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9.スピン・オン

 薄い唇が、硬質なそれにそっと触れあって。
「ん……っ」
 そこから溢れる液体が、少女の唇に流れ込み、白く細い喉をゆっくりと下っていく。
「んぅ……苦ぁ…ぃ」
 口の中に広がっていく独特の味わいに、大きめの瞳に幽かに涙をにじませて。長い黒髪をわずかに揺らして、少女はハンカチで口元を軽くぬぐい取る。
「……さっきのお菓子は、美味しかったのに……」
 とはいえ、抹茶は全て飲み干していた。そういうものだと、あらかじめ教えられていたからだ。
「お茶が苦い分、お菓子が甘いんだと」
 隣の八朔も、キースリンと同じように渋い顔。
 足して二で割ればちょうどいいという理屈なのだろうが、出来れば苦い方が勘弁して欲しかった。
「だらしねえぞ、八朔」
 かたや、レイジとウィルは平然としたものだ。
「……よく飲めるな、お前ら」
「この味わいも、なかなか乙なものだと思うけど?」
 しかも二人とも、校庭に敷かれたシートの上、ちゃんと正座までこなしている。
 だが、今回メインとなるゲストは、彼らでも、キースリンでもない。あくまでも今日の彼らは、外野席のポジションだ。
「どうですか? 先生」
 主賓となるのは、この茶会の主人となる良宇の正面に座る、三人の女性達。
「悪くないんじゃない? ねえ、ローリ」
 正面に座る葵の言葉に、良宇はようやく緊の字を緩めた。
「なんだこの苦い水……」
 次席に座るちびっこの言葉は放置して……。
「で、このうちの何人が正部員? ハルモニアさんもそうなのかしら?」
 末席に着く銀髪の女性の言葉に、再び表情をこわばらせた。
「いえ、私は……」
「まずは体験入部ってぇか、試しに参加してもらおうって事でですね。ハルモニアさんには、そのモニターを引き受けてもらってます」
 言葉を詰まらせた良宇とキースリンの後を受け、レイジがさらりとフォローする。
「体験コーナーというわけね。後は……薄茶だけど、もう少し薄くた方が敷居が下がるでしょうね」
 銀髪の娘は少女ほどの外見なのに、周囲の良宇達よりもはるかに目上の物言いをする。それもそのはず、見かけこそ幼く見えるが、彼女と葵は同い年。
 さらに言えば、茶道部が成立した暁には、顧問として彼らを指導する立場にある。
「今のが薄いって、日本語おかしくないか?」
 ちなみに彼女と葵の間にいるちびっこは、教師の肩書きこそ持ってはいるが、年相応のお子様だ。ここにいる生徒達よりも、年下ですらある。
 抹茶の味が分からないのも、無理もなかった。
「濃茶はもっと濃いです。ブロッサム先生」
 薄茶は普通にイメージされる抹茶の事だが、濃茶は多めの抹茶に少しのお湯で練って作る。もはや飲み物というより、ポタージュスープなどに近い。
「うぅ……じゃあ、もっと苦いんですの?」
 良宇の言葉を聞いた途端、細身の眉を歪ませたのはキースリン。
 彼女も苦いものは得意ではないのだ。今の薄茶でも大変だったのに、それより苦いとなれば……耐えられる自信はあまりなかった。
「いや、良いお茶を使うから、そこまでは……」
「嘘だぁ……。こないだのアレ、すごかったぞ」
 ぼそりと呟いた八朔に突き刺さるのは、良宇やレイジの冷たい視線。
「馬鹿。そういう、初めての人がドン引きするようなこと言うんじゃねえよ」
 小声で囁き脇腹を小突いてくるレイジに、他の周りも渋い顔。
「…………やっぱり、嘘じゃないんですのね」
 もはやキースリンに至っては、半泣きだった。
「試しに練っても良いが……」
 使えるようになったばかりの釜には、まだ十分なお湯がある。作法も十分身につけているから、出来ないわけではない。
 だが。
「良宇くん。やる気十分な所、悪いけれど……もうお茶菓子がないよ?」
 生徒側の末席にいたウィルが、空になった箱を軽く掲げてみせた。
「なに? 今日はちゃんと持ってきたはずだが……」
 お菓子も、葵やローリから許可が下りれば後の体験会で使おうと思っていたのだ。まだ半分は残っていたはず。
 良宇は視線を八朔の方へ。
「……俺じゃねえよ。レイジじゃないのか?」
「俺でもねえ。じゃあウィルか?」
「私はそんな美しくない事はしないよ。キースリンさんでもないだろう…………し……」
 言いかけたところで、背後に立つ影に気が付いた。
「もぐもぐもごー」
 大量の菓子を口いっぱいに頬張った、大きな姿。
「…………」
 縦はともかく、横幅だけなら良宇に負けるとも劣らない。
「むぐひー?」
 場にいた全員の視線を受け、そいつは頭をわずかに傾けた。肉に埋まって見えないが、首を傾けたつもりらしい。
「…………誰?」


 放課後の球技場は、生徒達であふれかえっていた。
 サッカー部や野球部など、極端に広いフィールドを必要とする部のスペースまでは流石にないが、バスケにテニス、ハンドボール部など大半の球技系運動部の練習拠点となっているからだ。
「どしたんだ? こんな所で」
 そんな彼らの運動を眺めている悟司に声を掛けたのは、レムだった。
「ああ、レムか……。そっちこそどうしたの」
 レムは体験入部初日に剣道部でヒドい目に遭って以来、運動部に入るのは諦めたと聞いている。そんな彼が、運動部しか使わない球技場に用があるとは思えないが……。
「部の仕事で、ちょっとな……」
「運動部は入らないんじゃなかったのか?」
「将棋部だよ。今は」
 将棋部が球技場など、なおさら意味が分からない。
「文化部が外で活動するのって、流行ってるのか?」
 確か、茶道部も今日から外で何かやると言っていたはず。
 茶道なら庭園でお茶会をするようなイメージもあるが……将棋で屋外となると、昔ニュースでやっていた人間将棋くらいしか思い浮かばない。
「いや。将棋そのものはあんまり関係ないんだけどな……。そっちこそ、バスケ部に入るのか?」
 バスケコートでディフェンスに回っていたバスケ部員は、ボールを取るやいなや自陣ゴールから一気に大跳躍。そのまま反対側の敵陣ゴールまで飛翔して、力一杯ダンクを決めてみせる。
 もちろん試合本番で出来ることではないが、魔法を全開にすればこの程度のプレイは珍しくもなんともない。
「いや。今はこっちで、手一杯さ」
 レムの言葉に、悟司はポケットから小さなケースを取り出し、からからと振ってみせる。
「あんま、根詰めない方がいいぞ?」
 複数のパーツを同時に制御するタイプのレリックは、強力なぶん制御にも高い技量とイメージを要求される。それが八発分となればなおさらで、バスケのゴールから反対側のゴールへ大ジャンプするのとはワケが違う。
「手が空いてりゃ、相手の一つも出来るんだろうが……部長の命令でな。各部を回っての情報収集で大忙しさ」
 レムとしては、上級生の道楽に巻き込まれるのはあまり面白くないのだが……。かといって、縦社会の将棋部で上級生に逆らってまで拒絶するほどの事でもないのもまた事実。
「ああ。こないだのあれか」
 ゲーム研の襲撃事件から数日。校内の話題は、次はどこの部が動くかで持ちきりだ。
 柄の悪い上級生の間では、どこが動くかで賭まで始まっているという噂さえある。
「魔法を使った練習の割合が、増えてるだろ」
「……そういえば」
 言われてみれば、魔法を使ってワイヤーアクションもかくやという派手な動きをしている生徒が明らかに多い。
 華が丘などの魔法都市以外で魔法は役に立たないし、仮に使えても反則だ。普段なら、この手の練習はしないはずなのだが……。
「……ようするに、みんな魔法で派手に暴れたいのか」
 思い至れば、驚くほどにシンプルな結論だった。
「どこの部も、次にどこか動くか気にしてるみたいだぜ……」
 レムも自らのレリックを取り出して、ふわりと空へと舞い上がる。次は上空から全体を見渡そうというのだろう。
「悟司ぃ!」
「何だ?」
 そして。
「魔法を使う頻度が分かるくらい熱心に来てんなら、さっさと入っちまえよ! バスケ部」
 そう言い残して、レムは悟司の声が聞こえない高さまで、一気に上昇を開始する。


 突如茶会に現れた巨大な姿に、最初に声を上げたのはルーニだった。
「……すまん。ウチのクラスの生徒だ」
 ちびっこ教師は、幼いながらも魔法科二年B組の担任も務めている。
 二年の先輩なら、一年の間で見覚えもないはずだ。
「玖頼・ビッグランドーと言います。いやぁ。あまりにも美味しそうなお菓子だったもので、つい……」
 そう言いながらも、手元に残っていたお茶菓子を口に運んでいる。立派な外観は、その食欲をダイレクトに形にしたものらしい。
「というわけで、入部したいんだけど。お菓子部」
 しかも根本的な何かを間違えていた。
「いや、お菓子部じゃないんだが……」
「茶道部なんですよ、先輩」
「サドーかぁ……。うん。いいよ」
 思考時間は約二秒。
 どう控えめに見ても、お菓子と茶道の割合が、10:0だった。
 だが、どんな生徒でも希望者は希望者だ。
「先生。ビッグランドー先輩は……」
 さらに言えば……。
「確か、無所属だったわよね?」
「ええ? ボク、もう錬き…げふぅっ!」
 ビッグランドーが何か言いかけた瞬間、そのふくよかな腹に小さな拳が正面から打ち込まれた。
 教育委員会に怒鳴り込めば大問題に出来る所だったが、所詮は子供のした事なので誰もが見て見ぬふりをした。
「思いっきり無所属だぞ。お前らさえ良ければ、正部員にでもなんでもするといい」
 殴られた方よりむしろ、殴った側の手が痛かったらしい。ルーニは先ほどまでの嫌そうな顔をさらに嫌そうにして、ビッグランドーの背中を今度は蹴った。
 もちろん体格の良い彼の体を蹴ったところで、やはり自分が痛いだけなのだが……それをいちいち突っ込む者は、残念ながらこの場にはいない。
「やった! ありがとうございます、先輩!」
 それに、ついに念願の正部員なのだ。まだ勝ちではないが、大躍進である。
「なら、正部員はビッグランドー君を入れて三人ね。あまり時間はないけど、大丈夫?」
「何とかしてみせます」
 少なくとも、人集めは不可能ではない。この段階で一人加わったのだから、明日から本格的に勧誘活動をすすめれば、もう二人くらいは何とかなりそうな気がしてくる。
「そういえば、ローゼリオンくんも初めて見るわね。正部員ということでいいのかしら?」
「いえ。日本の文化にはとても興味があるのですが……私も副部員という事で、ひとつ」
 ウィルは既に園芸部に席を置く身だ。そちらを捨てる事は、さすがに出来ない。
「いいのか? ウィル」
「私にも、どうしてもやりたい事があってね。正部員になれなくて悪いけど」
「いや、十分だ。助かる」
 これで、正部員が三人に、副部員がやはり三人。良宇の活動に賛意を示してくれる者が、五人もいる。
 そんな事を話していると、校庭の向こうから体操服の女子生徒が走ってきた。
「先生!」
 体操服に似ているが、ランニングシャツにショートパンツの組み合わせ。
 葵が顧問を務める、陸上部員だ。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと用事があるから、私はこれで失礼するわ」
「なら、今日は解散かしらね。私も保健室に戻るわ」
 そう言い残し、葵とローリはそれぞれ席を立つ。
「すいません。でしたら、私も料理部に……」
「悪かったな、手間取らせて」
 そしてその場に残るのは、葵とローリの間に座っていたちびっ子教師と、男ばかり。
「ブロッサム先生」
 そのルーニが立ち上がった所で呼び止めたのは、八朔だった。
「何だ? ビッグランドーの食い意地の事なら、折り紙付きだぞ。せいぜい菓子を食われんように気を付けるんだな」
 授業中を除けば、常に何か食べているような輩だ。それ以外の態度は悪くないし、成績も悪くはないのだが……。
「それは自腹扱いにしますから……じゃなくって、雀原先生の用事って?」
 陸上部員が迎えに来たくらいだから、ある程度の予想は付く。
「ああ。お前ら、知らんのか?」
 そしてルーニの話は、一同の予想通りのものだった。

続劇

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