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15.Brother VS Brother

 空になった大皿を前に。温かなスープのたっぷり入ったマグカップをひと息に飲み干して、真紀乃はようやくその手を止めた。
「ぷはぁ………死ぬかと思った」
 隣の席のレムは既に食事を終え、暖炉に手をかざしている。
 ブランオートの屋敷に運び込まれた二人が目を覚ましたのは、つい先ほどのこと。詳しい状況を説明する前にまずは食事だろうと、こうして食事を食べている。
「レムレムの愛情のおかげで助かったよ! ありがとね!」
「……さすがだね、レムレム」
 セイルの呟きに、まだ疲れが抜けきっていないレムは渋い顔。
「レムレム言わないでよ……」
 だがそのツッコミを、肝心の相手は聞いていない。既に彼の意識は、ハムの欠片を乗せた焼きたてのパンに注がれている。
「でも二人とも、あんな所で何してたの?」
 そもそも真紀乃が泊まる予定だったレムの家は、北方どころか王都のど真ん中だったはず。北方に観光に来た可能性はあるが、ここから最も近い調査都市タラルクトスでも、相当な距離がある。
「いやぁ。特訓しようと思ってここまで来たんだけどさ……世界の果てを見てきたところで、雪は降るし寒いしで、力尽きちゃって」
 さらに言えば、冬用の装備を持っていなかったことも災いした。北方の短い夏を上手く突けたと思っていたが、慣れない身ではそうそう上手くはいかないらしい。
「……あんな所見ても面白くもないだろう。物好きだねぇ」
「なんか、崩れてびっくりしましたけど……」
 だが、真紀乃のその言葉に、この館の女主人は思わず眉をひそめていた。
「……崩れた? 世界の果てが?」
「はい。普通の崖みたいに、がらがらって……少しですけどね」
「そうか。ちょっとか……」
 呟き、皿の上に残っていたパンの欠片を口に。
 コーヒーらしき琥珀色の飲み物を空にすると、セイルの祖母はゆっくりと席を立ち上がった。
「まあいいや。飯が終わったら、セイルの仕事を手伝ってやってくれるかい? 修行したいって言うのなら、いい修行にもなるだろうさ」
 真紀乃達の手足は軽い凍傷に掛かっていたが、既にリリの魔法で治療は終わっていると聞いていた。目覚めた直後に薬湯も飲ませてあるから、後遺症も残らないだろう。
 ならば、後はブランオート家の流儀に従ってもらうだけだ。
「はい! 一宿一飯の恩はちゃんと返させていただきます!」
「で、何をすればいいんです?」
 レムの問いかけに答えたのは、大ブランオートではなく、やはり食事を終えたセイルだった。
「…………狩猟」


 銀嶺の森からはるか南。冬の精霊と夏の精霊の力がほぼ均衡となる、メガ・ラニカの中央部。
 王都メガラニウスの外縁、閑静な住宅街となるその場所を、少女たちはあてもなく彷徨っていた。
「この辺り……なんだけど……」
 黒いウィルを見失ったのは、この辺りだったはず。
 ただ、大通りに並ぶ商店ならば窓や格子の向こうを確かめることも出来るのだろうが……こんな住宅街で一度相手を見失えば、それを再度見つけるのは至難の業だ。
「何やってんだ、お前ら」
 もう、見つかるリスクを冒して空中から探すべきか。
 そんな事さえ考えていた冬奈に掛けられたのは、よく知る助け船の声。
「ああ、八朔。ちょうど良いところに!」
「ウィルくん、知らない?」
 パートナーの彼がいると言うことは、ウィルがこの辺りにいるのは間違いない。もし見つからなくても、イメチェンの秘密くらいは聞くことが出来るはずだ。
「ウィルなら家にいるけど……どしたんだ?」
 八朔が振り返るのは、通りに面した大きな屋敷。
「ここ……ウィルくんの家なんだ」
 少々くたびれてはいるが、手入れの行き届いた住みやすそうな家だ。どこからともなく漂ってくる良い匂いは、薔薇の香りだろうか。
「どうしたんだね、八朔くん」
 門の前で話す彼らの声を耳にしたか、屋敷の奥から姿を見せたのは細身の老紳士だった。ウィルをそのまま半世紀ほど年を取らせたような姿に、一同はひと目で彼のウィルの親族と理解する。
「ああ、エドワードさん。なんか、みんなウィルに用があるそうなんですけど……」
 エドワードと呼ばれた老紳士は一同をぐるりと見回すと、軽く結んでいた口元を柔らかく崩してみせた。
「おやおや、これはお美しいお客様だ。八朔くん、手間を掛けさせるが、お嬢さまがたをウィルの所に案内してあげてはくれないかね?」
 老紳士の言葉に、八朔は了解の頷きをひとつ。
「私も後で紅茶をお持ちしよう。皆、甘い物は平気かね?」
 その問いかけを拒絶する者など、この場には誰一人としていなかった。


 砕け散った水晶片が風に溶け、半ばまで砕かれた水晶塊はそれに合わせるように元の姿を取り戻していく。
 もともと悟司の射撃練習を筆頭に、実戦訓練に使われる事も前提に作られた場所だ。十分ほどのインターバルがあれば、大きな水晶塊でも九割がたの修復は終えることが出来る。
「痛……」
 その水晶塊にもたれかかり。
 簡単に済ませられるようと作ってもらったサンドイッチを口に運びながら、悟司は全身を巡る感覚に思わず顔をしかめさせた。
「大丈夫? 悟司くん」
 痛みというより、痺れに近い。紫音の雷撃は直撃こそ受けていないが、着弾の余波やかすったときのわずかなダメージが蓄積し、目に見える形で現れたのだろう。
「痛いなんて言ってられないよ。それより、美春さんこそ平気?」
「うん。このくらいなら、修行で慣れてるから……」
 悟司が中距離で射手としてのスタンスを取るため、百音のポジションは必然的に相手を寄せ付けない前衛としての役割が求められていた。
 百音の姿では射撃系の魔法を使えないから、それはそれで問題ないのだが……。
「……やっぱり、後衛に回る?」
 男の悟司としては、女の子を前に出すことに抵抗感をぬぐえない。百音も直撃こそないものの、ダメージの蓄積は彼以上のはずなのだ。
「大丈夫だよ。私のことより……」
 パートナーの申し出をやんわりと断っておいて、百音もサンドイッチを口へと運ぶ。やはり痺れはあるが、動けなくなるほどではない。
 役に立てるかは別として、まだ、戦える。
(にーにと戦うのは、気が引けるけど……)
 まだ……戦える。
 百音も紫音も、あの頃のような子供ではないのだ。
「……分かってる。絶対、美春さんを退学なんかさせたりしない」
 百音の言葉に、悟司も意識を戦うことに集中させる。今重要なのは、役割がどうこうよりも、とにかく課題をクリアすること。
 百音を退学させないことだ。
「けど、どうやって紫音さんにひと当てするか……」
 そのための課題は山積みだった。
 自在にこちらを攻めてくる魔法だけではない。紫音の繰り出す魔法の結界を、悟司の銀弾はいまだ貫けずにいる。
 昨日の数時間と、今日の午前中。その課題をクリアできない今、勝利の糸口は……まだ、見えない。
「ともかく紫音さんの隙を見つけて、一発でも手数を増やすしかないよな。美春さん、午後からも………絶対、頑張ろう」
 唇を噛み締め、これからの戦術を黙々と考え始めた悟司に、百音は小さく口を開いた。
「あのね、悟司くん。一つ、作戦があるんだけど……」


 所々の欠け落ちた石造りの回廊は、ローゼリオンの家の歴史を感じさせるに十分なもの。そして、今の同家の現状を、無言のうちに示すものでもある。
「確か、レイジ達を見送った後は、この辺りにいたと思うんだけど……」
 中庭でずっと剣技の練習をしていたはずだ。ウィルが剣を振るう姿は初めて見たが、いつもの優雅な姿そのままの、なかなかに堂に入ったものだった。
「そういえば、遊びに来てたんだっけ。今は?」
「ハルモニアんところに行ってるはずだぜ」
 途中で馬車を拾うと言っていたから、今頃はもう着いているだろうか。タイミングがずれていれば、冬奈達と合流していたかもしれなかったが。
「へぇぇ……。あれ? でもさっき、外で見かけたわよ? ウィルくん」
 八朔の言葉に、晶は首を傾げてみせる。そもそもローゼリオン家に来た原因が、街で黒いウィルを見かけたからなのだ。
「弟だろ。そっくりな双子がいるんだよ」
「……あら?」
 唐突に呟いた冬奈の言葉に、一同は足を止めた。
「ファファがいない」
 八朔に、冬奈に、晶に、ハーク。
 言われてみれば、一人足りない。
「…………おいおい。まさか、薔薇園のほうに行ってねえだろうな」
 庭の向こうには、先ほどから赤い何かがちらちらと見えていた。おそらくそれが、いつもウィルが薔薇を調達している薔薇の園なのだろう。
 だが、薔薇があるだけなら、特に問題はないはずだ。
「番犬っていうか……番怪物がいるんだよ」
「ちょっとそれ、洒落になってないわよ……!」
 あまりにも大雑把すぎる説明だったが、今はそれで十分だった。
「俺、薔薇園の方に行ってくる! この通路をまっすぐ進んだらウィルがいるはずだから、冬奈と晶は事情を話して力を貸してもらってくれ!」
 八朔の言葉に、冬奈と晶は既に走り出している。
「ハーク、お前はこっちに!」
「空から探せた方が便利って事だよね……仕方ないな!」
 男と組むのは乗り気ではなかったが、非常事態だしそんな事は言っていられない。何よりファファの、女の子のためだ。
 冬奈組の飛行担当は晶に任せ、ハークも八朔について走り出す。


「……………………」
 見上げるほどの階段に、さらに見上げれば要塞かと思うほどの豪奢なシャンデリア。
「ようこそハルモニア家へ。レイジ様、良宇様」
 そして、彼等を様付けで呼ぶ、紳士服の老爺。
「ええっと……」
 凄いとか、豪華だとか、そういうレベルでの驚きは一週過ぎて既に無い。
 そもそも、まず何をどうすれば良いのかが分からなかった。
「あ、二人とも、いらっしゃい! キースリンさんも上で待ってますよ」
「祐希ぃ……」
 だからこそ二人には、大階段の上から姿を見せた祐希の姿が、後光さえ差す救世主に見えたのだ。
「な、なあ、オレ達、こんな格好で良かったのか……? 燕尾服とか着てきた方が良かったんじゃねえのか?」
「……大丈夫ですって。僕もほら、普通のTシャツですし」
 豪邸という言葉も生ぬるい大豪邸の中にあって、唯一そこだけが彼等の見知った普通空間だった。
 その普通に触れていくらか気持ちも落ち着いたのだろう。
「あ、そうだ。これなんだが……」
 先日、レイジの家にレムから届いた二通の手紙。
 うち一通は当然レイジへの手紙だったのだが……。
「レムくんから……ですか?」
 残り一通。一通目よりいくらか遅れて出発直前に届いたそれは、祐希へ宛てられた手紙だったのだ。
「ああ。ハルモニアの家が分かんなかったから、俺んとこに飛ばしてきたんだと思うんだけどよ……」
 祐希はさりげなく老執事から差し出されたペーパーナイフで封を切り、その場でざっと中身を流し読む。
「メガ・ラニカの成り立ちを調べて欲しい……ですか。レイジ君達も、こういう事を調べてるんですか?」
「達もって……?」
「その土地の成り立ちとか、調べるのって楽しいじゃないですか」
 どうやら、祐希も似たようなことをしているらしい。
 もっとも彼の場合は、明確な目的があるわけではなく、単に好奇心から情報を集めているようだったが。
「けどソーアくん、何かあったんですかね? 随分筆跡が乱暴な気がするんですが……」
 それよりも気になったのは、その事だ。
 レムの書く日誌や委員会のメモなどの文字は、もっと丁寧な気がする。余程急いでいたのか、字体の簡略化や誤字も目立つ。
「だなぁ……俺への手紙は、こんなに雑じゃなかったけど。何かあったんかな?」


 ローゼリオンの広い屋敷に、少女たちの声が響き渡る。
「ファファー!」
「ウィルもこんな時に、どこ行ってるのよ……」
 八朔に言われたあたりを通ってみたが、ウィルの姿はどこにも見当たらなかった。声を上げて走っていれば、先ほどのエドワードや他の誰かが気付いてくれるかも知れない……ということで、二人はとにかく移動を続けている。
 果たして、回廊を折れ曲がった先に、その姿はあった。
「あ、ウィル! 探したわよ!」
 庭園を眺めていたウィルは、晶の言葉にゆっくりと頭を巡らせて。
「誰だい、キミたちは……」
 渡り廊下に開いた穴から差し込む逆光で、少年の表情はよく分からなかった。
「ウィルじゃ………ない?」
 けれど彼女たちの知るウィルは、見ず知らずの女性であろうともこんな態度を取る少年ではない。
「誰だか知らないけれど、この先を通すわけにはいかない」
 そして。
 振り向く動作に体を追従させれば。
 正面を向いて立つその姿は、黒い仮面で目元を覆った……。
「こいつ……薔薇仮面の……偽物?」
 華が丘高校でしょっちゅう目にする謎の剣士と同じ姿。けれど、いつもは白いその色は、今日だけは闇に染めたような黒。
 そしてひるがえるマントの代わりに、黒のロングマフラー。
「偽物でもないよ。我が名はマスク・ド・ノワール……」
 マフラーの下。両手のある位置で鳴る音は、刀剣類の鍔鳴りの音ではない。
 撃鉄を引き起こすコッキング音が二発。
 お世辞にも、話を聞いてくれそうな雰囲気ではない。
 冬奈も反射的に、ポケットの携帯を引き抜いて。
「っ!」
 くるくると宙を舞うのは、レリックの状態へと戻された六尺の八角棒。
 長い廊下に咲き誇るのは、銃口から放たれた黒い薔薇の銃炎だ。
「そもそも、君たちは誰だ? この家の者ではないようだけれど……」
 銃口をこちらに向けたまま、ノワールと名乗った黒い薔薇仮面は少女たちの元へと歩み寄る。
 冬奈は武器を弾き飛ばされ、晶はノワールに圧されて、言葉もない。
 その黒い銃士の歩みが、止まった。
「誰だ」
 彼の歩みを止めるよう、足元に突き立つのは……ローゼリオンの赤い薔薇。
「ふっ……美しい女性に銃口を向けるような無粋な輩に、名乗る名などないよ!」
 その言葉と共に、少女たちの眼前にふわりと白いマントが広がった。
「白い……ノワール……?」
 ノワールの前に佇むは、銃ではなく刃を携えた、純白のノワール。
「なるほど。見れば見るほど私の姿に似ているね……」
 ローゼの前に立つのは、刃ではなく双銃を構えた、漆黒のローゼ。
「薔薇仮面! ファファが……友達が、この家で迷子になってるの!」
「ならばここは私に任せておきたまえ。ただし……薔薇園にだけは、絶対に近付かないように」
 ローゼの声に弾かれたように、少女たちは長い廊下を走り出す。
「この先へは……行かせないっ!」
 当然ながら、ノワールの弾倉にあるのは殺傷力を持たない痛覚弾だ。それが収められた漆黒の双銃を構えた瞬間、眼前に突き出されるのは……。
 白き薔薇の剣士の、純白の刃。


続劇

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