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3.それが出来れば英雄さ

 A組の教室に戻ってきた少年は、部屋の中を見回して……。
「あれ? 女の子は?」
「晶さん達なら、B組に行ったよ」
 教室に残っている女子は、隅の席にいるキースリンが一人だけ。
「ちぇ。せっかく一緒に食べようと思ったのに……」
 机の上に置かれたビニール袋には、購買で買ってきたばかりのパンとジュースが入っている。弁当組の女子がいるのを確かめて、同席させてもらおうと買いに行ってきたものだ。
 だが、肝心の女の子達は隣のクラスに行ってしまった。
 いくらパートナーがいるとは言え、さすがにB組まで追い掛けていってその流れに混ざるのは無理がありすぎる。
 かといって、考え事でもしているのだろうか。どこか愁いを感じさせる表情で窓の向こうを眺めているお嬢様に声を掛けるのも、少々勇気が不足気味。
「部活でも見て回ろうかな……」
 少年はまだ所属クラブを決めていない。午後からは大半の部活が活動を再開するから、見物して回るにはちょうどいいタイミングではある。
(女の子が多くて、なるべく楽で、ついでに何か役得のある部がいいな……)
 だが、考えている事はインド人もびっくりするほど都合のいいモノだった。
「そういえばウィルは部活って決めたの?」
 そんな都合のいい理想に一歩でも近い部活を探すために必要なのは、第一に情報収集だ。
 少年はとりあえず、後ろの席でやはりパンを食べていた少年に声を掛けてみる。
「私の目的は既に決まっているからね。ハーク君はまだなのかい?」
 確か、ウィルも女の子への興味関心が高かったはず。その彼が即決したという部活なら……。
 女の子が多いのは、まず間違いない。
「まだなんだよ。で……どこの部が多かったの?」
 ハークの問いに、ウィルはうぐいすパンを口にしたまま、眉をひそめる。
「どこの部というか、多いというなら一つしかないだろう……?」
「一つ……? いや、でも、あのあたりって男子も募集してるの?」
 一年の各担任が顧問をしている女子水泳と女子陸上は、マネージャーも女子だった。あとハークのチェックが追いついていない女子クラブと言えば、チアリーディング部と女子卓球部くらいのはずだが……。
「私が行ったときは歓迎してくれたよ。人手も種も足りないそうでね。私の提案も快く受け入れてもらえたよ」
「た、種……!?」
 さらりと呟いたウィルの背に、後光が見えた。
 ハークの知らない校内のどこかで、何だか凄まじい光景が繰り広げられているらしい。
「私のは少々勝手が違うとは思うのだけれど……。ともかく、女の子に喜んでもらえるのは光栄の至りということさ」
 もはや健全な男子高校生の想像できるレベルを一足飛びに越えていた。
「…………そんな穴場が!」
 机の上のパンを食べるどころか片付ける事すらすっ飛ばし、ハークは教室を勢いよく飛び出していった。
「ああ。楽しみにしているよ」
 うぐいすパンを食べ終えて、次はあんパンとコロッケパンのどちらにしようかと袋の中を覗き込む。
「ローゼリオン家のバラも、華が丘の花壇で上手く根付いてくれるといいんだが…………と、ハーク君?」
 顔を上げたときには、既にハークの姿は無い。
 ふむ、と独りごちると、ウィルはコロッケパンを取り出して黙々と食べ始めた。


「そりゃないなぁ……」
 卵焼きを食べながら、悟司が漏らしたのはそんな感想だった。
 先ほどのキースリンと祐希の話題である。
「でしょー? で、何とかならないかなぁって思ってさ。鷺原くん、森永くんとの付き合いも長いでしょ?」
「とはいえ、あの森永がだよな……?」
 祐希は中学の頃からカフェ・ライスでウェイターのバイトをしていたはず。その辺りの気配りに関しても、どちらかといえば得意な部類に入るはずなのだが……。
 それがキースリンにだけ向かわないというのも、どうにも変な話だ。
「百音達も、なんかいい作戦ない?」
「作戦かぁ……」
 人の心を魔法で縛ることは出来ない。
 困ったことは何でもお任せの魔女っ子でも、出来ることと出来ないことがあるのだ。
 この手の事件に関しては、キースリンの愚痴を聞くことくらいしか思い浮かばなかった。
「ほっとけばいいんじゃない? 祐希もそこまでニブい奴じゃないから、そのうち気付くでしょ」
 一進一退どころか同じ場所をぐるぐると回るだけの会議を切ったのは、冬奈のひと言だ。
「だといいんだけどね」
 だが、最終的にはキースリンと祐希の問題なのだ。外野が出来る事など驚くほどに少ない。
 悔しいが、冬奈のひと言は驚くほどに正論だった。
「しばらくは様子見かぁ……」
 微妙な沈黙が漂う中、セイルがパンをかじる音だけが響いている。
「そうだ、ファファ。さっきの話なんだけど」
 その沈黙を破ったのは、やはり冬奈だった。
「うん。大丈夫だよ、冬奈ちゃん」
 ただそれも、ファファとの短いやりとりを終えただけで、話を広げる様子はないらしい。
 だが。
「なになに?」
 本人達に広げる気はなくとも、周りがそれを見逃すはずがない。
 それでなくとも微妙な空気なのだ。内容の程はさておいて、この空気を変えられるだけでも広げてみる価値は十分にある。
「……ファファの服があんまりないから、その買い足しに降松にね」
 広げた価値は、十分以上。
 買い物という単語に反応しない女子高生など、この場にはいなかった。
「服か……」
「そういえば、しばらく行ってないわね」
 さらに言えば、メガ・ラニカから来た留学生達のほとんどは最低限の荷物しか持ってきていない。日用品はともかくとして、服の類は共用できるものと出来ないものがある。
 特にファファと冬奈では、サイズに差がありすぎて着回しも利かない。
 だが。
「あれ? だったら、なんで四月朔日さんから買い物の話が……?」
 普通なら、ファファからの自己申告になるはずだ。もちろん冬奈が気を回した可能性もあるが、だとしても先ほどのファファの言い方には違和感が残る。
 どちらかといえば、冬奈の買い物にファファが付き合うような……。
「あのね、ホントは冬奈ちゃんの下着を買いに……」
「あ、ちょっと、ファファ!」
「…………ごめん。聞かない方が良かった」
 言い方を濁したのは、悟司やセイルが混じっているから、冬奈の側が気を使ってくれた………。
 わけでは、なかった。
 決して。
「そんな事ないわよ、鷺原くん」
 買い物という単語以上に反応する輩が、いたからだ。
「おもしろい話、聞かせてもらえましたし!」
 元気いっぱいに立ち上がる晶と真紀乃に、冬奈は思わず席を飛び出した。
 これ以上彼女たちの様子を見るまでもない。冬奈の本能が、全力で危険信号を鳴らしていた。鳴らしまくっていた。
「こら冬奈! あんた、サイズはどっからどう変わったの! お姉さんに教えてごらんなさいっ!」
「お姉さんって、たった二日じゃないっ!」
 だが、動き出したときには既に遅い。先の先のさらに先を取り、晶は既に彼女の前だ。
「二日でも年上は年上よっ! 真紀乃、そっちに回り込みなさいっ!」
「アラホラサッサー!」
 桁外れの集中力でこちらの動きを封じに来る晶を這々の体でくぐり抜ければ、その先に待つのは真紀乃の魔の手。
 同じ流派を学び、その練度は冬奈の方がはるかに上だ。真紀乃の動きを見抜き、かいくぐるだけなら造作もない。
 真紀乃だけなら。
 だが、背後に晶という集中力の権化を置く今だけは、真紀乃の存在は脅威という名に変わるのだ。


 窓の外を流れていくのは、白い雲。
 その合間に浮かぶのは、一人の少年の顔だ。
(祐希さん、本当に誰にも喋ってないのかしら……)
 そう考えて、ため息を一つ。
 今のところ、キースリンの正体が騒ぎになっている様子は見られない。だが、周りがその事を巧妙に隠している可能性は……否定できないのだ。
 愁いを帯びた表情の裏側は、願って叶わぬ切ない恋心どころか、疑心暗鬼の嵐。
 浅いどころか、黒かった。
「そんな顔は、似合わないよ? キースリンさん」
 だが、そんなキースリンに掛けられたのは、穏やかな少年の声。
「ウィルさん……」
 先ほどまで近くの席で昼食のパンをかじっていた、ウィルだ。
「何か、憂いごとでも?」
 憂いごとはもちろんある。しかし、話せる程度の憂いごとなら、ここまで悩んだりはしていない。
「困っている女性を助けるのは男の務め。何かあったら、遠慮無く声を掛けてくれると嬉しいな」
「はぁ……」
 それにキースリンのこの格好は、ハルモニア一族の事情にも関わってくることだ。ウィルの属するローゼリオン家もメガ・ラニカ貴族の家系、下手に話して巻き込みでもすれば、それこそ事態はウィルとキースリンだけでは済まなくなってしまう。
「そうだ。もしお腹が空いているのなら、よかったらこれを」
 黙っているキースリンの悩みを、彼なりに察してくれたのだろう。キースリンの前に差し出されたのは、購買部のビニール袋だ。
 見れば、中にはいくつかのパンとジュースが入っていた。
「………ありがとう、ございます」
 好意は好意だし、お腹も空いていないわけではない。
 キースリンは小声で礼を言って、小さく頭を下げてみせる。
「それでは、私はこの辺りで失礼させてもらうよ。少々、用事があるのでね」
 だが。
「あの………」
 教室を出て行こうとするウィルの背中を、キースリンは思わず呼び止めていた。
「これ、ハークさんのパンじゃ……」
 ウィルが持ってきたパンの袋は、彼の前の席に置いてあったものだ。そして彼の前は、ハークの席だったはず。
「ハークくんも貴女の助けになれたと知れば、きっと喜ぶと思うよ? それじゃあ!」
 そう言い残してウィルは教室を後にして。
 残されたのは、パンの袋を抱えて呆然としているキースリンただ一人。


 冬奈が攻めれば真紀乃がかわし、その隙を突いて晶が攻める。かといって冬奈が引けば、真紀乃と晶の攻撃ターン。
 もちろん冬奈が晶を攻めれば、そのフォローに真紀乃が飛び込み、その間隙を縫って晶の魔の手が伸びてくる。
 一進一退どころか、そうよく見なくてもずっと晶のターンだった。
「で、百音ちゃんはどうする?」
 そんな激闘を背後に、リリはウインナーを食べながら百音にのんびりとそう問うた。
 背中の激闘は一段と激しさを増していたが、特に珍しいものでもないので完全に放置である。
「うーん。どうしよっかなぁ……。リリちゃんは?」
 聞き返された百音がそう言ってちらりと向けたのは、冬奈の激闘を心配そうに見守っているファファのほう。
「ボクはもちろん行くよ! セイルくんも行くよね?」
「……リリさんが、行くなら」
 三つ目のパンの袋を開けつつ、セイルはぽそりとそうひと言。ちなみにリリの分と一緒に弁当も作ってもらっていたのだが、そちらは既に食べ終わった後だ。
「じゃ、決まりだねっ! 降松だったらおいしいイタリアンのお店も知ってるから、お昼は一緒に行こ!」
 こっくりと頷いて、パンにもふりとかじりつく。
「なら………」
 百音の視線は、ファファからわずかに悟司の方へ。
「そうだなぁ。俺も服、少し見たいし……。良かったら、美春さんも一緒に行かない?」
 その視線の意味を理解したのだろう。悟司は弁当の蓋を閉めながら、穏やかにそうひと言。
「じゃ……行こうかな」
「だったらここにいる全員かな。それでいいよね? ファファちゃん」
「いいと思う……けど」
 ファファの返事は明らかに二つ返事。まだ決着のつく様子のない壮絶な戦いが、気になって仕方ないらしい。
「いいって事に、しとこ」
 リリが強引にそうまとめた所で、隣の椅子ががたんと鳴った。
「それじゃ、先に……帰るね」
 セイルだ。パンの袋の山は既に小さくまとめられ、ビニール袋に押し込められていた。
「あれ? 一緒に部活の見学、行かない?」
 無言で振られた首の向きは、横。リリの言う事には素直に従うセイルにしては珍しい、拒絶の意味。
「リリちゃん、何部を見に行くの?」
 リリは大半の生徒と同じく、まだクラブを決めていない。
 各クラブが本格的なデモンストレーションを始めるのは明日からだ。もちろん今日から体験入部を始める部も無いわけではないが……。肝心の一年生の大半は、初めてのテストで体験入部どころではなく、ついでに午後からの休みを満喫するために帰ってしまう。
 そのため、大半の部は明日からの準備をするか、テスト休みで鈍った勘を取り戻すため、通常の練習をするのが定石となっているのだ。
「チア部だけど?」
 だが、即答したリリのもとに訪れるのは、沈黙だ。
 背後ではようやく長い戦いに終止符が打たれようとしていたが、リリのひと言にファファさえもそちらを見る事を忘れていた。
「…………ブランオートさんにそれは、酷じゃないか?」
 当然ながら、チアリーディング部は女の園だ。
「え、いや、そうじゃなくって…………」
 言いかけ、リリはそのまま沈黙。
「なに……? その沈黙は」
「いやぁ。セイルくんなら、アリかなぁ……って」
 犬耳に、小柄に、チア服。
「用事が……あるから」
 一同がその姿を目の前の少年に重ね合わせるよりも少しだけ早く、セイルはその場から姿を消した。


続劇

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