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20.C.U.

 白い世界を突っ切るのは、黒い翼と蒼い風。
 それに続くのは、砂色の巨塊。
 周囲に何の景色もないから、時間の感覚も、距離の感覚も既に失われていた。頬に当たる風があるから『動いているのだろう』と思いはするが、それもあくまでも『だろう』でしかない。
 彼らを突き動かす原動力は、とにかく背後の巨塊から逃げ切るという単純な意思ひとつ。
「ハークくん。良い知らせと悪い知らせ、どっちが先が良い?」
 生まれてこのかたおそらく最大級に極限な状況で、晶は傍らを飛ぶハークにそんな言葉を投げかける。
「……悪い知らせを聞かないって選択肢は、ないんだね」
 晶の性格からして、間違いなくそれはなかった。
「じゃあ悪い知らせから行くわね」
「やっぱり言うんだ……」
 魔力が尽きたか、後ろが距離を縮めてきたのか。
 既にハークも限界が近く、後ろの状況を確かめられる余力もない。
 だが、晶が呟いた次の言葉は……。
「トイレに……行きたいです……」
 なんだかんだで華が丘は町、である。
 そんな所で育ってきた女の子にとって、地味に切実な問題だった。
「今それどころじゃないでしょ! 逃げながらしなよ!」
 だが、見渡せばヤギがいるだけの田舎で育ってきたハークにとって、そんな問題など本気でどうでも良かった。
 腹の底にふつりと沸き上がった感情に、翼の速度がわずかに上がる。
「ちょっとぉ! レディに向かって何てこと言うのよ! てか、そんな事するくらいなら死ぬわよ!」
「そんなくだらないことで死なないでよ! まだやってないゲームとかたくさんあるんでしょ!」
「あ………」
 ハークのヤケクソじみた叫びに、晶は思わず言葉を詰まらせる。
 一瞬晶の飛行速度まで落ちるのではないか、とハークは息を呑むが、さすがにそこまで晶もバカではなかった。
 別の意味で大バカではあったが。
「それで思い留まらないでよ……。……で、いい知らせって?」
「これだけ本気で魔力を絞り出してたら、ダイエットになりそうじゃない?」
 別に良い知らせでも何でもなかった。
 やっぱりバカだと思った、その瞬間だ。
 彼らの周囲を、白銀色の閃光が駆け抜けていったのは。
「鷺原くん……?」
 一瞬、悟司の銀弾のように見えたそれを、晶はすぐに違うと思い直す。
 霧の彼方から飛来して。二人の正面から背後へと抜けていった弾丸の数は、ちょうど十。
 悟司の使える最大数……四発の、倍以上だ。
 そもそも悟司は、銀弾を八発しか持っていなかったはず。十発分の攻撃を仕掛けられるはずがない。
「そんな事より逃げろ! 二人とも!」
「晶ちゃん!」
「分かってる!」
 鋭い声は霧の向こうから。
 二人は視線すら合わせることなく、掛け声一つで魔力の全てを飛行の魔法へと叩き込む。
 そのタイミングは、全くの同時。


 市街からハルモニアの屋敷へ、馬車はゆっくりと進んでいる。その脇にハルモニア家の紋章が刻まれた、黒塗りの大きな馬車だ。
「今日は二人とも、ありがとうございました」
 四頭立てのその馬車の中、穏やかに頭を下げるのはキースリン。
「でも、なんだか悪かったね。無理矢理連れ出したみたいで」
 ファファ達が彼女の父親に連れられてキースリンの屋敷にやって来たのは、昼過ぎのこと。休みの間はずっと家にいたと言うキースリンを、少女二人は半ば強引に連れ出す事にして……。
 ひとしきり遊んだ後の、帰り道である。
「いえ。私、こうやって皆さんと買い物に出るのなんて、初めてでしたし……」
 キースリンも別に買い物が嫌いなわけではないし、ファファ達とつるむのが嫌なわけでもない。
 ただ、その事情からあまり派手に動こうとはしないだけだ。
「………森永くん?」
「あんた、何やってんのよ……」
 だが、その事情を知るよしもない少女達から見れば、軽蔑の視線を向けるべきはたった一人。
「いや、華が丘じゃ何回か買い物には……」
 たった一つの誤解から生まれ続ける壮絶な負の連鎖に、キースリンの傍らに座っていた祐希はもごもごとそう答えるしかない。
「あと一日あるんだから、ちゃんと誘いなさいっ!」
「分かりました………あれ?」
 冬奈の剣幕に肩をすくめたところで、車窓に映る小さな建物が目についた。
「ねえ、あれって何ですか?」
 明らかに周囲とは違う雰囲気をまとう建物だ。
 しかし、メガ・ラニカの住人から見ればさして不思議な物ではないらしい。
「ツェーウーの祠ですわ」
「あれが……ツェーウーの……」
 傍らから窓を覗き込んできたキースリンの言葉に、祐希はその名を繰り返すだけ。
 魔女王ドロシーと共にメガ・ラニカを創り上げたとされる、魔法使い達の守り神。伝説の中に忽然と姿を現わし、ほんの数章で姿を消した、姿無き神。
「行ってみます?」
 その問いに少年は静かに頷き。
 馬車は、それから十歩ほどの後に歩みを停止させる。


 雪深い館の前に立つのは、少年と少女の二人組。
 背には鞄を背負い、十分な旅装を整えている。
「本当に……いいのかね?」
 老女の言葉にあるのは、二つの意。
 一つは、これから旅立つことそのものに対して。
 もう一つは、少女の首から下がる、ひび割れたレリックに対して。
「はい。移動も訓練ですから!」
 真紀乃の言葉の中に、首飾りに対する言及はないままだ。
 修復を申し出てくれた大魔女に対して、遠慮しているわけではない。直さなくても大丈夫だと……何故か、真紀乃はそう感じたのである。
 無論、それは勘でしかない。
 いずれ彼女に修復を申し出るかも知れないが……そうなった時は再びこの地を訪れればよいと。彼女はそう、思う。
「気を付けてな、二人とも!」
 残る一同も、レム達に遅れること半日の後には、王都へと向かうことになる。
 長い長い一週間も、そこでの集合とゲートへの移動をもって、ようやく幕引きとなるのだ。
「ああ!」
 そして、レムと真紀乃は見送る一同に元気よく手を振って。
 最後の修行へと旅立っていった。


続劇

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