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9.超決戦 ハルモニアvsハルモニィ

 グラウンドに立つのは、長い黒髪のお嬢様。
「あ、キースリンさん。今日は鬼ごっこ、出来るんだ?」
 昨日の第一回鬼ごっこは、調子が悪いとかでテントで休んでいたのだ。
 百音の言葉に、キースリンは静かに頷いてみせる、
「こういうイベントなら、あの魔女っ子のかたも出てくるだろうと聞いたもので……。調子が悪いなどと言ってはいられませんわ」
「魔女っ子……?」
 今の華が丘高校で魔女っ子と言えば、一人しかいない。
「私……どうしても、あのスイート何とかとおっしゃる方にお話がありますの」
 その言葉にどこか鬼気迫るものを感じ、百音は小さく息を呑む。
「私と彼女は別人ですのに、名前が似ているからと……みなさんが、あの魔女っ子扱いしますのよ。ひどいと思いませんか?」
 ハルモニアとハルモニィ。
 どう考えてもベタすぎるが、そのベタさ加減が何とも言えずに怪しかった。
「ど、どうして欲しいの……?」
 もちろん百音は、魔女っ子の正体がキースリンでない事を知っている。そして出来る事なら、何とか彼女に迷惑が掛からないようにしたかった。
「出来れば、名前を変えていただければ……」
「……難しいこと言うなぁ」
 ハルモニィの名を決めたのは百音ではなく、大魔女である彼女の祖母だ。
 魔法使いの名前は極めて神聖なもの。百音たちハーフのように初めから二つの名前を持つならまだしも、一度定めた名前をおいそれと改名することなど、余程の事がない限り許されない。
「魔法のお菓子屋さんだそうですから、パティシエールとか」
 しかも代替案はよりにもよって、先代の名前そのままだった。
「……無理だろうなぁ」
「何かおっしゃいまして?」
 キースリンの言葉に慌てて首を振ったのと同時。
 レイジの声が響き渡り、第二回の鬼ごっこが始まった。


「モネ!」
 校庭を走る百音に掛けられたのは、上空からの老いた声。ぱたぱたと軽い羽ばたきをみせる、小さなフクロウだ。
 それを颯爽と無視しておいて、百音は走る速さを緩めない。
「モネ! フラン様からの伝言じゃ!」
「今忙しいの!」
 ちらりと後ろを振り返ったなら、鬼のレムがこちらに向かっているのが見えた。
「ならん! 至急の用事じゃ!」
 手前に良宇がいるから、たぶんそちらに向かうだろうが……かといって油断が出来る距離でもない。
「もぅ……わたし、忙しいんだけど……」
「ならんと言っておろう!」
 頑として曲げない老フクロウにため息を一つ吐き、百音はしぶしぶ進路を右へ。
 レムが球技場の方へ走って行く良宇を追い掛けていったのを確かめて、植え込みの影へと駆け込んだ。
「……仕方ないなぁ。屋上でいい?」
 重々しく頷くフクロウに……。
「メレンゲは、こっち見ないの!」
 そう言葉を投げつけておいて、百音はストレートの携帯を取り出し、己のレリックを発動させるのだった。


 キースリンが見たのは、校舎の壁を跳ねる魔女っ子の姿。
「あれは……!」
 飛行ではない。校舎の壁スレスレの所、雨樋や窓の桟を連続で蹴り上げて、上へ上へと向かっている。
「屋上ですのね……」
 そして最後に至るのは校舎の最上部、屋上だ。
 他に飛び移る様子はない。
「……よし!」
 それを見届けるやいなや、彼女の指が光の軌跡を描きかけ………。
 途中で、止まる。
「そうですわね。八咫烏では、気付かれてしまいますわ」
 せっかくのチャンスだ。ここで魔女っ子に逃げられてしまっては、元も子もない。
 まだ跳び立つ気配のない事を確かめておいて、キースリンは昇降口へと走り出す。


 レムのもっていた鬼の資格は、逃げ切れなかった良宇の元へ。レムはそのまま走り出し、レリックで空へと逃げる様子はないようだった。
「馬っ鹿もぉぉん!」
 それをちらちらと屋上から眺めていた百音……もとい、ハルモニィは、響く怒声に思わずその身をすくませる。
「まだパートナーを決めておらんとは……なんたることじゃ!」
 屋上のフェンスに留まっているのは、手の平に乗るほどの小さなフクロウだ。けれどその声はハルモニィよりも大きく、放たれる威はさらに強い。
「う、うん………。でも、まだ五日目……」
「もう五日目じゃ!」
 打ち込まれるのは即答のカウンター。
 ハルモニィがかわす術は、どこにもない。
「……まあ良い。決まっておらんのなら、まあ、ワシとしては都合が良いわ」
 小さな頭をくるりと回し、フクロウはほぅと鳴き声を一つ。それがこのフクロウの笑い声だと知ったのは、華が丘に戻る少し前のことだ。
「……何? メレンゲ」
 フクロウの言葉尻に感じるのは、嫌な予感。
 そしてその手の予感は、基本的に外れたことがない。
「フラン様からの伝言じゃがの……。パートナーは、男にしろとのお達しじゃ」
 今日の予感も、大当たりだった。
「ええええええええええっ!!!」
「……そんなに大声を出すでないわ。こちらの世界で仲の良かった女友達をパートナーにしてお茶を濁そうなんぞ、もってのほかだそうじゃ」
 フクロウはもう一つほぅと鳴き、小さな翼をばさりと拡げる。そのまま音もなく舞い上がり、ハルモニィの周りをゆっくりと飛び回り出した。
「それでは、ワシはオランジェット様の所におるからの。さらばじゃ!」
 口調から分かるとおり、メレンゲのメンタルは男性のもの。さすがに女の子ばかりのテントに居座るのは気が引けるらしい。
「う、うん……」
 そしてフクロウは、小さな翼を羽ばたかせ、夕焼けに染まる茜の空へ。
「………どうしよう」
 その小さな姿を見送りながら、ハルモニィは呆然とそう呟くしかなかった。
 冬奈か、晶か、リリか。
 彼女たちの誰もがまだパートナーを得ていない。そのうちの誰かと組めばいい……その位に思っていたのだが……。
「ホントに、どうしよう」
 再び呟いた、その時だった。
 屋上の重い扉が、ゆっくりと開かれたのは。


 屋上にいたのは……。
「百音………さん?」
 隣のクラスの、美春百音だった。
「キースリンさん……?」
「あなた……どうしてこんな所に?」
 確か、鬼ごっこが始まる前は校庭にいたはずだ。キースリンの関心は魔女っ子に向いていたから、始まってからの動きは知らないが……。
 屋上に逃げるのはルール違反だ。それがなぜ、こんな所にいるのか。
「ええっと……私、あんまり魔法、得意じゃないから。ちょっと隠れてたの……」
「そうですの……」
 そういえばテント生活の間も、キースリンは百音が魔法を使った所を見たことがなかった。華が丘高校の入試に魔法の実技はないから、中にはそんな生徒もいるのだろうが……。
 メガ・ラニカ側の初期選抜でも、魔法の考査はなかったのだろうか。書類選考だけで済まされた選抜では、何を基準に合否を判断していたのか見当も付かない。
「ところで、魔女っ子のかたを見ませんでした?」
 そう。
 百音のことは、さして重要ではない。
 問題なのは、魔女っ子のことだ。
「え、あ……うん。さっき、外へ飛んでいったよ?」
「……そうですの」
 どうやら階段を登っている間に、逃げられてしまったらしい。
 やはり八咫烏を喚んで、空から速攻を掛けた方が良かったのだろうか。
「ねえ、キースリンさん」
 そんな事を考えていたキースリンに掛けられたのは、遠慮がちな百音の声。
「そんなに、間違えられるの……イヤですか?」
「イヤというか……彼女のおかげで、私がどんな目で見られているか、知っていますの?」
 ハルモニア家の令嬢として振る舞うことは、貴族として生まれた者の宿命であり、義務だろう。それについては慣れているし、諦めもした。
 けれど、それ以上の好奇の目に晒されるのは、けして愉快なことではない。
 そもそもキースリンは、そういった目立ち方をしたい性格というわけでもないのだ。
「うぅ……ごめん」
「あなたが謝る事なんか、ありませんのに」
 呟く少女に、穏やかな笑み。
 思わず頭を下げる少女の手を取って、その頭を元へと戻してもらう。
「そう……だけどさ。でも、魔女っ子にも色々事情があるんじゃないかなぁって思ったら……ね」
 百音のその言葉に、キースリンは思わずその手を止めていた。
「例えば、誰かに決められて、あんな活動や戦いをしてるとか……」
 魔女っ子としての活動そのものは、百音が望んだ事でもある。失敗して、誰かに迷惑を掛ける事だってあると、いくらかの覚悟も決めていた。
 けれど、ハルモニィの名そのものが誰かを傷つけ、こうして悩ませる事になるなど……いくらなんでも、それは予想の範囲に過ぎる。
「誰かに……決められて……?」
 百音の言葉に、キースリンが気を悪くした様子はない。
「誰にも言えない秘密があるとか、さ」
「秘密……」
 むしろ、百音の話に真剣に耳を傾け、魔女っ子の気持ちを理解しようとしているように……見えた。
 キースリンからの答えはない。
 沈黙。
 そしてその沈黙を、百音も破ろうとはしない。
「……そうですわね」
 たっぷりの時間を掛けて……キースリンはようやく、口を開く。
「魔女っ子のかたにも、色々事情があるのかもしれませんわね」
 ハルモニア家は古い貴族の家柄だ。そこに属する彼女にも、何か人には言えない事情や秘密のいくつかがあるのだろう。
 それに当てはめて、ハルモニィの事情も理解しようと努めてくれたのかもしれない。
「ありがとう、百音さん。今日はあなたとお話しできて、良かったですわ」
「私もだよ。……もっと、話しにくい人かと思ってた」
 夜に百音が遊びに行っても、晶達との騒ぎには混ざろうとせず、一人で本を読んでいた。嫌われてはいないようだったが、いくらか距離があるように見えたのだ。
「ふふっ。それ、少しひどくありません?」
 けれどくすくすと笑うその姿は、百音たちと変わらない普通の女の子だ。
「おいこらーっ! 屋上に逃げるのは反則だぞー! お前ら二人とも、失格ー!」
 そこに響くのは、校庭からのレイジの叫び。
 いつの間にか、下から見える位置にまで来てしまったらしい。
「……ありゃ。見つかっちゃった」
 鬼ごっこの不参加、もしくは失格は、無条件でゴミ当番が決定だ。
「仕方ありませんわね。ゴミ捨て、頑張りましょ?」
「だね」
 ゴミ当番が決まっても、二人は顔を見合わせて。
 楽しそうに、笑い合うのだった。


 百音に伝言を伝え終え。
 学校を離れたメレンゲがその速度を緩めたのは、華が丘高校を少し下った屋根の上。
「あら。ババアの所のチビフクロウ」
 二本の尻尾をゆらゆら揺らす、猫の姿を見つけたからだった。
「……ふん。駄猫めが」
「うっさい。喰らうぞ」
「喰らえるもんなら喰ろうてみぃ」
 フクロウの高度は、猫の跳べる距離よりわずか上。その間合の取り方をイヤらしく思いながら、猫はぷいとそっぽを向いた。
「そんな硬くてスジばっかりの肉なんか、不味くて喰えないわよ」
 トゲのある言葉にも、フクロウの表情は変わらない。感情を表さない黒一色の瞳には、二本の尻尾を揺らす黒猫の姿が映るだけだ。
「で、また何ぞ悪さをしに来たのか。こちらの世界に」
「悪さをしてるのはおまえ達でしょ。何? パートナーとか。わざとらしい」
 フクロウを振り切るように、隣の屋根にひょいと飛び移る。けれどフクロウは羽のひと打ちで、黒猫の動きにすぐさま追従。
「……貴様も運命共同体じゃろう。此度の災いは、龍退治の頃の比ではないのじゃぞ?」
 平然と傍らを飛ぶその姿に、猫は舌打ちを一つ。
 本気で潰そうかしら。そうも思うが、それで面倒ごとが増えるのは……正直、面倒だった。
 世の中には、増えて楽しい面倒ごとと、楽しくもない面倒ごとの二種類があるのだ。
「別に向こうの世界なんかどうなってもいいわよ。定めの輪の中の出来事なんか、関係ないし」
 忌々しいフクロウの存在を潰すのは、間違いなく後者のほう。
「ご飯は、冬奈の家で食べさせてくれるしねー」
 何しろ、主に押しつけられない面倒なのだから。主がちゃんと押しつけられるほどのレベルに達しているのなら、喜んで叩き潰すのだけれど。
「……本当に何も知らんのじゃな。食い物の事しか頭にない、愚かな猫め」
 けれど、そんな猫の想いを知ってか知らずか、フクロウはため息を一つつき、さらに言葉を連ねるだけだ。
「次に災いが起これば、定めの輪そのものが崩れ去る……そう言うておるのじゃ」
「………なんですって?」


続劇

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