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7.ひとつめの、真実

 私は帰ってきた。
 忌まわしくも懐かしきあの故郷に。
 産まれ、倦まれたあの故郷に。
 世界最強の絶技の神都へ。
 世界最凶の滅犠の廃都へ。
 偉大なる盾、偉大なる門、偉大なる要。
 聖なる都スクメギ。世界の護りスクメギ。
 神の故郷スクメギ。破壊の扉スクメギ。
 私は声を上げる。
 望郷の歓喜、拒絶の叫び、絶望の慟哭。
 だが、私の主は気が付かない。
 見えない涙に。震えぬ哀哭に。
 聞こうとしない。理解しない。
 苛立ちは、さらに募る。
 同胞に諭されようと。同情されようと。
 苛立ちは止まらない。治まらない。
 心の届かぬもどかしさ。
 壁を隔てた腹立たしさ。
 厚さは、わずか、扉一枚。
 扉を開くものよ。聞き届けるものよ。
 偉大なる白き王よ。宿命断つ主よ。

 ……どうか我らに、扉を開く力を。


「ちっ……」
 ロゥ・スピアードは不機嫌だった。
 スクメギ軍は指揮系統が混乱しているのか、大した反撃もしてこない。しかし、それは『あいつ』が居ない事の裏返しでもあった。
 幸か不幸か、相変わらず反応の鈍いハイリガードでも余裕で戦う事が出来る。
 そう。もう一つはハイリガード。
 スクメギ内部に突入して以来、騎体の反応速度は目に見えて下がっていた。初めて戦った時の半歩先を見抜くような動きも、先日暴走した時のような狂える破壊力もない。
 ただ重く、ロゥの反応速度を拘束する。
 悲しそうな少女の顔がだぶるが、だからといってどうすればいいかも分からない。
「どうせ莫迦だよ。畜生めっ!」
 無理矢理に前進。
「調子が悪そうだな。下がるか?」
 ふと、魔術を介した通信が入った。戦場に似合わぬ若い娘の声……シェティスだ。
「……不要! 敵が来た。通信終わり!」
 不機嫌に返す。逃亡という二文字はロゥの……狂犬の教えには、ない。


「……やれやれ」
 乱暴に切られた通信に、シェティスは小さくため息を吐いた。遺跡内部の地図は持っていないが、戦術板で部隊のだいたいの位置は分かる。
 当然のようにハイリガードが突出。
「ツーマンセルは相手の尻拭いが仕事ではないのだが……」
 ふとぼやき、訂正。
「すまん。四人一組だったな、シスカ」
 おおん、と肯定の声。
 スクメギに入ってから騎体の反応が鈍ったのはシェティスも同じ。だが、叱咤し、激励し、共に歯を食いしばり、ここまで戦い進んできた。
「ハイリガードも説得されて少しは言う事を聞いているようだが……。もう少し頼む。相棒」
 応。
 ただそれだけを返し。ただそれだけしか返せず。銀翼の獣機は狭い通路を再び飛翔する。


 少女は翔ていた。
「ゴメンね、付き合わせて!」
 少女も駆けていた。
「いいですよ。賞金もまだ貰ってないですし」
 クラムとミユマ。一人は空を。一人は大地を。
 翔る。駆ける。翔る。
(運命の子になった所も見てませんしね)
 風の中で呟いた声は、届かなかったようだが。
「うわ。もう始まってる!」
 白い翼をはためかせ、空中で制止。ミユマも赤い燐光を纏う脚を止める。
 スクメギは戦場だった。
 テント村のさらに奥、スクメギ遺跡地区。禁断の扉はこじ開けられ、その入り口でも巨大な鋼鉄兵が戦っている。
「あの間を抜けるのは、コトかなぁ……」
「大丈夫ですよ」
 ここに至って不安そうなクラムに、ミユマはちっちっち、と指を振って笑った。
「『当たらなければどうという事はない』。わたしの尊敬する人の言葉です」
 言葉と共に赤い燐光が発現。虎族の少女のしなやかな脚に絡み付き、少女を聖痕の銘が示す『赤い人』へと換えていく。
 地を蹴る絶速!
「……確かに」
 そのための聖痕。そのための祖霊使い。
 迅さでは、獣機如きに負けはしない。
 白い翼も光を纏い、大気を打つ。


「イルシャナさまぁ……」
「どうしたの? エミュ」
 従者の力ない言葉に、イルシャナは驚いて振り向いた。
「ポク、帰りたいかも……」
 その様子に息を飲む。古代の遺跡が珍しかったのだろう。先程まで元気に走り回っていたはずの少女の顔が、今は真っ青だ。
 胸元の『お守り』をぎゅっと抱きかかえ、小刻みに震えてすらいるではないか。
「ここ……この奥、すっごくヤな感じがするの。きっと、良くない事があるよ」
 勘などではない。エミュの躰そのものが、危険を訴えかけている。
 戻ろう。戻ろうと。
「どうされましたかな? エミュ殿」
「どうも調子を崩したようなの。この辺りで一度引き上げませんか? リヴェーダ」
 この行程の間にも、既に幾つかの石版や資料を発見している。それを調べるだけでも、スクメギの事がさらに良く分かるはず。
「古代よりの地図に依れば、既に行程も半分。奥まで行った方が早うございますぞ」
 何気ないリヴェーダの言葉に、イルシャナの柳眉が歪んだ。
「地図が……あったのですか?」
「お話しておりませなんだか?」
「聞いておりません!」
 強い口調には、明らかな敵意が籠もっていた。
 それに応じてか、エミュがゆっくりと立ち上がり、にっこりと微笑む。
「ちょっと休んだら、治っちゃった」
「エミュ! 無理しなくてもいいのよ」
 未だ少女の顔は青白く、その言葉は明らかに嘘と知れた。けれど、少女は元気良く笑う。
 だいじょうぶだよっ、と。
 イルシャナさまも獣機を護るために頑張っている。なら自分も頑張らないと。だって……
「……私は常に、主と共にある」
 いつの世も。いつの夜も。たとえ世界が換わろうとも。たとえ世界が終わろうとも。
「……エミュ?」
 ふと漏れた言葉にイルシャナは首を傾げるが、立ち上がったエミュを見て肩を落とした。
 いくら言っても無駄だと識ったから。
 変わらないわね、と無意識に呟く。
 その言葉の意味に気付きすらせず。
「なれば、もう少し頑張りなされ。偉大なる神秘はもうすぐですぞ。閣下。エミュ殿」
「うんっ!」


 傭兵は戦っていた。
 古代の神秘も、神の御技も関係ない。ただ敵がいれば、滅ぼすべき相手がいれば十分だった。
 地を駆け、巨大刀の一振りで獣機の腕を斬り飛ばす。胴を薙ぐ。どれも、たったの一撃。
 弱い。弱い。弱い。弱い。弱い。弱い。弱い。
「弱い!」
 強き想いが溢れ出し、口に出た。
 もっと強き敵を。もっと激しい敵を。戦えば戦うほど喉は渇き、剣は餓える。
「バッシュさん!」
 響いた声に、我に返った。虎族と有翼族の少女の2人組。ミユマとクラムだ。
「……お前達か」
 彼女達は戦士に非ず。故に、向ける刃はない。
「ごめん。追われてるの! 逃げて!」
 それだけ残して、駆け抜け、翔抜ける。
「おう」
 見れば、後から傭兵や獣機の群れが追いかけてくるのが見えた。10万スーの賞金首と知っているのか、それともグルーヴェの手先か。
 どうでもよかった。
「引き受けよう。お前達は行くが良い」
「ごめんなさーーーーい!」
 太刀を正眼に構えた時には、敵の区別はおろか、少女達の記憶すら消えていた。
 ただ、餓え乾いた狼が一匹佇むのみ。


 長い廊下の突き当たり。獣機を降り、坂を下り、階段を渡り、扉を越えた先にそれはあった。
「『世界門』。時の止まった世界に残された、スクメギ中枢層に通じる最後の扉で御座います」
 蛇の老爺の声を聞く者は居ない。神殿の如き広大な空間に酔い、荘厳な神気に当てられ、皆疲れ果てているのだ。
「リヴェーダ。この状況で、扉を開ける意味は……出直すべきではありませんか?」
 震えるエミュを抱いたイルシャナも唇が青い。地下だというのに、果てが見えない程の広さ、高さを持つ大広間。自らが小さくなったような錯覚に、誰もが気を滅入らせていた。
「何を仰います! ここまで来て。ここまで来て、世界門の奥を見届けぬとは!」
 芝居がかった動作で腕を振る蛇族の占術師。彼も、ある意味この神気に当てられているのかもしれなかった。
「皆の者、力を。扉を開けるのです」
 狂的な輝きすら宿す老爺の気に、従者達はのろのろと立ち上がった。扉に体を押し付け、残る力の全てと体重を込めて、押し開こうとする。
「うわーーーーーーっ!」
 そこに。
「……運命の子!?」
 白き流星と、赤き彗星が飛び込んだ。
 爆発と共に、刻が解き放たれる……。


「っ痛……」
 巻き上がった土煙に咳き込みながら、クラムは辺りを見回した。
 遺跡の調査隊に追い付き、扉らしきものにぶつかったのまでは覚えている。辺りは砂煙と暗がりで、何があるのか分からない。
「ミユマ! 大丈夫!?」
 手を突いて立ち上がろうとして……。
 何かぬるりとしたものに滑り、転んだ。蛙を踏みつぶした時のような、生温い嫌な感触。
 無意識の嫌悪感に、総毛立つ。
「げふっ……げは……な……」
 ミユマの声が聞こえた。
「ミユマ! ねえ、大丈夫!?」
 だが、おかしい。何か苦しんでいるようだ。
 巻き起こった土煙が淀み、沈んでいく。
 嫌だ。
 無意識に、そう、思った。
 見たくない。見たくない。煙よ、晴れるな。
「な…………」
 晴れた。土のヴェールが。土の臭いが消え、生臭い悪臭が猛然と鼻孔へ襲いかかる。
 クラムは目の前に広がった光景をまず疑い。
 そして、激しく嘔吐した。


 イルシャナ達が狂気の光景に翻弄されている中、ただ一人レアルだけ冷静だった。
 否、目の前に光景に慟哭する感情を持ち合わせて居なかったと言った方が良いか。
「死んでる……」
 屍体。死体。骸。屍。ありとあらゆる遺体に関する名詞を並べても表現し切れぬ悪夢の光景が、そこにはあった。
 死体の荒野。広大な広間全てが、未だ腐り切れぬ少女達の亡骸で埋まっていたのだ。
「みんな……おつかれさま。ほんとうに」
 感情の薄い片目でちらりとそちらを見れば、静かに佇むエミュがいた。いつもの元気な少女ではない。明らかに違う瞳。違う気配。
 エミュ・フーリュイの姿をした、エミュ・フーリュイではない誰かが、そこには立っていた。
「……知っていたの?」
 誰かは、無言で、首を縦に。
 そして小さな背中から翼を広げた。クラムのような有翼族の翼ではない。紅き、この世界の炎に包まれた、聖痕そのものの具現化。
 形を与えられた炎が羽ばたき、あたりの骸を光の粒子と換え、浄化していく。生ある者には一切の熱すら感じさせない、清浄の炎。
 きらきら光る紅き世界の中、そいつは悲哀と慈愛の籠もった金色の瞳でレアルを見た。
 永劫を生きた老女のように物憂げな、罪を全て背負った聖女のように穏やかな、金の瞳。
「あなたは……一体……?」
 エミュの姿をした誰かがその問いに答えようとしたその時、一陣の風がレアルを吹き抜ける。
「え……!?」
 いつ現れたのか。風の源、少女の向こうには、巨大な影がかしずいているではないか。
「スクエア・メギストス……?」
 広い空間の中をゆっくりと立ち上がり、スクエア・メギストスと呼ばれた白き獣機は両の手を天へとかざした。それは、死者に対する祈りのようにも、何かを受け止めようとするかのようにも見える。
「何を……」
 訝しんだ瞬間、目の前の広間が爆ぜた。
 レアルの記憶に残るのは、歪む世界を貫き落ちる巨大な鋼と、紅く広がる白き翼の……。



続劇
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