21.それぞれの試練の始まり
影へと吹き散らされていくセイレーンの最後を眺めながら、ため息を吐いたのは……。
「あたし達の出番、無かったわねぇ……」
華が丘高校魔法科一年A組担任の、兎叶はいりだった。
「……助かりました。菫先輩」
傍らにいる葵が一礼したのは、もちろんはいりではない。
「こういうのは、これっきりにして頂戴よ? 蚩尤の魔法なんか、使いたくないんだから」
その後ろで全ての成り行きを見守っていた長い黒髪の女は、小さなため息をひとつ。
そして、彼女の影からちらりと顔を見せているのは……あろう事か、先ほど魔法科一年が総掛かりで退治した、セイレーンと同じもの。
それは菫が一瞥するなり、影の内へと姿を潜め。それから、一切の気配を消す。
「けど、あの子達には……これからの事も、みんな乗り越えてもらわないといけないから……」
呟くはいりの険しい表情に、その理由を知る葵と菫の表情も、晴れやかとは言い難いまま。
「良くやった、悟司!」
手をかざしてきたレムに、ハイタッチを一つして。
「……あ、ありがと」
もう一人の功労者にお礼を言おうとして、悟司が振り返れば……。
「もういなくなってる……」
悟司に力を貸してくれた、魔女っ子の姿は既に無い。
彼女の協力とひと言が無ければ、セイレーンの壁は崩せなかったろう。お礼くらいはちゃんと言っておきたかったのだが……。
「鷺原くん! 大丈夫だった?」
そこに駆け寄ってきたのは、応援を呼びに行っていた百音だった。その後ろには、はいり達教師の姿もある。
「あ、美春さん……うん。大丈夫、だよ」
「……どうかしたの?」
不思議そうに首を傾げる百音に、悟司は穏やかに笑うだけ。
「いや……何でもないよ。心配してくれて、ありがとう」
今の悟司のパートナーは、百音だ。
ハルモニィとの意外な共闘が、どこか後ろめたい事のような気がして……結局その事を、悟司は百音に言えずじまいのままなのであった。
リリの前にいたのは、間違いなく……以前夜の校舎で見た、あの白いガルムだった。
「あなた……は?」
相手は狼だ。答えなど、返ってくるはずもない。
それでも、リリは聞きたかったのだ。
今日、護ってくれた訳を。
「どうして、ボクを助けてくれたの……?」
そっと手を伸ばせば、ガルムは警戒することもなく、されるがままになっている。
想像以上に柔らかな毛並みについつい楽しんでいると、リリの匂いを確かめるように、鼻先を伸ばしてきて。
「あ……」
白い狼の姿がゆらりと揺れて。
ガルムの代わりにリリの胸元に倒れ込んできたのは、白く長い髪の、小柄な少年だった。
「え………? ブランオート……くん?」
腕の中で寝息を立てている少年に、さすがのリリも困惑の色を隠せない。
ハークの腕を包むのは、淡く輝く癒しの光。
「まったく。たまんないよ」
ハークの翼のレリックは、本来は飛行と攻撃に使われる物で、防御の性質は持ち合わせていない。もちろん不壊のレリックだから、使い方次第で雨や小石くらいなら防げるが……。
セイレーンに殴られる事は、あまり考慮に入っていなかった。
もちろん、可愛い女の子のピンチなら、喜んで庇いに入るつもりではあったのだが……。それが晶なのは、明らかに予想の範囲外。
「なによ。あたしの前じゃ、良いカッコしないのね」
光がやめば、セイレーンの一撃で付けられたハークの腕の傷は、痕すらきれいに消えている。
次の治療箇所は、足だ。
「……なんか、違うんだよな……。女の子って感じがしない」
「……この足、このまま折っていい?」
「そういう所だよ嫌いなのは」
外見は、確かに女の子だ。
黙ってさえいれば、可愛いに分類してもいいとさえ思う。おそらくメガ・ラニカにいた頃に写真を見せられただけなら、普通に猫を被っていただろう。
けれど、口を開けばもうアウト。
ハークの思い描く女の子どころか、むしろ男に近かった。
ダメだ。
ありえない。
「決めた。あんた、あたしのパートナーになりなさい」
だからそのひと言に、まずは晶の脳と口、続いて自分の耳と脳をまとめて疑った。
「女の子の家で暮らす方がいいに決まってるんでしょ? なら、あたしだって立派な女の子じゃない」
「だから、晶ちゃんは対象外だって……っていうか、いつ聞いてたの!?」
確かそんな話題を、テント生活が始まった直後に祐希たちとした覚えがある。
あの時は周りに祐希とウィルしかいなかったし、ついつい本音トークになってしまったのだが……。一体、誰がどのタイミングで横流ししたのか。
「あたしにだって、情報網くらいはね。……でも、百音やリリがパートナーになったら、ずっと猫かぶりっぱなしよ? 楽じゃない?」
「女の子と一緒にいられるなら全然気にしないってば! むしろそっちのがいいよ!」
「……なんか、イヤだイヤだって言われると、なおのことパートナーに………」
どうやら、どうしてもハークをパートナーにしたいらしい。そもそも自分を女じゃないと認めているような発言ばかりしているのだが、その自覚はどうせないのだろう。
「あ、そうだ。今週いっぱい、パパもママもウチにいないからね」
足の治療が終わり、肩に傷があるのに気付き、今度は肩に治癒魔法を展開させる。
「普通そっちから言うところじゃないだろー! 色々と台無しだよ!」
「あーあ。せっかくフラグ立てた感じにしてあげたのに」
治療はそれなりに進んでいたが、他の所は割とグダグダだった。
「ワケわかんないよ! もう勘弁してよ!」
肩の治療もほどほどに。
ハークは傍らのバッグを背負うと、そのまま翼を拡げて飛び立って。
速攻、鞄の金具を引き寄せられた。
「だから、あんたのその鞄とあたしの魔法、相性良いんだってば」
相性最悪の間違いだろう。
ハークは考えることなくそう感じたが、もはや口に出すだけの元気も残ってはいなかった。
「……ワーウルフ?」
保健室。
ローリの口から出た単語に、リリは首を傾げるだけだ。
「ワーウルフって、狼に変身するっていう種族のことですか? ……初めて見ました」
付き添いで来てくれたファファは、メガ・ラニカ出身だけあってその名に覚えがあるらしい。
「稀少種族だから。華が丘にも、入学した前例がないわけじゃないけど……」
稀少種族だが、基本は普通の人間と変わりない。変身魔法の特性が身体の中に組み込まれているだけだ。
乱暴な言い方をすれば、先ほどのセイレーンが風の結界を使えるのと、似たような原理である。
「そうなんですか?」
「ええ。わたし達と同じ学年にも、一人いたかしらね」
「へぇ……」
ローリと同級ということは、リリの両親とも同級ということになる。
「ん…………」
合宿が終わったら聞いてみよう。そんな事を考えていると、ベッドで眠っていたセイルが、わずかに身じろぎをしてみせる。
「僕………」
ゆっくりと開いた瞳は、白いガルムと同じ深い群青の色。
「ブランオートくん……助けてくれて、ありがとね」
記憶がはっきりしていないのだろう。リリのその言葉にも、セイルは不思議そうに首を傾げるだけ。
「……何だか……よく分かんないけど、絶対、助けないと、って思って……」
ただ、その気持ちがどこから出てきたものかは分からないらしい。困ったような、考えているような様子を見せるだけ。
「そうなんだ……」
そんなセイルの様子に、思わずそっと手が伸びた。
「ん……」
指に絡む白い髪の感触は、先ほどの白い狼のように、柔らかく、さらりと細い指に馴染む。
「ねえ、セイルくん」
そんな感覚を何となく楽しみながら、リリは少年の名字ではなく、名を呼んだ。
「?」
「良かったらでいいんだけど……。あたしのパートナーに、なってくれないかな?」
少年は少女の手に、小さな頬を寄せ。
「……うん」
たったひと言、そう頷いた。
戦い終わって、日が暮れて。
誰もない屋上で、夕日の沈む西の空を眺めつつ。
少女がつくのは、ため息ひとつ。
「どうした、百音」
「メレンゲ……」
視線を上げれば、そこにいるのは小さなフクロウだ。
「二つめのスタンプがもらえたというに、浮かぬ顔じゃの」
百音が魔女っ子を卒業するため、祖母から言われていた二つめの試験課題は……パートナーを見つけること。
それ自体は、悟司とパートナーになった段階で、クリア済み。だからこそ、先ほどの戦いでは風の力を使えたのだが……。
「ねえ、メレンゲ。ばーばの三つ目の課題って……」
けれど。
「変身する前でも、ちゃんとした魔法を覚えろ……じゃったの」
百音は、どちらかといえば、魔法が得意ではない。
もちろん魔女としての素質が無いわけではないが、母親のように無数のリリックが使えるわけではないし、ハルモニィの時でもレリックと体術が基本で、リリックは補助的なものでしかない。
そんな状態だから、変身する前に至っては、基本以上の魔法は使えずにいる。
「それがどうした?」
「鷺原くんと、協力して魔法を使う……に変えちゃ、ダメかな?」
魔法を覚えるのは、最低限必要なことのはず。
祖母や母親のような立派な魔女を目指すなら、そこで納得していてはいけないはずだ。
「………フラン様に、相談してみよう」
続劇
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