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4.全ての拒絶の果てに

 狼面の巨躯に及ぶ豪剣が上げるのは咆吼。
 狂犬の迅さに唸る細刃が奏でるのは絶叫。
 超越した知覚の世界で、対の如き打撃が正面から激突する。
 勝ったのは、力強い咆吼だった。
「……他愛ない」
 雷速の斬撃に断たれた仮面を片手で脱ぎ捨て、ドラウンは静かに呟く。
「少し、無理をし過ぎたかの」
 老爺の歪んだ口元から、赤い筋が流れ落ちる。
 直撃ではない。豪斬の余波を受けただけだ。だが、その力強い衝撃は老いたビーワナの骨を砕き、筋を引き裂くには十分な力を持っていた。
「レアル!」
 そこに響く凛とした声に、本性を現した虎族の顔がさらに歪む。
「白い獣機!」
 スクエア・メギストス。
 純白の翼持つ、スクメギ最強の獣機。そして恐らくは、フェアベルケン全土でも最強の一人。
「俺と戦え! スクエア・メギストス!」
 大剣を構え、レアルを拾い上げようと舞い降りるそいつに駆け出そうとして……。
 足を、止めた。
 背後の気配に、踏み出した足が止まる。
「哀れよの……お主」
「……何?」
 その問いに返す間に、白い獣機はいずこかへと猛然と飛び去っていく。
「ワシでさえ老いぼれて気付いたこと故、若いお主に知れと言うのは酷かもしれんが……」
 だがしかし、張りつめる気配は白い獣機を追う事を許さない。後に控えていたシェティスやシスカでさえ、一歩も動けなかった。
「何が言いたい。死に損ない」
 気配の主は、血に染まった狂い犬。
「子供でも気付く者が居るのだ。年上のお主であれば、気付かぬはずもあるまいに」
 砕けた骨で、千切れた筋で、こぼれた刃を構える老爺。猛虎も圧する戦う意志は、極限の集中と共に、受けた傷の一切を無効化する。
 まさに狂犬。まさしく男は、狂っていた。
「シェティス! 一切の手出しは無用だ!」
「ふん。手出しをする余裕など無かろうよ」
 狂喜に叫ぶドラウンに、狂える老犬からの冷ややかな斬撃が襲いかかる。
「……何?」
 本能だけでそれを受け止めた刹那。
 白銀の獣機が大地を蹴り、天空から襲いかかった流星を正面から薙ぎ払った。


 バカ……。
 少女は珍しく、怒っていた。
 ばか……。
 夜空に深紅の軌跡を描き、赤い翼が飛翔する。時折羽ばたく大きな翼は、有翼種にはあり得ない、燃え上がる炎で出来ていた。
「ばかぁっ!」
 迫る客人を一重にかわし、装甲を蹴ってさらに加速。翼の炎は何者をも傷付けぬのか、赤く照らされた客人がダメージを受けた様子はない。
 少女の心の中に、旧い記憶が呼び起こされる。
 新たな仲間を呼び寄せようと決めた事。
 そのための計画を皆で進めていった事。
 そして、現れた仲間に裏切られた事。
「一度失敗したくらいで何だよ……みんな」
 それは少女自身の記憶ではない。心の内に居る……今は口をきく様子も無いが……別の誰かの大事な記憶。
「今度の人達は『赤』じゃないのに……」
 その記憶が源にある事は否定しない。けれど、その記憶のために動いている訳ではない。
 総ては自分の意志のまま。
 目の前に広がるのは巨大な白い艦。護衛の客人を全速で振り切り、上にある艦橋へと一気に駆け上がる。
「仲良くできるかもしれないんだよっ!」
 赤い翼が夜空を染めた。
 途方もなく大きな船の前では粒にすら見えぬ、小さな灯の中心。そこで少女は声を張り上げる。
「ごめんなさい! 話を、聞いてっ!」
 通信には応じぬ相手だから。だから、少女はここまで言葉を届けに来た。
 けれど。
 答えは鈍い機械音。鋼の砲の駆動音。
「話を……ッ!」
 放たれたのは白い閃光。
 客人さえ爆光に変える砲撃は、幽かな灯火をかき消すには十分で……。


 真っ二つに折れた細剣を、シェティスは躊躇無く投げ捨てた。もともと細剣など通じぬ相手。捨てる動作に一瞬の迷いもない。
 背中の槍を一挙動で取り出し、構え直す。
 そして鋭く名を呼んだ。
「ロゥ・スピアード! 貴様か!」
 答えはない。それより早く重矛の一撃が来る。
 直線的な打撃を槍の柄で受け流し、半歩後退。
「シェティス・シシル!」
 対する相手も強く名を呼んだ。
「お前がやりたかったのは……ドラウンを選んだのは、こんな事がしたかったからかよ!」
 崩れ落ちたウシャス。
 血だらけのロッドガッツ。
 そしてイルシャナに戦いを挑もうとしたドラウン。何があったか、火を見るよりも明らかだ。
 二撃目を流した槍の動きは、少しだけ鈍い。
「前に言ったよな! お前が獣機に乗ってるのは、護るためだって! 違うか!」
 三撃目は捌ききれず、肩鎧の端を浅く穿つ。
「違うものか! 私は護る為に戦っている!」
 踏み込んだハイリガードにカウンターを叩き込まんと、浮いた体を押さえつけ、捌いた槍を素早く引き戻す。
「それに……戻る場所は、総て断ったッ!」
 だが、ロゥはそれを避けなかった。逆に体当たりするような勢いで一気に間合を詰めてくる。
「バカ野郎っ!」
 衝撃。
 十分な初速を得られなかった槍はハイリガードの重装に受け止められ、たわみ、半ばから砕け散る。そのまま勢いを止めきれず、轟音と共に大地へと押し倒された。
「通信開け! 付いてんだろ、シスカよぅ」
 狭い席の中、シェティスは無言。
 が、彼女の意志に反し、席の片隅に置いてあった通信機にぼぅ、と光が灯る。
 その瞬間、沈黙の空間は喧噪に圧倒された。
「え……え、え!?」
 声、声、声。
 喜ぶもの、笑うもの、呟くもの。
「お前……達?」
「お早いお帰りで、副長!」
 呆然と呟くシェティスを、元気の良い声が迎え入れる。
「てなわけでお前ら。副長様が復帰したぞ!」
「ロ……ロゥ!?」
「副長、指揮頼んます! 後方からのババアの文句じゃどうにもいけねえや」
 死と隣り合わせの世界に、笑いが弾ける。
「……後で厳罰だな。あの野郎」
「……雅華さん」
「というわけだ、シェティス。出来れば前線の指揮を頼みたいんだが、どうか?」
 だが、その問いに答えるものはない。
 シェティスの手によって、シスカの通信が切断されたからだ。
「ロゥ……」
 ロゥにだけ届くシェティスの声は、獣機を介した接触回線。外部音声ですら、ない。
「……ンだよ」
「オラ……全部絶っただよ……」
 その、はずだったのに。
「どうスたら……ええべか……?」
 震える声で、そう問い掛ける。
 ドラウン一人を取って隊を捨てた自分が、どんな顔をして戻ればいいというのか。そんな自分を許してくれる皆に甘えていいものなのか。
「あれだけ言われて分かんねえのか、馬鹿」
「……オラ、そごまで、賢くねえべ」
 はぁ、と少年はため息を一つ。
「……お前が思ってるほど、みんなお前を嫌っちゃいねえって事だよ」
 狭い獣機の操縦席に力ない鳴き声が響き渡るまで、さほどの時間はかからなかった。
「ったく。手間を掛けさせる姉さんだぜ」
 ロゥは穏やかに苦笑し、押さえつけていたシスカを解放する。
 そこで、気が付いた。
「親父!」
 ドラウンと戦っていたロッドガッツが崩れ落ち、その頭上へ、今まさに狂虎の大剣が振り下ろされようとしている事に。
「ロゥ、上!」
 そして自分達の頭上では、無数の客人が槍を構えている事に。
「ちぃっ!」
 満身創痍の狂犬は大剣の一撃を避けられぬ。
 戦意を亡くした少女も客人の槍を避けられぬ。
 どちらも必殺。二つは護れぬ。
「ロゥ! あたしに任せて!」
 だが、そこに声。
「分かった!」
 本能で即断。迷う時間も考える時間も、ない。
 大剣が振り下ろされる。
「なら、命賭けなさいよ!」
 突撃が放たれる。
「テメエも両方護ってみせろよ!」
 間髪入れぬ問答が終わった瞬間。
 その中間に立つ重装獣機が、炸裂した。


「エミュ!」
 少年の叫びは届かない。
「エミュ!」
 少女の叫びも届かない。
 天を貫く閃光は、小さな娘を一口に呑み込み。
「イルシャナ様! 急いで!」
 少年が声を掛けるよりも早く、細い体に強烈な荷重が叩き付けられる。
 だが、少年はそれを意にも介さない。ただひたすらに片方だけの瞳で前を見、薄れ掛けた輝く直線を睨み付けている。
「あそこ!」
 あった。閃光の残滓に見える幽かな影。加速の中、唯一動く唇を使い、飛翔する獣機へ必死に訴える。
 声を受けてさらに加速。純白の獣機の手のひらの上、少年はただひたすらに耐える、耐える。
 強烈な加速で暗転しそうになる少年の視界の中で、ゆらり、と空中の影が傾いだ。
 落ちる方向は直下。まとっていた赤い炎が薄れ、闇の中に完全に同化しようとしている。
 さらに加速。
 さらにさらに加速。
「急いで! ……もっと迅く!」
 炎を見失わないよう、前だけを必死に。やがて徐々に角度が上がり、首の向きも少しずつ上向きになる。
「そこっ!」
 捉えた位置は落下位置の真下。伸ばせば届く、少女の体。
「!」
 その体は、指先をかすめるのみだった。
 ならば。
「レアル!」
 少年は迷いなく、宙に身を躍らせる。


 重装獣機が左の円盾を天にかざしている。一瞬で周囲の魔力が吸い上げられ、盾に刻まれた文字の連なりが激しく輝いた。
「魔法かっ!?」
 ロゥ自身は魔法を使えないから分からない。だが、周囲の空気全てが水に置き換わったような閉塞感は尋常の物ではない。
「黙ってなさい! 舌噛むわよ!」
 その瞬間、頭の中に理解出来ない無数の情報をいちどきに叩き込まれた。
 絶叫。
「砕き……」
 人の領域を超過した高速詠唱が響き、同時に周りの空間が歪んで壁を為す。盾を成す。
「貫け……」
 現われた結界がシスカに迫り来る客人の槍を弾き飛ばし、装甲を打ち砕いた。
「ロゥ、気を失っちゃダメ!」
「お……おぅっ!」
 強いその言葉に、ロゥは飛びかけた意識を必死に繋ぎ止める。歪みの中心にある生身の体は、既に感覚がない。
「守りの盾……破壊の鎚……」
 矛を天にかざせば、輝く円陣が螺旋を描きながら刀身に絡み付き、長大な光を形成する。
 それをドラウンに下すのだと、ロゥは識った。
 そしてそれがロッドガッツを傷付けない一撃だとも理解した。
「敵を打ち抜け!」
 踏み込み、純粋な光を迷い無く振り下ろす。
 崩壊の音はなかった。
「スーパー!」
「ソルナールッ!」
 望む物だけを打ち砕く、絶対破壊の剛打撃。
 必要な物は意地と意志。
 意志の命ずるままに意地を貫く、その一撃。
 ハイリガードの操縦席を真紅に染めながら、その窮極の奥義は世界を光に染めた。


(ああ……)
 光の中。力なく、少女は想った。
(もう、ダメなのかな……)
 体に力が入らない。閃光の威力を削いでくれた炎の翼も、今は弱々しく揺らいでいるだけ。
 翼を亡くした鳳は、ただただ大地へ墜ちるのみ。
(ごめんね……みんな)
 猛烈な勢いで堕ちているはずだが、不思議と速度は感じない。ゆっくりと考え事をする時間さえ、少女にはある。
(イルシャナさまぁ……レアちん……)
 これが走馬燈なのかな、とエミュは思った。決別したまま別れた主や、泣き顔で別れた友人の顔ばかりが頭をよぎる。
(もう一度、会いたかったな)
 ごめんなさい。
 そう、謝ろうと、思った。
 やっぱり、白も赤と同じなのかも、と。
「ポクが……悪かったね」
 イルシャナの考えが正しかったのだ、と。
「……当たり前だよ」
 少女の呟きは、そっと肯定された。
「そう、だよね」
 心の中の声だろう。幻聴でも、死ぬ間際にその静かな声を聞けただけでも良かったな、と少女はぼんやりと思う。
「どれだけ心配掛ければ気が済むんだ、君は」
 だが、続いたのは少女の中にはない言葉。
「……はにゃ?」
 閉じた瞳を開いてみれば、そこには少年の顔がある。片方だけの目は痛々しく歪み、うっすらと涙さえにじんでいた。
「レアちん! って、落ちてるよ!?」
 ただ、上下は逆に。落ちるエミュと同じ向きで、エミュを抱いたレアルも墜落の真っ最中。
「うん。もう少しで死ぬだろうね、二人とも」
 さすがのレアルにもこの状況を何とかする術はない。無我夢中で飛び出したが、その後の事は珍しく何も考えていなかったのだ。
「けど、最後にエミュと話が出来て、良かった」
 今はもう、死にたいなどとは思わない。けれど、ここまで絶望的な状況で何とかなると思うほどの楽天家でもない。
「ポクもレアちんと話せて良かった。でも」
 腕の中。少女も少年を抱き返し、優しく呟く。
「ポク、もっとレアちんとお話したいよ」
 疲れていた意識に力が戻るのが分かる。
 ここで終わらせたくないと。
 死にたくなんか、ないと。
(翔びなさい。エミュ)
(火照さま?)
 そこに声が届いた。穏やかだが凛とした声が。
(でも、翼は……)
 天翔ける炎の翼はもう亡い。箱船の閃光に灼かれ、散らされている。
(まあ。不死鳥の翼があの程度の炎で焼かれるほど……脆いと思って?)
「……へ?」
 眼前はスクメギの荒涼とした大地。
 一度視界に入ったそれは、加速度的にその大きさを広げていく。
(貴女の想いはその程度!? エミュ!)
 反射的に腕に力を込め、意志を拡げた。
 飛ぶ時のイメージ。燃え上がる炎と、イルシャナのような優雅な翼。
(……だめっ)
 足りない。
 思った通りの力が入らず、翼も放てない。
「……エミュ?」
 そうだ。
「レア、ちん」
 炎、翼、そして……
「レアちん。生きられるなら、生きたい?」
「……え?」
「どうなの? 答えて!」
 大地は近い。転がる岩の形まで分かる程に。
「そりゃ……生きたいさ。エミュと一緒に」
「ならレアちん。力、貸してっ!」
 刹那。
 スクメギの夜空に、真っ赤な爆光が咲き誇る。


「まだ立つか……バケモノが」
 血だらけの操縦席で、ロゥは口元を荒々しくぬぐい去った。
「殺意が足らんのだよ。貴公は」
 目の前の巨漢は右腕で身長ほどの大剣を持ち上げ、肩に担ぎ直す。大剣を支えるべきもう一つの腕は、肩口からすっぱりと消えていた。
「……ドラウン」
 片膝を落としたハイリガードに反応はない。ロゥにもこれだけの負担が掛かる技だ。本体も獣機化を保つだけで精一杯なのだろう。
「俺と道を分かつか、シェティス」
 虎族の顔に何の表情も見せぬまま、隻腕となった狂戦士はロゥの背後に問いかけを放つ。
「……申し訳ありません。団長」
 答えにはまだ、迷いの色。引き戻せば戻る色が、そこには見える。
「良い。それが貴公の選択であればな」
 だがその迷いを断ったのは、他ならぬ迷いの源自身だった。無貌の虎は、少女の答えを知っていたかのように揺るがない。
「止めねえのか、シェティスを」
 しかし、そんな矛盾をはらんだ問いを投げつける者がいた。崩れた獣機の胸甲を開き、その内から男を睨み付ける少年傭兵だ。
「それに何の意味がある? 俺はあ奴に何かを強いた事は一度とて無いぞ」
「テメェ……っ」
 思わず拳を握りしめる。力を込めた所為で全身が悲鳴を上げるが、怒りの前には何の押さえにもならない。
「ロゥ。いいんだ。あの人は……そういう人だから」
「最後の一撃、なかなかに見事だったぞ」
 隻腕の身でそう言い放ち、血止めもせぬまま背中を見せる。
「……最低だよ。お前は」
 たった一人歩き始めたその背中に、ロゥは静かにそう吐き捨てるのだった。


 ゆっくりと紫煙を散らし、赤い翼は夜空に羽ばたいた。中央にある影はただ、一人。
「……エミュ」
 燃える炎の翼の主は少年だ。細身の少年の肩口から、細く鋭い翼が形を成している。
(んー?)
 答える声は、心の中に響く。
「……正直、心臓に悪い」
(ごめんねぇ。ポクも必死だったから)
 今のエミュはレアルの心の中にいる。説明されるまでもなく、レアルはそう理解していた。
 恐らくはその辺りもエミュの能力の一端なのだろう。心に居座られるのは変な気分だったが、エミュだからか嫌な気はしない。
「まあ、助かったからいいけれども」
 そう言って羽ばたきを一つ。エミュの意志でもレアルの意志でも動く翼は、今はレアルの制御下にある。
(レアちんが悪いんだよ?)
 エミュの心がレアルに届く。
(エミュがあんな無茶しなきゃ、僕だって)
 レアルの心がエミュに届く。
「レアちんが悪い」
 唇の制御をエミュが取り上げた。
「エミュだって」
 取られた制御をレアルが取り返す。
「……どっちも悪いわよ。心配かけて」
「イルシャナさまぁ」
 空中で愚にも付かない言い合いをしていた二人に掛けられたのは、呆れたような声だった。
「ごめんなさい。やっぱり白は……」
 謝り掛けたエミュの声に、巨大な白い獣機はゆっくりと手を伸ばす。
「貴女の言ったとおりになったわね」
 イルシャナの手の上でレアルの翼は消え、入れ替わりでエミュが姿を見せる。
「……え?」
 少年に抱きついたまま、炎の娘は呆然と。
「グルーヴェ側から連絡が入ったわ。向こうの管理人『あっちゃん』と、連絡が付いたそうよ」


続劇
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