。
 ただ一つ違うのは、特撮ヒーローの必殺武器は架空の産物だが、メガ・ラニカの子供が本物のミスリルを手にする機会は、けっしてゼロではない……という事だ。
「へぇ……」
 呟き、晶は立ち上がる。
 携帯を開き、節約のために落としていた電源をオンに。残りバッテリーは三本のうち一本と心許なかったが、それでもその場を包むのは、着スペルの短縮詠唱。
 向き直ったのは、左手側だ。
 その様子の意味を察したのだろう。ハークも無言で立ち上がり、晶の脇で鞄を背負い直す。
 魔法で強化された晶の耳に届くのは、二人分の足音。
 それが、ゆっくりと白の中から現れて……。
「……あれ? こんな所に人がいるなんて珍しい」
 呟いたのは、向こうも同じ。
「どうしたんですか? こんな所で」
 年はハーク達と同じ頃だろう。やはり二人と同じ、少年と少女の組み合わせだ。
 ただ二人と違うのは、少年の方が背が高いという一点だけ。
「変な洞窟を歩いてたら、迷い込んじゃって……」
 怪しくはあるが、少なくとも敵意は感じない。
 鞄をいつでも展開できるように気を配る事だけは忘れずに、ハークは素直に迷い人を演じてみせる。
「えっと、さっき怪物から助けてくれたのって、あなたたち?」
「いや、俺達じゃないよ。……他に人がいるのかな?」
 どうやらミスリルの弾丸の持ち主は、少年達ではないらしい。
 これもたぶん、嘘ではない。
「お二人は、どこから来たんですか?」
「オーヴィスの近くに、ゲートの裏口っていう洞窟があって……。そうだ。お姉さん達、入口がどこか分からない?」
 少女の問いに答えるのは、当然のようにハークだった。素直に応えたのは、警戒していないわけではなく、ここでわざわざ嘘をつくメリットがないからだ。
「うーん。場所にもよるけど……おまえら、何年頃から来たんだ?」
「……何年?」
「西暦だよ。華が丘のだぜ?」
「西暦なんて、華が丘もアメリカも変わらないでしょ……。2008年の、8月6日だけど? 元号のほうが良かったら平成二十年よ。これでいい?」
 質問の意図が分からない。分からなくはあるが、とりあえずこれも正確に答えておくことにする。
「2008年なら、この先をまっすぐ行けば着くはずだぜ。出口の数は少ないから、まあ、どこかにゃ出るだろ」
「まっすぐ……ねぇ」
 まっすぐと言われても、辺りを包むのは一面の白い霧。
 周囲全てが淡く発光しているから、方角を定めるべき影すらない。
「なら、これを使って。私たちは二つあるから、一つあげる」
 そう言って少女が差し出してくれたのは、メガ・ラニカ製のコンパスだった。もちろん地磁気のないメガ・ラニカで普通の磁石が使われているわけではない。
 夏と冬の精霊の力の密度に反応し、北と南を指し示すものだ。
「ここから、とにかく北西を目指して」
 小さな魔法のコンパスは、晶の向いている方向を北と示している。
「北西ね……ありがと!」
 それが合っているにせよいないにせよ、これでまずは目的が出来た。
 ハークと晶は礼を言い、少年達のいる位置を後にする。
 彼らの名前を聞き忘れたと気付いたのは、それから随分と進んだ後のこと。


「普通の祠っていうか、お社ね……」
 辺りを見回した冬奈の感想は、日本人ならではのものだった。
 数段の石段を登れば、その先にあるのは社殿に繋がる石畳。
 神社であれば神を祭るであろうその場所も、メガ・ラニカで一般に使われる石やレンガではなく、古びた木造の檜皮葺だ。
 これで手水舎や鳥居を備えれば、そのまま日本の神社として通じるだろう。
「様式は明らかに日本の影響ですね……あれ?」
 社殿の最奥に置かれている祭壇にあるのは、神を象っているらしき金色の円盤。そして……。
「しーゆー……?」
 円盤に刻まれているのは、CとU。図案化されてはいるものの、明らかに彼等の知っているアルファベットだった。
「ツェーウーの紋章だよ」
「これで、ツェーウーと読むのですわ」
 キースリン達メガ・ラニカの住人から見れば、珍しくも何ともないものらしい。ごく自然に、その二文字に彼女たちの守り神の名を重ねてみせる。
「……ドイツ読みなんですね」
 メガ・ラニカの住人にはゲルマン系の血も混じっていると言われている。ドイツ語の発音が伝えられていたとしても、さして不思議な話ではない。
「へぇ……そうなんだ」
 この世界の公用語は日本語で、ファファ達が外国語に触れる機会など滅多になかった。もちろん、華が丘での英語の授業は、初めての外国語に四苦八苦の有様だ。
「けど、ツェーウーがドイツ語読みだとしたら……」
 そんなファファ達の様子を横目に、祐希の考えは別の所にある。
 メガ・ラニカを構築できるほどの莫大な魔力の持ち主が、ただの人間だったとは考えづらい。それこそ、日本古来の何処かの神が力を貸したとでもいう方が、日本人の感覚的にはしっくり来る。
 なにせ魔法が実在する世の中なのだ。神の存在が非論理的である、という反論は役に立たない。
 だが、そう仮定すれば……。
「ツェーウーの元々の呼び名は……何だったのでしょうか」
 ツェーウーというドイツ語の名は、メガ・ラニカの民に与えられたものだ。
 ならば、そこに至るまでの名があったはず。
 その正体を探ることは、レム達が求めているメガ・ラニカ誕生の真実に迫る大きな一手となるはずだった。


 真紀乃とレムを見送って。 
「セイルの婆ちゃん!」
 部屋へ戻ろうとする老女を呼び止めたのは、メンバーで一番の巨漢だった。
 良宇である。
「なんだい、無礼な子供だね……。私にはフィアナルフトって名前があるんだ。せめて、フィアナって呼びな」
 館でのプライベートの時まで、大魔女と呼ばれようとは思わない。奇妙な因縁で戴くことになった称号だが、もともとあまり執着のある物でもないのだ。
「フィアナ婆ちゃん!」
「だから婆ちゃんはやめろと言っているだろう! ……で、なんだい」
 言っても無駄な輩だと諦めたのだろう。ため息を一つつくと、フィアナは良宇へと向き直る。
「頼む! オレに、武器を作ってくれ!」
 叫びと共に、老女に殺到するのは外からの寒風だ。
 今までは良宇の背中で受け止められていたそれが、一斉に吹き込んできたのである。
 即ち、良宇の巨体が、その高さを失ったという事だ。
「……おや。いきなり凄いのが来たね」
 館の入口。土間の上に直に座し、頭を深く垂れる。
「真紀乃の首飾りが壊れたのは、オレが未熟だった所為じゃ!」
 良宇には、誰かを守れるという自信があった。
 誰かを守りたいという、信念があった。
 それに見合うだけの、拳が……力があるとも。
 だが、信念だけでは誰も守れない。
 自信だけでも、何も救えない。
 力の及ばぬ拳では……今日のように、自分自身すら。
「だから武器を作って欲しい……かい? 甘えるんじゃないよ」
 良宇は頭を地面に打ち付けたまま。
 がつ、と土間に鈍い音がしたが、老女は聞こえなかったことにした。
「どんな武器が欲しいんだい?」
「誰かを守れる武器じゃ!」
 良宇は即答。
 彼が欲しいのはただの力ではない。
 守るための、護れるための、力だ。
「だから、どんな武器だい? 剣かい? 槍かい? それとも、あの嬢ちゃんみたいに変形合体する方がいいのかい?」
「そ、それは……」
 問われ、巨漢は言葉に詰まる。
「材料は? 機能は? 強度重視かい? それとも使い勝手重視かい? どんな魔法を封じておけば、お前の望む力となるんだい?」
「それは……」
 続けざまに問われても、返す言葉すら浮かばない。
「ないのかい?」
 良宇が欲しかったのは、力だった。
 ただの、力。
 漠然とした、イメージとしての力。
「話にならないね。私の事を婆呼ばわりした度胸は大したもんだけど、せめて欲しい力の形くらいは伝えられるようになりな」
 大魔女は言い捨て、座したままの良宇に背を向けて。
「セイル!」
 己の孫の名を呼んだ。
「………?」
 脇の居間から顔を見せたのは、白い髪の小柄な少年。
 目の前で繰り広げられている異様な状況が理解できていないのか、軽く首を傾げてみせる。
「倉庫でこのデカブツに何か見繕ってやりな。……ビジョンがないなら、出来合いで十分だろう」
「フィアナさん……!」
「婆ちゃんでいいよ。あと、調整はお前がするんだ。いいね?」
 フィアナが調整と言ったからには、レリックの調整という事だろう。
 どうやら自分は、倉庫で良宇のためのレリックを探し、調整するという役目を与えられたらしいと……セイルはようやく理解する。
「華が丘に行って、調整の手順は忘れちゃいないだろうね」
 祖母の言葉に頷きを一つ。
 繊細な駆動部分を備える自らの鉄槌の調整は、常に自分で行っていた。この雪山で仕込まれたホリックの心得はまだ基礎だけだが、叩き込まれた祖母の教えを忘れようはずもない。
「それで良ければ、セイルに選んでもらうといい。ひととおりは仕込んであるから、間違ったことはしないはずだよ」
「…………すまん!」
 顔を上げた良宇は、その名を呼んで再び頭を打ち付けた。
 鈍い音と共に何かが砕けた音がした気がしたが、老女は聞こえなかったことにした。


 淡く輝く霧の中へと消えていった少年と少女を、長身の少年は黙ったまま、静かに見つめている。
「2008年か……」
 呟くのは、たったひと言。
「どうしたの? 陸さん」
「いや……。あの二人、メガ・ラニカと地上の子達だったよな?」
 少女は明らかに地上人だった。メガ・ラニカの住人に、元号を使う習慣などないからだ。
「そうだと思うけど」
 そして少年の言ったオーヴィスが少女の知る牧羊都市と同じなら、あの二人はメガ・ラニカからこの場所へやってきたことになる。
「十六年後の世界は、メガ・ラニカに地上の子が来られるようになってるんだな……って思ってな」
 彼等の暮らす時代には、華が丘の住人がメガ・ラニカへ渡る事には厳しい制限が課せられていたのだ。それが、彼の言う『十六年後の世界』では間違いなく良い方向へと進んでいる。
「そっか。そう……だね」
 少年の語る言葉の意味をようやく解し、少女も穏やかに微笑むが……。
「俺達も行ってみるか? ルリ」
「え?」
 続く言葉に、ルリ・クレリックは流石に言葉を失った。
「どうせ、まだ当分は華が丘に戻れないんだ。お前の事もあるし……ずっと旅をしてるってワケにもいかないだろ?」
 だが、陸の言葉も間違いではない。
 この先二人を待ちかまえる運命を、二人だけで乗り切れるなどとは……彼女も、そして彼女を守ると誓った少年も、笑顔で信じていられるほど子供ではなかった。
「でも、未来だったら……私たちの正体、バレないかな?」
「だったら、偽名でも名乗るか? 俺は陸だから、ランドとか……ルリなら、宝石の名前だからラピスとか」
 そして彼等はハーク達の後を追い、時の迷宮を後にする。
 目指すのは、2008年のメガ・ラニカだ。


続劇

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