-Back-

6.壁の向こうの懲りない面々

「よう!」
 プールサイドに現れたのは、一切の服を脱ぎ捨てたルーニだった。
「ルーニ……。あんた、明日の授業の支度、終わったの? ちょっとは教師の自覚くらい持ちなさいよ」
「あんたに言われたくねーよ不良教師。乳と尻ばっか無駄に育ちやがって」
 ばしゃばしゃと掛け湯を済ませて、プールにどぼんと飛び込んだ。プールの底に足は付かないから、浮き輪はとっくに投入済みだ。
「このガキ……先生になったからって、アンタあたしの教え子なんだからね」
 ルーニが教師になって、二年目になる。しかしはいりは、彼女が華が丘高校の生徒だった頃から教師をしていた。教師の先輩以前に、元教え子なのである。
「はいり先生! こっち来ませんかー?」
 そんな事を話していると、プールの真ん中あたりから少女たちが元気よく手を振ってきた。
 もちろん露天風呂で、水着やタオルを持ち込んでいる者など一人もいない。
「あ、ちびっこ先生だ!」
「ちびっこ言うな! 先生付けりゃ何言っても許されるとか思うなよ水月!」
「や、でも先生、あたし達より年下だよね……」
 浮き輪にしがみついたままで吠えられても、怖くも何ともない。
「……あんたたちー。とりあえずあたしが許すから、この子に年上の怖さっての教えてやって」
 そしてその浮き輪をプールの中央へと押したのは、兎叶はいりの長い足。
「え、いや、ちょっ!」
 お風呂だからと、ルーニは一切の魔法具を服の所に置いてきている。もちろん印を結べば魔法のひとつくらいどうにでもなるが、この精神状態でそれを求めるのは流石に酷というものだった。
「やった! 覚悟してくださーい! 行くよ、リリ、真紀乃!」
「まーかせて!」
「え、いいんですか……?」
 そんな絶体絶命の幼子に向けられるのは、やる気満々の少女たち。みんな三日ぶりのお風呂とあってか、異様にテンションが高かった。
 そこに出されたのは……。
「私も許すから、好きにして良いわよ」
 助け船どころか、ルーニをさらなる混乱に叩き落とす言葉。
「ちょっ! 葵!」
 プールの際で半身だけをお湯に浸していた葵は、穏やかに微笑んでいるだけだ。
「だから、同僚でも葵先生、でしょ。ルーニ」
 その笑顔は、とても残酷なものに見えた。
「ならわたしもルーニ先生って呼べー!」
「総員、かかれーっ!」
 そして哀れなちびっ子教師に、少女たちの無数の腕が伸ばされて……。


 目の前にあるのは黒い壁。
 そこを超えれば、広がるのは楽園……。
 ではなくて。
「……………ええっと。これは、雀原先生の授業で優をもらうためにするのであって、けっしてやましい気持ちでは……」
「自己弁護は良いから、早く結界破ってよ」
 ぶつぶつと呟く祐希に掛けられるのは、ハークの冷たいひと言だ。もちろん、既にハークは挑戦済み。翼型のレリックから放つ風の刃では、黒い結界に傷ひとつ付けることは出来なかった。
「……そもそもこれ、僕らが破れる物なのかな?」
 黒い結界の周りにいるのは、当然ながら一年だけではない。
 あちこちにいる集団は、葵の結界に挑みに来た上級生達だろう。結界を抜けば葵の授業で優がもらえる上に、女子のお風呂を公然と覗けるのだ。
「先輩達が挑んでるって事は、完全に不可能じゃあない……とは思うんだけど」
 しかし、華が丘高校屈指の魔法使いがそれだけの力を注いだものを、果たして自分たちが何とか出来るものなのか。
 そんな祐希の背後に掛かるのは、巨大な影。
「あ、良宇君。どうするつもりなんですか?」
 良宇の答えは、極限にまでシンプルなもの。
「殴る」
 たった、二語。
「……は?」
 いきなり全力での力押しだった。
「体育以外の授業で優なんぞ、貰えそうにないからな」
 それが、この壁を破れば優がもらえるという。赤点を取る自信に掛けては右に出る者のいない彼にとって、単純な勝負で決着のつくそれは願ってもない事だ。
「保健体育は満点取る気か?」
「…………」
「テスト作るの、俺じゃなくて兎叶先生だからな」
 どうも、体育でも優は狙えそうになかった。
「と、ともかく、やるだけやってみるわい! うおおおおおおおおっ!」
 天を突く叫びと共に少年の筋肉が倍ほどにも膨れあがり、辺りの小石がぱきりと爆ぜる。
 大きく拳を振りかぶり、踏み込む足が地面にわずかにめり込んだ。
 武『術』ではない。
 戦闘本能それだけで、良宇は全ての動きを極限までに最適化。一連の動作全てをただ打ち砕くためだけに連動させて、真正面へと叩き込む。
 轟音。
 大地さえ、砕けるかと思われる程の一撃。
「…………大丈夫?」
 へんじはない。
 無傷の黒い壁に崩れ落ちるのは、燃え尽きた良宇。
「力押しは、無理か」
 真っ白な灰になっている良宇をみんなで横に退けていると、空の上からレイジが降りてきた。
 家の空飛ぶ馬を召喚し、上空の偵察に出ていたのだ。
「上も無理っぽい。こいつぁ、何とかして穴開けるっきゃねえな」
 そんな事を話していると、黒い結界の中から数人の女生徒が姿を見せた。
 一年ではない。プールのお風呂があると聞いてやってきた、上級生達だ。
「あ。結界破り? 一年のコたち、まだお風呂入ってるよ。頑張ってねー?」
 結界を前に難しい顔をしている祐希達に、変な目を向けるどころか楽しそうに手さえ振ってみせる。
「今の、三年の先輩だったよね……?」
「なんか応援されたんだけど……」
 どうも、葵の結界はそれだけの信頼をされているものらしい。
 男子達の視線を拒む黒い壁は厚く。
 そして、どこまでも高かった。


 その壁の内側。
「あの……葵先生」
 引き締まった腕をゆったりとお湯で洗い流しながら、冬奈は傍らの女性の名を呼んだ。
「何?」
「どうしたら、はいり先生みたいにおっぱい大きくなるんですか……?」
 言葉を引き継いだのは、ファファだった。
 視線の先にあるものは、ルーニで遊ぶ兎叶はいりの出るところの出た細身の肢体。
「……バカなぶん、胸に栄養が行ってるんじゃない?」
「メチャクチャ言いますね……」
 とはいえ、葵の言葉に嫌悪の色は見られない。
 はいりと葵は幼い頃からの付き合いと聞いていた。彼女たちの過ごした時間は、そう言い合えるだけの関係を築くに足りる時間だったのだろう。
 そんなパートナーと巡り会えるのだろうかと。身体の奥まで染み渡る暖かさに口元まで身を沈ませながら、ファファは何となくそう思ってしまう。
「……じゃなくって。この結界、ホントに大丈夫なんですか?」
 言葉を継がないファファの代わりに、問いを続けたのは冬奈だった。
 プールの周りを囲む結界は、天井は青空が見えており、周囲は黒く遮られている。周りの状況は見えないが、外には男子がいるらしい。
 まさかとは思うが、結界が抜けられて、この空間が覗かれるなどという事は……。
「簡単に抜けられるようなら、こんな危ないことしないわよ。それに、抜けられたら分かるようにもなってるし」
 それだけの空間を、葵はたった一人で展開し、維持し続けているのだ。プールの中ではいりのようにはしゃがないのも、その維持に集中が必要だからに違いない。
「だから先輩達や、ブロッサム先生達も………」
 感慨深げに呟いて、ルーニ達の方を見れば。
「……あれは、ちょっとリラックスしすぎね」
 とても男子には見せられない光景だなと、冬奈はそれを見なかったことにした。
「ほら、あなたたちもゆっくりしてらっしゃい。お風呂は三日に一度しかないんだから」
「……はいっ!」


 黒い壁一枚を隔てた戦場で。
「ねえ、委員長」
 真剣な表情で呟いたのは、ハークだった。
「委員長の携帯なんだけどさ。こないだ、手足が生えてたよね? あれ、どうやるの?」
「ああ。……こうするんですよ」
 言われ、祐希はポケットに入れていた携帯を取りだした。普通の折りたたみ携帯だが、キーの側が幾分か厚い。
 いくつかのキーを入力し、祐希はその携帯を無造作に放り投げた。
「ワンセブン、アクティブフォーム!」
 くるくると宙を舞いながら、キーの側の背面パーツが展開を始めていく。腕部ユニットが液晶側の中程までせり上がり、携帯の底には支えるための脚部が二本。
 着地をすれば崩れたバランスを一瞬で取り戻し、腕を伸ばしてポーズをキメる。正面を向き直るその液晶画面には……ご丁寧にも、ドットで作られた表情らしきものが表示されていた。
「これ、かっこいいと思ってる?」
「……別にいいじゃないですか」
 もちろん、本当に携帯が動いているワケではない。祐希の魔法で、それらしく動いているだけだ。
「これってさ。見てる物が見えたりするの?」
 ちなみに昨日のテントで祐希の後を引き受けた留守番役も、このワンセブンである。
「そうですが……?」
 祐希の『人形遣い』は、無機物を遠隔操作する魔法だ。似たような動きをする真紀乃のレリックと違い、対象はサイズ相応の力しか出せないが、集中すれば祐希と五感の共有が出来るという特性を持つ。
 だからこそ、ワンセブンをテントの留守番役に任じる事も出来たのだ。
「じゃ、こうしたら……?」
 そのワンセブンをハークは無造作に掴み上げ、黒い結界の中へひょいと投げ込んだ。
 男は結界に弾かれる。
 ならば、モノであるワンセブンは……?
「携帯は、投げるものでは………っ!」
 そんな悲鳴を残し、ワンセブンは黒い結界を………すり抜けた。
「なあ、ハーク」
 だが。
「何?」
 力尽きた良宇をぱたぱたと扇子であおいでいたレイジが、珍しく現場へ声を掛けた。
「あれ投げ込んでも、中が見えるのは祐希だけじゃねえか?」
「あ…………」
 誤算だった。
 これでは祐希に協力しただけで、ハーク自身に何のメリットもない。
「委員長! せめて中の写真を………っ!」
「ああ、魔法遮断の結界もあるみたいですね。接続……切られました」
 強制的な切断は、あまり心臓に良いものではない。軽く殴られたような衝撃に、祐希はその場にしゃがみ込む。
「これ、森永くんのよね?」
 そこに掛けられたのは、結界内から姿を見せた女子の声だった。
 晶である。
 軽く上気した風呂上がりの肌に、薄手のシャツが張り付いていて……思わず祐希は、目のやり場に困ってしまう。
「ってか、まさか森永くんがねぇ……」
 苦笑しつつ差し出されたのは、手足の生えた携帯電話。
「いや、その……それは……ですね」
 プールの内側に転がったはずだが、大きなダメージは受けていないらしい。キーを押して着スペルを唱えれば、液晶画面は困ったような表情に切り替わり、手足をひょこひょこと動かしてみせる。
「それはルーニ先生たちから聞いてるけどさ……。他に手は?」
「僕は手詰まりですね……」
 祐希の本領は、物体操作を中心とした情報収集と支援にある。その魔法を根本から遮断されては、手の施しようがない。
「そっか。なら暇でしょ? 相手してよ」
 しゃがみ込んだままの祐希の顔を、晶は悪戯っぽく覗き込む。それが故意か、無意識なのか……。
「あ、相手……?」
 視線を思わずワンセブンのドット絵の表情に落とし、祐希は彼女のアプローチに戸惑いを隠せない。
「あたしでも……ううん、あたしがしたいのか。森永くんなら、十分相手になってくれそうだしね」
「え、あ、あの、何の……?」
「あたしがしたいって言ったら、決まってるじゃない」
 祐希の手を取り立ち上がらせると、晶はその手を握ったままで。
「楽しいこと……よ」
 少年の手を引き。
 テントの中へと、姿を消した。


 それから、ほんのわずか後。
「………調子はどうだい?」
 祐希と晶が消えていったテントに顔を出したのは、再起動した良宇を連れたレイジだった。
「あ、二人も脱落組?」
「ありゃ無理だ。俺の手持ちじゃ、どうにもなんねぇ」
 結界を破るか、魔法そのものを打ち崩すか。
 弱い結界なら力押しでも何とかなるだろうが、良宇の力さえ通じない今、魔法破りの使い手にしか勝機はないだろう。
 迫る炎を打ち崩した、昨日のレムの雷があればあるいは……といった所だが、今日のレムは体力を使い果たし、魔法が使える状態にはない。
 ひとまず今日は、お手上げだ。
「それより、こっちの方が面白そうだったしな……。で、どうだ?」
 その話を振った途端、テントの床にぺたんと座っていた晶が、ぷぅっと頬を膨らませてみせる。
「ちょっと聞いてよー。森永くんったら、だらしなくってさぁ……。まだ七回よ? 七回でオシマイなんて……」
「ンだぁ。だらしねぇなぁ……もちっと気張って見せろよ。男だろ? 祐希」
 その場に倒れ込んでいる祐希に、さすがのレイジも渋い顔。いくらなんでも、七回でギブアップは早すぎる。
「そ、そんなこと……言われても………。水月さん、手加減なしで……」
 祐希としては限界まで搾り取られたのだろう。
 干からびかけた手をそっと挙げようとして、途中で力尽き、崩れ落ちる。
「じゃ、次はホリン君、相手してよ……いいでしょ?」
 対する晶はこれからが本調子と言ったところ。唇をぺろりと舐めて湿らせると、少年を誘うように見上げてくる。
「んー? 俺ぁどっちかっていや、こっちのが好きなんだが……。良宇もこっち専門らしいしな」
「……三人で?」
 さすがの晶も予想外だったのだろう。
 いきなりの要求に、思わず目を丸くしてみせる。
「びっくりしたんだけどよ。みんな、あんま知らねえのな? てっきりみんなフツーにやってるもんだとばかり思ってたんだが……」
 メガ・ラニカで少数派なのは、そんなものだと諦めていた。けれど、華が丘でも少数派だとは、まさか思っていなかったのだ。
「まあ、ちょっとマニアックだしねぇ。慣れちゃうと、どってことないけど」
 晶も唐突すぎて驚いただけらしい。既にわずかに身を乗り出して、十分以上のやる気を見せている。
「で、どうでい。やれるかい? 良宇は三人でも、平気だよな」
「………ああ。お手柔らかにな」
 良宇もその場に腰を下ろし、始まりを今か今かと待っている。
「いいわ。なら、二人まとめて相手してあげる……けど、あたしを満足させてくれるんでしょうね?」
 あっさり終わったら承知しないんだから。
 そう艶っぽく微笑んで。
「へっ。後でヒィヒィ言って謝んじゃねえぞ?」
 三人はポーカーのトランプと、祐希から巻き上げまくったチップの山を片付けると。
 レイジ持参の花札を、楽しそうに広げるのだった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai