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 青い空。
 木々の緑、赤い山門。
 そして、灰色の石畳。
 四色に覆われた世界に咲くのは、白布の花。
 ワンピースの、白。
 た、と揃いのパンプスが石畳を叩き、蒼穹を背に黄金色の長い髪が柔らかくなびく。
 碧い瞳が数度しぱしぱと瞬いて。
 穏やかな緑をそこへと映し、優しく、柔らかく笑む。
 心地よさそうに。
 安らいだように。
「ここが………華が丘」
 紡がれた細く穏やかな声は、赤く塗られた簡素な山門……少女がその名を鳥居と知るのは、まだ随分と先のことだ……を抜け。
 三月の空へと、溶けていくのだった。



華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#0 プロローグ


 森の中に響くのは、間の抜けた悲鳴。
 冬の足跡、広葉樹の落ち葉が踊る軽い音と、重量物が大地を転がる鈍い音が輪唱し。最後にひと打ちくれたのは、木の根にぶつかる打撃音。
「痛ぅぅぅ…………」
 五体が無事なことを確かめるように、そいつは身じろぎを一つ。
 厚手のトレーナーにまとわりついた落ち葉の欠片は、そいつが動く度にぱりぱりという抗議の声を放ち、もとの大地へと還っていく。
 やがて、抗議の音はばんばんという身をはたく音へとトーンを変え、帰還の速度を倍加させる。
「………無事、だろうな」
 五体の無事、ではない。
 そいつが上げた視線の先にあるのは、山肌に突き立ったひと振りの大剣だった。
 剣、である。
 この世ならぬ法則で生み出された『それ』は、物理的な衝撃で破壊されることはない。そのことは一週間前、大剣を受け取ったときに聞いてはいたが……。それが本当かどうか、そいつは正直なところ、あまり信用してはいなかった。
「けど、丈夫なことは……確かか」
 柄を握り、一気に引き抜く。
 岩肌に穿たれているわけではない。半ば腐葉土と化した土とも落ち葉ともつかぬものの上に突き立っているだけだ。引き抜くことなど、造作もない。
 けれど。
「っと」
 そいつの背の丈ほどもある大剣だ。巨大物体を引き抜くに相応しい力を込めて思い切り引けば……まだ慣れていない意外な軽さと勢いに、細身の長身がぐらりと泳ぐ。
 まだ、それを手にして一週間。使いこなすことはおろか、重さに慣れることさえまだ遠い。
「………ブロード・ブロード」
 不安定な山肌で構えを取り直すと、そいつはゆっくりと言葉を紡ぎ。水平に構えていた大剣から、そっと手を離す。
 あり得ないことが起きたのは、その目の前だ。
 引力に従って山肌に落ち、腐葉に沈むはずの大剣が。
 そのまま、浮かんでいた。
 浮かぶ高さはそいつの腰の中程度。ちょうど、手を離した辺りの高さ。
「……よし」
 大剣の腹を確かめるように押し込めば、そいつの加えた力に相応しいぶんだけ、大剣はその身を地面へと近付けてみせる。
「今度こそ!」
 大地を蹴り、ひらりと踊る、細身の長身。
 両足に履かれた安物のスニーカーが大剣の腹を踏みしめ、ぐっと身をかがめれば、落ちた重心は不安定なブレードの上で平衡を保ってくれる。
 ここまでは、今まで通り。
 そして、ここからが本番だ。
 重心を前へと傾け、踏む足に力を込める。
 踏んだ分だけ、浮く大剣はゆっくり前へ。
 亀の歩みから、人の歩みへ。
 早足を超えて、駆け足へ。
 加速する。
 加速させる。
 重心を外へと傾ければ、進路はわずかにその側へ。目の前の幹をゆっくりとかわし、スラロームの要領で徐々に重心移動の速度も上げていく。
 そこに響き渡るのは、悲鳴。
「っ!?」
 同時。
 駆け足の迅さだった浮く大剣は、あっさりと新幹線の速度を超えた。


 青い空に響き渡るのは、少女の叫び。
 白い雲を引き裂くのは、巨竜の咆哮。
「て……天候竜、が…………っ!?」
 それ以上の言葉は出てこない。
 助けての言葉も。
 悲鳴すらも。
 灰色の石畳の上、白いワンピースを着た少女の目に前に舞い落ちてきたのは、小山ほどもある蒼い巨躯。
 ゆっくりと畳み込まれる翼膜も、こちらを見据える双眸も、全身を覆う竜鱗も。
 全てが、蒼空から落とし込んだような、蒼い色。
 蒼い、竜。
 天候竜。
 ウェザードラゴン。
 街に漂う魔の源と、天の気が感じて産まれた、生物にして、生物ならざるもの。
 自然現象の化身。
 それが少女の前で身を屈め、こちらを無言で睨め付けているのだ。
 もちろんその姿勢は、友好や親愛、ましてや服従の威を持つものではない。
 狩猟者の構え。
 気を感じ、マナを食らって過ごす天候竜に、肉食の性質はないはずなのに。
 それはまさしく、狩猟の構えであった。
 咆哮。
 悲鳴。
 圧倒的な捕食者の宣誓に、被捕食者が必死の抗議を返さんとする。
 そして、大地が、揺れた。
 風は起きぬ。
 天候の化身たる天候竜は、自らの動きで風を起こすことはない。
 風を生めば雲を呼ぶ。雲が天を覆えば、蒼穹の性質を持つ晴の天候竜は、自らの存在を自ら消失させることになるからだ。
 だが、風はなくとも圧倒的な存在は、少女に威と圧を感じさせるに十分過ぎるもの。
 白いスカートがはためき、黄金色の髪が流れ、灰色の石畳が端から踏み砕かれていく。
 晴竜の顎が上下に引き裂かれ。
 少女の白い姿を呑み込まんとしたその時。

 竜の眼前を翔け抜ける、一陣の風。
 その速度、実に時速250km。
 竜の疾走すら凌駕する、ほんもののかぜ、であった。


 瞳を閉じた闇の中。
 全身を覆うのは、強い風。
(晴竜に食べられたら、こうなっちゃうんだ……)
 不思議なことに、痛みはない。開かれた竜顎の中、並ぶ鋭く大きな牙は、間違いなく痛いと思ったのに。
 むしろ、包む風は心地よく、力強さや暖かささえ感じさせるほど。
「………大丈夫か?」
 ふと、声。
 風に覆われた耳から聞こえた音ではない。
 少女を包む、暖かなものから伝わってくる……震動だ。
「どこか、痛いか?」
 再びの声に、おそるおそる瞳を開く。
「…………ふぇっ!?」
 飛び込んできたのは、竜の鱗よりも蒼い蒼と……こちらを覗き込む、少年の顔。
「ふぇぇっ!?」
「っと、暴れるな! 暴れるなっつの! 落ちる! 落ちるからっ!」
 慌てる声に下を見れば、そこに広がるのは小高い山と、その周りに広がる街の姿があった。少年の足下にあるのは、長い板のようなもの。どうやらそれを媒介にして翔んでいるようだ。
「え、あ、ひゃぁっ! ふぇ、や、あぁぁ……っ!」
 落ちれば死ぬ、という簡単な結論に至るまでに少女が要した時間は、たっぷり十秒ほど。
「…………落ち着いたか」
 少女を押さえた少年も汗だく。
「…………はい」
 ひたすら暴れた少女も汗だく。
「ええっと………助けて、くれたんですか?」
「まあ、見ての通りだ」
 少なくとも、天候竜の腹の中、というわけではないらしい。竜の顎を目にし、瞳を閉じた直後に感じた吹くはずのない突風の正体は、きっと目の前の少年だったのだろう。
「えっと、ありがとう……ございます」
「………いや、いい」
 小さく呟き、視線をそらす。
「え、でも……」
 助けられた事には変わりない。竜が追ってこない所を見ると、とっさの事に竜も反応しきれず、そのまま振り切る事が出来たのだろう。
 むしろ、礼を言わない理由がない。
「そういう事は、ちゃんと地上に降りてから言ってくれ」
「…………はい?」
 ぽつりと呟かれた言葉を理解するまで、今度はたっぷり十五秒。
「これでこんな高さまで上がったの、生まれて初めてなんだ」
 正確に言えば、これだけの速度をどうやって出せたのかも、分かっていなかった。
「…………はい?」
 そして。
「というか、着地の仕方が分からん」
「………ふぇっ!?」
 最後の言葉に、少女は再び少年の腕の中で、暴れた。


 それから、半刻ほど。
「………死ぬかと思った」
 少年は椅子にもたれ、やれやれと溜息を吐いた。
 空ではない。ちゃんとした、大地の上だ。大通りにある小さなカフェ………は高いので、その隣にあるバス停のベンチである。
「す、すみません………」
「いや、あんたのおかげで助かった……。魔法の制御って、難しいんだな」
 結局、着地の仕方は最後まで見つけることが出来ず。少年は、少女の助言を受けてようやく飛ぶ剣を制御することが出来たのだ。
「とりあえず、お礼」
 そう言って、自販機で買った缶ジュースを少女へと差し出してみる。
 なにせ晴竜が出るほどの陽気だ。落ち着きさえすれば、春の日差しはしごく暖かなもの。
「………ありがとうございます」
 それを少女はそっと受け取り。
「…………」
 プルタブの辺りをじっと眺めた後……ひっくり返して、今度は横に倒してみた。
「……こうやって開けるの」
 とりあえず自分のぶんを開けて少女に渡し、交換した分のプルタブも引き抜いてみせる。
「……すみません」
 少女は少年の見よう見まねで缶を傾け。
「ひゃあっ!」
 鼻の頭に掛かった冷たいオレンジに、小さく悲鳴を上げる。
「いやそれ、向きが逆だから……」
 ハンカチで少女の鼻の頭を拭いつつ、缶の向きを正しい方向に直してみた。
「む……むつかしいんですね……」
「すぐ慣れるだろ。ってかあんた……」
 ふと、少年は何か問おうとして。
「……どした?」
 少女が、少年の手に視線を注いでいる事に気付く。
「いえ、お怪我を……」
「ああ。このくらい、平気だって」
 さっき少女を助ける前、山肌で転がり回っていた時に付いた傷だろう。少女を助けるのと大剣での飛行に必死で、痛みを感じるどころではなかったのだ。
「ちょっと見せてください」
 そっと手を取り、少女は瞳を軽く閉じる。
 口の中で数語の言葉を転がせば、少年の手を取っていたてのひらが、ぼぅっと淡い光を放つ。
「………へぇ。本物のリリックって、初めて見た」
 光が収まる頃には傷はその内へとかき消され、少年の手には何の傷跡も残っていなかった。
 リリック。
 言霊に魔力を与え、奇跡を巻き起こす力。
「地上のかたは、リリックよりレリックを使う事が多いんでしたっけ……?」
 その対となるのが、レリック。
 魔の技を用いて作られた、奇跡を起こす神の器。
 先ほど少年が使っていた空飛ぶ大剣も、そのレリックのひとつである。
「ってことは、やっぱりあんた、魔法世界の人か」
「はい。さっき、こちらの世界に来たばかりだったんですが……」
 ジュースの缶を軽く傾け、ひと口。今度は上手くいったようだ。口に広がる甘い味に、嬉しそうに微笑んでみせる。
「……空を飛んでたウェザードラゴンと、なんか、目が合っちゃって」
「魔法世界にだって竜はいるだろうに」
「いますけど、あそこまでキレイに実体化してる竜なんて、珍しかったですから……」
 魔法世界の竜は、もっと淡い。天の気に対する魔力量が多すぎて、実体化のバランスが崩れてしまうのだ。
 華が丘の竜は、実体化するための魔力と天の気のバランスがちょうどいい量なのだろう。
「ウェザードラゴンと目を合わせりゃ、そりゃ襲ってくるさ。視線をそらせば、ただの自然現象だよ、あんなの」
「そうなんですか………」
 視線さえ合わなければ、竜はこちらに反応してこない。もともと捕食する必要もなく、こちらに興味を持つ事さえ少ない存在なのだ。
 よほどじっくり見ていたか、たまたま竜の機嫌が悪かったか、なのだろう。
「でも、この時期にこっちに来るって事は、華が丘の新入生か?」
「はい。選抜に合格できまして……ご存じなんですか?」
「この街の住人なら、誰だって知ってるさ」
 神社の向こう。山向こうまで延びる道の中腹に、それはある。
 市立華が丘高等学校。
 日本でただ一つ、魔法世界メガ・ラニカの住民を受け入れる制度を持つ事になった高校だ。
 今年はその受け入れが始まった最初の年。第一期生ともなれば、街で話題にならないはずがない。
「あ、陸ー」
 そこにふと、声。
 ぱたぱたと駆けてくるのは、二人組の少女だった。
「どしたんだ、兎叶」
 息を切らせて走ってきた兎叶と呼ばれた娘は、陸とその隣にいる少女に気付き、ニヤリと笑みをひとつ。
「あれ? デート? ……やるねぇ」
「違うよ。……雀原も一緒か」
「何よ。悪い?」
 こちらを睨み付けるような娘の視線に、陸の傍らにいた少女は小さく身をすくめる。
「別に。で、お前ら何か用か?」
「別に陸に用はないけど……人、探してるのよ。今日から葵ちゃんちにホームステイする予定の、メガ・ラニカの人なんだけど……知らない?」
 兎叶の言葉に、少年はその名を口の中で転がしてみせる。
「メガ・ラニカねぇ……」
 メガ・ラニカとは魔法世界を示す名だ。かつてユーラシアに対応すると予言された、南洋に浮かぶ仮想大陸の名でもある。
 その魔法世界が、この華が丘の地で『再発見』されてから三年が経つ。一時期持ち上がった魔法世界ブームもとうに落ち着き、既に魔法はこの街の住人の生活の一部となっている。
「華が丘神社で待ち合わせてたんだけど、いなかったのよね……」
「神社ぁ? 今あそこ、ウェザードラゴンいなかったか?」
「ああ、晴竜のこと? あのくらい、どうにでも……」
 それと同時、呟く兎叶の口に傍らの葵から鋭く手が伸びた。
「別にいなかったわよ。ね、はいり」
「むぐぐー」
 意外に強い葵の締め付けに、口を覆われたままのはいりも首を必死に縦に振ってみせる。
「諦めたのかな……ま、いなけりゃいいや。で、その行方不明者の名前は?」
「えっと……ルリ・クレリックさんって言うんだけど……」
 二人の求める答えは、意外なところから来た。
「あ、それ、私です」
 陸の傍らにいた少女、である。
「ああ。そいやあんた、神社にいたな」
「何よ。あんた神社でナンパ? バチ当たるわよ?」
「バカ言うな。ちょっと事情があってだな……」
 後の言葉は濁すだけ。こっそりレリックを使う練習をしていたなどとは……女子の前では口が裂けても言いたくなかったのだ。
「へぇぇ……。メガ・ラニカから来た子をいきなりとか、陸もなかなかやるねぇ……」
「だから、ちが……っ!」
「じゃ、ルリさん。今日からは私の家に泊まる事になるけど……話、聞いてるわよね?」
 一人慌てる陸を颯爽と放置して、女二人はさっさと話を進めていく。
「では、貴女がホストファミリーの、雀原葵さんですか?」
「そういうこと。で、こっちが友達の……」
「兎叶はいりだよ。同じ、魔法科の一年。同じクラスになれるといいね!」
「そうなんですか。よろしくお願いします!」
 魔法科はその性質上、少人数編成での一学年2クラス制が導入されていた。ホストファミリーの葵はルリと同じクラスになれるよう考慮されるだろうが、はいりに関しては完全な運任せである。
「で、そっちが……」
「瑠璃呉 陸だ。俺も今年から、魔法科に入る」
「違うクラスになれるといいわね」
「………いや、まあ、いいけどな」
 葵達との付き合いも、小中から続けて五年を超える。遠慮のない葵の物言いは、陸としても既に諦めの領域に入っていた。
「陸……さん」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、なんというか……もっと、年上の方だとばかり……」
「…………あっそ」
 小柄な少女三人だけでなく、大人と並べても違和感のない陸だ。むしろ、中学生に見られる事の方が少ない。
 もちろん、小学生の時も電車には大人料金で乗らざるを得なかった苦い思い出も完備済みだ。
「ま、いいや。それじゃ、陸。ルリちゃんのこと、助けてくれてありがとね!」
 そしてはいりと葵はルリを連れ、バス停のベンチを後にする。
「おう。お前らもレリック、使えるようになっとけよ」
「あんなもの楽勝よ。ね、はいり」
「当然っ」


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。


 本編の始まりはこの十六年の後。
 2008年2月。
 まだ肌寒い、華が丘高校入学試験の前日より始まる……。


続劇

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