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18.死とおの、始まり

 朝食の片付けを急いで済ませ、全力で走ってテント村へ。ノックをするのももどかしく、入口の布をばさりとくぐれば。
「…………どうかしましたの? 晶さん」
 迎えてくれたのは、制服を着たキースリン。
「………いや。別に」
 いつもは最後まで着替えずに、隅で図書室の本を読んでいるはずの彼女が、今日は珍しく既に着替えを終えている。
「どういう事よ」
「そう言われても……あたしもリリちゃんも、はいり先生と話してて……」
 小声で真紀乃に問いかけても、困ったような言葉が戻ってくるだけ。どうやら何の虫の知らせか、食事を終えて他のルームメイトが戻ってくるより早く、彼女の着替えは終わっていたらしい。
「早く着替えて教室にいかないと、授業に間に合いませんわよ?」
 その言葉と同時。テント村に届くのは、ホームルーム直前を告げる、予鈴の音だ。
 出て行ったキースリンが入口の布を下げたのを確かめて、晶もしぶしぶ着替えを始めるのだった。


 テント生活……即ち、入学式が終わってから、既に十日が過ぎている。オリエンテーションや説明会の類もひと段落し、通常の授業も日程の中に少しずつ組み込まれつつあった。
 そして本日の二時間目は、体育の時間。
「キースリンさん……更衣室、使わなかったの?」
 今日の授業は五十メートルの短距離走。走り終わった息を整えながら、冬奈は晶にそう問いかける。
 体育の授業は、魔法科の二クラスで合同だ。代わりに男子と女子で別になるため、一人の教師が担当する生徒の数は変わらない。
 男子は今ごろ、体育教師の飛鷹の指示で、学校の外を無意味に走らされているはずだ。
「なんか、トイレで着替えてたみたい。更衣室には、一応最後まで残ってたんだけどね」
 体操服姿のキースリンが更衣室にやってきたのは、チャイムの鳴るわずか前。さすがにトイレには置き場がなかったらしく、着替え終わった制服を置きに来たのだが……それだけだ。
「何でそこまで、裸を隠そうとするのかしらね」
 はいりの吹く軽快な笛の音と共に、少女たちは五十メートルの直線を軽やかに駆け抜けていく。
 次の番は、キースリン。長い髪を後ろに結った姿も、なかなかに様になっている。
 笛の音と共に走り出した彼女の順位は、二番。
 息を切らせた様子もない姿に、隙はない。


「別に、変わったところなんて無いよねぇ……」
 そう呟いてリリが手を突っ込んだのは、集められた洗濯物の中。
 結局、ひと騒動あった家庭科室の洗濯機の使用順は、昼休みに女子、放課後に男子という割り振りになっていた。放課後はアイロン掛けなどもここで行われるため、どうしても男女が交じることになるからだ。
 珍しく誰もいない昼休みの家庭科室で、リリが取り出したのは白いレースの付いたぱんつ。
 キースリンのものだが、当然ながら変わった所は見られない。お嬢様が穿いていそうな総シルクなどではなく、どこにでもあるコットン百パーセントの物だった。
 もちろん、洗濯機洗い上等だ。
「リリちゃん。ちょっとそれ、片付けてくれますか?」
 そこに入ってきたのは、真紀乃と……。
「何ですか? 二人とも。何か困りごとですか?」
 祐希だった。
 基本的に昼休みの家庭科室は男子禁制。流石の委員長も、辺りを見回し落ち着かない様子だ。
「えっと……困りごとっていうか……」
「ソーア君でしたら、体育の時間も悩んでるようでしたよ?」
 言葉に悩む真紀乃に、その原因をパートナー候補の事だと思ったのだろう。
 なにせ告白の場所が場所だ。真紀乃とレムの一件は、魔法科一年ならば誰でも知っていた。
「ああ、まあ、そっちも困ってると言えばそうなんですけど……。委員長の携帯って、委員長に見た物を伝えられるんですよね?」
 唐突に振られた話題に、祐希は思わず表情を曇らせる。
「……覗きとか、してませんよ?」
「や、そうじゃなくってさ。それ、ちょっと貸して欲しいんだけど」
 真紀乃もリリも、祐希がそんなことをする人物だとは思っていない。特にリリは小中と同じ学校で、何度かクラスも一緒になった事がある。
 祐希に関して、その手の前科はもちろんゼロだ。
「何に使う気なんです?」
 だが、祐希の警戒は緩まない。
 祐希が目に余る騒ぎを起こした事はないが、リリがその手の騒ぎを起こした前科は……………残念ながら、祐希が無条件に彼女を信頼できない程度には、あったからだ。
「ええっと……親友の、無実の疑いを晴らすため?」
「疑問形で喋るような人に貸せません」
 リリに対しては、即答だった。
「キースリンさんが、疑われてるんですっ!」
「………キースリンさんが?」
 だが、その警戒も、東京からやってきた真紀乃に対しては若干緩みがちなもので……。


 くるくると宙を舞い、手足を解き放つのは、祐希が放り投げた携帯電話。
 今日も見事に着地して、ビシリと一発ポーズを決める。
「……こんな事、これっきりですからね」
 祐希の周りには、真紀乃とリリを筆頭に、晶と冬奈、百音までがいた。本来ならファファも来たかったらしいが、残念なことに今日の彼女は夕食当番だ。
「分かってるってば」
 祐希の意志をダイレクトに受け、ワンセブンはシャワー室に隣接した更衣室へひょこひょこと歩いていく。
 更衣室ではキースリンが、夕方の作業をするための着替えをしているはずだった。
「そんな事言って、ちょっと役得だとか思ってるくせに」
 冬奈の言葉に露骨に嫌な顔をして、祐希はワンセブンの足を止める。
「思ってません。……そもそも中の写真を撮るだけなら、真紀乃さんのテンガイオーに携帯持たせればいいじゃないですか」
 語気は強いが、あくまで小声。中のキースリンに気付かれては、元も子もない。というか、ワンセブンがドアの前にいる時点で、既に犯人は祐希と知れたも同然だ。
「あー。ガイオーはそういうの、苦手だから」
 真紀乃と祐希の魔法は、似てこそいるが全く逆の特性を持つ。ワンセブンの真骨頂とも言える諜報活動は、テンガイオーにとっては最も苦手な分野だった。
「ほら。もうちょっと!」
 再びひょこひょこと歩き出したワンセブンは、いよいよ更衣室の真ん前へ。
 ドアの足元にある換気用の隙間へと、その身をそっと忍び込ませて。
「ねえ、やっぱり……やめない?」
 百音の言葉に、その動きを止めた。
「百音、あんた今更何言ってんの。ここまでノリノリだったじゃない」
「そりゃそうだけど……でもさ……」
 キースリンに何か秘密があるのは、間違いないだろう。それが何かは分からないが……同じ秘密を持つものとして、どうしてもそれ以上は踏み込んではいけない。
 そんな気が、したのだ。
「でももへったくれもない………」
 その時だ。
「…………の」
 更衣室の扉が開き、すっと伸びた細い手が、ドアの前に立ち竦むワンセブンを音もなく採り上げる。
「あ………」
 もちろん、その手の主は……。
「キースリン、さん……」
 制服姿の、キースリンだった。


「……何だか、嫌な気配がすると思ってみれば」
 キースリンの言葉と共に扉の周囲に浮かび上がるのは、勾玉を模した文様だ。どうやら侵入者を感知するエピックをあらかじめ張っておいたらしい。
「見損ないましたわ、祐希さん。いくら他の女子の皆さんの頼みとはいえ……」
 晶達と共にいる事で、だいたいの理由を察したのだろう。キースリンの言葉は冷たくはあったが、祐希を軽蔑しているというよりも、その人の良さに呆れているようだった。
「……すいません」
 素直に謝る少年に、ため息を一つ。
「そもそも、皆さんはどうして、こんな事をしようと思ったんですの?」
 キースリンの手には、液晶画面をつまみ上げられたワンセブンがぶらぶらと揺れている。振りほどこうにも手足は届かず、かといって身の振りだけで束縛を逃れようにも、祐希の魔法でそこまでの力を与えることは出来なかった。
「元はといえば、キースリンさんが悪いのよ」
「……私が?」
 どこかふて腐れたように呟く晶に、キースリンは目を丸くする。
「シャワーや更衣室もみんなと一緒に使おうとしないし、お風呂だって三回とも来なかったでしょ?」
 一度なら、問題はない。二度目なら、まあそんな事もあるだろう。
「何か距離を置かれてるみたいで、正直寂しかったっていうか、あたし達と一緒にお風呂とか、イヤなのかなぁ……って、考えちゃうじゃない」
 しかしそれが三度続けば、明らかに避けていると感じるのも、仕方のないことだ。
「別に、そういうワケではないのですけれど」
 否定はしない。出来るはずもない。
 プール風呂の誘いを三度続けて断って、普段のシャワーも皆と時間をずらしているのは間違いのない事実だったから。
「せっかくみんなでこうやってテント生活してるわけだしさ。夜のトランプだって、入ってくれるようになったの……結構、嬉しかったんだよ?」
 ババ抜き、七並べ、神経衰弱。
 ゲームそのものには飽き飽きしていても、プレイヤーが増えればそれなりの楽しみは出てくるものだ。
「………ええ。でも……」
 晶の気持ちは、よく分かる。
 もしキースリンが同じ立場に置かれても、同じ事を考えてしまうだろう。
「だから………」
 だが。
 伏せていた顔を上げた晶は、ぎらりと瞳を光らせて。
「触らせろっ!」
 飛びかかった。
「ひゃあっ!」
 晶の気持ちはよく分かる。
 けれど、キースリンはこんな事は、しない。


続劇

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