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『……識別完了、蒼』
 闇の中、意志無き声が響き渡る。
『……識別完了、白』
 夜の中、穏やかな声が流れ消える。
『戦闘姿勢を確認。敵対存在か判定中』
 最初に放たれたのは大剣の一撃。連なるは、意志持つ鋼の鋭い刃。その連鎖に悪意が、敵意が潜むか否か、意志無き物は判断を迷わない。
『戦闘姿勢を確認。敵対存在か判定中』
 最初に現われたのは圧倒の戦機。連なるは、意志無き鋼の轟く拳。その連鎖に覇意が、征気が潜むと感じ、意志在る者は判断を曇らせる。

「Who are you?」

 問いかける術は、無く。
 答える術もまた、無く。

 いまはただ、互いに刃を研ぎ澄ませるのみ。

 居もせぬ敵をただ、目の前に見つめて。
 叩くべき扉は目の前にあるというのに!


ねこみみ冒険活劇びーわな
Excite NaTS
#5『宿命斬』


1.短く、短い夜

 老爺は穏やかに、空を見上げた。
 その先にあるのは夕陽に照らされた巨大な影。
 雲ではない。フェアベルケン中の古代遺跡を乱雑に繋ぎ合わせたような奇怪な人工物が、自然現象であるはずがない。
「赤ではなく、白き箱船、か」
 しゅうしゅうと鳴る喉で、その名を呼ぶ。
 それが、スクメギ遺跡の上空に音もなく浮かぶ物の名。周囲を飛び交う豆粒ほどの客人達が『それ』の巨大さをより一層際立たせている。
「儂の力はもう及ぶまいの……」
 呟きはどこか寂しげだった。かつては偉大な魔法を自在に操りココ屈指と称えられた大魔術師も、今では客人一人倒す事も出来ない。
 だが、老爺の声は寂しげではあっても、無力感を持ち合わせては居なかった。
「さて。では頼むぞ。コーシェイ」
「……はい」
 答えたのは老爺の後に控えていた小柄な影だ。フードに覆われていて顔は分からないが、声の様子からすれば、幼い女の子だろう。
 幼子はきゅ、と背ほどもある長杖を握りしめ、先程と同じ小さな声で言葉を紡ぎ始めた。ゆらりと風が流れ、スクメギの埃っぽい砂がコーシェイを中心にゆっくりと渦を巻き始める。
「して、閣下とコーシェイを頼むぞ。狂犬」
 砂礫の大地に光が走り、大きな図形を描き出す。その光の内側で、老爺は少女の隣に立つ老剣士に声を掛けた。
「……答えぬか。まあ、良い」
 膨大な魔力を必要とする大魔術が、幼子によって成し遂げられる。一際強い閃光が辺りを照らし、老爺を光の中に消し去っていく。
「……案ずるな。リヴェーダ。我が朋よ」
 姿を消した老人に、剣士の遅れた呟きは届いたのだろうか。


 空に浮かぶ船のはるか下。スクメギ遺跡の地中深くで、鉄色の髪の娘は静かに呟いた。
「魔力消失。転移術は成功のようです。転移先のトレースを行いますか? イルシャナ様」
「不要よ、メティシス」
 答えたのは席に着いた娘の隣にいる少女だ。席に備えられた水晶の画面を覗き込むように、メティシスの傍らにある。
「リヴェーダなら上手くやるわ。メティシスは『白』の動きに集中して頂戴」
 頭上の箱船は姿を見せて以来、通信に応じるどころか、動く気配も見せぬまま。こちらの休息を得る絶好の機会ではあるものの、敵を頭上に戴いたままではいい気分でもない。
「それにしても……良かったのですか?」
 イルシャナの柔らかな黒髪を頬に感じながら、メティシスは遠慮がちに口を開いた。
「シーラ様の命令だもの。仕方ないわ」
 蛇族の老爺にシーラからの緊急帰還命令が伝えられたのは先刻の事だ。もともとリヴェーダはシーラの部下だから、彼を借りているだけのイルシャナにそれを拒む権限はない。
「いえ、それもですが……」
 水晶盤に映る無数の点を見つめたメティシスの言葉は、いささか歯切れが悪いまま。
「それ以上、言わないで頂戴」
 メティシスの言いたい事が分かったのだろう。イルシャナははぁ、と憂鬱なため息を吐き、細い指を少女の唇にそっと押し当てる。
「私だって、別にエミュを嫌っているわけではないのだから……」
 その時、水晶盤から断続的な音が響いた。二人の少女の表情が一瞬硬くなり、席に着いていた少女は素早く必要な情報を探し出す。
「表層からの通信です。本隊の再編成終了。後は整備とグルーヴェの連絡待ちだそうです」
 緊急ではなく、ただの報告だ。イルシャナの指に押さえられたままの唇で、メティシスは穏やかに言葉を紡ぎ出す。
「……そう。別命あるまで待機」
 はい、という答えを受け、イルシャナももたれていたシートに整った顔を力なく押し当てた。
「このスクメギで決着をつけるわよ。もう、あんな悲しい戦いは十分だわ……」


 羊皮の報告書を受け取り、ざっと目を通す。
「補修済を入れてこれか。報告し辛いねぇ」
 状況を把握した美女の第一声が、それだった。
 十騎に満たぬ下位獣機。それが、現在のグルーヴェ軍の全兵力である。
「勘弁して下さいよ。俺に言わせりゃ、それだけ残ってるのだって奇跡ですよ」
 だが、そんな心許ない兵力でも、この男の言葉が一番的を射ているのだろう。
 スクメギとの決戦からまだ半日も経っていない。その間に補修を行い、再編成した戦力として見るなら、確かに良くやった方だ。
「とりあえず姫さんには手持ちが手持ちだから、遊撃支援に回るって伝えとくれよ」
 イルシャナからの使いの男にそう命じておいて、やれやれと腰を下ろす。
「遊撃とはいえ、どこまで出来るかねぇ」
「そっスねぇ……」
 困った顔で相談していると、指揮所を兼ねた仮設のテントから少年がやって来た。
「雅華さん。スクメギからお客ですが」
 かつて美女の配下にいた密偵である。先日スクメギに寝返ったのだが、非常事態だからとグルーヴェ側の手伝いに戻されていた。
「何だい、レアル。姫さんへの報告なら、今返した所だって伝えておくれ」
 そば屋の出前のような言葉に首を横に振るレアルに、訝しげな表情を浮かべる雅華。
「違うのかい?」
 さあ、と少年に促されて美女の前に現われたのは……。


「グルーヴェは遊撃か。まあ、仕方ねえな」
 連絡を聞き、少年はため息を吐いた。
 辺りを見回し、もう一度ため息。
「それにしても……女学校かよ、ここは」
 つい先日まで獣機櫓と呼ばれていた場所である。スクメギの古代兵器が整備されていたここで少年は己の相棒と出会い、初の獣機戦に身を投じたのだ。
 そんな鉄と血の臭いが漂っていた場所は、今や随分と華やかな場所に変わっていた。
「賑やかでいいじゃねえか」
 テントの間をせわしなく行き来する少女達を眺めながら、隣の男が静かに笑う。少年に今後の状況を伝えてくれた、スクメギ側の傭兵だ。
「そんなもんかねぇ……」
「お前も嫁さん貰う歳になれば分かるって」
 かつて獣機の整備場だった場所は今も獣機の整備場である。唯一違うのは、獣機が鋼の巨人から年端もいかぬ少女に姿を変えた一点のみ。
 櫓の代わりに仮設の天幕が並び、少女達はその中で整備や調整を受けている……らしい。
「マスター。整備、終わりました」
 女房がどうの、そんな他愛ない話をしていると、テントから出て来た少女が声を掛けてくる。
「おう。ウシャス、お疲れさん」
 答えた男と対照的に、少年は言葉を失った。
「あんた、その腕……」
 少女の肌の色は、彼と組んでいる獣機と同じく雪のような白。だが、その左腕だけが、付け根から浅黒い色に置き換わっている。
「ああ。最初の戦いで取られたらしくてな」
 表現が曖昧なのは、その時は男がウシャスの主ではなかったからだ。先代の主は、彼女が腕を喪った戦いで命を落としたのだという。
「……そっか」
 男がウシャスを連れて姿を消し、残された少年はそのまま無言。
 空を見上げれば、巨大な構造物が空に浮かんでいるのが嫌でも目に入る。相手も夜は寝ているのか、目立った動きは見られない。
「ロゥ。整備、終わったよ」
 声に視線を降ろせば、こちらを見上げる幼子の姿。内に最強を秘めた鋼の体は、今は抱けば折れそうな程に細く、総てが白い。
 思わず、手が伸びた。
「ちょっと、何すんのよ」
「……別に。何でもねぇよ」
 少女の頬に手を寄せたまま、ロゥは静かにそう答えるのだった。


 仮設陣を訪れたエミュの話を聞き、ふむ、と雅華は一息吐いた。
「まあ、それくらいならいいけどね。別に」
「ホント?」
 箱船を説得するまで、グルーヴェからは手出しを控えて欲しい。その頼みへの返事である。
「良かったぁ。雅華さんも聞いてくれなかったら、ポクどうしようかと思ったよ」
 柔らかな笑みを浮かべるエミュだが……
「戦闘準備を整えつつ、指示あるまで待機。ついでにスクメギに報告入れときな」
 控えていた伝令兵にそう投げつける雅華に、その笑顔は凍り付いた。
「雅華さん!?」
 いま手を出さないと約束したばかりではないか。そこで、いきなり戦闘準備など……。
「エミュ。あんた、イルシャナがその意見を聞かなかったから、こっちに頼みに来たんだろ」
「……うん」
 そう。あくまで抗戦を主張するイルシャナと意見が合わず、エミュはこちらに流れてきた。
「イルシャナの判断が正しいよ。そりゃ」
「でもでも、あの箱船には関係ない人がたくさん乗ってるんだよ!」
 メティシスの話を思い出し、エミュは思わず声を荒げた。
 もともと移民船である箱船の中では、数十万の移民達が眠りに就いている。時の止まったその眠りは、メティシス達『管理人』が新天地を見つけるまで醒める事はない。
 頭上の『白い箱船』がメティシスの『青い箱船』と同じ構造であれば、同じように多くの人が乗っているはずなのだ。
「……で?」
 だが、その言葉を雅華は一蹴。
「で、って!」
「こっちも命が掛かってるんだ。大人しく殴られてやる訳にもいかんだろ」
 言葉を失っているエミュに、見な、と雅華は少し離れた所にある松明を指差した。
 兵舎が近いのか、兵士達が集まっている。よく見れば、軍服を着ている組と古ぼけた革鎧を着た組に別れているのが分かった。
「軍服は本国の正規軍で、鎧が私らの先遣隊さ。あいつらが何をしてるように見える?」
「お話……じゃない、よね」
 詳細までは聞こえないが、時折罵声らしきものが響いたり、怒鳴り声が聞こえたりしている。
「ご名答。先遣隊と本国の正規軍は仲が悪くてね。どうせ、どうでもいい事で揉めてんだろ」
 状況が理解出来ない少女に、美女はわざと丁寧に説明してやった。
「言葉が通じるかどうかも分からない相手に期待しない方がいいさね。ましてや……こっちに何も言って来ない相手なんかにね」
 腰に差していた指揮杖を取り上げ、雅華。
 袖口から覗く手首には傷口を覆う包帯がきつく巻かれている。味方であるはずのトナカイ達に刻まれた疵は、十分な治癒魔法を受けた今も完全には癒えていない。
「代理! 敵に動きが!」
 そんなとき、見張り櫓から声が飛んできた。
 夜空を見上げれば、巨大な艦の周囲に浮かぶ光の点に明らかな動きがある。
「考えてみりゃ、闇の世界を渡ってきた奴らに夜は寝るって概念はないさねぇ……畜生」
 雅華の常識の範疇と照らし合わせれば、恐らくそれは出撃の陣を組む為の動き。
「下の連中に喧嘩は後にしろと伝えろ! レアルはそちらのお嬢様をお送りして差し上げな」
 鋭い指示を受けて補助役の男が小競り合いに向かって走り出した。揉めていた一同が男の仕切りで散っていく様を確かめ、雅華も身を翻す。
「思った以上に敵の動きが迅かったな。エミュ・フーリュイ」
 そう言い残し、美女は軋む体で小走りにその場を去っていく。


 瞳の中に灰光の乱舞を認め、巨漢は言葉なく身を起こした。軽く首を振り、わずかな仮眠で澱んだ意識を払い落とす。
「……客人、か」
 呟く、その名。
 かつては口にするだけで活力の駆け巡った名前も、今では気付けにもならぬ。
 最強の、敵。
 強い敵。さらに強い敵。さらにさらに強い敵。果てなく求める男の望む、窮極の敵。
 ……となるはずだった、敵。
(あ奴に騙されたのやもしれんな、俺も)
 古代の戦で最狂を誇る敵と、戦えますよ。
 その言葉を信じて。グルーヴェ城で会った魔術師……橙色の兎の仮面を被った男……に教えられた術を実行してみれば、この体たらく。
 無敵と恐れられた敵は心無き木偶人形。無論男の敵にはならず、一太刀の前に崩れ落ちた。
 全く、期待外れもいい所だ。
 そんな詰まらぬ相手と戦うために、男はスクメギまでやって来たワケではないというのに。
「ドラウン……様?」
 だがその思考は、遠慮がちに掛けられた声によって遮られた。
「シェティスか」
 男の傍らに身を起こし、胸元からずれ落ちた毛布を恥じらいながら引き寄せる、小さな姿。
 視線を合わせれば、可憐な唇がためらいながらも言葉を紡ぎ出した。
「……出撃、なさらないのですか?」
 その中には、幾らかの不安と迷いが見える。
「シェティス」
「はい?」
「貴公は、何故に戦う?」
 突然の問いに、少女は言葉を失ったようだった。男の昏い瞳を見上げ、薄青の瞳を曇らせる。
 知れず、毛布を引き寄せる手に力が籠もった。
「護るため、です」
 生まれた村を。大切な家族を、仲間を。
 そして、愛しい人を……。
 その為に少女は慣れぬ剣を取り、赤い泉を駆逐する獣機兵団へと身を投じた。
「……ドラウン様?」
 戦を前にした巨漢の不可解な言葉に、シェティスは疑問を隠せない。男との付き合いは長いが、こんな問いをされた事は初めてなのだ。
「いや、何でもない」
 2mに及ぶ巨躯を引き起こし、そう呟く。ひゃあと慌てる少女を尻目に鎧を縫い込んだ上着を取り、分厚い体の上にまとわせる。
 半ば砕けた狼面を被り、仮宿の入口に立てた大剣を引き抜けば、それ以上の支度はない。
「行くぞ、シェティス」
「え、あ……はいっ」
 ほつれた髪を梳く間もなく、小さな洞窟から少女も姿を現した。しわの寄った軍服の前を合わせながら、入口で待つ美女の元へ走り寄る。
「シスカ。出撃するわ」
『……エミュ、デスカ?』
 凛とした少女の声に答えるのは、いつもの美女とは違う、つたない呼びかけ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……多少、通信回線が混線しているようです。動作には問題ありません」
「なら良いけれど。行ける?」
 直線の翼を持つ白銀の獣機が月光の差す夜空へ舞い上がるまで、さほどの時間はかからない。


「エミュ……」
 ぽつんと立つ背中に、レアルはそれ以上声を続けられなかった。
「大丈夫だよ、レアちん」
 それでも歩み寄ろうとして、短い言葉に足を阻まれる。出撃を控えた喧噪の中。囁くような言霊は、不思議なほどによく通る。
「大丈夫、だから」
 再びの呟き。レアルに、ではない。自らに言い聞かせるかのような、台詞。
「……エミュ」
 言葉は出ない。紡げない。
 詩人として、間者として、無数の嘘を司ってきた少年が、慰めの一つも掛けられない。
「じゃ、ポク、行くね」
 幽かに震える言葉と共に、小さな背中に不似合いなほどの大きな翼が燃え上がった。一切の熱を感じさせぬ幻獣の翼は、何を傷付ける事もなく、少女を闇の中へと押し上げていく。
「エミュ! 待って!」
 ようやく放たれたレアルの声は、既にエミュには届かない。


続劇
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