21.決戦、開始
暗がりの教室。
「プロジェクトの進行状況は……?」
ぼんやりと灯る明かりの中。静かにそう言葉を紡ぎ出したのは、口元で手を組み合わせた男だった。
「既に相手生態情報の資料配布は終わっています。タイムスケジュールはコンマ七パーセントの遅れ。休憩時間で調整可能。問題ありません」
「各隊への配置指示は」
「地上部隊の配置は通達済みです。空中部隊は……」
「大丈夫。まかしといて……じゃない。こちらも問題ありません。シミュレーションでは開始から百八十秒で展開完了可能と報告を受けていますが、あとは天候次第かと」
「天候の報告は」
「天気予報は降水確率六十パーセントですが、既に曇天竜が確認されています。今のところ雨天竜になる様子がないため、作戦時間内はこの天気が継続するものと思われます」
立ち上がり、報告していく制服姿の若者達。
そこに、がらがらというサッシの開く音が響いた。
「……何やってんだ? お前ら」
その瞬間、席の間から立ち上がった娘が慌てて走ってくる。
「ほら、レムレムは出て行って!」
「え、あ、ちょっ!」
ぴしゃり。
パートナーに無理矢理押し出されたレムの前で無情な音を立てるのは、開けたばかりのサッシ戸だ。
「真紀乃ちゃん。なんかレムが外で落ち込んでるんだけど……」
締め切ったカーテンの裾を少し上げて外の様子を見ていたハークが、席に戻った真紀乃に呟く。
「後でフォローしときますからほっといて良いです。作戦会議の間に入ってくる方が悪いんですから!」
「……たまにひどいわね、あんた」
「晶ちゃんが言って良いことなの? それ」
そして、一年A組のクラス対抗魔法実技試験の作戦会議は、重々しく再開されるのだった。
○
箱の中から飛び出していく小さな虫に、生徒の列のあちこちから悲鳴が響いてくる。
田舎と言われる華が丘ではあるが、別に住人の全てが子供の頃から虫取りに興じているわけではない。虫が苦手な者も、それなりの数がいる。
「む……虫……っ! 虫ぃーーーーっ!!」
冬奈もそんな者の一員だった。
「と、冬奈ちゃん……っ!? 大丈夫、大丈夫だから」
長身のその身を一杯まで小さくし、あろうことかファファの背中に隠れようとしている。
もちろんその身を屈めても、肩幅的にファファの背中に隠れるのは不可能だったのだが。
「ご、ごめん。やっぱり、無理……」
「だって、前にトビムシの箱運んだときは、大丈夫そうだったってレイジくんが……」
冬奈が虫が苦手という事は聞いていた。
ただ、同じく箱を運んだA組の真紀乃やレムは箱の中身を見た瞬間に逃げ出してしまったのに対し、冬奈は嫌な顔こそしたものの、その場に留まったままだったと……そうも聞いていたのだが。
「だって、あれは箱の中だったし……これを触って捕まえるとか、うぅ……今回、赤点でもいいわ……」
「うぅ。どうしよう……」
開始早々力なく膝を折る冬奈に、ファファは困ったように辺りを見回すしかない。
本館の屋上に舞い降りたのは、巨大な翼を持つ三本足の烏だ。
「ありがと! キースリンさん!」
そこから飛び降りるのは、まず真紀乃。着地と同時に腕の携帯を押し込んで、人型の小型ロボットを起動させる。
「ほら。委員長も、キースリンさんと離れるのが寂しいのは分かりますけど……さっさと行きますよ!」
「い、いえ、そんなんじゃ……」
続いて降りてくるのは祐希だ。彼が着地するより先に、彼の肩に乗っていた手足の生えた携帯が屋上へと素早く飛び降りる。
それを見届け。
「カイオーガ!」
言葉と同時、真紀乃の突き出した腕から龍型の小型メカが飛び出して。
「ワンセブン、着身認証!」
祐希も、ポケットに入れてあったいくつかのパーツを無造作に空中に放り投げた。
「ガイオー! シュートフォームっ!」
真紀乃の人型の小型メカは空中で龍型のメカと合体。長大な砲身を備えた砲撃手へと姿を変える。
そして祐希の手足を持った携帯も、屋上に転がったパーツをせかせかと拾い集め、全身に組み付けてからしっかりポーズを決めてみせた。
「着身完了!」
同時、表情らしきグラフィックが表示されていた液晶ディスプレイの上半分が、ラジコンのコントローラーを模したアイコンへと切り替わる。
「それ……かっこいいと思ってる?」
「……いいじゃないですか。別に」
彼らの援護に来ていたハークに、祐希は苦笑。
まだ放り投げたパーツを空中で着身できるほどには、動かし慣れていないのだ。
「ってか、さっさとやってくれないと、こっちもする事ないんだから。頑張ってよ?」
「分かってます。ワンセブン!」
祐希の命令を受け、ワンセブンは傍らに置いてあった小さな袋を肩に背負うと、両足に付けられたローラーユニット……先日、降松で買ってきた小型ラジコンを改造したものだ……で一気に加速。屋上のフェンスをくぐり抜け、あっという間に見えなくなる。
「………子門真紀乃……狙い撃つっ!」
そして真紀乃も大型砲を構えさせ。
まだ、狙い撃つべき相手は、どこにもいない事に気が付いた。
「……まだ時間がありそうだから、その辺見て回ってくるよ」
しばらくは真紀乃並みに出番がなさそうだ。
ハークもレリックの翼を拡げると、天に向かってゆっくりと羽ばたいていく。
レム・ソーアは、困っていた。
トビムシが見つからないから、ではない。
見つけたところまでは良かった。
そして、そのトビムシに刃を向けて、反射的に雷光を放ったところまでも。
トビムシは非常に強固な殻を持つが、虫そのものが強いわけではない。少々の衝撃を与えれば、すぐに気絶して落ちてくる。
実際、目の前には落ちてきたトビムシが一匹、転がっているのだから。
「うぅ、やっぱりやらなきゃダメだよなぁ……」
対策がないわけではなかった。
背中に背負っていた袋から、秘密道具を取り出して……双剣の代わりに、両手に構える。
右手にはラケット。
左手にもラケット。
近寄ることさえイヤなのだろう。グリップの根本をつまむようにして持ち、バトミントンのラケットの先端で、丸まったトビムシの体を引っかけるようにして挟み込み……。
「うおっ!?」
落ちた。
取り落とした衝撃で地面の上をころころと転がっていく、トビムシの丸い体。
やはりラケットはラケットだ。いつも使っている双剣とは、その感覚が天と地ほどにも違う。
かといって刀でトビムシを拾うなどというおぞましいアイデアは、レムの思考の中には存在しない。
「うぅ、やっぱり誰かに手伝ってもらって……」
せめて虫が得意な誰かと行動を共にすべきだった。
だがそれも後の祭。少なくとも、目の前のこの一匹だけは何とかしないと、先へはとても進めない。
そんな時だ。
「……手伝おうか?」
「おう! 助かる!」
掛けられた言葉に思考時間ゼロで反応してしまったレムを、一体誰が責められるだろうか。
ひょいと伸びてきた小さな手が、丸まった金色の甲殻を引っ掴み。
「……もらった」
落ち着いてきた思考が、相手の正体をようやく確かめる。
「セイルくん、十五日だって!」
「ってちょ! おま、セイル!」
それは、隣のクラスの……即ち、敵側の少年だった。
B組のレムがA組のセイルに、ひとつめのトビムシを渡してしまっていた頃。
「さて……どうしようか」
淡い光を放つハークの携帯の先には、渦巻く風が起こっていた。その内には、何匹かのトビムシがいるはずだ。
まだ準備段階の祐希や真紀乃達と別れ、偵察の名目でその辺りをぶらついていた所までは良かったのだが……。本当にトビムシを見つけてしまうとは、完全に予想の外だった。
手元に虫取り網はあるから、やってやれない事はない。ただ、出来ることなら自分で触りたくはなかった。
「近くに誰かいないかなぁ……」
殺すと減点になってしまう。何とかして、生きたまま捕まえるしかない。
触れることなく。
とにかく退治すれば良いだけなら楽なのに……などと思いながら、杖代わりの携帯に精神を集中させる。
その意思のまま、風の結界は少しずつその大きさを減らしていき、やがて虫取り網でも捕まえられるほどの大きさへと落ち着いた。
その時だ。
「あ、ファファちゃん。どうしたの?」
女の子にはなにはともあれ声を掛けるべき。その信条は、もはやハークのアイデンティティに等しい。
「うん。トビムシ、探してるんだけど……」
「だったらこの中にいるよ。よかったら、ファファちゃんにあげようか?」
「ホント? ありがとー!」
小さな風の球体を、ばさりと覆うファファの虫取り網。どうやらファファは虫は怖くないらしく、網の中で丸まっている二匹のトビムシを見てニコニコと笑っている。
「えへへ……」
その笑顔が思った以上に可愛らしく、ついついハークの表情も緩んでしまう。
「えへへじゃなーーーーい!」
だが、その緩んだ笑顔も後頭部からの打撃で吹き飛んだ。
「なにやってんのよハーク! ファファはB組だから、今日は敵チームじゃない!」
既にファファはトビムシを手に、ぱたぱたと校庭へと走り去っている。
「ありがとねー!」
そんな声と共にこちらに手を振ってくれる彼女に、ハークも手を振り返そうとして。
もう一度晶にぶん殴られた。
グラウンドのど真ん中。
一人勝ち誇っているのは、二メートル近い巨躯の主。
「我が事、成れり!」
良宇だった。
曇の気を受けたウェザードラゴン、曇天竜の舞う空を見上げ、満足げに腕を組んでいる。
「やはり、神頼みした甲斐があったのぅ!」
彼の計略には、この天候は不可欠なもの。さすがに天候を変えることは出来なかったため、文字通りの神頼みとなっていたのだが……。
天は我を見放さず。そして勝利は我にあり。
「虫と言えば、これじゃぁっ!」
深夜のコンビニ。誘蛾灯に集まっている小さな虫達の姿を、クッキリハッキリ思い出す。
虫は光に寄ってくる。
らしい。
原理はよく分からないが、とりあえずそれを応用すればいかなトビムシとはいえ集めることなど造作もない。
はずだ。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
全身の筋肉がひと回りほど膨張し、右の拳に太い血管が浮かび上がった。
「でぇぇぇぇぇぇいっ!」
叫びと共に、その右手が強い強い光を放つ。
まさしくそれは、陽光差し込まぬ曇天の華が丘に生まれたもう一つの太陽であった。
「うおっまぶしっ!」
地上に降りた太陽に目を焼かれ、空からトビムシを追い立てていた生徒が落ちていったりしたが……肝心の良宇もまぶしすぎて何が何だか分かっていない。
「来ぉぉい! 蟲たちよ!」
光に包まれた世界の中。
良宇の豪快な笑い声に寄ってくる蟲は、流石にどこにもいなかった。
渡り廊下をダッシュローラーで軽快に疾走していくワンセブンに、ウィルは穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「ふむ。委員長も頑張っているなぁ……」
ワンセブンの背負った袋には、虫の好きな匂い出す物質が入っていると聞いている。その匂いでトビムシをおびき出し、真紀乃の遠距離狙撃で動きを止める作戦なのだという。
その前段階として、まずはその匂いを学校中にばらまいているのだろう。
「なら、私も頑張るしかないね」
作戦で指示されていた地域は、裏庭のこの辺りだったはず。
ウィルはポケットから携帯を取り出すと、ワンアクションで『逆向きに』折りたたんだ。
折り畳み式と呼ばれるシェルタイプではない。その構造を発展させた、リバースと呼ばれる形状だ。
「おいで!」
優雅な印象を抱かせる図形が描かれたディスプレイを手の内に滑り込ませ。高らかな宣言と共に吹きすさぶのは、薔薇の嵐。
幻ではない。本物の、薔薇の花弁。
紅の嵐が過ぎ去ったとき、そこに広がっているのは一面の薔薇の園だった。足元はいつの間にか石畳に代わっており、隅には小さな東屋と、噴水までが設えられている。
これこそが、ローゼリオン家の誇る召喚魔法の奥義であった。
「さすが父上、手入れに一部の抜かりもない……私も見習わなければならないな」
見事に手入れされた茂みに手を差し入れると、薔薇の花を一輪手折り、すいと天へと掲げてみせる。
その先に、小さな羽音を立てて留まるのは……。
羽を休めに来た、金の殻持つ丸い虫。
「ようこそ。我がローゼリオンの花園へ」
丸まった身を優しくつまみ上げ。ウィルは捕まえたトビムシを、薔薇に満たされた籠の中へそっと収めてやるのだった。
続劇
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