-Back-

11.ハークとキッスの電波的お料理狂室

 夕食の手伝いをするため、調理室にやってきたハークは……そこに立つ姿に、目を疑った。
「……キースリンさんなの?」
 制服姿に、白いエプロン。長い綺麗な黒髪は、邪魔にならないよう後ろで軽く束ねられている。
「どうかしましたの?」
 小首を傾げて尋ねる姿は、写真に撮って額にでも入れておきたいほどだった。
「い、いや………」
 今日の料理当番は、キースリンとハークの二人だけ。
 そしてキースリンの料理の腕は、この数日で完全に理解済み。
 そんなキースリンをメインの料理当番に決めたうっかり者へのハークの評価は……。
(決めた奴、グッジョブ!)
 女の子への好奇の想いが、圧勝した。
「……大丈夫。うん、ボクが手伝うから、がんばろう! 二人で!」
「はい」
 たおやかに微笑む姿も、最高品質の用紙に惜しげもなく印刷しまくって、壁中に貼っておきたいくらい良いものだった。
(やっぱりキースリンさんみたいなキレイな子がパートナーなのが、いいよなぁ……)
 この一瞬ほど、ハークがメガ・ラニカ人だった事を悔やんだことはない。もしもハークが華が丘出身なら、今この瞬間、彼女にパートナーを申し込んでいる所だ。
「で、何を作るの?」
 メニューを決めるのは、料理当番のキースリンの役目。ハークはそれを全力でフォローすればいい。
 そこで好感度が上がるなら、悪い話ではない。
「はい。皆さんのお好きなものを、作ろうかと」
「……う、うん」
 メニューはものすごく、漠然としていた。
「それで、ですね。もう皆さんの好きなものをこっそりリサーチしてあるんですの!」
 そう言ってキースリンは、傍らの鞄から何かを取り出そうとする。
「手帳にでも書いてきたの……?」
 何せハルモニア家のお嬢様だ。王都の職人手作りの、革張りの手帳でも出てくるのだろうか。
「えっと、ですね……」
 出てきたのは、束になったメモ用紙。しかも、PC室のミスプリント用紙を四つに切ったものだ。
 王都どころか、全力で現地調達だった。
「へ、へぇ……さすがキースリンさん、仕事が早いね!」
 ここでメモ帳に浅いと突っ込まなかったハークの根性は、賞賛に値するだろう。
「はい。それで、ですね。祐希さんはラーメンがお好きで、リリさんはケーキ、真紀乃さんはハンバーグで、ウィルさんは薔薇だそうです」
「へ……ぇ……」
 ミスプリ用紙のメモをめくる、キースリンの表情は真剣なもの。
「それから、晶さんはゲームがお好きだそうなのですが、これはゲームをしながらでも食べられる、サンドイッチで良いんでしょうか……?」
「いいんじゃ……ないかなぁ……?」
 どうやらキースリンのゲームの感覚は、サンドイッチ伯爵で止まっているらしい。
 しかし、ハークはその問いも軽く受け止め、そのまま流す。
「セイルさんは美味しいものがお好きだそうですから、私の好きなチョコでいいとして……ハークさんは、何がお好きですか?」
「キースリンさんの作るものなら、きっと何でも大丈夫だよ」
「まあ、ありがとうございます!」
 ここまで貫けるものならば、軟派も一周回って漢らしかった。
「で、それを……どうするの?」
 普通の組み立てなら、メインはもちろんハンバーグ。ラーメンをスープ代わりにして、サンドイッチを添え、ケーキかチョコをデザートにすれば完成のはず。
 炭水化物の割合が異様に多い気もするが、その程度のことは目を瞑るしかないだろう。
 使い道を思いつかない薔薇は、放っておくことにした。
「一緒に煮込もうかと」
「……闇鍋?」
 けれど、腕まくりまでして気合を入れる満面の笑顔のキースリンを前に。
 ハークが反論することなど、出来ようはずもないのであった。


 隣の調理台に響くのは、遅くはあるが規則正しい包丁の音。
「あ痛っ!」
 その音に重なる、小さな悲鳴。
 見れば、百音が軽く切った指先を咥え、舌先で押さえている所だった。
「へへ……失敗しちゃった」
「百音ちゃん、見せてみて」
 百音の指を取ったファファは、緩やかな抑揚の付いた言葉を、短く数語転がした。それと同時に両手に灯る淡い輝きが、百音の指先を包み込み。
 光が消えた後には、百音の指先から小さな傷は跡形もなく消えている。
「……へぇ」
 料理中の濡れた手で、携帯を使うのは難しい。だから携帯の着スペルではなく、自前の呪文詠唱で魔法を完成させたのだろう。
 反射的に呪文が口をつくあたり、慣れている証拠だ。
「冬奈ちゃん、吹きこぼれてるよぅ」
 それをぼんやりと眺めていた冬奈に飛んでくるのは、ファファの声。
「っと! ごめん」
 中火をとろ火に落としておいて、鍋の様子を確かめた。
 とりあえず、大丈夫なようだ。
「もう、気を付けてね?」
 柔らかく苦笑しながらも、ファファの手は止まらない。百音の切り終えた野菜を炒めていたかと思えば、ちゃんと冬奈にも指示を出してくれる。
「それにしてもファファ。料理、上手いんだね」
「そうかなぁ。いつも家で作ってたから……」
 そう言う間にも、使い終わった鍋や包丁を洗い始めていた。決して仕事が早いわけではないが、一つ一つの動きが手慣れていて、余計な隙がない。
「家、お医者さんだったんだっけ?」
 確か、そう聞いていた。
 魔法を使って病を治す、メガ・ラニカの魔法医の家系なのだと。
「そうだよ。だから、こうやってみんなで料理するの、すっごく楽しいの」
 洗い終えた鍋を立て掛けながら、ファファは満面の笑み。
「そっか……」
 そして、そんなファファに掛けられたのは……。
「………あの、ファファさん」
 申し訳なさそうな、ハークの声だ。


 目の前にあるのは、謎の泡を立てている土鍋だった。
「…………抽象芸術?」
 さながら題名は、惨劇とでも言ったところか。
「……鍋だよ」
 闇、という単語は、何とか頭に付けないでおく。
 ただ、何の鍋かと突っ込まれれば、土鍋と答えるべきか、闇鍋と答えるべきか。そのどちらを選ぶかだけが、ハークの頭をぐるぐると回っている。
「煮込み料理ですわ」
「……だって」
 どうやら土鍋はあったから使っただけで、キースリン的には鍋料理という感覚はなかったらしい。
「………ええっと。カレー粉を入れたら、普通は何とか食べられるようになるんだけど……」
 ファファはそう言いかけて。傍らに置かれた瓶に、『カレー粉』というラベルが貼ってある事に気が付いた。
 もちろん、中身は空っぽだ。
「それを限界まで入れて、どうにもならないときは……どうすればいいと思う?」
「……キムチ?」
 戦場の傭兵達さえ手放さない究極の香辛料すら通じない、謎の鍋。レシピを確かめる勇気は、さすがのファファにもありはしない。
「じゃあ、それも入れましょう」
「やめてー!」
 カレー味に甘味料。炭水化物と肉の旨みも加わって、既に土鍋は一杯だ。
 これにキムチを入れたなら、どんな化学反応が起きるのか……この場にいる誰一人として、予測できるものではない。
 ただ一つ分かる結論は……。
「ちょっと、この異臭、どうしたの!?」
 調理室の入口で叫ぶ晶に、ハークはがっくりとうなだれて。
「…………ええっと。わたし達の班、今日は多めに作ってあるから……食べる?」
「……ごめん。すごく助かる」
 パートナーは、料理がちゃんと出来る子がいいなと、本気で思った。


 プールの風呂から見えるのは、満天の星空と……丸い月。
「それで、あの異臭騒ぎだったわけね……」
 調理室の顛末を聞き、晶はたっぷりのお湯の中、やれやれとため息をつく。
 キースリンが料理当番ということで、何かが起こる事を期待していたのは、否定しない。
 それがこちらの想像をはるかに超えていたのは、面白がるべきか、呆れるべきか、微妙な所だったけれど。
「じゃ、今日のクラムチャウダーって?」
 A組一班の夕飯は、アサリのチャウダーとご飯にサラダが付いていた。少し少なくはあったが、特に変わったメニューでもなかったはず。
 てっきり、ハークが上手くやったのだと思っていたけれど……。
「わたしの班で作ったんだけど、美味しくなかった? リリちゃん」
「や、すっごく美味しかったよ。ありがと!」
「そっか。よかった!」
 嬉しそうに微笑む小さな少女は、まさしく今日の一班の救世主だった。
「で、そのキースリンさんは?」
 リリも料理は苦手な方だ。料理が下手なキースリンには親近感を覚えるほどだが……広いプールを見回しても、件の少女の姿はどこにも見当たらない。
「そういえば、今日も来てないね」
「確か、前のお風呂の時も、来てなかったわよね」
 家の風呂はおろか、温泉を含んで考えても、ここまで大きな風呂に入れることは滅多にない。そんな千載一遇のチャンスを、キースリンは二度ともシャワーを浴びるだけで済ませていた。
 シャワーはこまめに浴びているし、洗濯もきちんとしているから、不潔なわけではないのだが……。
「百音。メガ・ラニカにもお風呂の習慣って、あるんでしょ?」
 メガ・ラニカの基本は西洋文化だが、長く日本と接していただけあって、日本の文化もほどほどに入り込んでいる。
 公用語がヨーロッパの言葉ではなく、日本語なのもそのせいだ。
「お風呂もあるし、温泉もあるよ。ね、ファファちゃん」
「うん。こんなに大きくはないけどね」
 その中でも、風呂の文化は特に強く根付いた習慣のひとつ。水も加熱も全て魔法で賄えるため、ある意味地球側よりも準備に手間がかからないのだ。
「人前で服とか、脱ぎたくないのかな……?」
「そういえば、着替えてる所も見たこと無いよね」
 朝晩の着替えも、みんながテントを出てから着替え始めるか、テントに戻ってくる前に終えている。
 ついに始まった体育の授業でも、キースリンが更衣室に入ってくるのは、着替えの遅いファファが着替え終わった、さらに後な事すらあった。
「うーん。お嬢様の考える事は、分かんないわねぇ」
 貴族ともなれば、人前で肌を見せてはいけない……などといった、風変わりな掟があっても不思議ではない。
「とりあえず、今はお風呂が気持ちいいから、そっちのことを考えましょうよ……」
 誰かの言葉に、答えはない。
 ただ、一同は答えることすらなく、その意見に賛同の意を示すのだった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai