声が聞こえる。 主と出会えた喜びの声。 友を亡くした嘆きの声。 そして。 微睡みの中に消える、声なき悲鳴。 己のいる意味。心と存在。眠りのうちに全てを奪われ、夢すらかき消されるリアルの中、小さきものは断末魔の悲鳴をあげる。 絶叫はフェムトよりも刹那。途切れ消え。 残るは、空虚なる沈黙。 全てを喪った全きの白き者は、悪夢すら見る事もなく。ただ、たゆたうのみだから。 望みすらなく。想いすらなく。 なれど、悲鳴はひたすらに重く、静かに届くものの心へとのしかかる。 我は目を開く。 救うために。 我は両手を掲げる。 『扉』を開くために。 我ははるかを聞き届けるもの。 我ははるかへ呼びかけるもの。 我が名は……。 Excite NaTS #2 聖地の衛り人 1.奪われ、得られるもの 巨大な櫓が林立する鋼の回廊、獣機工廠。 「イルシャナさまぁ! まだ寝てなくちゃダメだよぉ!」 日没の残照の中。目の前を歩く少女を追いかけながら、小柄な娘は必死に声を投げかけた。 「イルシャナさまっ!」 幾度目かのその声にようやく応じ、少女の黒く長い髪がゆらりと巡る。逢魔が時の薄闇の中、その表情は、昨日まで寝込んでいた身とは思えないほど真摯で……厳しい。 「エミュ。寝込んでいる間、ずっとやろうと決めていた事なの。力を……貸してくれない?」 その意志の強さが、こんな時間まで食事すら摂らず、資料をまとめ上げた力の源なのか。 「そりゃ……」 大切なイルシャナの頼みだ。どんな願いであれ、エミュは聞き届けるつもりだったが…… 「……だめだめだめ! 今日はポクが起きる前からお仕事してたじゃない! ご飯も食べてないし。明日になったらポクもお手伝いするから! ……ね?」 数日の間ずっと寝込んでいた主の突然の無理を案ずる気持ちの方が、僅かに勝った。 「リヴェーダにこれを渡すだけなの。これが終わったら今日はもう休むから……ね?」 「……で、疑似契約をやめろと?」 「ええ。この資料を見て貰えれば分かると思いますが……」 それこそが、イルシャナがまとめ上げた資料。様々な報告書から情報の断片をかき集め、通常契約した獣機と疑似契約した獣機の戦力差を求め、性能差を割り出してある。 「疑似契約が獣機の性能を著しく落とすのは、資料から見ても明らかです。スクメギと獣機の管理を司るものとして、こんな獣機を遣い潰すような真似を許すわけにはいきません」 「……なるほど。ここまでよく調べましたな」 ぬめりつくような蛇の瞳で資料を一通り見渡し、蛇の老爺は「ふむ」と一言。 「では、疑似契約を止め、正規の主を捜すのに全力を尽くして……」 そこまで言いかけ、どさりと落とされた膨大な羊皮の束にイルシャナは口を閉ざした。彼女のレポートの10倍……いや20倍はあろうか。 「スクメギの全住民のリストです。今の所、その中に正規の主となれる者はおりませなんだ」 そう。正規の主は、既に探し尽くされた後。 「……リヴェーダさん。ログダリューの疑似契約の準備、終わりましたけど」 イルシャナが押し黙った所で櫓の上から男の声が飛んできた。普段大人しいスクメギ領主の意外な剣幕に口を挟めなかったらしい。 「ふむ。始めなさい」 「リヴェーダ!」 無情に放たれた言葉に続く、ぉぉん……という軽い音。それに悲鳴が重なった。 「イルシャナさまっ!」 事態の成り行きを見守っていたエミュがどさりと崩れ落ちた主に慌てて駆け寄り、蛇の老爺をキッとにらみ付ける。 「エミュ・フーリュイ。閣下はお疲れの様子。人手を貸す故、早々に寝所へお連れするよう」 いーだっ! と一言言い残し、エミュはイルシャナを連れて鋼の回廊を後にするのだった。 「今のは……イルシャナ様?」 「レアルか」 疑似契約作業の終わった工廠にふらりと姿を見せた少女は、リヴェーダの投げかけに小さく首を縦に振った。 「そのゴミを片付けておくよう」 詩人の少女からの返事はない。ただ無言でその場にしゃがみ、山ほどの羊皮紙の束をごそごそとまとめ始める。 仕事を手伝いたいと言われた時は少し面食らったが、試しに使ってみればそれなりに使える。何より、余計な事は詮索しないのがいい。 「このリスト……全員調べたの?」 「まさか」 老人は、少女が呟いた言葉を一笑に付した。 「獣機と主はもともと引き合うもの。縁なき獣機を今さら調べた所で、意味など持たぬ」 あのイワメツキのようにな……。と聞こえぬよう呟いておいて、リヴェーダ。 「それより、『赤い泉』討伐隊への使いを頼まれてくれぬか。知り合いの傭兵に一任してはおるが……今一度、確認しておきたいでの」 「……はい」 |