-Back-

5.鷹の子は鷹、蛙の子はお玉杓子

「あれ? もう終わり?」
 茶殻の撒かれた畳の上を、ざっとホウキで掃いて回れば、それだけで作業は終了だ。わずかに湿りを帯びた茶殻が埃を端から絡め取り、雑巾掛けの手間もない。
「三人でやると、早いなぁ……」
 もともと礼法室はそれほど広い部屋ではないし、掃除の時間には生徒が掃除をしにも来る。
「結局、ハルモニアにも手伝わせちゃって、悪かったな」
「構いませんわ。今度、家の掃除にも使わせてもらいますね」
 そう。
 掃除をしたのは、レイジと八朔、そしてキースリンの三人だけ。
「後は、良宇だけか……」
 茶道部部長となるべき良宇は、部屋の奥から見つかった機材を抱えて、洗い場へと出かけている。今頃は釜の錆と戦っているか、茶碗を割らないように洗っているか、そんな所だろう。
「ちゃんと使えそうなのか? あれ」
「俺に聞くなよ。……つか、八朔は分かんねぇのか? 大神先生の孫だろ?」
 良宇のお茶の師匠は、八朔の祖母だ。もちろんパートナーのウィルも、同じ大神の家に世話になっていた。
「…………茶道の家元の孫が、茶道のこと分かってるってのは、偏見だぞ」
 要するに分からないということらしい。
「ま、何とかなるんじゃねぇ……の………っ?」
 八朔とそんな事を話しながら、レイジは自らの携帯を取り出すと、その表面に魔法陣を展開させる。
 召喚魔法ではない。
 携帯の液晶ディスプレイに浮かび上がった魔法陣から何かが現れる事はなく。逆にレイジがその陣の中へと手を突っ込んでいく。
「………あれぇ?」
「どした」
 彼お得意の、どこでも本棚だ。メガ・ラニカの実家へと空間を繋げ、その本棚に置いてある物を取り出せるという、便利な魔法である。
「いや、何か、手が届きにくいっつーか、だな」
 ニュアンスとしては、目を瞑ったまま本棚に手を伸ばす感覚に近い。もちろん本棚の構造や配置は把握しているから、自分が置いた本である限り、困ることはないはずなのだが……。
 いつもより、伸ばした指先が届く範囲が狭い気がするのは気のせいか。
「調子でも悪いんじゃね?」
「おっかしいなぁ……ま、いっか」
 とりあえず、目当ての本は取れたらしい。レイジは慣れた様子で畳の上に腰を下ろすと、メガ・ラニカから取り寄せたばかりの本に目を通し始める。
「何ですの?」
 ハードカバーの、やや厚めの本だ。じっくり読み込んでいるわけではないのか、ページをめくるペースは案外と速い。
「世界の竜退治」
「神話全集とかか?」
「まあ、そんなもんだ」
 実際はもう少し深い内容まで踏み込んだ本なのだが、レイジは流し読みながらざっくりと肯定する。
「戻ったぞ」
 三人でそんな事をしていると、大きな箱を抱えた良宇が戻ってきた。普通なら二人で運ぶような大荷物だが、彼にとってはそれほどでもないらしい。
「どうだった? 使えそうか?」
 レイジの問いに、頷きを一つ。
「碗は問題ないが、釜はだいぶ使っていないようだからな。持って帰って使えるようにしてくる」
 そう答えながら箱の中から茶碗を取り出し、隅に置かれていた棚の上へ一つずつ並べていく。
「すまんな、ハルモニア。今日は茶は出せそうにない」
「ふふっ。待つ楽しみが増えた、という事で良いんですのね?」
 穏やかに微笑むキースリンに、良宇からの答えはない。ただ一度、肩をすくめるように頷いただけだ。
「なあ、良宇」
 そんな良宇に掛けられたのは、八朔の声。
「そっちの茶釜は、洗ってないのか?」
 茶碗は洗ってきたようだが、茶釜は水気が付いた様子さえない。洗う前から、何か特別な手入れでも必要だと判断したのだろうか。
「……釜はもともと、水洗いするものじゃないぞ?」
 鉄製の茶釜に錆は大敵だ。錆の源となる水分にはなるべく触れさせるべきではないし、タワシなどでこすれば表面のコーティングがそげ落ちてしまう。
 手入れと言っても中で湯を数度煮れば十分なのだが、その後の乾燥には少々慣れが必要になる。もちろん校内でも出来ないわけではないが、家で作業をする方が断然気が楽だ。
「だから、茶道の家元の孫が茶道のこと分かってるだろうってのは、偏見だぞ!」
 周りから向けられた視線に、八朔は思わずそう言い返すのだった。


 掛けられたのは、穏やかな声。
「やあ、ハークくん」
 ファファに連れられて園芸部にやってきたハークは、彼を出迎える姿にどう対処すればいいか、その一点に思考を集中させざるをえなかった。
「随分来ないから、心配していたよ?」
 突っ込むべきか。
 はたまた流すべきか。
「ウィルでも、そういう格好するんだね……」
 目の前の少年の姿は、ジャージにタオル、頭には手ぬぐい。おまけに全身土まみれ。
 きっと、夏になれば頭の手ぬぐいは麦わら帽に替わるのだろう。
 少なくとも、教室でバラを愛でている貴公子の姿は、どこにも見当たらない。
「労働は美しいものだよ。こうして花のために働けるとなれば、なおさらね」
 軍手をはめた手で額を拭えば、頭の上でまとめられたシルバーブロンドには汗の代わりに土の欠片が次々と絡みついていく。
 だが、土にまみれた今でも……いや、今だからこそ、ウィルの笑顔は晴れやかで、そして一部の迷いも見られない。
「ウィルくん、ちょっとこっち、手伝ってくれない?」
「すぐ行くよ! 少し待っていてもらえるかい?」
 花壇の向こうで別の作業をしていた女生徒にそう返しつつ、元気よく手を振っている。
「………いいなぁ」
 ざっと見た限り、園芸部の部員は女子ばかりで、男手はウィル一人らしい。
 もちろんそれも、ウィルの元気の理由なのだろう。
「手伝って行くかい? ハークくん」
「いや、遠慮しとく」
 ウィルの足元に置いてある大きな袋からは変な匂いが漂っているし、泥だらけになっても笑っていられるほど、ハークは植物に愛着がない。
 それに、植物も生物だ。運動部ほど長くはないだろうが、活動時間はそれなりに長く拘束されるはずだった。
「で、ファファさんはどんな困りごとかな?」
 頭の中で計算を繰り返しているハークを横に、ウィルはわずかに膝を折り、傍らの小さな少女に問いかける。
「あのね。ちょっと、お花を分けて欲しいなぁって思って。……いい?」
「もちろん構わないよ。何かご希望は?」
 同じ目線の高さからの問いに、ファファは少しだけ考えて……。
「わたしなら、百合がおすすめだって言われたんだけど……」
 そのひと言で、ハークの思考は明後日の方向に吹き飛んだ。わずかコンマ数秒で、計算に向けていた全てのエネルギーを、吹き出すのを止めるべく集中させる。
 必死の努力の甲斐あって、吹かずには済んだ。
「花瓶に入れて飾ろうと思うんだけど、何かおすすめなのってあるかな?」
「百合か……ああ、向こうの花壇に見頃の百合があったはずだよ。案内してあげよう」
 どうやら、どちらも百合の暗喩する意味は知らないらしい。真剣な顔で真面目に話し合っている二人に突っ込むのはさすがに空気を読めていないと、ハークはそれ以上は何も言わないことにする。
「ウィルくーん! まだー?」
 そこに、催促の声が飛んできた。
 先ほど花壇の向こうからウィルを呼んだ女生徒だ。
「あ。わたしの事は後でいいよ?」
「ふむ……なら、少し待っていてもらえるかな? いまバラの新苗の季節だから、その準備で少々忙しくてね」
 催促の声が、もう一度。
 どうやら忙しいのは本当らしい。
「ハークくんはどうする? 今なら、体験入部も大歓迎だけれど」
 最後に掛けられたウィルの声に、ハークの回答は一択しかないわけで……。
「………遠慮しとく」
 そしてウィルは女生徒の元へ走り出し。
 ハークの新天地探しは、明日へと続くことになる。


 華が丘高校へと続く坂を延々下れば、やがて華が丘西エリアを流れる大河へと至る。
 梢武川。
 華が丘市の東西を流れる二つの大きな川の、西の側。
 その河川敷に、一台のミニバンが停まっていた。
「………ふぅ」
 ワックス掛けをしたばかりの外装に身をもたせかけ、男が吐き出すのは紫の煙。
 たまのストレス解消法だ。中毒になるほど吸ってはいない。小遣いだって無限ではないし、何より妻も娘もいい顔をしないからだ。
「陸さん……」
 そんな男を呼ぶ声が、紫煙を散らす風に乗って来た。
「よぅ。随分早かったな、セイル」
 堤の上を見上げれば、そこに立つのは小さな影だ。
 ブランオートの血を引くもの。
 ルーナレイアと月瀬の息子。
 そして、娘のパートナー。
 即ち。
 父親の、敵。
「仕事……終わりました?」
「ああ。お前は飯、食ってきたか?」
 確か、今日は娘が午後からクラブ見学をするからと、弁当を作ってもらっていたはずだ。もちろん、ついでだからとセイルの分も。
 しっかり頷いたところを見ると、残してはいないらしい。
「そっか。なら……」
 根本までしっかり吸いきって、殻は携帯灰皿の中へ。
 ぱちりと音を立てて蓋を閉じ、灰皿を車の中へ放り込む。
 引き戻した左手が握るのは、首から提がっていたはずのペンダントトップだ。
「吐くんじゃねえぞ? ルリがせっかく作った弁当なんだからな」
 閃くのは、光。
 レリックの力を解き放つ、強い魔力の輝きだ。
「そんな勿体ないこと……しない」
 対するセイルも、既に携帯をハンマーへと変えていた。それを地面へ振り下ろせば、鎚の部分が唸りを上げて、大地を駆ける戦輪となる。
 ハンマーの間合は当然狭い。戦術の基本は、相手に近寄ることからだ。
「上等だ。なら……来い!」
 そして陸が片手で構えるのは、やはり身ほどもある大剣だった。
 超重量のそれを小枝でも操るかのように、音もなく振り抜いて。
「……っ!」
 接敵直後の第一撃は、まずは陸のターンから。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai