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6.燻る火種と、仮初の楽園

「……で、そんな事になってるわけ?」
 朝の予鈴を軽く聞き流しつつ。
 晶はリリの話に思わず苦笑い。
「そうなんだよ。パパったら、酷いと思わない?」
 話す事で再び腹が立ってきたのだろう。リリはぷぅっと頬を膨らませながら、セイルの腕に薬が塗られた包帯を巻き直している。
 陸とボロボロのセイルが帰ってきたのは、リリがチアリーディング部の見学を終えて帰ってきた後のこと。もちろん治癒魔法で大半の傷は癒したものの、癒しきれない打ち身の痕は、まだセイルの体中に残されていた。
「リリのパパ、リリのこと大好きだもんねぇ……」
 そんな陸のことだ。セイルに向かって『リリのパートナーになりたければ、俺を倒してからにしろ!』とかなんとか叫ぶ姿が、割と容易に想像できてしまう。
 とはいえ、陸が使うレリックは身ほどもある大剣だったはず。それを相手にセイルが打ち身だらけということは、陸もそれなりに気遣って手加減していたのだろうが……。
「もぅ……パパなんか、大っ嫌いなんだから!」
 どう考えても、愛娘はそれに気付いていない。
「うぅ。ボクじゃ、これ以上はどうにもなんないしなぁ……」
 治癒魔法の原理は、細胞の再生力を強化し、その力で傷を癒すというものだ。切り傷などはともかく、打ち身など広範囲の細胞が受けたダメージを癒すには相応の実力が必要になる。
 彼女の母親や魔法医仕込みのファファならともかく、リリの治癒魔法はそこまでのレベルには至っていなかった。
「晶ちゃん、どうにかならない?」
「あたしもあんまり、変わんないわよ」
 肩をすくめる晶にため息を吐いて、包帯を巻き直す作業を再開する。
 魔法が役に立たない以上、塗られた魔法薬に頼るしかない。
「けど、よくあるじゃないですか。花嫁のお父さんが、娘の彼氏に一発殴らせろーって」
「そ、そんなんじゃ…………ないよぅ……」
 だが、ぶちぶちと文句を呟くだけだったリリも、さすがに真紀乃の言葉の意味には気付いたようだ。顔を真っ赤にしながら、セイルに包帯を巻く手をさらに速めている。
「確か、百音の所も鷺原くんもそんな感じなことになってなかったっけ……?」
 そちらは確か、パートナー合宿が終わったその日の晩だったはず。それを考えれば、陸は今までよく我慢した方ではないだろうか。
「あれって、鷺原さんのお父さんに殴られたんじゃありませんでした?」
「そだっけ? まあ、たまにはそういう拳と拳の語り合いもいいんじゃない? ね、ブランオートくん」
 その言葉にこくりと頷くのは、小さなミイラ男。いつも通りの無言なのか、口をふさがれて喋れないのかは、晶にはちょっとよく分からない。
 ただ、呼吸もしづらくなっているのか、微妙に動作がふらついていた。
「ちょっ! セイルくんっ!」
 ようやく惨事に気付いたリリが、慌てて巻きすぎた包帯を引きはがし始める。
「……そういえば、ハークくんはうちのパパに殴られなかったわね」
 お互いの顔合わせは、割と淡々と行われた覚えがある。ハークはしっかり猫をかぶっていたし、晶の両親はあまり細かいことを言わないタイプだ。
「別に殴られたくなんかないよ……」
 ハークに言わせれば、彼の猫かぶりはその手のトラブルを起こさないための処世術でもある。そこまで労力を費やしておいてやっぱり殴られたのでは、正直割に合わない。
「一発殴っとくように、言っとこうか?」
「勘弁してよ」
 どれだけフラグを折りに来れば気が済むのか。
 相棒の人知を越えた暴挙の算段に、ハークはため息をつくしかない。
「そういえば真紀乃の所はどうだったの? 確か、動画チャットも使えるって言ってたわよね」
 真紀乃は関東の実家を離れ、華が丘のアパートで一人暮らし。その代わりに、パソコン・ネット完備の環境を最大限まで生かし、実家とはネット経由でちょくちょく話をしていると聞いていたが……。
 それも、華が丘の入学式が終わるまでの話。
 今の真紀乃のアパートには、異性の同居人が一人いる。まさか、パソコンの向こうからレムに殴りかかるわけにはいかないはずだが……。
「うん。うちは…………」
 そう言いかけたところで、ガラガラと教室の戸が開く。
「ほら、ホームルーム始めるわよー! 大事な話もあるから、さっさと座ってねー」
「っと、後でね」
 ホームルームより興味が勝ったが、さすがにそこまで出来るほど晶も図太い性格ではない。


 全員が席に着いたのを確かめて、担任の女教師はぐるりと一同を見回した。
「じゃ、夏休みにメガ・ラニカに戻る子達は手、上げてくれるかな? あと、パートナーの実家に行きたいっていう華が丘の子もね」
 いきなりのその言葉にクラスは一瞬ざわつくが、やがてあちこちから手が挙がり始める。
 最終的に、全員の手が上へ。
「全員か……。なら、許可証の申請しなきゃいけないから、今から配るプリントの必要事項を全部埋めて、明後日までに出してちょうだい」
 メガ・ラニカへの渡航には、厳しい制限がある。
 技術、習慣、国としての成り立ち、そして魔法。全てが華が丘……いや、今の地球とは異なる発展を遂げてきた、文字通りの異世界だ。
 日本の法律的には国内だからパスポートこそ不要だが、別の世界に踏み込む以上、それ相応の渡航許可となる。
「華が丘側の子はご両親の承諾もいるから、承諾の欄にもちゃんと書いてもらってね」
 回ってきたプリントを確かめれば、中学の修学旅行で書いた申込書とほとんど同じ様式だった。違うのは、中学の時の行き先は京都だったが、今回は日本どころか地球ですらないというだけだ。
「はいりせんせー」
 そんな中、手を挙げたのは真紀乃だった。
「ああ、一人暮らしの子は後でご両親に電話で確認するから、OKが出たら自分で書いていいわよ」
「そうじゃなくって、ですね」
 真紀乃の疑問は、もっと別の所にある。
「申請って……もし期末テストで夏休みが補習になったら、どうなるんですか?」
 期末テスト、それも魔法の実技試験には、夏休みの補講がかかっていた。渡航許可の申請期間は既に学校側で決められているが、その間に補講が入ったら、メガ・ラニカ行きは一体どうなってしまうのか。
「そりゃ行けないけど、それが分かってから申請したんじゃ間に合わないのよ」
 申請から許可が出るまでには、だいたいひと月からひと月半ほどかかる。五月末のいま出しても、許可が下りるのは夏休みの直前になってしまうのだ。
 もちろん七月に入ってから申請すれば、許可が下りる頃には夏休みが終わってしまう。
「だから、夏休みにちゃんと帰省したかったら、期末テストはしっかり頑張ってね!」


 放課後。
 コンピュータ室のドアを叩けば、中から返ってきたのはおざなりな返事だった。
「すいませーん。見学、いいですかー?」
 ドアを開けて、晶はもう一度、中へと挨拶を投げかけた。
「ああ、適当にどうぞー」
 返ってきたのは、やはりおざなりな返事。
 教室の中に入っていけば、ずらりと並ぶPCの中で起動しているのは一台だけ。数名の部員達は空いた机に大量の資料を広げ、それを囲んで何か話し合っている。
「………? すいません。ここ、ゲーム研究部ですよね? ボードゲーム同好会じゃなくて」
 そもそもボードゲーム同好会は同好会だから、部室はもらっていないはず。噂に聞いた限りでは、三年の空いた教室を転々として活動しているという。
「ちゃんとゲーム研だけど、何か?」
「いえ。なんか変わったことやってるなぁ……って」
 資料をよく見れば、校内の配置図に各クラスの時間割、どうやって調べてきたのか、各教師の大まかな行動予定表まで準備されていた。
 ゲーム研はコンピュータゲーム中心と聞いていたが、校内でのサバゲーも範疇に入れるようになったのだろうか。
「ああ。気になるなら見ていけば……ってキミ、生徒会や放送部のスパイじゃないだろうね?」
「違いますよー。ただの見学ですってば」
 それで、晶もこの奇妙な作戦会議がサバゲーではなく、もっと別の目的を持っている事を理解する。
「そうか。ならいい」
 部長らしき三年の生徒はそう呟くと、謎の会議に戻っていった。
 晶もそれについて、机の端の空いている所へと。
「じゃあ、ここが……」
「いや。そこで来るなら、こう来る可能性があるんじゃないか……?」
 部員達が次々と動かしていくのは、無数の駒だ。大まかなパターンから、赤い駒が敵で、黄色が中立か障害物、そして青い駒が味方……すなわち、ゲーム研部員達のように見えた。
「けど、このパターンだと、こうなるよなぁ……? この先も検討してみようか?」
 机の隅に置いてあった時計を少しだけ進め、部員達は再びため息。どうやらその時計が、このボード上の時間を示しているらしい。
「…………あの」
 難しい顔をしている一同に、晶は恐る恐る声を掛けた。
「何?」
「ここをこうするくらいなら……こうの方がいいんじゃ?」
 そう呟いて、駒の位置をいくつか置き換えていく。
 正面からの陽動よりも、隠密性を重視して。隅の時計をわずかに進めれば、それに応じて周りの部員達が青以外の駒をひょいひょいと動かしてくれる。
 どうやら、黄色い駒は教師を指しているらしい。
「これで、詰みかな」
 青い駒をゴールと書かれた所に置いたところで、一同から歓声が沸いた。
「おおっ?」
「それだ!」
「じゃ、こうなったら……?」
 部員の一人が時計を戻し、赤い駒をいくつか動かしてくる。
 赤い駒達は抜け道の多かった先ほどのケースよりも密集した配置をされており、生半可な隠密性では突破できそうにない。
「これがこうで……こうかなぁ?」
 だがやはり、最後に青い駒はある一点へと到達する。
「うむ。悪くないな」
「あの……だったら、こっちの方が」
 やはり誰かが時計を戻し、晶の動かした青い駒を別の方向に動かしてきた。
「あ、それいいですね。ならこれがこうなって……こうかな?」
 二回目に晶が提示したケースよりも、状況完了まで一分の短縮。
「おおおーっ! あんた、名前は?」
「1Aの、水月晶です」
 名乗った途端、部長は右手を差し出してくる。
 何となくのノリで握り返せば、文化部部員にしては強い力で、ぎゅっと握りしめてきた。
「よし! なら、今年は水月さんのこの流れをベースにして作戦を詰めるぞ!」
 PCの居並ぶコンピュータ室に、合成音でも何でもない、男達の叫びが響き渡る。


 コンピュータ室で男どもの叫びが木霊していた頃。
「それでは、今週はメガ・ラニカから来たばかりの皆さんもいますから、メガ・ラニカ風のミートパイということで!」
 特殊教室棟一階、調理室に弾けるのは、女子達の黄色い声。
 今日は週に一度の、料理部の実習日なのだ。
「ミートパイか……懐かしいなぁ」
 よく洗ったタマネギをみじん切りに刻みつつ、そんな事を呟くのは、少し高めの男子の声。
 実習があることを聞きつけて、ふらりとクラブ見学に流れてきたハークである。
「ハーキマーさんは、ミートパイ作れるんですの?」
「得意料理だよ! 分からないところがあったら、手伝ってあげるよ。撫子ちゃん」
 懐かしいとは言ってみたが、ハークがメガ・ラニカからこちらの世界にやってきてまだふた月ほどしか経っていない。故郷の味を懐かしむには少々早い気もするが……その辺りを突っ込むスキルの持ち主は、幸か不幸かこの場にはいない。
「あと、ボクのことはハークでいいからね!」
 材料は、昨日のうちに買い出し係が揃えてくれていた。今日はとにかく、作るだけだ。
「わぁ。ありがとうございます。ハークさん」
 タマネギの次は、ニンジンだ。
 タマネギは涙対策で繊維の方向に少々気を使う必要があったが、こちらはそんな必要もない。皮だけさっと剥いておけば、後は刻めば良いだけだ。
「ハークさん、この間の合宿の時もそうでしたけれど……何でも作れるんですのね」
「昔っから、色々やってたから……。ホントは、お菓子の方が得意なんだけどね」
 マッシュルームを切っているキースリンの手元をちらちらと確かめながら、そんな事を言ってみる。
 細かいことは基本的に面倒くさがるハークだが、お菓子作りの正しい計量は基本中の基本。実利さえ絡めば、それなりにこまめには動ける男なのだ。
「でも、キースリンさんも練習すれば、今よりもっと美味しい料理が作れるようになるよ!」
 とりあえず、まだ切るだけの段階だ。
 キースリンの手際に、怪しいところはない。
 まだ。
「そう……ですか?」
「だよね、百音ちゃん」
 切り終わったニンジンをボウルに分けておいて、次に声を掛けたのはパイシートを伸ばしている百音だった。
「そうだよ。キッスちゃん、他のことは何でも上手なんだもん。料理だって、ちょっと習ったらすぐだよ」
 ちなみにパイシートは自作ではなく、冷凍の出来合いのもの。慣れればそう難しいものでもないが、あくまでも今回は初心者向け。
 失敗よりも、まずは成功する楽しさというわけだ。
「そうですわね。頑張りますわ」
「美味しいお菓子持っていったら、森永くんだってきっと喜んでくれるよ!」
「はいっ!」
 百音の言葉に、キースリンも笑み。
 愛情と、友情。
 この段階で互いの会話の含むところには天と地ほどの差があるのだが、もちろん二人も周りも、そんな事に気が付くわけがない。
「あーあ。やっぱりうらやましいですわ」
 そんな会話を横目に呟いたのは、フライパンを火に掛けていた撫子だった。
「何が?」
「魔法科の皆さん、パートナーがいるんですもの。百音さんだって、悟司さんがいらっしゃるでしょう?」
 彼女も二人と同じ一年だが、所属する科は普通科だ。
 華が丘の住人だから魔法は使えるし、普通科にメガ・ラニカから勉強に来た生徒がいないわけでもないが、魔法科のような手厚いパートナー制度はない。
「ふぇ……っ? え、えへへ……まあ、ね」
 撫子の言葉に百音は麺棒をぶんぶんと振り回し、盛大に照れている。
 麺棒の直撃を喰らった調理台の端が鈍い音を立ててひしゃげた気がするが、とりあえずハークは見なかったことにした。
「撫子ちゃんも、パートナーくらいすぐ見つかるよ。だよね?」
 パートナーも、別に学校から決められた関係だけではない。何せ三年もあるのだ。仲の良い友達は、これからたくさん出来るはず。
「そうだよ」
「そうでしょうか……?」
「大丈夫だってば。みんなで頑張ろうよ!」
 元気の良い言葉と共にフライパンに放り込むのは、タマネギだ。色が変わる程度にさっと炒めれば、次は挽肉の番。
 もちろん、ハークからすれば作業の内にも入らない。
「それにしても、元気だねぇ……ハークくん」
「何を言ってるんだい? ボクはいつだって元気いっぱいだよ!」
 程良い活動時間。
 女子の比率。
 そして、実利。
 さらに言えば天然さんの比率が多く、凶悪なツッコミがいないのが、想像以上に快適だった。
(ここが……天国か!)
 ハークの求める楽園が、ここにはある。


続劇

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