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11.華高の一番長い昼休み

 四月朔日道場の朝は早い。
 早朝の掃除から始まり、朝稽古。それが終わったらもう一度道場を掃除して、ようやく朝ご飯となる。
「そっか。レムも防御側なんだ」
 練習で汚れた板の間に雑巾をかけながら、話題になるのは放送室の事。
「将棋部は後方支援だから、前線には行かないと思うけどな」
 将棋部は防御側で、全体の指揮を担当することになる。指揮そのものは上級生の仕事だから、レム達一年はその補完……即ち、情報収集や偵察が中心になると言われていた。
「えーっ。せっかく強くなったんだし、一緒にがんばりましょうよー。今夜は俺とお前でダブルライダーだ、みたいな感じで!」
「意味分からんぞ」
 同じスタイルならともかく、真紀乃はレリックに攻撃を任せる後衛型、レムは刀を使った純然たる前衛だ。前後に別れるならともかく、並び立って戦うのは少々難しい。
「それに、強いって言ってもなぁ……」
 呟き、視線は板の間を折り返してきた冬奈へと。
 今のところ、対冬奈の戦績は全戦全敗。
「当たり前でしょ。昨日今日始めたようなあんたに負けたら、あたしの立場がないじゃない」
 冬奈の武術のキャリアは、彼女の年齢にほぼ等しい。剣術も始めて間もないレムとは、スタート地点の段階で圧倒的な開きがある。
「まずは祐希か、真紀乃あたりに勝ち越す所からかしらね」
 道場の入口をホウキで掃いている祐希も、柔道の経験は中学生からと相応に長い。かといって、女の子の真紀乃を目標に定めるのも、男としては微妙なところ。
「…………だな」


 二時間目の休み時間。
 晶の姿は、普通科棟の二階にあった。
 階段の入口の壁に背をもたせかけ、時折携帯を取り出しては眺めている。
 それを三度、四度繰り返した所で、隣を大柄な影が通り過ぎた。
 だが、晶はそれに気付かぬ様子。
 男子の方も晶に声をかけるでもなく、やはり壁に背中をもたせかける。ただしこちらは階段の入口ではなく、廊下側だ。
 L字の互いの直線上。互いの姿は、もちろん視界に入らない。
「……約束の物は」
 呟いたのは、男子から。
 視線は廊下の窓を向いたまま。端から見れば、晶と話しているようには見えないはずだ。
「慌てないの。ちゃんと用意してあるから」
 携帯をぱたんと閉じ、ポケットへ。
「まずは確認のために……」
 代わりに取り出したのは、小さな丸い物体だ。
 わずかに伸ばした男の手に、それをそっと握らせる。
 男は辺りに気取られぬよう、受け取ったそれを口元へ。
「……混ぜ物入りじゃないか」
 口元をもごもごと動かしながら、男は眉をしかめてみせる。
「去年はチョコ味だったぞ!」
 今年のものも、悪くはない。
 けれど、去年のチョコ味の方が、はるかに味は上だった。
「あら。去年のアレは単価も高いし、結局放課後まで保たなかったそうじゃない。お菓子で食べるなら、それでもいいでしょうけどね?」
「ぐ……まあ、確かに」
 普段から前後半九十分を戦い抜く彼らからすれば、今度の戦いは一時間にも満たない短期戦だ。しかし、戦いの後にも続く長丁場を空腹と戦い抜くのも、御免被りたい所だった。
「今年のは卯の花入りだから腹持ちも良いし、何より……去年の半額よ?」
 近所の豆腐屋から分けてもらった大量の卯の花は、サービス品……即ち、無料。一袋数百円するチョコチップと比べれば、コストパフォーマンスは雲泥の差だ。
「量を誤魔化してるんじゃないだろうな?」
「そんなセコいことしてどうするの。こっちだって、信用商売でやってるんだから」
 どこからともなく取り出した小さな袋を、こそりと男の手に乗せてやる。
 その重さで納得したのだろう。男はわずかに唸ると、ポケットから茶封筒を取り出した。
「……なら、去年の倍もらおう。数はあるんだろうな」
 携帯を取り出し、書きかけだったメールに必要事項を追加して送信。発注依頼を打ち込んだメールは、茶封筒の中の現金を確認する間にレスが返ってくる。
「交渉成立。すぐにそっちの部室に運ばせるわ」
「頼むぞ。信頼筋の情報だと、今日あたりが山場らしいからな」
 ゲーム研に続き、次はどこの部が動くのか。
 そして、その機に乗じようとする部はどこか。
 防御側陣営は防ぐため。攻撃側は攻めの可能性を増やすため。どちらもその情報は、喉から手が出るほどに欲していた。
 だがこの数日で、校内の緊張は限界に達している。
 このギリギリの均衡ももう保たないだろう。そうなれば、複数の部が同時に動き出すのは間違いない。
 その時こそが、今回のイベントの決戦となる。
 それが予測されたのが……今日だった。
「あと、一つ聞いて良いか?」
「何?」
 サッカー部の調達係の問いに、晶はどこかへ掛けようとしていた電話の手を止める。
「何でこんなややこしい事をする必要があったんだ? 普通に部室に来るので良かったのに」
 今回の放送室争奪戦に関しては、教師サイドは基本的に干渉しない。こんな所でこそこそする必要は、あまりなかった。
「あら」
 だが。
「……こっちのほうが、らしいじゃない」
 晶は携帯をぱたんと閉じ、楽しそうに微笑むのだった。


「よーし。じゃ、今日はここまでー」
 身長百三十八センチの魔法教師は踏み台……黒板に手が届かないのだ……を降りると、教卓の前で高らかにそう叫ぶ。
 ちなみに教卓の後ろに立つと、生徒達からは彼女の額しか見えなくなる。それを指摘されて以来、ルーニが教卓の後ろに立つことはなくなっていた。
「あれ? 先生、ちょっと早くないですかい?」
 四時間目の終了まで、あと五分。授業内容としてはキリの良いところだが、終わりと言うには少々早い。
「どーせお前ら、この後の事で一杯一杯で授業なんか聞く気ないだろ。っとそこ! 早弁すんなー!」
 叫びと共に放り投げられたチョークが飛んでいくのは、明後日の方向だ。しかし暴投コースのチョークは途中で軌道を鋭角に変え、良宇の頭を直撃する。
「うおっ!?」
「腹減ってるのは分かるけど、せめて周りの匂いは消しとけー。そんくらい出来るだろ?」
 ルーニが指を鳴らすと同時、良宇の周りに漂っていた弁当の匂いがかき消えた。見ての通りのちびっ子ではあるが、これでもれっきとした魔法教科の先生なのだ。
「むぅ……善処する」
 半分ほど残っている弁当に蓋をして、座り直す。
「まあ、争奪戦はいいや。それより、もうちょっとで期末テストだからなー。お前ら、他の科目はどうでもいいから魔法の実技だけはしっかり特訓しとけよ」
「そこはどうでもよくないんですね……」
「お前らが赤点取るだけなら別にどうでもいいよ……」
 教師にあるまじき台詞を平然と言い放ち、ルーニはため息を一つ。
「ただ、お前らが頑張らないと、わたしの仕事が増えるんだよ」
 魔法実技のテストは、夏休みの獲得日数に直結する。要するに、テストが惨憺たる結果に終われば、それだけ補習授業が増えることになるのだ。
 それは即ち、補習授業を担当する教師の仕事に直結するわけで……。
「それじゃ、これで……」
 終わり、と言うより早く鳴るのは、終業を示すチャイムの音。
「行くぞ八朔!」
「へいへい!」
「冬奈ちゃん!」
「分かってる!」
「…………」
 それを合図に、一部の生徒達は勢いよく教室を飛び出していく。
「先生の話を聞けー!」
 もちろんルーニのその声が、彼らに届くはずもない。


 そして、限界の緊張を越えた校内で。
 戦いは、始まった。


続劇

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