-Back-

 真澄の空に、飛ぶ鳥はない。
 緑の森に、走る獣もない。
 結界に切り取られた世界に揺れるのは、黒く長い髪。
 ひるがえるのは、紫の戦装束。
 そして伸ばした細い手が、身の丈ほどある銃剣を軽くくるりと回し。
 構えた先にある敵の数は……三つ。
「……ナンクン」
 敵の中央、黒いロングドレスの女の言葉に、左端の一番小さな影は音もなく動き出す。
 一歩、二歩、大地を蹴って、その加速はひと駆けごとに乗数倍へと増えていく。
 同時。
 もう一度銃剣をくるりと回していた紫の少女の動きが、明らかに鈍化する。ただ、手の内で回る銃剣も明らかに動きが緩やかになっているのに……引っ掛けた指先からこぼれ落ちる気配がない。
 動きが鈍くなっているのではない。
 周囲の時間ごと、遅くなっているのである。
 迫る黒い影の口元に表情はなく。
 けれど振りかぶる拳には、会心の色。
 相手は遅く、こちらは迅い。回避はおろか、防ぐことも受けることも……いや、反応する事すら出来るかどうか。
 そんな一撃を、容赦なく叩き込もうとして。
「………この感じ、タイムプレッシャーね」
 対する紫の口元には、既に笑み。
 その表情に、反応した黒い影の動きが鈍る。
 スロー再生の世界でこの笑みだ。
 即ち、タイムプレッシャーを受けた瞬間には、その対処が始まっていた証。
「……タイムコンプレッサー」
 刹那。
「ディスチャージ!」
 廻る銃剣が十倍の速さで回転し。
 紫の姿そのものが、消えた。
 ナンクンの与えたタイムプレッシャーは、通常の十分の一にまで時間の動きを鈍くする。紫の少女から見れば、ナンクンの動きは十倍速く見えたはず。
 しかし、少女の百倍の時間加速の前では。
 十倍のタイムプレッシャーを受けてなお、ナンクンの動きは少女の動きの十分の一。
「が…………………はっ!」
 十倍加速のカウンターを反応する間もなく叩き込まれ、黒い戦衣の少女はその小さな身体をくの字に折り曲げる。
 だが。
 連なり打ち込まれるはずの二撃目を受け止めたのは、戦闘不能に陥った小柄な少女ではなく。
 敵陣の中央に立っていた、黒いロングドレスの女。
 腕一本で十倍速の動きに対応し、その表情には一分の焦りも見られない。
「……今日は挨拶に来ただけなの。続きは……また今度、ね?」
 黒いミニドレスの少女が小柄な少女を抱きかかえたのを確かめて、三人の黒い女達は闇の中へと姿を消す。


 背後から掛けられた声に、紫の少女はゆっくりと振り向いた。
 黒く長い髪がゆらりと揺れて。大人の欠片が顔を覗かせた、少女の表情が微笑みかける。
「あなた……」
 その顔を、満身創痍の少女たちが忘れるはずもない。
 表情こそ妖艶と形容するに相応しいそれとは違っていたが、顔の造形そのものは変わってはいなかったからだ。
「トウ……テツ?」
 トウテツ。
 蚩尤の獣使いと呼ばれていた、黒い女たちの最初の刺客。つい先日、少女たちとの戦いの果てに、そのまま姿を消していたはずだが……。
「そうね。この姿で会うのは初めまして……かしら」
 けれど、紫の戦衣を解いたトウテツは彼女たちの記憶とはほど遠い、近くの高校のブレザー姿。穏やかな微笑みも、その辺りを歩いている女子高生と何ら変わりないものだ。
 それがなぜ、少女たちを助けるだけでなく……ルナーの力まで使いこなしているのか。
「ねえ、ニャウ。この人は……?」
 元敵だった少女を連れてきたのは、周囲に結界を張った結界獣だ。
「……コイツは刈谷菫。コスモレムリアからソニアの鈴を一番最初に託された……」
 少女たちの腕にあるソニアの鈴は、宇宙王朝コスモレムリアの至宝。今は銀河の彼方にあるその地から、地上の災い……コスモレムリアが置き棄てて行った超技術のなれの果て……を排除すべく預けられたと言われる、科学魔法の結晶だ。
「今期のソニア第一号。味方だ」
 結界獣の言葉に菫は穏やかに微笑んで。

 それに緊張の糸が切れた少女たちは……。
 そのまま、意識を手放した。


魔少女戦隊マイソニア
〜華が丘1987〜

leg.9 亀裂

 朝の教室で呟いたのは、長い黒髪を左右で束ねた少女。
「あの菫って人……何者なのよ」
 少女たちが意識を取り戻したとき、既に菫は姿を消していた。
 結界獣の結界の中には何人たりとも入り込めない。そもそも放っておかれたこと自体をどうこう言う気はないし、最後まで面倒を見ろなどと甘えたことを言う気もない。
 けれど……。
「だから葵ちゃん。初代ソニアだって……」
「そのくらい分かってるわよ! そうじゃなくって、はいりに助けられた奴がいまさら何しに……」
 なだめようとしたはいりに逆ギレし、葵が不機嫌さを収める気配はどこにもない。
 悔しいでも、腹立たしいのでもない。
 葵自身も言葉で説明できないもやもやとした感情が、胸の奥から全身へと回っているようで……とにかく、やり場のない苛つきが治まらないのだ。
 しかし、そんな葵も……。
「…………」
 教室の入口に現れたその姿に、言葉を失っていた。
 失うしか、なかった。
「…………おはよう」
 小柄な身体に、身を覆うほどの豊かな銀のロール髪。
 いつも通りに表情の薄い顔で、席に着こうとしている彼女の名は……。
「ローリ………ちゃん」
 ローリ近原。
 シャドウソニア・ナンクンの名を戴く、蚩尤の下僕。
 彼女の誇る異能。対象の時間を縛り、強制的に減速させる力……タイムプレッシャーにはいり達が敗れたのは、先日どころかつい昨日のこと。
 その、敵のはずの少女が……。
「あなた、何でこんな所に……!」
 椅子を蹴り立ち上がった葵の大声に、クラスの視線が一点に集まる。
 葵が声を荒げることは珍しくもないが、かといって狭い教室の中。無視できるほど、周りも大人ではない。
 やがてその視線の先、ローリの姿へと、クラスの視線はほぼ二等分に。
「私が学校に来る事に、何の問題があるのかしら?」
 問題はない。
 問題は……ないのだ。
 ただの小学生・ローリ近原としてならば。
 問題は……。
「…………」
 反論は、出来なかった。
 無言で椅子を直し、葵はもとの席へ着く。
 その様子に、さらなる進展はないと悟ったのだろう。ローリと葵に向けられていた視線も、もとの始業前の喧噪の中に消えていく。
 だがそんな中で、ローリはあえて葵の元へとやってきた。
「……何しに来たのよ。私たちを倒しに来たの?」
 シャドウソニアの力は、今のはいり達の力をはるかに上回る。本気になれば、ナンクン一人で三人のソニアを倒し、その鈴を奪い取る事など造作もないはずだ。
「その必要はないわ。結界が消えた今、何もしないでいるだけでこちらの勝利なんだもの」
 シャドウソニア達の目的は、彼らの持つコスモレムリアの遺物の封印を解くことだと、かつて結界獣が教えてくれていた。そしてその封印は、この華が丘に漏れ出す力を浴びる限り、徐々に弱まっていくのだと。
 だからこそ力の中心である華が丘八幡宮に結界を張ったのだ。封印を解くと言われるその力を、漏れ出さないようにするために。
 しかし、その結界は昨日の戦いで失われていた。疲れ切った葵の身体で再封印を施すことは叶わず、再封印は葵の体力が回復し次第……と言われている。
「なら、どうして……?」
 鈴を奪うわけでもなく、命を奪うわけでもない。
 ならば、ローリがここに現れた意味は……?
「強いて言うなら……」
 そうね、とひとつ前置きをして。銀髪の少女は蚩尤の下僕特有の貼り付いたような笑みを浮かべ、ぽつりとひとこと呟いた。
「嫌がらせ、かしらね」


 華が丘八幡宮に通じる長い石段を登りながら、葵の怒りは治まるどころかなおも加速する一方だった。
「もう……あいつ、許さないんだからっ!」
 腕を乱暴に振り上げるたび、両脇から伸びるおさげがひょこひょこと揺れている。このまま放っておけば、頭の上から湯気のひとつも出てきそうな程だ。
「ほら。落ち着いてよ、葵ちゃん……」
「そうだよ。ローリちゃん元気だったし、良かったじゃん」
 葵を見守るよう数段遅れて続くのは、困ったように手を伸ばす少女と、ニコニコと笑っている少女の二人組。
 その様子に、怒っていた葵はさらに怒りを爆発させる。
「柚もはいりもどれだけ呑気なのよ! もう。すぐ封印するわよ、封印! あのバカ猫はまだなの!」
 山頂に着けば、そこには誰の姿もない。
 待ち合わせの時間を指定してきたのは、結界獣のほうからなのに。
「でてこーい! バカ猫ー!」
 葵の叫びが、無人の社に木霊する。
「………誰がバカ猫だ」
 その声に呼ばれたか手水舎の影から現れたのは、猫に似た生物だった。
 人の声で喋る猫を、まともな猫とは言わないだろう。
「ひどいわねぇ、みんな」
「菫さん………」
 そして、まともではない猫に連れられるよう現れる、長い黒髪の少女。
 刈谷菫だ。
「話って、何ですか?」
 一同を場に集めたのは、この猫に似た生物、結界獣だった。状況から、誰もが八幡宮に蠢く力の再封印だと思っていたのだが……。
 菫がいると言うことは、シャドウソニア達の話でもしてくれるのだろうか。
「そうね……。時間もないし、簡潔に言うわね」
 息をひとつ吐き、菫が続けるのはたったひと言。
「みんな、そのソニアの鈴……返してくれないかな?」


 さらりと述べられた言の葉に、誰もが返す言葉を持たなかった。
 いや、その軽い言葉の持つ意味を、一瞬理解できなかった。
「え?」
 ようやく間の抜けた声で呟いたのは、はいり。
「これ以上、三人を戦いに巻き込むこともないし。あとは私の仕事だから……ほら!」
 穏やかに笑い、菫はそっと右手を伸ばしてみせた。
 その白く細い腕には、薄紫の宝珠がはめられた、細身の腕環が揺れている。それと同じ意匠の物が、はいり達三人の右手にも付けられていた。
 ソニアの鈴。
 それを返せと、菫は言う。
「え、だって……」
 もともとソニアの鈴は、ローリからはいりが託されたものだ。どんな経緯を経て菫からローリに託されたかは分からないが……いくら初代のソニアとはいえ、はいそうですかと菫に渡すのも、何か違う気がする。
「ローリちゃんは?」
 そう。
 ローリだ。
 蚩尤の手先だった頃の菫に連れ去られ、そのまま蚩尤の下僕となった、はいりの親友は……どうするつもりなのか。
「ローリは……何とかするわ」
「………それ、嘘でしょ」
 呟くはいりのひと言に、菫からの答えはない。
 ただ、沈黙があるだけだ。
「ニャウ」
 菫の傍らにある結界獣の名を呼べば、こちらもまた、沈黙を守るだけ。
 もう一度、名を呼ぶ。
 答えはなく、やはり沈黙があるだけだ。
 さらに三度名を呼べば。
「……ローリなら、自分の事は無視しろと言うだろう」
 ようやく漏れ出たひと言に、はいりは言葉もない。
 だが、彼女なら間違いなくそう言うだろう。
 それもまた、少女には分かっていた。
 初めて戦いに巻き込まれたあの日。自らの身よりもはいりを案じ、戦い敗れたその後も、自身よりもソニアの鈴とはいりを守る事に意識の全てを振り分けていた……彼女なら。
 しかし、理解と納得は違う。
「菫さん! あなただって、はいりに助けてもらったじゃない!」
 叫ぶ葵に、傍らの柚も首を縦に。
 あの時と同じようにすれば……ローリは、必ず助けられるはずだ。今ここにいる菫だって、ほんの三日前までは葵たちと敵対する存在だったのだから。
「あの時は、三対一でそちらに余裕があったでしょう。次は逆だから、倒すだけで正直精一杯なのよ」
「なら、わたし達が協力すれば……」
 そうすれば、三対一ではなく、三対四になる。三対一よりは、はるかに状況は良くなるはずだ。
「うーん。正直、足手まといなのよね」
「ちょっと!」
「そんな!」
 はいり達の参戦は、三対一を三対四にする行為ではない。三対一を三対一以下にする行為だと。
菫は軽く、そう断じた。
「あなたたちのうち二人が、カオスとキュウキを相手してくれる……というなら考えてもいいけど。出来ないでしょ?」
 シャドウソニアは残り三人。
 ローリが化身するナンクンと、ローリの姉が化身する飛翔能力を持つキュウキ。そしてこの二人とかつての菫の姿、トウテツの三人を統率するのが、ローリの母親が化身するカオス。
 現在の序列から考えれば、ナンクンが末席だろう。当然ながらキュウキとカオスは、そのナンクンよりも強いはず。
「けど、ルナーにはあの……」
 時間を操る精霊武装・タイムコンプレッサー。時を減速させるナンクンの力・タイムプレッシャーを軽く凌駕した、時間圧縮能力がある。
 それを使えば、いかなシャドウソニアとはいえ……。
「タイムコンプレッサーは多用できんぞ。菫の身体が保たん」
 結界獣の呟きに、葵はそれ以上の言葉を続けられない。
 コスモレムリアの物理法則を超えた物理法則に、地球の常識は通用しない。しかし、使う側はあくまでも人間。その領域を飛び越えることには、相応の限界があるのだ。
「一撃でナンクンが仕留められるなら、あの時にやっていたわよ。けど、あの状態のナンクンでも……たぶん、今のあなたたちより強いわよ?」
 いかに満身創痍のナンクンでも、タイムプレッシャーを使われればはいり達に為す術はない。そしてそのナンクンさえ末席に置く他の二人の実力は、少女たちの想像出来る領域をはるかに超えていた。
「特にブルーム……はいりちゃん、だったかしら?」
 反論していた葵ではなく、いきなり自分の名を呼ばれ、はいりは思わず顔を上げる。
「ニャウから聞いたわ。精霊武装……使えないそうね?」
 その問いに、答えはない。
 沈黙こそが答え。
 肯定の意味の、沈黙だ。
 精霊武装はソニアの要。葵の強力な魔法も、柚の圧倒的な重火力も、菫の時間を操る能力も、全てはソニアの真髄、精霊武装によるものだ。
 葵や柚でさえ戦力に数えられない今のレベルで、その最低限の力さえろくに出せないはいりは……。
「それだって、練習すれば!」
 葵や柚のフォローの言葉にも、菫は静かに首を振るだけだ。
「そんな暇がないから言ってるの。状況、分かってないでしょう?」
 たった数日の訓練で何とかなるほどソニアの力は浅くはないし、シャドウソニアも易くない。トウテツの眷属を相手にしていた頃とは状況が違うのだ。
「それに今日、ローリが学校に来て、私たちは戦力に入ってないって……」
「そう。なら、鈴をこちらに渡せば狙われはしないでしょう。良かったじゃない」
 その言葉にはさすがの菫も少々驚いたようだったが、それだけだ。
 ローリが三人を狙うことはなくとも、その中に菫まで入っていないとは限らない。さらに言えば、その宣告も向こうの計略である可能性もある。
「なら……!」
 けれど引き下がらない少女たちに、菫はため息を一つ。
「……やってみる? ニャウ、結界を張ってくれるかしら?」
「ああ」
 言葉と同時、世界が揺れる。
 少女たちのいる世界が、現実の世界から切り離される時の感覚だ。
「はいりちゃん。ブルームの鈴、貸してくれる? あなたはルナーを使っていいから」
 そう言って菫が差し出すのは、薄紫の宝珠の付いた細身の腕環。ルナーの人工精霊が封じられた、ソニアの鈴だ。
「え……だって……」
「暴走した事も聞いてるわ。けど……」
 戸惑うはいりに、穏やかな笑みを崩さない。
 自らの腕環を差し出し、はいりの赤い宝珠の腕環を渡すように手を伸ばす。
「そのくらいで本気のブルームに勝てると思ったら、大間違いよ?」
 そして……ソニア同士の戦いが、始まった。


 咲いて連なる爆光が、神の社を端から舐め上げ、完膚無きまでに焼き尽くす。
 最後に放った誘導弾が手水舎に炎の華を咲かせる間に、柚は武装を一瞬解除。無数のビスによって固定されていた金属群が極小の魔法陣の中に沈み、それと同時に新たなパーツ群が次の魔法陣から現れる。
 辺り一面火の海にした程度で、菫を倒せはしないだろう。背後のニャウが戦闘終了を宣言するまで、攻撃を辞める気は……ない。
「わたし達も……本気、なんだから」
 次にアイゼンソニアの両腕に現れたのは、一対の大型ガトリングだった。遠距離をミサイルで焼き尽くした後に、中距離での面掃射。
 爆炎の中から現れたところが、勝負。
 そして柚子の読み通り。爆煙を切り裂いて現れた細身の影は……。
「えええええええいっ!」
 柚の叫びは、先ほどの爆音すらも凌駕する重打撃音に掻き消され、最初のひと声しか届かない。
 だが。
「っ!」
 正面を向いていたはずのガトリングの方向が指すのは、直上だ。
 正面ではなくはるか蒼穹の彼方に向け、毎秒数百発にも及ぶ鋼弾の飛沫が迸っていく。
 跳ね上げられたのだ。
 一瞬で間合を詰めた、ブルームの瞬発によって。
「そん……な………っ!」
 からからという乾いた音は、給弾の止んだガトリングの砲身が空回りする音。
 そして、ブルームを包むように舞う花弁が抱えていた、初撃として打ち込まれた鋼の弾丸が……地に落ちる音。
 柚の読みは、間違ってはいなかった。
 初手の誘導弾の雨で菫は何のダメージも受けてはおらず、そのまま最短の間合で飛び込んできたのだから。それを迎撃すべく、中距離を面で制圧出来るガトリングに切り替えたことも、正しい判断と言えるだろう。
 唯一の誤算は、そのガトリングの雨さえも、ブルームソニアの花弁の結界には通用しなかったというただ一点だ。
「きゃああああああああっ!」
 ブルームの長杖から放たれる花弁の嵐が柚の小柄な身体を巻き込み、そのまま上空へと吹き飛ばす。
 長杖の指す向きは、上方。
 そしてその身は、がら空きだ。
 無防備なそこに叩き込まれるのは、叫びをまとう紫電の一撃。
「遅いわよ!」
 菫は伸ばしきった身体を半瞬で引き戻し、バックステップ。銃剣の振り抜きを避ける間合は紙一重。
 た、と足を地に着いたときは、既にロッドで近接戦の構え。
 もちろんそこに来るのは、ルナーソニアの第二撃。
 叩きつけられるような斬撃を最低限の接触で受け流すこと、二度、三度。
「ああああああああああああああああああああっ!」
 ルナーの打撃は重く、強い。そして制御を半ば失い、無理矢理に引き出されている全力は、ブルームの予想をはるかに凌ぐ。
 四撃、五撃。
 一瞬崩れた隙を突き、容赦のない刺突が来た。
 突き込まれたブレードを、細身のロッドが火花を散らし受け止めて。わずかに半歩足らない間合で、銃剣の刃は菫の身体に届かない。
 普通の斬撃なら、これで終わりだった。
 けれど相手は銃剣だ。
 引き絞られたトリガーが、追撃の弾丸を乱打する。
 斬撃を受け止めたのはロッド。そしてその刃の切っ先のさらに先には……菫の細身の身体がある。
 はず、だった。
「だから……受け止めて有利なのは、あなただけではないのよ」
 吹き飛んだ身体はブルームではなく、ルナーのもの。
 辺りを舞うのは、紅の花弁。
 零距離の接射で有利なのは、銃剣だけではない。
 範囲攻撃を放つブルームのロッドも、条件は同じ。
 だが。
 吹き飛ぶはいりの姿を確かめようともせず、最後の目標を探そうと見回す菫の周囲を。
 数度の光が瞬いて。
 次瞬には、魔法の獄炎に包み込まれていた。


「終わっ……た……?」
 呟き、崩れ落ちるのは。
 柚とはいりの稼いだ時間で大出力の魔法を放った、葵の方だった。
 ブルームソニアの瞬発力は、はいりの運動能力だけに由来するわけではない。モータルのホウキ、ルナーの銃剣と同じく、その特性を最大限に発揮するために付け加えられた補助能力だ。
 周囲に現れた魔法が起動するより迅く駆け抜ける事も、魔法を放ち終えて隙だらけとなった魔術師に強襲を掛ける事も、その力があれば造作もない。
「………分かった?」
 崩れる身体を抱きとめたなら、結界の中、少女の身体はゆっくりと姿を失っていく。
「ニャウ。結界、解いてくれる?」
 菫の言葉に世界が揺れて。
 彼女の目の前にいるのは、その場に倒れている二人の少女。
 先刻ブルームに倒され、早々に元の世界へと追い返された、はいりと柚だ。
「葵ちゃん……!」
 少女二人にまだ小さな呻きを上げる葵の身体を預けておいて、黒髪の少女も自らの変身を解く。
「分かった?」
 二人にもちゃんと聞こえるよう、再びの言葉。
「…………」
 けれど、赤い宝珠の腕環を受け取るはいりは、無言。
 菫は黙ったままの少女からルナーの鈴を引き取って、右手にそっとはめ直す。
「シャドウソニア達は、私が全力で戦っても勝てるかどうか分からないの。……でもそこに足手まといがいたら、間違いなく勝てなくなるの」
 前衛のアイゼンとルナーの連携がなかったのは、暴走したはいりをコンビネーションに組み込む余裕がなかったからだろう。そもそも前衛の二人はモータルの魔法発動の時間稼ぎが目的だったのだから、それはそれで、構わない。
 それに彼女たちの実力では、その作戦が精一杯だったろう。
 けれど、その程度では……ダメなのだ。
「だったら……」
 なおも食い下がり、言葉を紡ごうとする柚に、菫は小さくため息を一つ。
「言い方が悪かったかな……」
 切り取られた世界では爆破炎上したはずの手水舎の石段に腰掛けて、ようやく立ち上がれるようになった少女たちをじっと見据える。
「フォームチェンジが出来なくなるだけで、あなたたちは既に私の足を引っ張っているの。分かる?」
 四つ揃ったソニアの鈴と、フォームチェンジでどんな戦況にも対応出来るブルームソニア。この二つが合わされば、シャドウソニア達とも互角以上に戦えるだろう。
 逆を言えば、その二つが揃わなければ、苦戦……否、勝てない可能性すらも出てくるのだ。
「けどそれじゃ、あなたが前に負けたときと、同じじゃないの?」
 先日まで菫が敵陣に付いていたという事は、ローリのように彼女たちに一度敗れたのだろう。その時はローリはいなかったはずだから、菫はカオスとキュウキの二人に負けたことになる。
 だが、今は彼女たち二人に加え、ローリの転じたナンクンまでいるのだ。
 より不利になった状況で、本当に菫は勝てる気でいるのだろうか。
「違うわよ。次は勝つわ」
「……そんな人に渡せるわけ無いでしょ! いこ、二人とも!」
 葵は二人の手を取り、石畳を蹴って歩き出す。
「あたし達は、何とかしてローリちゃんを助けます。それに、出来るならローリちゃんのママとお姉ちゃんも……」
 はいりもそう言い残して場を去って。
 柚もちらりと一度振り返り、二人の親友に引かれるようにその場を後に。
「………そう。なら、次に会ったときは……」
 そんな少女たちの背中に、穏やかながらも刃を秘めた、菫の声が投げかけられる。
「その腕環、力ずくでも渡してもらうわよ」

続劇
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