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3.おはようPM31時

 昇る朝日が、静かに眠る街をゆっくりと照らし出していく。
 闇の夜を払い、強いコントラストを生み出して、やがて光もその影も、全てを輝きと熱の中に包み込んで……。
 朝日を背に負い、川沿いの土手を走るのは、少女の姿。
 は、は、という軽やかな呼気と、土の道を蹴る靴音が、微睡みの朝をテンポ良く駆け抜ける。
 わずかに紅潮した少女の顔に浮かぶのは、満面の笑顔と、笑顔でも足りぬ喜びの感情。
 見上げる。
 そこにあるのは、影。
 陽光を背に受け、少女に併走して翔ぶ、鋭角のシルエットで構成された人型の何か。
 それは、少女の夢の一つ。
 叶わぬと。叶うはずがないと思っていた、あまりにも突拍子もない夢の一つ。
 それに向けて元気よく手を振れば、鋭角の何かは指を二本立て、こちらに向かって気取った敬礼をしてみせる。
「ま…………っ」
 そのひと挙動で、ドキドキが、弾けた。
「魔法世界、最高っ!」
 元気いっぱいそう叫び、子門真紀乃はその元気のまま、長く続く土の道を走り続けるのだった。


「…………夢、か」
 耳元に届いた声は、誰の声だったか。
 穏やかな声。
 こちらに伸ばされる手。
 そして、開かれた手の中からこぼれ落ちる……。
「久しぶりだな……この夢も」
 枕元に置いたブレスレットを見やり、少年は小さくそう呟いた。
 銀の弾丸を紐で繋いだ、簡素なブレスレットだ。もちろん八発のそれは実弾ではないが、かといってシルバーアクセサリのように洒落たものでもない。
 それが、手の中からこぼれ落ちたものの正体だ。
 夢の中。もらった当時は十発あったそれも、いつしか二発分を減じ、今の数となっていた。
「気が立ってるのかな……」
 カレンダーの今日の日付には、大きな丸と『決戦!』の二文字。
 そう。
 今日は、華が丘高校の入学試験の当日だ。少々神経質になって、古い夢を見てしまうのも……ある意味、仕方のない所だろう。
「月瀬さん………」
 枕元の時計を確かめ。少年は銀弾のブレスレットをそっと取り上げると、もそもそと制服へと着替え始める。
「少し早いけど……練習、行くか」


 銀色の弾丸が、ディスプレイの奥、異形の怪物へと吸い込まれていく。
 手元に伝わる振動とヘッドセットからの断末魔が耳を打ち、その手応えが確実であることを伝えてくれた。
 異形の膝が折れ、そのままポリゴンの欠片となって砕け散る。
 エンディングの会話を銃把に付けられたスタートキーでスキップすれば、スタッフロールがゆっくりと流れ出す。
「…………結局、最後までやってしまった」
 勉強の気分転換、昂った気を落ち着かせるため……と自分に言い訳しておいて、ハンドガン型のコントローラを手に取ったのは日付が変わった直後のこと。
 そして外を見れば、目に飛び込んでくるのは東に昇ったおひさまだ。
「ああ、朝日が黄色いよ……」
 時計を見れば、起きるはずの時間には少しばかりの余裕があった。
「……寝ようかな」
 だが、今寝て予定通りの時間に起きられるかと聞かれれば、少女は『否』と答えるしかない。
「でもテスト中に寝たら、本気で死ねるわよね……」
 寝るべきか、このまま入試に挑むべきか。
 それを考えつつ、もう一度外を見る。昇る朝日が、眠気を一気に散らしてくれないかな……などと、都合の良いことを考えれば。
「…………」
 そこに飛んでいたのは、ロボットだった。
 確か、ゲーム化したこともあるはずのそれは、設定では何十メートルの大きさだっただろうか。
「…………ヤバい。寝よ」
 その辺をうろうろしている天候竜ならともかくとして、ロボットの幻覚を見るようでは受験どころの騒ぎではない。
 少女はふらつく頭で時計の目覚ましと携帯のアラームを確かめると、ぼすりと布団へ倒れ込んだ。



 華が丘山の門を抜け、ひたすら長い坂を登れば、やがて華が丘高へと至る。
 しかし、彼は森を抜けたところで、全く別のルートを取った。
 直上、である。
 横に張り出した枝を蹴ること数度。細くなっている大樹の頂にひらりと身を置き、糸杉よりも細い身体をすっと伸ばす。
「ふむ。これが、地上世界というものか……」
 空に近い場所を吹く風に白銀の髪を好きに遊ばせながら、辺りを鷹揚に見回してみせる。
 眼下に広がるのは、朝日を弾いてきらきらと輝く屋根の群れ。その先に見える巨大構造物は、華が丘を通り抜け、魔法が使えないと聞くはるか彼方にまで至っている。
 魔法のない世界で、はたしてそれはどうやって造り上げたものか。
「朝一番でゲートを抜けてきた甲斐があったと言うものだな……面白い」
 言葉と同時。
「とぅ!」
 彼は数語の言葉を連ねると、大樹の先を蹴り抜いてその身を天空へと踊らせる。
 飛翔、ではない。
 木の先端の弾性を加えた、大跳躍だ。
 放物線を描いて跳び向かう先は眼下の街ではなく、大樹の頂からでも見上げねばならぬ、ひたすら長い坂の上。
 市立・華が丘高校。


「…………どうしよう」
 真紀乃は右を見て、今度は左を確かめてみた。
 どちらも、何の見覚えもなかった。
「迷った」
 その結論に達するまで、一ミリ秒もかからない。
 田舎の早朝だというのに、辺りを見回しても第一村人はどこにもいない。そのうえ携帯は華が丘に入ってからずっと圏外だったから、冬奈の家に他の荷物と一緒に置いたまま。
「…………とりあえず、学校に行けば何とかなる……かな」
 幸い、受験票だけは胸ポケットに入れっぱなし。
 後の荷物は公衆電話を見つけて連絡を取るか、冬奈が気を利かせて持ってきてくれる事に期待するしかない。
「……って、道場の番号知らないし!」
 交番でも見つけた方が早いかしら。などと思いながら、真紀乃は再び移動を開始するのだった。
 目指す場所はとりあえず高いところ。
 目の前の長い坂を、一心に走り出す。


「これが、華が丘高校、というやつか……。なるほど、なるほど……」
 木の上を跳び渡ること幾ばくか。
 彼がたどり着いたのは、目的地である華が丘高校だ。
 着くのが少々早すぎたのだろうか。玄関前のロータリーにも、跳躍の間に見た校庭にも、誰の姿も見あたらない。
 ちなみにロータリーの中央、小さな時計塔の指す時刻は、六時半。受け付け開始の八時半まで、まだ二時間近くもある。
 当然ながら、まだ誰も……
「…………やあ。一番乗りにはなれなかったか」
 いない、わけではないらしかった。
「しかし、面白い暇の潰し方をしているね、君は。何のモニュメントかと思ったよ?」
 身の三倍はある巨岩を支え、その場に不動で立つ男。
 それは昨夜の商店街、閉店間際のオランジェの家にいた和装の巨漢……。
 良宇、であった。
「…………」
 険しい顔で巨岩を支え、良宇が少年の問いに言葉を返すことはない。その様は、まさしく天空を支える巨人アトラスの如く。
「なるほど、向こうのモニュメントと対になる構図を選んだか……なかなか気が利いているじゃないか」
 良宇を挟んだ向こう側、華が丘高校の正門の脇には、メガ・ラニカとの友好を記念したモニュメントが置かれている。何をモチーフにしているのかよく分からないと評判のそれを、少年は良宇と対比して見ることにしたらしい。
「…………」
 しかしその言葉にも、良宇は無言。
 ただひたすらに、彫像と化して巨岩を支え続ける。まるで、少年の姿など目に入ってはいないかのように。
「……ほほぅ。我慢比べというわけか」
 普通なら、ここまで無視されれば腹の一つも立てそうなものだが……。
「面白い! このウィリアム・ローゼリオン、その挑戦、受けて立つぞ!」
 ウィルは悠然と腕を組むと、巨神アトラスの返答を待つ英雄ヘラクレスの如く、目の前の巨漢へと対峙する。



 森の中に築かれた白亜のそれは、さながら神殿のようであった。
 奇跡を人の力で起こすメガ・ラニカに、祭られるべき神や頼るべき宗教はない。強いて言えば魔法使いの守り神、初代老ドロシーの盟友たるツェーウーがそれに当たるのだろうが……ツェーウーを祭る社はもっと簡素なものであり、これほどの規模の神殿は王都にも存在しないだろう。
 ここに祭られているのは、守り神のように曖昧なものではなく、もっと現実的に価値のあるもの。
 華が丘と魔法世界を繋ぐ門……ゲート、だった。
「で、まだ動かないの? これ……」
 その前に並ぶ列をうんざりといった様子で眺めながら、小柄な少年は溜息を一つ。
 メガ・ラニカから華が丘への渡航は厳重に管理されており、普段であれば一度の移動で多くても十名程度のはずなのだが……今日は年に一度の特別な日。
 市立華が丘高校の受験当日だ。
 この日ばかりは受験希望者の全てが華が丘に移動するため、ゲートの前は受験希望者でごった返す。特に華が丘で一夜を明かす手段を持たない多くのメガ・ラニカ人は、受験にギリギリ間に合うこの時間に集中してしまうのだ。
「ったく。女の子ならいいけど、男に囲まれたって嬉しくも何ともないよ……」
 それも、少年が苛つく理由の一つ。
「相変わらずストレートだなぁ、おめぇ」
 隣に立っていた眼鏡の少年はそう呟くと、立ったままで読んでいたハードカバーをぱたんと閉じた。ポケットから取り出した呪符にぐいと押しつければ、分厚い装丁の書物は何の抵抗もなく、呪符の中へと押し込まれていく。
「……見下ろさないでよ」
 特に隣に立つ少年は、彼より頭二つ分は背が高い。
 長身のお姉さまがたから「小さい」とか「かわいい」などと言われるのは満更でもないが、男から見下ろされるのは勘弁して欲しかった。
「無茶言うなって。だったら、持ち上げてやろうか? お姫様だっこのがいいか?」
 そう言いながら、眼鏡の長身は呪符の中に手首まで押し込み、何やらごそごそと中を探っている。魔法の図形の封じられたそれは、ここではない別のどこかに繋がっているのだ。
「触らないでってば。それにボクにはハーキマーっていう立派な名前があるんだから、おめぇなんて呼ばないでよ」
「略してハークってとこか。俺ぁレイジってんだ。略してレイジでいいぜ?」
 結局レイジが呪符から取り出したのは、先ほどのハードカバーよりは二回り以上も小さな文庫本だった。しかもタイトルは『次郎長三国志』である。
「略してないよ、それ……」
 受験生達の列が動く気配は、まだない。太陽の位置からすれば、そろそろ移動を始めてもおかしくない頃合いではあったが……。
「ま、気楽に行こうぜ。それに楽しいじゃねえか。なんかこう、祭りって感じでよ。向こうの世界の、なんて言ったっけ……段斬り?」
 地上世界から取り寄せた書物にあったイベントだ。
 メガ・ラニカで言う収穫祭に相当する祭らしいが、巨大な戦車らしきものを派手に乗り回すそれは勇壮かつ豪快で、少年の中では地上世界に行ったら一度は見てみたいイベントの一つに挙げてある。
「知らないよ……」
 一向に動かない男だらけの列の中。
 ハークは、もう一度溜息を吐く。



 一向に動かないのは、こちらも同じだった。
 巨岩を支える謎の巨漢と、それに対して不敵に構える銀髪の少年の二人組。
 もっともこちらは動けないわけではなく、動かない、というべきだったが。
 だが、次の瞬間。
「危なーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
 良宇が支えていた巨岩が、爆音と共に砕け散った!
「なんじゃーっ!」
 バラバラと降り注ぐ瓦礫の雨の中、巨漢の叫びが校舎に響き渡る。
「とーう!」
 その中をひるがえる、小さな影。
 スカートの黒と首に巻かれたスカーフの赤を曳き、くるくると宙を舞うセーラー服は。良宇の巨体を飛び越え、た、と玄関前に着地する。
 ゆらり首元で跳ねるのは、螺旋を模した小さな首飾り。
「く……黒…………」
「ブルマだからぱんつじゃないもんっ!」
 眼鏡代わりに下ろしていたゴーグルを額に引き上げ、そいつは良宇達をびしりと指さし、声高に叫ぶ。
「危ないところでしたね! でもあたしが来たからにはもう大丈夫ですっ!」
 それは、華が丘の街をさまよっていたはずの真紀乃だった。
「おお。これは元気の良いお嬢さん。……出来ればこの浅学非才な私にも分かるように、状況の説明を頂きたいのですが……?」
 良宇が支えていた大岩を砕いたのは、何かの魔法だろう。それはいい。
 けれどその発言に至るまでの過程に関しては、さすがのウィルにも想像することが出来なかった。
「あなたがこっちのでっかい人の上に石を落として、やっつけようとしてたんでしょ! ナイルが何でも知ってるように、あたしの目だって誤魔化せません!」
 ナイルというのは節穴の代名詞だろうか……とウィルは思ったが、さすがに口にはしなかった。
「ああ、それは誤解ですよお嬢さん。無力な私に出来るのは、大岩を落とすような無粋なことではなく……この程度が、精一杯」
 代わりに取り出したのは、一輪の薔薇の花。
 優雅に真紀乃の前に膝を折り、芝居がかった動作ですっと捧げてみせる。
「ふぇ……っ?」
「それから、元気な貴女もとても魅力的ですが、淑女の嗜みを身につけた貴女もぜひ見てみたいものです。そうスカートをひるがえされては、私たち男どもは目のやり場に困ってしまいますから……」
 傍らの良宇はその中身を直視して、硬直したままだ。
「え、ええっと………ば、ばかぁぁっ!」
「おおっと! 僕の剣は、レディに向けるものではないのでね! 失礼っ!」
 拳を振り上げた真紀乃から跳躍一発で距離を取ると、ウィルはさらなる跳躍で華が丘の街へと消えていく。
「もぅ……っ! 待ちなさーい!」
 真紀乃もそれを追いかけて、ようやくたどり着いた華が丘高校を後にする。
「…………」
 ひとり残された良宇は、瓦礫の中、硬直して立ちつくしたまま……。


 動き出した列が向かうのは、ゲートのある神殿の正面方向ではなく、横方向だった。
「ふぇ……っ!?」
 小さな身体が回りに押され、少女は思わずバランスを崩してしまう。
「っと、危ない」
 それを受け止めたのは、細く長い少年の腕。重いものは支えられそうにないその腕でも、小さく軽い少女を支えるだけなら十分すぎた。
「ありがとー」
「大丈夫か? えっと……」
「ファファだよ」
 小さな少女はそう名乗ると、助けてくれた少年ににこりと笑顔。
「ファファさんか……」
「へへ……っ。さん、なんて付けられたの、初めてだよ……えっと」
「レム・ソーアだ。レムでいい」
 こちらは腕と同じように、体格も細く長かった。ファファと並べれば、大人と子供ほどの差がある。
「レム君。これ、どうしたんだろ? ゲートが開く時間なのかな……とも思ったけど」
 しかしそれなら、動く方向は神殿側のはず。今回の動きはそちらではなく、神殿から見て横方向だ。
「ぼちぼちそんな時間じゃあるけどな。…なんか、真ん中に道作ってるぞ」
「道? 誰か、先に行くとかかな?」
 ファファもレムも、列に並んで既に一時間は待っている。その待ち時間をスキップ出来る相手というのは、おもしろい話ではない。
「貴族じゃあるまいし……あ、誰か来た」
 周りより頭一つ高いレムの視線の先。並ぶ頭の列の向こうをゆっくりと歩いてくるのは……レム達と同年代の、女の子だ。
「あぅぅ……わたしも見たいよー」
「見たいって言われてもなぁ……まさか、だっこするわけにもいかんだろうし」
 小さいとはいえ、ファファもレムと同い年。レムの誕生日はかなり遅いから、むしろ年上の可能性さえある。
「いいよー」
 だがその微妙な案を、ファファはあっさりと承諾。
「………むぅ。じゃ、こっち来な」
 変な所を触らないように気を付けながら、おそるおそる手を伸ばすと……ファファのほうからぎゅっと抱きついてきた。
「…………」
 諦め、ファファを落とさない事を最優先に。
 小さな身体の重みを腰と脚でしっかり支えられるようにして、ファファの視線をレムと同じ高さへ持って行く。
「ああ。キースリンさまだねぇ」
「知ってるのか?」
 ドレスの裾と長く伸びた黒髪を優雅に揺らし、神殿までの道のりをしずしずと歩き進む。素人目にも分かる、高貴な者の立ち振る舞いだ。
「わたしのパパ、お医者さんだから。ハルモニアのお屋敷にも、何回か連れて行ってもらったことがあるの」
「ハルモニアっていや、確かに名門だな」
 上流階級に興味のないレムですら知っているほどの名門だ。魔女王を支える多くの大魔女を輩出し、何代か前には……。
「……草薙の剣を賜った家、だよな。いいなぁ……一度で良いから、見てみたいよなぁ」
 それはメガ・ラニカに伝わる宝剣のひと振り。
 もっともそんな秘宝は仮にキースリンと知り合いになった所で、簡単に見られはしないだろうが。
「あ。列、動き始めたよ」
「……よっし。じゃ、行くか」
 ふと浮かんだ考えを振り払い。レムは抱えていたファファを下ろすと、ゆっくりと動き出した列にそって歩き出した。


続劇

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