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12.メガ・ラニカの大魔女達

 メガ・ラニカの北の地は、冬の精霊の強い影響を受ける。
 北に進むにつれて夏の精霊は勢力を失い、それに伴い夏の長さも短くなっていく。極北の地ともなれば、夏の日差しなどごく数日もさせば良いという。
 その数日の隙を縫い、彼らは彼の地へとやってきた。
「ここが……北の果て……」
 足下に踏むのは、所々を残雪に覆われた山の斜面。
 天を仰げば、夜空に掛かるのは月光を弾く光のカーテン。
 オーロラだ。
 無論、地上と同じ原理で起きるオーロラではない。冬の精霊と、天候を司るマナが応じて生まれるのだと、少年は書物でそう読んでいた。
「ね、レムレム……。ここが、レムレムがあたしに見せたかった所なの?」
 レムと、真紀乃。
 二人はあの夜から王都をひたすらに北上し、この北の果てへと辿り着いていた。
「そうだよ。見てごらん、真紀乃さん」
 レムが指差す先は山の斜面の反対側。普通の山で言えば、頂の逆方向の斜面に当たる場所。
 だが、その先には何もなかった。
 比喩ではない。
 本当に、何もないのだ。
 手を伸ばしても何もなく。山の端を指先で辿れば、まるで鋭利な刃で両断されたかの如く、そのラインを境に山の存在はかき消えている。
「これが……世界の、果て……」
 世界の果て。
 平らな丸盆で表現されるメガ・ラニカの、最外縁に当たる場所。
 その先は虚空と呼ばれ、切断面を境に一切のマナが失われているのだという。
 試しに足元の石を拾って投げ落としてみても、闇の彼方に落ちたきり。何かに当たり、弾かれた音すら聞こえてこない。
「すごいすごい! こんなの、絶対地上じゃ見られないよ!」
 吸い込まれそうな虚空を見て、子供のようにはしゃぐ真紀乃に、レムはようやく表情を崩す。
「良かった。いつもの真紀乃さんだ……」
「…………」
 レムのひと言に、石ころを投げ込んでいた真紀乃はその動きを止めた。
 次に少年が言いたいことを、察したのだろう。
「ねえ、真紀乃さん」
 それは、あの王都での夜の続き。
「真紀乃さん、俺に内緒で何してるんだ? この前、発動しなかった六角形のレリック……」
 あの日、真紀乃が起動させようとした六角形の鋼片……『核金』は、何の力も示さなかった。
 当然の話だ。
 核金には厳重なプロテクトが施されており、その管理者たる錬金術部顧問の承認がなければ、発動させることは出来ない。今このメガ・ラニカで核金の承認指示を出せるのは、真紀乃達と一緒にこちらの世界へ渡ってきた、副顧問のルーニだけ。
 だから、レムは彼女の核金の真の姿を知らない。
 だがレムは、知ってしまった。
 その存在を。
 その『銘』を。
「『武装錬金』って言ってたあれは……一体なんなの?」


「そして勇者ホリンは、抜き放った刃でゴブリンの群れを一刀両断!」
 老紳士の語る物語は、夕方を過ぎ、月が東の空に昇った後も尽きることがない。
 いつしか周りにはレイジ達だけではなく、市街の花屋から帰ってきたウィルの両親や、ハロルド達まで加わっている。
「……で、その間に黒猫の魔法使いはどうなったんだ?」
 勇者ホリンと剣士ローゼリオンがゴブリンの群れを退治し終わったところで、良宇はぽつりとそう問うた。戦いの前に別行動を取った、勇者達につきまとう少女魔術師の行方が気になっているらしい。
「ははは。そう急くでないよ。だが、まずは彼女の行方の前に、麗しのアヴァロンの姫君の顛末を語らねばな……。そちらは、気になりはしないかね?」
「そうか、そっちもあったんだった……!」
 今のメガ・ラニカからは失われた都『アヴァロン』に住まう、麗しの姫君。怪物の群れに囲まれた彼の地と姫君を救うため、勇者達は絶望的な戦いに身を投じることになったのだ。
 陥落寸前のアヴァロンで、姫君は未だ無事なのか。
 それが気にならないはずがない。
「ならば、まずは姫君だが……」
 老紳士の語る話自体は、それほど目新しい内容ではなかった。
 典型的な英雄神話と言っても良いだろう。
 だが、とにかく語り口が巧いのだ。聞く側の関心を引くように場面を引っ張り、一同の瞳に緊張が張り切ったところで壮絶なカタルシスを叩きつけてくる。
 だからこそ、日が暮れてもなお続く長丁場でさえ、聴衆の誰もがあくび一つも口にはしない。紅茶で喉を湿らせることも忘れ、ただひたすらに迫り来る危機に息を呑むばかり。
「魔物達はアヴァロンの周りに植わる水晶の森を踏み荒らし、湖の半ばまで既にその魔の手を伸ばして……」
「っ!」
 けれど。
 勢いよく片手を突き上げた老紳士の背中に姿を見せたのは、長身の彼の三倍はあろうかという黒い影。
 物語ではない。現実にだ。
「……絶体絶命のアヴァロンに!」
 絶体絶命なのは、むしろそれを語る老紳士の方。
「エドワードさんっ! うしろうしろーーーー!」
 思わず立ち上がってそう叫ぶレイジと良宇だが……。
「ああ、怖がる必要はないよ」
 ウィル達ローゼリオン家の面々は、顔色ひとつ変えず、平然とエドワードの話に耳を傾けているだけだ。ここ数日はウィルの家に世話になっている八朔も、若干引き気味ではあるが良宇達ほど驚いた様子はない。
「おや。驚かせてしまったか……」
 無論、巨大な怪物を背後に置いたエドワードも、その存在を気にすることなく穏やかに微笑んでいる。
「話の腰を折ってすまなかったね」
 エドワードの背後に控えるのは、大輪の薔薇の花をそのまま巨大化させたような怪物だった。薔薇の花弁の中央には鋭い牙を生やした口らしき器官を備え、茨に似た無数の触腕をうねうねと蠢かせている。
「彼らは我が家の大事な客人だよ、ローゼ・リオン。下がってよろしい」
 だが、老紳士の凜とした言葉に、ローゼ・リオンと呼ばれた薔薇の怪物は素直に身を引き、夕闇に覆われた花園へと音もなく姿を消していった。
「あれ、大丈夫なのか……?」
 家族の誰もが怖がる様子すら見せないあたり、大丈夫ではあるのだろうが……初めてそんな怪物を目の当たりにした良宇からすれば、気になって仕方がない。
 目が覚めたら隣のベッドで寝ていたはずの相棒の姿がなかった、などとなっては、洒落では済まない。
「ローゼ・リオンはローゼリオン家の当主の言うことは、ちゃんと聞くよ」
 それは、言い方を変えればローゼリオン家の当主……エドワードの言うことしか聞かないという事だ。
 どうやら、薔薇園に無断で立ち入るのはやめておいた方がいいらしい。
「ふむ……ウィリアム。お主ももう、あの試練を受けても良い年頃やもしれんな」
 そんな様子を眺めていたエドワードの何気ないひと言に、今度はレイジ達ではなくローゼリオン家の面々が息を呑んだ。
「……良いのですか? お爺さま」
「構わんよ。だが、受ける気ならば私のいる所で受けておくれよ?」
「はい。ぜひ!」
 やる気満々らしいウィルに、それを心配そうに見つめている彼の両親。
 やはり事情を知っているはずのハロルドの表情は、よく分からなかった。
「ああ。客人を退屈させてしまってすまなかったね。だが、とても申し訳ないんだが……私もこの話の続きは知らないんだ」
「え? まだ竜退治に行ってませんけど!」
 それどころか、アヴァロンを巡る攻防戦の顛末はどうなったのか。
 せめてその件だけでも聞いておかないと、気になって夜も眠れそうにない。
「私が覚えている初代ローゼリオンの冒険は、百のうちの四十八だけなんだ。残り五十二の冒険譚も、書庫のどこかにあるはずなんだが……」
 全百話と知っているという事や、語られなかった竜退治の件も知っているからには、確かにその後編と言うべき冒険譚は存在しているのだろう。ただ、広いローゼリオンの屋敷のどこにあるのかは……。
「ウィリアム。もしご友人が捜したいというなら、手伝っておあげ。ハロルドもいいね?」
 エドワードの言葉に、呼ばれた双子は同時に頷いてみせる。
「何から何まで、すまんな」
「構わないよ。今日は遅いし、どうせ泊まっていくだろう?」
 ローゼリオン家は王都の外れにある。今から中央に戻っても、良宇や八朔が泊まれるような安全な宿は既に営業を終えているだろう。
「だが、その前にまずは腹ごしらえだ。皆でしっかり食べて、十分に英気を養おうではないか!」
 そう言って立ち上がる老紳士の言葉に異論を挟む者は、誰一人としているはずがない。


 小さなアヴァロンの異名を持つ、歩く小屋の隠れ里。
 そこに彼女達が戻ってきたのは、陽がすっかり落ちた後の事だった。
「ばーば! お帰りなさい!」
 祖母と呼ばれ、事実孫を持つ身ではあるのだが……何かの魔法を使っているのか、大魔女ドルチェは外見だけなら四十代ほどの見かけを持つ。
 その若さがあるからこそ、飛びついてきた百音も、平然と受け止める事が出来ていた。
「紫音さんも一緒だったんですか?」
 ドルチェに遅れること、三歩分。
 弟子の領分を守って館へ入ってきた少年を迎えるのは、悟司の役目だ。
「まあね。訓練は……あまり芳しくないようだね」
「ええ……まあ」
 表情を読まれでもしたのだろう。紫音の言うとおり、悟司の修行は来たときからずっと足踏みを続けるだけ。
 四発目の弾丸の成功率は、三回に一回から五回に二回程度に増えてはいたが……その程度だ。実戦で使えるレベルには、ほど遠い。
「そうだ。シルバーバレットを使ってるっていうのは、あんたかい?」
 飛びついていた百音を脇に置き、ドルチェが次の声を掛けたのは、パートナーの悟司だった。
 だが、その呼び名は百音のパートナーではない。
「え……? これのこと、ご存じなんですか?」
 悟司の持つ、銀の弾丸の銘だ。
 普段は銀の弾丸としか呼んでいないから、クラスメイトはおろか、パートナーの百音でさえその銘は知らないはずなのに……。
「昔、月瀬が使っていたやつだろう? フィアナの作った物だし、知らない訳じゃないさ」
 レリックは、ホリックと呼ばれる技術体系によって生み出される魔法の神器だ。当たり前の話だが、レリックであるからには、その形を作り、銘を与えた職人がいる。
「フィアナ……さん?」
 それが、フィアナ。
 しかもドルチェの言い方からすると、ごく親しい間柄らしい。
「大ブランオートさま……セイルくんの、お婆さまだよ」
 銀弾のかつての主がセイルの父親だという事は、セイルから聞いて知っていた。しかし、そのレリックを作った職人が彼の祖母だということは、流石に初耳だ。
「明後日には会いに行くんだろう? 細かい話は、あれに聞くと良い」
「ありがとうございます」
 意外なところで明らかになったレリックの出自に、悟司は静かに頭を下げる。
「さて。細かい話は後にして……リンキー、何か暖かい物を作っておくれ! この子らに稽古をつける前に、お腹が空いて倒れちまう!」
 ドルチェの言葉に、その名を呼ばれた料理人形は元気よく返事を寄越すのだった。


 メガ・ラニカの北の果て。
 銀嶺の森と呼ばれる、辺境の地。
 閉ざされた扉の前で、セイルが呟いたのはたったひと言。
「留守…………?」
 ブランオートの屋敷の入口には、巨大な南京錠がぶら下がっていた。
 よく時代劇で蔵の入口に付いているあれだ。
「鍵、かかってるもんねぇ……」
 驚くほどに分かりやすい鍵のかけ方だった。
 だが、錠前の表面に施された微細な彫刻は、その錠前が伊達や冗談でぶら下がっているわけではなく、強力な施錠の魔法が彫り込まれている事を示している。
「でも手紙、出したって言ってたよね? セイルくん」
 この館の主であるセイルの祖母には、夏休みの前に訪れる日程は連絡してあったはず。
 それなのに、館は無人。
 セイルの祖母も大魔女の称号を持つと聞いていたから、リリの祖母のように急ぎの用事があったのかもしれないが……。大クレリックの時とは違い、伝言のひとつも残っていない。
「伝書鳩は……届かないことも、ある」
 メガ・ラニカで最もメジャーな連絡手段は、伝書鳩という配達魔法だ。
 だがただの紙に経路指示を与えて飛ばすだけのその魔法は、指定が曖昧なら道に迷うし、途中で鳥についばまれれば落ちる。防水が施されぬまま雨に遭えば、紙は溶けてやはり相手の元まで届くことはない。
 要するに、その程度の信頼性ということだ。
「ちょっとぉ! 雪、降り始めたよ!?」
 冬の精霊の強い支配下にある北方の夏は、総じて短い。
 中でも銀嶺の森と言えば、極地に近いほどの北の果て。雪の止む夏の時期など、ほんの数日しかないとも言われている。
「冬服なら……ある」
 そんな場所で育てられたセイルだから、ちらつき始めた雪にも慌てる事はない。
「ホント!?」
 対するリリのバッグの中身は当然ながら全部夏服だ。念のために水着は持ってきていたが、コートなど入っているはずもない。
 喜ぶリリにセイルは無言で歩み寄ると。
「ふぇ……?」
 ぎゅ、とその身に抱き付いた。
「ちょ、ちょっと、セイルくん!?」
 リリからセイルに抱き付く事はしょっちゅうだが、少年の側からそんなことをされたのは初めてだ。もちろん嫌ではないが、さすがの少女にもわずかな混乱がある。
 だが、次の瞬間、セイルの姿はかき消えて。
 少女を包むようにその場に身を下ろすのは、白く巨大な狼の姿。
「ああ、まあ、確かに……毛皮だね」
 冬服と言うには少々語弊がある気がしたが、少なくとも防寒対策ではあった。
「ふふ。あったかぁい……」
 大きな背中に頬を埋めると、リリの体を包むように尻尾がふわりと背中に触れてくる。
「……やれやれ。そんなところで寝ると、死ぬよ?」
 天から舞い降りる白い死の化身をよそに、うとうととしかけているリリに掛けられたのは、呆れたような老女の声だった。
「狼の姿になれるようになったとは聞いていたけれど、本当だったんだねえ」
 雪の中、凜と響く老女の声に狼の姿はかき消えて。
 リリを支えるようにそこにあるのは、小さなセイルの姿だ。
「………お婆ちゃん」
 セイルの白く長い髪をぐしぐしとかき回しておいて、老女はリリの前にしゃがみ込む。
「あんたがトゥシノの孫娘かい」
「あ、はい。リリ・クレリックです」
 リリの祖母も、セイルの祖母も、同じ大魔女の称号を持つ。流石につい先刻まで二人が一緒にいたなどとは予想だに出来なかったが、どうやら知り合いらしいという事は、リリにも想像が付いた。
「そうか。あんたが……」
 値踏みするというより、どこか諦観したような、悲観するような。
 向けられた瞳の秘める意味を解することが出来ず、リリはただ首を傾げるだけだ。
「まあいい。なら、防寒着を出してやるから……セイルは分かってるね? ウチの決まり」
 大ブランオートが立ち上がれば、門に掛かっていた巨大な南京錠は自らその封を解き、扉の中へ音もなく吸い込まれていく。
 それを見届けることもなく、大ブランオートが向くのは孫の方。
「働かざる者……食うべからず」
「そういうこと。まずは二人で、今夜の食い扶持を狩ってきてもらおうか!」
 扉が開けば、中からは暖かな風がゆらりと流れ出してくる。
 館の各所に、空調の効果を持つレリックが施されているのだ。


続劇

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