9.転章・打ち砕かれた運命 スクメギの悪夢のような一日から数日が過ぎ、クラムは大人しく牢屋に戻っていた。 メティシスと名乗った少女は記憶の大半を失っていた。その残された記憶が示す場所、スクメギ中枢部。世界門を抜け、悪夢の広間を抜けたさらにその奥。そこに、自分の目指す場所があるという。 元々人の良い性格も手伝って彼女の面倒を見ることにしたミユマとクラムだが、一つだけ問題があった。 クラムは賞金首で、おまけに脱走犯。 無類の強さを誇るバッシュもいるし、ミユマだって何とかしてくれるだろうが、子連れで逃げる訳にもいかない。だから、大人しく戻った。 クラムなりに考えた末の決断である。 「でさー」 「にゃ?」 起きあがり、隣の牢に声をかけた。 「何でキミがいるわけ? キミって、スクメギのエライさんの部下とかじゃなかったの?」 そこにいるのはエミュ・フーリュイだった。 「何かねー。ロゥちんと友達で、こないだ会ったって言ったら、入れられちゃった」 要領を得ない話をよくよく聞けば、ロゥというのはグルーヴェの獣機乗りで、前にスクメギから新鋭獣機を奪った張本人らしい。 「そりゃ、言っちゃダメっしょ……」 こりゃミユマより天然だわ。と一息吐き、クラムは再びベッドに横になるのだった。 「リヴェーダっっっっっっっっっっっっッ!」 扉が爆砕した。それほどの威力を以て、開け放たれた。砕けなかったのが不思議なほどだ。 「エミュを投獄したとはどういう事ですか! 説明なさい!! 今すぐ! さあ、今すぐに!」 「……落ち着かれよ。閣下」 顔を真っ赤にしたラッセの娘に、リヴェーダはいつもと変わらぬ表情で水を差しだした。 「落ち着けと言いますか! エミュは私に十分に尽くしてくれています。それを、何故!」 差し出されたコップが平手で弾かれ、床に砕ける。宮廷ではあり得ない不作法を働いて気に咎めないほど、イルシャナは怒り狂っていた。 「有り体に言えば、スパイ容疑ですな」 「…………はぁ?」 エミュには限りなく縁遠い疑いに、主の怒気がまとめて削がれた。国の大事な資料を間違えて捨てたとか、国王から拝領した皿を割ったとか、せいぜいその程度を想像していたのだ。 「エミュがスパイ? あの正直者が?」 「先日奪われたイワメツキの主。そ奴と先日会っていたそうですぞ」 そして、遺跡調査に合わせたグルーヴェのスクメギ襲撃。一応極秘調査だったその日に襲撃があるなど、出来過ぎている。 「エミュは利用されていただけでしょう」 そうだ。そうに違いない。あんな素直な娘が、私を騙していたはずがない。 「まあ、次の調査が終わるまでの保険ですな」 「……中枢部に行くというのですか」 あの広間の奥へ。未だ悪夢にうなされる忌まわしき墓所のさらに奥へ、この老人は向かおうというのか。 「世界門の奥に封印がありましてな。あれが解け次第、中枢部へ向かう予定に御座ります」 淡々とそう語る老爺が、イルシャナには一瞬、別の世界の生き物のように見えた。 「閣下。我輩とて別にエミュを拷問するわけでなし。ご安心めされよ」 「私のエミュを拷問されてたまりますかッ!」 開いたままの扉を抜け、イルシャナはリヴェーダの執務室を足音荒く出て行った。 「私の、か。随分と入れ込んでおるの。閣下は」 永劫の盟友なれば仕方あるまいか。と一人ごち、リヴェーダはゆっくりと立ち上がった。 「リヴェーダ様。お客様ですが」 そこでレアルに呼び止められ、思い出したように席に戻る。 「あー。ども、です」 客というのは、誰あろうミユマであった。 「話には聞いておる。ご苦労であったな」 かつて密偵まがいの使い方もしていた少女に短く声を掛けると、リヴェーダは小さな袋を少女の手に押し付けた。 ミユマが袋の中身を開けると、中は淡く光る銀色の硬貨が10枚。偽造防止の魔法が掛けられた、ひとつ1万スーの交易魔法銀貨だ。 「それが報酬だ。必要ならば換金するゆえ、係の者に申し出るが良かろうて」 魔法銀貨は交易専用の特殊貨幣だから、王都などでなければ換金できないのだ。 「ときにミユマよ」 「え、あ、はい?」 初めて見る交易通貨をぼーっと眺めていたミユマは、声を掛けられて慌てて我に返った。 「貴公、ついでにもう一人、人を捜してもらえぬか? 報酬はそうよの……20万出そう」 「にじゅ……っ!?」 真っ白になった頭でミユマは必死に計算した。 温泉採掘で10万。15万あれば豪華な旅館が。5万あれば立派な遊戯施設が……。 革命だ。30万あれば村に革命が起こる。 「そ、それで、その格好はっ!? 年はっ!?」 「外見は分からぬが……年はそうよの、レアルと同じくらいであろ。娘のはずだ」 「……それだけ……ですか?」 問いかけには「それだけだ」という無下な返答だけ。炎のような脳内革命が正規軍に急速に鎮圧されていく。というか、その条件での人捜しなど、雲を突くような話だ。 「はぁ。善処します……。で、名前は?」 「世界に破滅をもたらす『滅びの鍵』。生死は……いや、死体ならば倍の40出しても良い」 とっくに素に戻ったミユマのぼんやりとした問いかけに、蛇の老爺は忌々しげにその名を口にするのだった。 「名はメティシス・ノイタルフィーオという」 複雑な心境で帰ってきたミユマを待っていたのは、メティシスと名乗った灰色の娘だった。 「お帰りなさいませ。ミユマ様」 清楚な笑顔で彼女を出迎えるその姿は、世界に破滅をもたらす存在には見えなかった。 「どうかなさいました? お顔の色が優れないようですけれど」 「いや、別に……」 まさかアンタの命を狙っていますとも言えず、ミユマは口ごもるのみだ。 「そうだ。あれから、何か思い出した?」 慌てて変えた話題に、メティシスは大きな瞳を寂しげに伏せた。 「わたくしの主人はスクエア・メギストスと、火照日女命。それ以外は……何も」 ミユマが出かける前と同じ内容だ。何の記憶も戻っていないということになる。 「ホテリヒメノミコト……ねぇ」 どちらも聞いた事のない名前。後者の方に至っては東方イェドの言葉だろうか? ミユマにとっては発音すら容易ではない。 「後はスクメギの中に行きたいって事だけか」 「はい。わたくし、どうしてもそこに行かなければならないような気がして……。幸いにも、バッシュ様がご一緒して下さると言ってくれているのですが」 泣き出しそうなメティシスの態度は使命感と真摯さに包まれ、嘘をついているとは思えない。 バッシュも少女のその想いに嘘が見えなかったから協力を申し出たのだろう。きっと。 「ふーむ。どうしようか」 困っている少女を助けるべきか。 村人のため、革命を手にするべきか。 本当に。心の底から、ミユマはその言葉を口にするのだった。 狂ったように打ち込みの練習を続ける少年の傍らに、女は立った。 「獣機に乗れなくなったって聞いたけど……。随分とまあ、落ち込んでるねぇ」 「うっせー」 ロゥはそれだけ答え、再び棍を構える。 失態の上獣機を半壊させたロゥは獣機を取り上げられ、後方の待機任務を命じられている。 いや、正確には、修復されたハイリガードがロゥを乗せる事を拒んだのだ。それどころか誰の呼びかけにも操縦席を開こうとせず、整備櫓の一つを占領したまま微動だにしない有様。 「ハイリガードを何とか出来るまで、戦場には出なくて良いわ」 とは、シェティスの弁だ。 どうすればいいか誰も教えてくれず、考えても分からない為、こうして体を動かしている。 「若いねぇ」 と雅華が笑った所に影が歩み寄ってきた。先日、赤い泉の調査を依頼した魔術師である。 「雅華殿。報告書です」 「ああ、ありがと」 米粒のような文字が書かれた羊皮紙をぱらぱらとめくり、内容を確かめる。 「大したことは書いてないねぇ……」 少し気になったため、泉の古代語を現代語に直させてみたのだ。 整備兵と魔術師の頭を散々悩ませて分かった事は、そのほとんどが技術用語ということだった。かつてこの言葉を用いた技術者がいた……という新発見だが、学者でもない雅華にとってはさして価値もない情報だ。 「……これは?」 そんな中でふと、目を留めた。 「原文ままです。我らにも意味までは」 「我らは呼ばれし者。はるかな呼びかけに応え、海を越え、谷を越え、刻を渡ってやってきた。『呼びかけるもの』メティシスの導きにより」 「あと、スクエア・メギストスやハイリガードの記述も確かこの辺に」 「何っ!?」 さすがに自分の獣機の名前が出てくると気になったのか、ロゥが声を上げた。 「忌まわしきスクエア・メギストス。ああ、アンタの獣機も散々悪口が書いてあるよ。読んでやろうか?」 いらんと怒鳴り、ロゥは再び打ち込みを開始。鋭いが乱雑な打撃音が、続けて響く。 「こりゃ、確かめに行くしかないかねぇ」 資料に一通り目を通し終わり、雅華はスパイの定期連絡を思い出す。 メティシス・ノイタルフィーオ。 世界に破滅をもたらす、忌まわしき滅びの鍵。 「メティシスとやらのいる、中枢部へ」 スクメギ中枢部。全ての真実が眠る場所へ。 「メティシス・ノイタルフィーオ」 飢えた狼は牙を研ぎながら、静かに呟いた。 「災厄の元凶。始まりの扉を開く鍵」 その鍵は目の前でくぅくぅと無防備な寝息を立てている。扉は目と鼻の先にあった。あとは鍵を扉に差し込み、くるりとひねるだけ。 そうすれば、彼の想いは達成されるだろう。 世界の『真実』を知ったあの日から願い続けた、焦がれ続けた、身を焼き尽くす程の宿願が。 我はそれを達す。いかなる障害があろうとも。 「そう。あの永劫の戦いが始まるのだ。再び」 果てない餓えを癒す、そのために。 |