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2.強敵、遠方より来たる

 東の都を後にして、はるかはるか西の果て。世界を隔てる壁を越え、さらにさらに翔んだ先。
 虚無の彼方に浮かぶのは、平らな大地の魔法の世界。
 名を、メガ・ラニカという。
「さて。忘れ物はないね、モネ」
 メガ・ラニカ王都の外れ、小さな森を祭る村の広場に、二人の女性の姿があった。
 うちの一人、老婦人の問いに、少女は元気よく答えてみせる。
「うん、大丈夫。これもちゃんと持ったし」
 そう言ってポケットから取り出したのは、手の平に乗るほどの小さな杖と、それとほとんど変わらない大きさの手帳。
 見せられたそれを満足げに見やり、老婦人は穏やかに微笑んでみせる。
「なら大事ないね。後は向こうに行っても、ちゃんと修行するんだよ?」
 しかし、婦人のそのひと言に、モネはしゅんとうなだれてしまう。
「うぅ……分かってるよぅ……ばーば」
「おや。華が丘高校に入りたいって言ったのは、モネだろう? しっかりおし」
「そうだけど……」
 どうにも、引っかかるところがあるらしい。先ほどまでの元気はどこへやら、眼鏡の奥の瞳にも、戸惑いの色がわずかに浮かぶ。
「入学の条件が、修行はちゃんとするって事だったろう? 前に教えた事は覚えてるね? 魔女にとって、契約は……」
「……絶対です」
 契約は、世界を縛る法則だ。魔法使いは己の魔力を代価とし、呪文や神器を言葉として、漂うマナと契約を結ぶ。
 その履行こそが、魔法。
 魔法を司る者にとって、契約を守ると言うことは、己の力そのものを肯定するに等しい。
「よろしい。向こうのゲートまではメレンゲと渡し守に付いていけば大丈夫だからね……メレンゲ! おいで!」
 老婆の声に現れた小さな白フクロウが、モネの肩に音もなく舞い降りる。
「……うん! 向こうにはにーにも待ってくれてるから。よろしくね、メレンゲ!」
 張りを取り戻したモネの声に、メレンゲと呼ばれたフクロウも小さく鳴いてみせた。
 モネは華が丘と魔法世界の両親の間に産まれた、いわゆるハーフである。祖母はメガ・ラニカに住んでいるが、両親や兄は華が丘でモネの帰りを待っているはずなのだ。
 それを思えば、いつまでもうなだれてはいられない。
「後は……おお、来た来た」
 祖母の言葉に顔を上げれば、村の広場に二人の影が姿を見せたところだった。
 うち一人は、モネの祖母と同じくらいの老婦人。残る一人は、小さな男の子だ。
「……誰?」
 男の子もこちらに気付いたらしい。モネの問いに、無言のままで首を傾げてみせる。
「おお、大魔女さま。お久しゅう」
「……同じ大魔女同士で何を言うかね。フランでいいよ、大ブランオート。何千年ぶりかね」
 どうやらフランと、大ブランオートと呼ばれた婦人は旧知の仲らしい。先ほどまでの穏やかな口調はどこへやら、軽い憎まれ口さえ叩いてみせる。
「モネ。この子も華が丘に連れて行っておやり」
「……きみは?」
「……セイルだよ?」
 ぽそりとそう呟いて、セイルはそれきり口をつぐんでしまう。
「話題作りが苦手な子でね。何を喋ったらいいか分からないだけだから、放っておいてくれたら良いよ」
 ブランオートの言葉に、セイルも首を縦に振る。その様子には、祖母の言葉に従うだけ、といった雰囲気は感じられない。
 本当に、トークの話題を思いつかないだけなのだろう。
「儂の友達の孫だよ。大ブランオートの話は、前にしてやったろう?」
 暖炉の傍らで聞いた、フランの昔語りを思い出す。
「ええっと……もしかして、これ、作ってくれた?」
 モネが取り出したのは、先ほどフランに見せた小さな杖だ。この神器の創造者が、確か大ブランオートという名の大魔女だったはず。
「……デザインはフランの趣味だからね」
「へぇ……」
 孫から向けられた視線に、フランは動じる気配もない。大魔女という肩書きは伊達ではないのだ。
「孫が華が丘を受験することになったって聞いたから、受験の間はウチで面倒見ることになったんだ。母さんには伝えてあるからね」
「うん。よろしくね、セイルくん」
「………うん」
 差し出されたモネの手を、セイルはそっと握り返す。
 思った以上に小さく、そして優しい力のかけ方に、モネは自然と笑顔を見せていた。
「本日最後の、華が丘への通関を開始します! 向こうへ渡るかたは、こちらへ来てくださーい」
「ほら、時間だよ。二人とも、しっかりやるんだよ」
 そしてその手を繋いだまま、モネとセイルは森の奥へと歩き出す。
「我らの守り神、ツェーウーの加護が在らんことを!」
 二人の大魔女の声援を、その背に受け止めて。



 遠久山駅で新幹線を降りて、ローカル線へ乗り換えて。
 二駅ほど進んだところに、JR華が丘駅はある。
 単線のホームに降りたったのは、冬奈と……。
 新幹線で隣の席に座っていた、おかっぱの少女。
「……華が丘、だったんですね」
 新幹線を降りたところで、怪しんではいた。
「……です」
 同じ電車に乗ったところで、確証はあった。
「もしかして、華が丘の受験生ですか?」
 そして冬奈の予想は、
「はいっ!」
 予想通りだった。
「………帝都からだなんて、珍しい」
 日本唯一の魔法世界ということで、魔法科には毎年何人かの越境入学者がいる。だが、そもそも魔法自体が魔法都市だけでしか力を発揮しない、地域限定の特殊な能力なのだ。
 帝都に帰った後で空を飛べるわけではないし、就職に有利になることもあまりない。他の魔法都市ではその地独自の魔法や技術もあるから、わざわざ華が丘に勉強に来る物好きなどほとんどいない……のだが。
「そうなんですか? でも、あなたも……」
 目の前の少女は、どうやらその物好きの分野に入る存在、らしい。
「ああ、あたしは家がこっちだから。帝都へは、家族に会いに行っただけなのよ?」
 これからの将来を決める大事なことだ。事後ではあったが、冬奈としては電話ではなく、ちゃんと家族の顔を見て報告しておきたかったのだ。
「え? ってことは、先輩……ですか?」
「いやいやいや。あたしも受験生だから」
「え、だって、明日ですよ!? 受験」
「……そうよ?」
 華が丘のランクは、決して高いものではない。普段からの準備を怠らなければ、そうそう落第するものではないと……言われている。
 少なくとも、華が丘の住人にとっては。
「………ふぇぇ。余裕だなぁ………」
 新幹線の中で参考書ではなくずっと小説を読んでいたヤツが何を言うかと思ったが、さすがの冬奈もそこまで口にすることはしない。
 そして、華が丘の外に住んでいる受験者は、外部枠の狭き門を潜らなければならないことも思い出す。
「そうだ。名乗るの遅れましたけど……私、子門真紀乃って言います。合格できたら、同級生……になるんですね!」
「ええ。あたしは四月朔日冬奈。明日はお互い、頑張りましょ!」
 切符を駅長に渡して、二人揃って改札を抜ける。
 既に夕日も半ばまで沈み、東の空は夜の色に覆われ始めていた。予定より少々遅くはあったが、ゆっくり歩いても日が沈みきるまでには家へ帰れるだろう。
「そうだ、四月朔日さん。一つ、教えて欲しいんですけど……」
 旅館への案内でも頼みたいのだろうか? 近くのその手の建物の位置を、冬奈は記憶の中から引き上げていく。
「この辺りで、安いホテルか旅館ってありません?」
 だが、その思考は一瞬で中断。
「………予約してないの!?」
「はい。何とかなるかなぁ……って。最悪、マンガ喫茶でもいいんですけど」
 真紀乃の言葉に、冬奈は無言で駅前を指さした。
 古い駅舎に、申し訳程度のロータリー。
 その前を走る道は、最近整備されて広くはなったが……両脇にあるのは、古びた牛乳屋の建物と、四階建てのJAのビルだけだ。
「……こんな田舎で、中学生を予約なしで泊めてくれる宿なんてあるわけないでしょ」
 車社会のド田舎に、駅前=繁華街という固定観念はない。一時間に一本の単線しか持たない華が丘は、特にその傾向が強かった。
「あとマンガ喫茶もネットカフェも、遠久山まで行かないとないわよ」
 そのマンガ喫茶やネットカフェでさえ、駅からはるか離れた場所に数件があるだけだ。
「じゃ、カラオケボックスは?」
「九時に閉まる所なら……」
 ちなみにそこも、華が丘の端の端、隣町に近い場所にある。もちろん徒歩では、着くのは閉店時刻直前になるだろう。
「コンビニは!」
「それはあるけど……コンビニで徹夜するの? 明日受験でしょ?」
 冬奈のとどめのひと言に、真紀乃はよろよろと崩折れた。
「あぁぁぁあ…………どうしよう。パパもママも仕事だったから、あたし一人で来たのに……! あたし、こんな知らない街でいきなりホームレス中学生!? 容赦なくサバイバル!?」
「うーん。だったらさ……」
 都会育ちにはあまりに酷な、容赦ない田舎の洗礼だ。よよよと泣き崩れる真紀乃に、冬奈はひと言、声を掛けた。
「ウチ、来ない?」


 夕日が沈めば、夜が来る。
 商店街にぽつぽつと蛍光灯の明かりが灯れば、それは閉店間際とほぼ同じ意味を示す。
 そんな店の一つ。『魔女オランジェの家』のドアがゆっくりと開き、扉に吊されたベルがちりんと涼やかな音を立てれば。
「おかえり! モネ!」
「いらっしゃい! セイル君!」
 響き渡るのはクラッカーの破裂音と、元気の良い出迎えの言葉。
 そして細身の女性が飛び出して、入ってきた影にぎゅっと抱きついた。
「…………あら?」
 伝わるのは、違和感だ。
 抱きついた影は、妙に大きかった。
(うちの子って、こんなに大きかったかしら……?)
 一瞬娘のモネではなく、客人に抱きついたのかとも思ったが……フランの話では、セイルはモネと同じか、それより小さかったはず。
 ついでに言えば巨大な影は男でもなかなかいないほどに筋肉質で、和服をまとっているようだった。これで、迎えに出した長男に抱きついた可能性も、消えた。
 となると…………。
「……人違い?」
 見上げれば、そこには完璧に硬直した厳つい顔。
「……オランジェさん。その子、モネちゃんじゃない」
「母さん、間違いだよ。間違い」
 後ろからの声に、女性はああなるほど、と気付く。
 厳つい顔は、店に良く来てくれる常連の子だ。洋菓子店の『オランジェの家』には不似合いな和服姿だが……もともとこの店は和菓子専門店。
 洋菓子を扱い始めたのは、パティシエールの修行をしていた彼女がこの店に来てからのこと。今でも店の一角には、和菓子職人の義父が作る和菓子の数々が並べられているのだ。
「あらら……ごめんなさいね、良宇くん」
「…………」
 だが、良宇と呼ばれた巨漢からは返事がない。
 どうやら、まだ硬直したままらしい。
「今日はどうしたんだい、良宇君。明日は華が丘の受験だろう?」
 和服の巨漢からは、まだ、返事がない。
 二児の母であるオランジェよりもはるかに大きな良宇だが、これでも華が丘の受験生だ。もちろん、彼女の娘のモネとは同い年になる。
「…………先生から頼まれて、荷物を」
 そんな事を考えていると、ようやく、ぼそりと返事が来た。
「ああ。そういえば、大神先生のところにもお孫さんが帰ってきてたんだっけ」
 大神家は華が丘に居を構える、茶道の家元だ。この店が『オランジェの家』に改名するはるか前からの得意先でもある。
「……だから、一席立てることになって……オレも呼ばれたんです」
 目の前の巨漢も、大神流の門弟の一人。今ではめっきり少なくなった茶道大神流の、貴重な受け継ぎ手でもある。
「それでか。準備は出来てるよ。取ってくるからちょっと待っててくれるかね」
「はい。あと……ですね」
 厳つい顔を崩さないまま、視線だけをそらした良宇は、言いにくそうにぼそりとそれだけを口にする。
「……母さん。そろそろ、離れてあげなさい」
 そこでオランジェは気が付いた。
「ただいまー」
 まだ、良宇に抱きついたままだったことに。
「……なにやってるのよ、ママ」
 そしてそれまでの経緯を帰ってきた娘と客人に説明し終わる頃には、とっくに閉店時間は過ぎていたのだった。


続劇

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