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23.さらば、とおい天幕の日々よ

 終業を告げるチャイムが鳴って。
 生徒達が帰る先は、慣れ親しんだテント村ではない。
 テントは既に一時間目の間に片付けられており、既に校庭にその面影はなくなっている。
 今日からは、ちゃんと自分たちの家へと帰れるのだ!


「どうしたんですの? 祐希さん」
 祐希の後を付いて歩くキースリンは、相棒の様子に首を傾げていた。
「家に帰れるのが、嬉しいのではありませんの?」
 身も蓋もなく言えば、釈放である。
 ついに帰れるという宣言に、晶もリリも大喜びだったのに。ついでに言えば、隣のクラスからは良宇の雄叫びまで聞こえてきたというのに。
「いや……嬉しいのは嬉しいんですが……」
 そうは言っても、祐希の表情に満面の喜びはない。
「私の事……ですの?」
 祐希にだけはキースリンの事情……継承権を巡るお家騒動から身を守るために、女として過ごしている事……は包み隠さず話してある。
 命に関わるその事態を、当初の混乱も落ち着いた祐希は納得し、理解してくれたはずなのだが……。
 一番の悩みの種だった性別の秘密を知られた今、キースリンにとっての懸念事項は、祐希の家に受け入れられるかというただ一点だった。
「キースリンさんの事ではありませんよ。ウチの母親、そういう事は気にしない人ですし」
 それは、女の子をパートナーにした事なのか、女装した男の子をパートナーにした事なのか。
 キースリンがそれを問う間もなく、祐希は古びたアパートの階段を上がり。
 手早く鍵を開け、わずかに開いた隙間からその部屋の内を覗き込み………………。
 速攻閉めた。
「どうかしましたの?」
 返事はない。
「やっぱり……予想通りか……」
 その呟きも、キースリンに向けたものではない。彼女への言葉が返ってきたのは、それからたっぷり十も数えた後のこと。
「キースリンさん」
 その名をまずは、一度呼び。
「なんですの?」
 無邪気に微笑みかける少女の姿を目の前にして、祐希は再び思考。
「………いや、いいです。ちょっと、待っててください」
「入っては、いけませんの?」
「ちょっとだけ、待っててください。僕が良いと言うまで、このドアは開けないでくださいね!」
 そう言い残し、祐希はひとり、家の中へと飛び込んで。
 数えること、千と五百。
「ど、どうぞ……」
 再びドアが開いた時、祐希は荒い息を吐き、どこかやつれたようにも見えた。
「では、失礼いたします」
 そしてキースリンは、初めてパートナーの家……たった今大掃除が終わったかのように綺麗になった家……へと、足を踏み入れる。
 部屋の隅にうずたかく積まれたゴミの山は、もちろん見て見ぬふりを、しておいた。


 八朔の実家は、京都にある。
 華が丘にあるのは祖母の家だ。
「で、よ」
 そこに戻ってきた八朔の第一声は……。
「何でお前らがいるわけよ!」
 当然のようにそこに座っている、良宇とレイジに向けられたものだった。
「……茶の稽古だが?」
「その見学だが?」
 しかも二人は思いっきり和服。学校を出たのはほぼ同じ頃だったはずなのに、いつの間に着替えたのだろうか。
「ほほぅ。レイジくん、なかなか良い格好じゃないか」
 そして、当然ながら八朔の隣にはウィルがいた。
「見学したいって言ったら、センセイと良宇が着付けてくれたんでい。いいだろ?」
 ウィルはレイジが着ている和服に興味津々なようだ。良宇はその二人の様子を静かに眺めているだけだし……何だか、学校から帰った気がしない。
「八朔さん。お帰りなさい」
 けれどそんな八朔を一瞬で帰った気にさせるのは、静かな声。
 それほど大きな声ではないが、名を呼ばれれば思わずすっと背筋が伸びてしまう。
「あ……はい。ただいま帰りました」
 奥の間から姿を見せたのは、和服姿の老女だった。
 老いてはいるが、老けてはいない。折り目正しい動きと伸びた背は、年を重ねてなお……いや、年を重ねているからこそ、その深さと重さを際立たせる。
 彼女こそが、大神流の茶道の家元。
 八朔の祖母だ。
「そちらのメガ・ラニカのかたは……八朔さんのパートナーのかたね? 話ははいりさん達から聞いていますよ」
 祖母の言葉に、ウィルはまずは優雅に一礼。
「ローゼリオン家のウィリアムと申します。今日から八朔くんのパートナーとして、こちらでお世話になることになりました。………浅学な身にて、メガ・ラニカ式の挨拶で申し訳ありませんが」
 略式とはいえ改まった場だ。さすがのウィルも、薔薇を出すまではしなかった。
「構いませんよ、ウィリアムさん。ご両親から、良い躾をされて育てられたようですね」
「光栄です。我が両親も、喜ぶでしょう」
 礼を尽くす。
 両親を誇る。
 所作こそ違えど、作法の基本はどこの世界も変わらない。そして誠意のこもった態度であれば、受け取る意志を持った者は、想いを違える事はない。
「ウィリアムさん。もし興味があるなら、あなたも同席してはいかが?」
 その理に叶ったウィルの姿に、老女はその表情をわずかに綻ばせる。
「それは願ってもありません。ぜひご教授を」
 日本の家に来て早々に遭遇した日本の風習に、ウィルも瞳を輝かせていた。
「八朔さんも、同席なさい」
「……はい」
 そして実の孫には、選択肢などないらしい。
 とはいえ、この状況なら八朔はむしろ大神と同じく客人達をもてなす側に当たる。同席するのはある意味当然の事であった。
「良宇さん。お願い出来るかしら?」
 大神の言葉に、良宇は無言で頷いてみせる。
「なら、二人の準備が出来たら始めましょう。私は奥の間にいますから、支度が整ったら呼んで頂戴」
 そう言い残し、老女は部屋の奥へと姿を消した。
「レイジも手伝ってくれ」
「おぅ! 任せとけ!」
 ゆっくりと立ち上がる良宇を見て、レイジも同じ動きで立ち上がる。和装の動きに慣れないレイジがスムーズに動くようになるには、着慣れた者の動きを真似るのが一番早い。
「行くぞ、二人とも」
 良宇に促され、一行は箪笥の置いてある別間へと。
 実際のところ先月越してきたばかりの八朔よりも、長く出入りしている良宇の方が、大神邸の間取りは詳しいのだ。
「八朔、素敵なグランマじゃないか。君の家も、とても気に入ったよ!」
 これから始まる和の宴に心躍らせるウィルとは対照的に。
「…………テント村の方が、気楽だったなぁ」
 純粋な日本人の八朔は、ぽつりとそう呟くのだった。


「それじゃ、リリちゃん。後で行くね!」
 そう言い残し、真紀乃は階段を元気よく駆け上がっていく。
「ん。真紀乃ちゃん、ソーアくん、また後で」
 それを追い掛けるレムの背中に手を振って。
 リリとセイルも、リリの家へと歩き出す。
「真紀乃さんたち……来るの?」
「ああ、言ってなかったっけ。真紀乃ちゃんのアパート、ウチのアパートだから」
 リリの家はいくつかのアパートの管理人をしており、真紀乃のアパートもその一つ。
 特に真紀乃はリリのクラスメイト。パートナーが決まった時には、倉庫に置いてある不要な家具から必要なものを、彼女らに譲る約束もしていたりする。
「ふぅん………」
 対するセイルは理解しているのかいないのか。
 真紀乃のアパートから歩くことほんの少し。
「あ、ママ!」
 庭にホースで水を撒いていた金髪の女性に、リリは元気よく手を振ってみせる。
「あら。お帰り、リリちゃん。合宿は終わったの?」
 リリの年頃の娘からママと呼ばれるには、金髪の女性は随分と若い。
 実際、彼女ははいり達と同い年なのだが……リリとの関係が義理や養子どころか、本物の親子なのは、華が丘の住人ならほとんど誰もが知っている有名な話だ。
「何とかね。で、こっちが……」
 その関係を、セイルはもちろん知るはずもない。
 不思議に思っているのか、そもそも気にもしていないのか。黙ったままで女性を見上げている少年に、女性も穏やかに微笑んでみせる。
「あらあら、可愛いコねぇ……。初めまして。リリの母の、瑠璃呉ルリです。今日からよろしくね?」
 リリの母親は魔法科の第一期生だ。おっとりとした物言いでも、そのひと言でセイルのことはしっかりと理解してみせる。
「セイル=月瀬=ブランオートです。……よろしくおねがい、します」
 そんなルリの名乗りに応じてか、セイルも自分の名前を名乗り、ぺこりと頭を下げた。
 けれど。
「…………月瀬……ブランオート?」
 金髪の女性が繰り返すのは、セイルのミドルネームとファミリーネーム。
「どうかしたの?」
 その名に心当たりがあるのだろうか。
 もともとメガ・ラニカの出身のルリだから、向こうにも知り合いはいるはずだが……。
「ううん。……パパが帰ってきたら、ちゃんと挨拶してね。きっとびっくりするわよ?」
 そう言ってくすくすと笑うルリは、既にリリの知っている母親の顔。
「だよねぇ……」
 テントにいたころ母親から届いていたメールには、リリの父親がリリに変な虫が付かないかをずっと気にしていると書いてあった。
 そこに男の子のセイルを連れて帰ってきたのだから、ひと騒動起こるのは間違いないだろう。
 もっとも、ルリはセイルを気に入ってくれたようだし、パートナーを変更する事は出来ないのは彼も重々承知しているはずだ。
 いざとなれば、二日酔いでフラフラのはいり達を呼ぶという手段もある。
(月瀬さんとブランオートちゃんの子供が……リリちゃんのパートナーかぁ)
 もちろんルリの想いは、呑気に笑うリリとは、少しだけ違う。
「これも縁……なのかしらねぇ?」
 そっと呟いたルリの言葉が届いていたのか。
 セイルは不思議そうに、首を傾げるだけだ。


続劇

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