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9.旅立ち、至る者

「魔法の世界って、こんなのばっかりなのか……?」
 流れていく川を眺めながら、悟司は呆然と呟いていた。
 目の前に流れているのは、近くの村に流れ込むという小川だ。
 それは問題ない。
 流れる先を目で追えば、中程で分岐があり、片方の先には滝がある。
 そこまでも、問題ない。
 ただ、滝の落ちる先が同じ川の上流に続いているのは、さすがにどうかと思った。
「……確か、こんな絵があったよなぁ……?」
 そんな事を考えていると、その川のど真ん中に巨大な何かが突っ込んで来て、やはり巨大な水柱が立ち上る。
「な、なんだなんだ……っ!?」
 降り注ぐ水しぶきの中、悟司は思わず腕に巻いたブレスレットを構えてしまう。反射的に三発の弾丸をリロード。
 そこまでした所で、小川の中央から甲高い声が響き渡る。
「すいやせん兄さん! 着地、失敗しちまいやした!」
「………気にするな」
 甲高い声に応じて現れるのは、川を割いて身を起こす巨大な影。
「う……海坊主………っ!?」
 小川だから、川坊主というべきか。
 それとも川の名にッシーとでも付けて呼ぶべきか。
 どちらにせよ、雰囲気的に害はない……らしい。
「大丈夫かー! おめぇらー!」
 そう結論付けた悟司が構えていた弾丸をブレスレットの中に戻していると、今度は頭上から聞き慣れた声が響いてきた。
 空飛ぶ馬に乗った少年……レイジだ。
「……ってことは、こっちは維志堂さんか」
「おう……」
 巨大な水しぶきが晴れれば、そこに立つのは巨大な影。
 ただ、ごくごく見慣れた姿ではあったが。
「で、そっちは?」
 ならば、悟司が知らないのは良宇の傍らに立つ少年だけだ。
「あ、そこの時代劇かぶれの弟ッス!」
 びしょ濡れの彼は、悟司達より少し年下だろう。メガ・ラニカでもおそらく珍しい原色紫のド派手な服を着、抱えたホウキには派手な装飾とよく分からない漢字の羅列がゴテゴテと並べられていた。
「ツッパリマンガにかぶれてる奴に言われたかねぇなぁ……」
「硬派と呼べって言ってんだろ、バカ兄貴! ンなことだからマヒルさんにフラれ……」
 そう言いかけたところで、レイジの弟も流石に言い過ぎたと思ったのだろう。レイジの冷たい表情に、続く言葉をごにょごにょと濁し。
「……ほ、ほら、兄さんも何とか言ってやってくださいよ!」
「………兄弟は、仲良くな」
「へ、へぇ……」
 ヤンキーかぶれなら、良宇をあにさんと呼ぶのも分からないでもない。
 もっとも良宇は見かけが番長なだけで、最近はそこまで荒れてはいないのだが。
「……まあいいや。兄さん、バカ兄貴。俺はこれで帰るからよ」
「おう。トビーのこと、よろしく頼むな!」
 どうやらレイジの弟は、良宇とレイジを送りに来ただけだったらしい。自前のホウキをポケットから取り出した呪符で送り返すと、レイジの乗ってきた馬にまたがり、ゆっくりと上空へ駆け上がっていく。


 ハニエ家の裏手の森は、さして大きな森ではない。妖精が出る事もあるが、魔法世界であるメガ・ラニカとしては、それもさして珍しい話題ではなかった。
「ここが……離れ?」
 その森のほぼ中央、穏やかな陽の降り注ぐそこにあるのは、小さな館。
 二間と台所、そして最低限の水回り。若い二人がひっそりと暮らすには、丁度良い程度の大きさだろう。
「どうしたの? 冬奈ちゃん」
 そんな離れをぼんやりと眺めている冬奈に、ファファは思わず声を掛けた。
「いや、なんか見たことがあるような……気のせいかな」
 いくらなんでも気のせいだろう。そもそもこの森に入った事すら、今日が初めてなのだ。
 予知魔法の使い手なら先に見える光景を幻視したとも考えられるが、その系統の魔法を、冬奈は身につけていない。
「ほら。後は俺がやるから、お前はゆっくりしてろって」
 ランドがラピスを追いやったのは、大きく開いた掃き出しの窓。そこに置かれたソファーに少女を座らせ、自らは裏手へと消えていく。
 やがて、何か打撃音らしい、鈍い音が聞こえてきた。
 どうやら薪を割っているらしい。
「えっと……どのくらい、なんですか?」
「ここにお世話になって、もう三ヶ月くらいだから……いま六ヶ月か、七ヶ月くらいのはずよ」
 大きくなったお腹を愛おしそうに撫でながら、ラピスは穏やかに笑っている。
「まだ若いのに、何をやってるんだ……なんて思ったでしょ?」
 そう呟くラピスの表情は、先ほどと変わらぬ穏やかなまま。
 周囲から、そんな言葉ばかりを突きつけられてきたのだろう。事実、地上はもちろんメガ・ラニカでも、この歳での出産はいささか早い。
「ううん。知ってる人にも、あんたと同じくらいの年で子供を作った人を知ってるから……」
 今はそこで生まれた子供も、この異境の地のどこかにいるはずだ。
 パートナーは北方に住んでいると聞いていたから、今は北の地にいるのだろうか。
「その人達は?」
「色々大変だったみたいだけど、幸せに暮らしてるよ。……子供はちょっと、抜けてるけどね」
 彼等は「元気ならばいい」と言っているが、あのバカさ加減はもうちょっと何とかした方がいいと、冬奈は思う。
「そうだ、冬奈ちゃん。早く戻らないと、ママが心配してるよ」
 それに、離れには近付かないようにと念を押されていたのを思い出す。ラピスやランドの様子からすると怒られる事はないだろうが、あまり居座っても、二人の迷惑になるだろう。
「なら二人とも、暇だったらまた遊びに来てね? ランドさんったら、自分はお仕事に出るクセに、私には何もさせてくれないの」
「ああ。そうするよ」
 少なくとも、話し相手と稽古相手には事欠かなさそうだ。
 冬奈はファファに連れられて、小さな森を後にする。


「え? ファファちゃんの家に遊びに行ったんだ? いいなぁ!」
 合流した百音の第一声は、そんな羨望の言葉だった。
「いい親父さんとお袋さんだったぜ。あの家なら、ファファみてぇな良い子が育つなぁ……って、よく分かったぜ」
 お茶の席で少し話をしただけだが、ファファの両親はレイジ達の話を終始穏やかに聞いてくれていた。魔法医という職業柄もあるのだろうが……少なくとも、周りからも慕われる良いお医者さんなのだろうということは想像に難くない。
「けどよ。俺もいるんだから、屋敷を直接教えてもらえればそれで良かったのに」
 どちらにしても移動は馬なり、ホウキなりだったのだ。飛竜では行けないような細かい指定をされても、何の問題もなかったのに。
「分かりにくいから……」
「分かりにくい……というか……」
 悟司もそう言いかけるが、森の周りを練り歩く小屋は果たしてメガ・ラニカでは珍しいものなのかという考えに至り、言葉を止める。
 よく考えれば、王都の周りとここしか見たことのない悟司にとって、普通の基準をどこで取ればいいのかが分からなかった。住宅密集度の高い王都はともかく、地方では練り歩く小屋の群れが普通に見られるのかも知れない。
 あまり、考えたくはなかったが。
「あ、見えてきたよ!」
 そんな事を考えていると、百音達の森が見えてきた。
 そして、例の小屋の姿も。
「何でいありゃあ!」
「……メガ・ラニカ人でも同じ反応かよ」
 どうやら歩く小屋というのは、メガ・ラニカでも珍しい存在らしい。
「……ん? 維志堂さんは驚かないんだな」
 だが、予想以上のリアクションを披露してくれたレイジとは対照的に、良宇は微動だにしていない。
「あぁ、魔法だからな」
「……魔法じゃあ、仕方ないな」
 言われれば、確かにそうだった。
「ヤガー達がお昼を準備してくれてるはずだよ。ほら、早く行こ!」
 この後、レイジはぬいぐるみのティンキー達を目にして、先日の悟司と全く同じ反応を示す事になる。


 注がれたスープからは、嗅いだこともないような不思議な、けれど食欲をそそる香りが漂っている。
 畳数に換算するのが馬鹿らしくなるほどの巨大な広間に並ぶのは、メイド服をまとった数名の女給達と、キースリンの脇に控えるゲデヒトニス。
 その全ては、たった二人の住人のために用意されたものだ。
 けれど、そんな贅の極みを尽くされた空間で、祐希が考えるのは全くの別のこと。
(うぅ……僕、大丈夫なんだろうか……)
 顔を上げれば、テーブルの向かいにはスープを口に運ぶキースリンの姿がある。
 基本的に権力に興味のない者が大半を占めるメガ・ラニカだが、そんな平和な国でもお家騒動のひとつやふたつ無いわけではない。その一つがキースリンの属するハルモニア家であり、キースリンが女の子として育てられたのも、そのあたりが原因となっているのだという。
 そう。
 キースリンは、祐希と同じ少年なのだ。
 それは、今のキースリンの姿を見てもよく分かる。
 女給達もゲデヒトニスも、ハルモニア家に長く仕える腹臣中の腹臣で、キースリンの秘密も知っているらしい。そんな気心の知れた近臣達しかいないから、薄手の白いサマードレスに身を包んだキースリンは、いつものように周りを誤魔化すパットも付けてはいない。
 細身で華奢過ぎるきらいはあるが、そこにあるのは明らかに少年の体だった。
(ですよ……ねえ……)
 だが、だとすれば、今朝のアレは……一体何だったのか。
(夢か……幻覚か……)
 瞳に焼き付いたままのその光景を思い出そうとして……その行為の意味に気付き、慌てて頭から振り払う。
 まさか、同性のキースリンに対してそんな思いを抱いているとは。ましてやその思いが幻として形になったとは、考えたくなどなかったが……。
「祐希さん……?」
 そこに至って、祐希はキースリンの呼ぶ声に気が付いた。
「あ、ど、どうしました?」
「進んでいないようですけれど……お口に合いませんでした?」
「いえ、そんなことは……」
 メガ・ラニカでも一流とされるシェフが、存分に腕を振るった料理だ。美味しくないはずがない。
 キースリンを安心させるよう、祐希はいつの間にか出されていた魚のムニエルをひとくち口にして……。
「これ、サバ……ですか?」
 小さな海は、海の名こそ持ってはいるが、大きいだけの淡水湖だ。
 海のないメガ・ラニカに、サバがいるはずがない。
「はい。メガ・ラニカの食材よりはお口に合うかと思いまして、地上から取り寄せてみましたが。いかがでしょうか?」
「…………美味しいです」
 美味しくはあったが、食材自体は全然珍しくなかった。
「それはよろしゅうございました」
 貴族のすることは変わっている。
 祐希はそう思ったが、満足そうに微笑んでいるキースリンとゲデヒトニスの手前、さすがに口には出せなかった。


続劇

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