8.悪夢よりの帰還 「全く……手間をかけさせる!」 スクメギの中心を貫く縦坑を翔け上りながら、さすがのシェティスも毒づいた。 「……すまん」 敵に追われて縦坑を落とされたハイリガードを追いかけたシェティスは、異様な広さを持つ空間に辿り着いていた。大質量物の落下した衝撃で粉々になった広間からハイリガードを拾い上げ、何とかこうして縦坑を昇っている。 「ハイリガードが防御魔術でも張ったのか? あの高さから墜ちたら獣機でも助からんぞ」 返事がない。 代わりに、幽かな呼吸音。 「気を失ったか。まあ、静かなだけマシか」 半壊した重量級の獣機を無理矢理ぶら下げ、銀翼の獣機はゆっくりと縦坑を昇り続ける。 「それにしても、私に言える言葉が……どうしてハイリガードには言えんかな。この男は」 少女の口元は、呆れたような失笑を浮かべたまま。 「団長。早く戻ってきて下さいよぉ……」 涙と共に漏れた本音を聞いたのは、広い世界にただ一人……。 「……にゃ?」 エミュが気が付いたのは、青い空の下だった。 目の前は青い空。痛む頭の下には、柔らかく暖かい感触と甘い匂い。 「気が付いた?」 「イルシャナさまぁ」 膝枕されている事にようやく気付き、起き上がろうとして主に押し止められる。 「もう少し、こうしてなさいな」 イルシャナの膝に頭を委ねたまま回りを見れば、探索隊の皆の姿が見えた。何が起こったのかは分からないが、全員無事のようだ。 ちらり、とレアルがこちらに視線を寄越すのに気付き、にこりと微笑む。 「あの扉を開けて、何が?」 「覚えてないの?」 こくりと頷く。白と赤が目の前を横切って、それからの事は一切記憶にない。 「そう……いえ、覚えていないのなら、その方がいいのかもしれないわね」 忌まわしく、呪わしい地獄の光景を思い出しかけ、イルシャナは慌てて頭を振った。 「実の所、私達も何も覚えていないのよ」 巨大な獣機が階層をぶち抜いて落下してからの事は、誰も覚えていなかった。赤い炎を見たとか、あれは炎じゃない翼だったとかいう断片的なイメージはあるものの、誰一人として全体像を掴めてはいないのだ。 イルシャナでさえ、記憶が戻ったのはスクメギの外で目覚めた所から、である。 「閣下。エミュ殿が気付いたのであれば、急ぎ撤退した方が宜しいかと。敵も撤退したようではありますが、まだ安全ではありませんゆえ」 「そう思っていた所です! エミュ、平気?」 不機嫌な主の問いに無言で頷き、立ち上がる。 そんな中。小さな少女を見据えるリヴェーダの苛烈な視線に気付いた者は、誰もいなかった。 少女達も困っていた。 「この子……どうしようか」 気が付けば外にいたのは、イルシャナ達と同じ。だが、2人のハズが3人いた。 「さあ……」 年は十代の半ばに達しているとは思えなかった。肩までの鉄色の髪に、シンプルな灰色のワンピース。大きめの瞳は、確かな知性と正しい意志を感じさせる透き通った碧。 そう。少女だった。 「………………………………」 ラッセのようだが……言葉が分からない。 「無事だったか」 ふと、巨大な気配が3人を覆った。 「バッシュさん! 無事だったんですか!」 2mを越える巨躯と、それに匹敵する大剣。バッシュと名乗る、虎族の漢。 「ああ。ところで、そいつは?」 「気が付いたら。でも、言葉が通じなくて」 公用語の大陸中央語も、共通語のコモンも通じない。西の果てエノクの住人でも、コモンなら最低限の会話は通じるはずなのに。 「………………………………」 「……古代語か」 巨漢が2人の知らない言葉を数語喋ると、鉄色の娘は安心したような視線を少女達に向けた。 「バッシュさん、分かるんですか!?」 「獣機乗りと一緒に戦う機会があってな。とりあえず、敵ではないと説明しておいたが」 なお数語。さらに数語の遣り取りがあった後、少女が一呼吸し、口を開いた。 「メティシス・ノイタルフィーオと申します。わたくしの言葉、分かりますかしら?」 「「分かります!」」 メティシスの清楚で流麗な発音に、2人の少女はそろってそう答えるのだった。 |