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25.曇天に舞う竜

「すごいな……」
 白いマントが優雅になびくのは、華が丘高校で最も高い場所。
 本館屋上のさらに上。
 高く伸びる避雷針の、さらに上。
 鋭く尖った針の上、ふわりと立つのは仮面の少年だ。
 青いマントの偽物ではない。
 正真正銘の、白いマントの仮面の剣士。
「女王トビムシ……ご先祖様が一度倒したとは聞いていたけど。まさか、この目で見られるなんて」
 黄金の強固な巨体はどこまでも美しく、勇ましく。
 出来れば、もう一度空を飛んでいる所を見てみたいところだったが……。
 文字通りの伝説の存在を実際に目に出来たのだ。それ以上の望みは、贅沢と言うものだろう。
「と、感動しているわけにもいかないな」
 既に感動を得る時間は済んだ。
 次にこなすべきは、友を助け、怒りに狂った黄金の女王が巻き起こそうとする大惨事を防ぐこと。
 高い高い尖塔の上。
 仮面の剣士は舞い降りるべく、わずかに膝を折ろうとして。
「……!」
 その脇を駆け抜けていくのは、少年達の想像を一足飛びに超越する、凄まじく巨大な豪風だ。


 全力を叩きつけてくる超巨大トビムシを防ぐ術など、その場にいる誰一人として持ち合わせてはいなかった。
 響き渡る甲高い音は、ファファとリリ、そしてルーニが揃って張った、防御の結界が砕かれる音。
「みんな、逃げてっ!」
 その怒りと力が、彼らを標的と定めていない事だけが、せめてもの幸いだったろう。
 大地を穿ち空を舞い、いかなる魔法も跳ね返す、黄金の重戦車。
 そんなものに本気で狙われて、無事で済むはずがない。
「おまたせっ!」
「はいり! 遅い!」
 そこに現れたのは、魔法科一年の二人の担任教師。
 既にはいりは大剣を抜き、葵も魔術書を開いた臨戦態勢だ。
 流石の黄金の女王も相対する二人組の力を本能で感じ取ったのか、無数の脚を唸らせて向きを変え、その身をゆっくりと丸まらせた。
 飛び出した左右の羽根が、お、という重い音を立て。
 超重量の重装が少しずつ持ち上がり始める。
「よく頑張ったわね、みんな!」
 葵の魔術書とそれを指す右手の間には、時折青い雷光が走り、火花が爆ぜては散っていた。その閃光一つが最大級の雷撃呪文に匹敵すると、この場ではルーニだけが気付いている。
「後は先生達に任せ………」
 叫びの半ばで叩きつけられたのは、世界を揺らす暴風だった。
 それは、巨翼のひと打ちだ。
 大きく開かれた顎門が、黄金の大怪球をひと息に呑み込んで。まるであめ玉を噛み砕くかの如く、金の外殻を砕き散らかした。
 連なり吹き荒れる尋常ならざる嵐さえ、攻撃手段などではなく、ただその場を離脱するためだけのもの。
 人間で言えば、無意識に踏み出した一歩に等しい。
「……………」
 残されたのは、沈黙だ。
「………ええっと」
 見上げれば、そこにあるのは曇り空を優雅に翔ける、ウェザードラゴンの姿。
 曇り空の灰色を写し込んだ龍鱗を持つ、曇天竜。
「天候竜って、虫、食べるんだ……」
 天候竜……ウェザードラゴンは、天の持つ気とマナが感じ合うことで生まれる天候の化身だ。生物というより、むしろ自然現象に近い。
 それゆえ、空を飛ぶ姿こそ頻繁に見るものの、何かを捕食している姿はおろか、地上に降りる姿すら見ることは希なのだが……。
「トビムシの主食は、魔力……マナだからね」
 強いマナを含んだ外殻だからこそ、あれほどの強度と魔法防御力を兼ね備えているのだ。だがそこまでの純度を持った魔力の塊であったがゆえ、ウェザードラゴンの食指を動かしてしまったのは……皮肉と言えば、皮肉な話だった。
「ウェザードラゴンが食べるのは極端に魔力性の強いものだけだよ。魔法使い程度の魔力じゃ気にもしないから、安心しとけ」


 戦いは、終わった。
 最後に一波乱ありはしたが、何はともあれ実技試験はこれで終了だ。
 そんな中、悟司だけは喜んでいる様子がない。
「……どしたんだ? 悟司。浮かない顔だな」
「何か、今年の運全部使い切った気がしてさ……」
 おみくじを引けば凶が出て、商店街の福引きは常にポケットティッシュ。間に合うはずの電車の時刻を、道行くお婆ちゃんに声を掛けられて逃すことなど数知れず。
 そんな自分が、全休のトビムシなどという三十六分の一の確率を引き当てたのだ。
 仮にこれで今年の良いことは全部終了と言われても……余裕で納得出来る自分が、そこにいる。
「………いや。別に、ンなこたねぇから。これからもいい事あるって。な?」
 付いた悪運を払うように悟司の肩を何度か叩くと、レイジはA組の方を向き直る。
 試験は終わった。
 だが、ある意味ではここからが本番だ。
「で、休みだけどよ……」
 レイジ達B組は、トビムシの捕獲数でこそ負けはしたが、全休のトビムシを捕まえたおかげで登校日を除く全日の休みが決まっている。
 だが勝者たるA組は、ダブった日付のトビムシが多かったこともあり、一週間近くの休みが失われていた。
「ほら。やっぱり、あんたがファファちゃんに休み取られたのが悪いんだって。責任取ってよね」
「ボクのせいじゃないよ……」
 そもそもハークがファファに渡してしまったトビムシは、二日分だ。仮にそれを捕まえていたとしてもダブっている可能性だってあるし、大丈夫だったとしてもまだ五日分も足りない。
「そのぶん、ゲームの相手してもらうからね」
 これがハークのせいでなかったとしても、負けた腹いせにゲームの相手をさせられるはずだ。
 ついでに言えば、勝ったところで祝勝会を兼ねたふたりゲーム大会になるのは目に見えていた。
「……ボクのせいじゃなくってもさせられるんでしょ」
 無駄と知ってなお抵抗の言葉を吐き。
「あら。そんなことしないわよ」
 想定にない以外な晶の言葉に、思わず目を丸くする。
 あの晶がゲームを強制して来ないなど、あるはずがないと思っていたのに……。
「あたしが、ハークのゲームの相手をしてあげたのに」
「……ゲームなんか、別にしないから」
 むしろ想定の斜め下を貫く回答に、ため息を一つ。
「で、どうする? トレード」
 そんな二人の不毛な言い合いを尻目に、レイジが問うのはA組のクラス委員長だ。
「うーん。どの日がいいか、相談させてもらっていいですか?」
 既に主要な生徒達は、キースリンの作った休日一覧を囲んで話し合いを始めていた。
 定番の策なら飛び石になっている所の休みを連休に変えるべきだろうが、登校日が重なっている所にあえて休みを置くという手もある。
「ともかく、七日のうちの三日ですから……」
 さらに言えば、夏休みの前半にはメガ・ラニカへの帰省時期も入っているのだ。この間だけは何としてでも休みにしなければ、帰省自体が出来なくなってしまう。
 そして、策を決めるタイムリミットは、次の予鈴がなるまでの、あと数分。
 会議は踊り、進まない。
「…………」
 そんな会議を遠目から見ていた男が、ゆっくりと立ち上がる。
「おい、良宇!?」
 レイジの声に答えることもなく。
 良宇はB組が捕まえたトビムシの入っているカゴを掴み上げると、A組のカゴの隣にどんと置いてみせた。
「やる」
 呟くのは、たったひと言。
「……はい?」
 A組の誰もがその光景を見つめたまま。
 良宇の言葉の意味を、理解しない。
「だから、やる。全休の一匹以外」
「けど、トレードは三匹までって……」
 トレードは三回まで。ルールではそう聞いていた。
 だからこそ、A組の会議はここまで紛糾を極めているというのに……。
 だが。
「三回、だよな」
 回、という表現に力を込めて、良宇は試験官に問いかける。
「ああ。三回だ」
 問われたルーニは、平然と。
「なら、一回で全部渡しても文句はないよな、先生」
 回、である。
 匹、ではない。
「ダメか?」
「……当たり前だろう」
 だが、良宇の言葉にルーニは肩をすくめて見せた。
「トレードなんだから、A組も何か出さなきゃフェアじゃない。違うか?」
 ルールには、三回の交換までは認める、とある。
 交換ならば、確かに相手からも代価をもらわなければ、交換としては成立しない。
「なら、そっちの全部と、こっちの全休一匹の方が分かりやすかねぇか? 良宇」
「ふむ。問題ないか? 先生」
「両方がその条件で問題ないならな」
 レートを決めるのは当事者だ。それが一対一だろうが、一対三十五だろうが、そこまでルーニが感知する気はない。
 その意を含む言葉を受けて、良宇が見るのは相棒だ。
「祐希。そっちの取った休み、見せてくれ」
「これです。そちらと合わせれば、たぶん……」
 奇しくも、二つのクラスの休日一覧は、同じ様式となっていた。
 B組の確保できなかった休みを確かめ、A組のそれと照らし合わせる。
「ん。そっちの全部がありゃ、二十一日ちゃんと休みになるな」
 余った日付はダブり分の十四日。それをA組が持ったままにするにせよ、B組に渡すにせよ。
 全休のトビムシをもらえるA組は、無条件で二十一日全てが休みになる。
「トレードしたぶんのトビムシは、成績には勘定されねえって決まりだし……文句ある奴、いるか?」
 全休がもらえるA組に異論があるはずもない。
 そして、二十一日全てが休みになるなら、全休を失うB組にも問題があるはずがない。
「なら、交渉成立って事でいいな」
 試験官の承認を受けて、交渉は成立した。
 A組とB組、双方が全ての夏休みを手に入れるという形で。
「じゃ、さっさと教室に戻れー。次のテストまで、あんまり時間ねぇぞー」
 だが、その言葉に大半の生徒が顔色を変えた。
「なんだその顔。今日はあと一教科、あるんだろ?」
 魔法科の実技試験は一時間目と二時間目。
 本日のテストは、三時間目の一教科ぶん、しっかりと残っているのだ。


続劇

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