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13.五つ目の試練 一つ目の試練

 月光弾くカーテンが、八月の冬空にゆらりと揺れている。
 吹きすさぶ風に寒の気が混じり始めた頃、真紀乃はようやく口を開いた。
「…………ごめん。まだ、言えない」
 心配をしてくれているのも分かる。
 心配を掛けているのも、分かる。
 だが、錬金術はメガ・ラニカの魔法であって、魔法ではない。
 そしてその正体は、まだ闇の中に潜むべきもの。
 そう部の規則で厳命されている事もあるし、それ以上にレムをトラブルの渦中に巻き込む事も真紀乃の望む所ではなかった。
 だから、まだ、言えない。
「…………」
 対するレムからの答えはない。
 あるのはただ、沈黙だけ。
 少年は沈黙をもって、目の前の少女をまっすぐに見据えたまま。
 真紀乃も言葉を放てない。
 放てるはずも、ない。
 レムは真紀乃の答えを、待ってくれたのだ。
 ならば、真紀乃も待つことでしか、応えられない。
 長い長い、それこそ先刻の真紀乃のそれに等しいほどの、沈黙の果て。
 真紀乃に向けて伸ばされたのは、レムの細い腕。
「…………っ」
 言えないことを、責められるのか。
 信用してくれないのかと、詰め寄られるか。
 パートナーとして信じられないと、言い放たれるのか。
 レムの言葉は、たったひと言。
「あんま、心配かけるなよ」
 伸ばされた手は、真紀乃の肩をぽんと一回叩くだけ。
「…………それ……だけ?」
「話して良いと思ったら、ちゃんと教えてくれよ? 後はまあ……さっき言ったから、いいや」
 レムは真紀乃に背中を向けたまま、軽く伸びをしてみせた。動かなかったのが意外に堪えていたのか、肩など軽く回している。
「あり……がと」
 瞳に涙を浮かべる少女の様子を、少年は確かめようともしない。
 そんな不器用な気遣いに、真紀乃は涙を拭ってくすりと笑い。
「レムくん……大す……」
 言いかけたところで、大地が揺れる。
 レムは動きを止め、真紀乃の涙も引っ込んだ。
 メガ・ラニカの大地に地上のようなプレート構造は存在しない。大地を構成する精霊に異変があれば、地震が起きることもあるが……その頻度は、地上のそれよりもはるかに低い。
「揺れた……よね?」
「ああ……」
 次の瞬間。
 虚空に繋がる世界の縁が。
 崩れ。
 落ちた。
「え………?」
 崩れたと言っても、崖の先端のほんの一部だ。大きさで言えば、数十センチほどだろう。
 だが崩れた岩盤は虚空の果てに呑み込まれ、落下音を返す事もない。
「ね、ねえ……ここってそんな崩れるような場所なの?」
「わかんねえけど……」
 起こる震撃は、もう一度。
 崩れた岩盤は先ほどよりももう少しだけ、多かった。
「と、とにかく……」
 レムが握りしめたのは、携帯に繋がっているストラップ。
「逃げた方がいいよね!」
 真紀乃もレムの手を取って。
 二人は、慌ててその場から離脱するのだった。


 料理人形が腕を振るった夕食を食べ終えた一同は、食休みもそこそこに、再び外へ戻っていた。
 夕方まで悟司が射撃練習を行っていた、水晶の森である。
「さて、紫音」
 祖母が紫音へ差し出したのは、一本の長杖だった。
 大ドルチェの持ち物にしては珍しく、何の装飾もされていないシンプルなものだ。
「これを使って、この二人と戦っておやり」
「え? 紫音さん……ですか?」
 紫音のリリックの腕前は、魔法科の三年でもトップクラス。それは実戦系の魔法においても例外ではない。
 無論、悟司が正面からぶつかって太刀打ちできるレベルではなかった。
「そうだね……。ひと当て出来たら、試練は合格だよ。いいね?」
 そうルールを定義する大ドルチェの視線が向いているのは、悟司ではなく百音の方。
「……え?」
 その意味を、もちろん百音は理解している。
 彼女に与えられる五つ目の試練は、パートナーと共に兄と戦い、結果を残すこと。
 そういうことなのだろう。
 だが……。
「一発で……いいの?」
 他の設問に比べて、明らかに難易度が低い。
 一発で良いなら、例え兄でも何とでもなるはずだ。
「いいよ。大サービスだ」
「あの、美春さんも……ですか?」
 だが、当然ながら悟司は彼女に与えられる八つの試練の存在を知らない。そして彼女の正体を知らない悟司にとって、百音は魔法を使うのが少し苦手な、ごくごく普通の女の子だ。
「おや。一人で勝てる自信があるのかい?」
 言われ、悟司は口をつぐむ。
 既に無意識のレベルで、彼我の戦力差の計算は終わっていた。
 一対一で戦ってどうなるかなど……わざわざ口にするまでもない。
「なら、二人で戦うのはハンデさね。ただ……」
 そのひと言に、百音は内心でため息を吐く。
 最初に低いハードルを見せて安心させておいて、後で底上げをしてくる……いつもの祖母のやり口だ。
「一発も当てられなかったら、百音には華が丘高校を退学してもらう」
「……え!? それってどういう……!」
 試練に失敗したからといって、魔女になれないわけではない。一人前の魔女になるのが遅れるだけで、試練のやり直しは何度でも効くはずだった。
 それともこれは、五つ目の試練というわけではないのか。
「そりゃそうだろう。孫の修行のためにわざわざ向こうの世界に留学させてるのに、その修行の成果が上がらないんじゃ……こっちで修練させたほうがいくらかマシさね。……紫音もいいね?」
「……気は進みませんが、分かりました」
 師匠の言葉に少年は長杖を構え、呪文を詠唱する。
 即席の着スペルではない。自力でその構成文言全てを詠唱する、完全詠唱だ。
「え、ちょ……っ!」
 着スペルよりもはるかに強い言葉によって長杖の先に生まれるのは、ひと抱えもある巨大な雷の球。水晶の柱に紫の輝きを弾かせて、辺りに鋭い破裂音を撒き散らす。
「ほほぅ。また腕を上げたようだね、紫音」
 まずは距離を取るべきと判断したらしい。その場を離れていく悟司と百音の様子を確かめることなく、大ドルチェはその雷球に感嘆の口笛を漏らしてみせる。
「この杖、大ブランオートの新作ですか? 増幅率が目茶苦茶なんですが……」
「何か持ってたから、ぶんどってきたんだけど……」
 放たれた雷光が、居並ぶ水晶を蹴散らして。
「…………二人がかりくらいじゃ、ハンデにもなりそうにないねぇ」
 撒き散らされる破壊を短く唱えた結界で防ぎながら、大ドルチェはぽつりとそう呟くのだった。


「え……? また物置で寝るの?」
 夕食を済ませ、昨日と同じくハークの部屋に戻っていた晶は、昨日と同じように出て行こうとするハークの背中にそう声を掛けた。
「いいじゃない。ここで寝なよ」
 ハークの部屋には晶の部屋のような、布団の代わりになるようなラグはないが……それでも物置よりも居心地はマシなはず。
「いいよ、別に」
 晶の言葉に、手ぶらのハークは諦めたようなため息を一つ。
 昨日持ち込んだ毛布はそのまま物置に置いてあるから、今日は身ひとつで物置に行けばいいのだ。
「別にここで寝ても、いいんだけどなぁ?」
「……勘弁してよ」
 ハークのベッドに腰を掛け、布団の脇をぽんぽんと叩いてみせる晶の様子に、もうため息も出ない。
「それに、今日はゲームも何にもないんだよ? また暇だって言わない?」
 パートナー決定のテント合宿をしていた頃を思い出す。晶はほんの数日で娯楽の少ないテント生活に飽きて、だいぶ危険な状態になっていたはずだ。
 メガ・ラニカでの夜ももう三日目。そろそろ禁断症状が出てきてもおかしくない頃だ。
「言わないよ。それに、あたしだってゲームばっかりしてるわけじゃないって言ったでしょ?」
「………じゃ、何する気なんだよ」
 呟くハークに、晶は少々考えるそぶり。
 したい事、する事はとっくに決めているのだ。ただこういう時は思わせぶりに振る舞いたいだけなのだと……ハークはよく知っていた。
「そうだなぁ……。ハークくんの話、聞きたいな」
「………晶ちゃんの話もしてくれるんなら、ね?」
 昼間の実家に尋ねた件を、晶は相当嫌がっていた。
 聡い彼女なら、ハークがその辺りを突いてくるだろうと容易に想像できるはずだ。まさかそこまでして、ハークをこの部屋に引き留めたりはしないだろう。
 だが。
「…………いいよ」
 わずかな思わせぶりの沈黙の後。
 晶は、その条件を飲み込んだ。
「今夜は、たくさんお話……しよ?」
 そこまで誘われてなお物置に引っ込むほど、ハークは空気は読めなくはない。むしろ読めるからこそ、物置に引っ込もうとしたのだが……。
「あ、でも、さっきのは冗談ね? ハークくんは床だからねっ!」
「わかってるって」
 ともかく、今日はここで寝ることになるらしい。
「さて。それじゃ……」
 晶はゲームを起動させた時の。
 いや、それ以上に楽しげな笑みを浮かべ……。
「まずは、この下に隠してあった本のことから話してもらおっかな!」
「ちょっ!」
 そしてハークは、ようやく晶の罠にはまった事に気が付いたのだった。


続劇

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