-Back-

「だからといって……」
 再び世界を取り込んだ、結界世界のその中で。
 振り抜かれた黒い鞭の一撃が破砕したのは、はいりの家の影法師。
「本当に倒せると思っていたの? お馬鹿さんたち……っ!」
 無人の家屋、飛び交うガレキの中を駆けるのは、三人の少女と小さな獣。先ほどまでより数こそ倍に増えてはいたが、逃げの一手は以前と同じ。
「……でぇいっ!」
 時折彼女たちから放たれる火球や光条も、触れるもの全てを打ち砕く鞭の前では蟷螂の斧、蝋燭の灯火に等しいものだ。
 そんな健気な抵抗を圧倒の力で弾いておいて。
「玄武!」
 甲高い叫びと同時、黒い少女に重なる影は、巨大な亀を模す姿。
 黒い超重装に黄金のパターンが駆け抜けて、その内から現れるのは万に等しい小型弾頭だ。
 射出。
 次瞬、それが降り注いだ領域は、畑も田圃もアスファルトも、全て一切の区別無く炎の煉獄と化す。
「ちょっとはいり! こんな奴、本気で一人で倒そうって思ってたの!?」
 その火炎地獄の真ん中、猫の額ほどの通常空間に響くのは、悲鳴に近い少女の声だ。
 精神を司る人工精霊モータルの放った、魔術の盾。結界防壁である。
「………だって」
「だってじゃないっ! ……痛っ!?」
 だが、その魔術結界も完璧ではなかった。二人の親友と小さな獣こそ守れはしたが、術者たる少女の左足には、赤い染みが広がっている。
「葵ちゃん!」
 慌てて傷口に手を伸ばす赤い戦衣の娘を押しとどめ、葵は無言で空を見上げた。
 黒い戦衣の少女は、薄い笑みを浮かべたまま、こちらを静かに見下ろすだけだ。それが余裕の証なのか、それとも少女たちを哀れんでいるのかは、分からなかったけれど。
 その視線の冷たさに、葵は小さく身を震わせる。
「柚。何か作戦は……ないのか?」
「あるけど……ううん。ダメ」
 首を横に振っての否定は、柚が何らかの作戦を思いついた事を示していた。だが、その否定の真意は、作戦に足りぬ要素があるからか、それとも……。
「いいから話せ。今のままじゃ、こっちのジリ貧だ」
 呟く小動物の息も、上がりぎみ。世界を切り分ける結界獣の能力は、その空間を維持するだけで膨大なエネルギーを消耗するのだ。
 その力が途切れれば、彼女達の住む現実世界が今度はここと同じ目に遭うことになる。
 すなわち彼の体力こそが、この戦いのタイムリミットに等しい。
「だって、この作戦じゃ、はいりちゃんが……」
 柚がちらりと見上げるのは、赤い戦衣の親友だ。
 けれど。
「……大丈夫だよ。柚ちゃん」
 怯えるような視線を向けられた少女は、その怯えを祓うかのように、穏やかに笑み。
 瞳に宿る輝きは、先刻一人きりで戦っていた時とは明らかに異なるもの。
「…………わかった」


魔少女戦隊マイソニア
〜華が丘1987〜

leg.7 三本の

 走り出すのは、赤い戦衣をまとったはいりだけ。
 残る柚と結界獣は、傷ついた葵を庇うようにその場に身を置いている。
 そしてはいりの向かう先は、一直線。
 黒い戦衣をまとう、トウテツのもと。
「あら。随分早い作戦会議だったじゃない?」
「…………」
 くすりと笑う少女に答えることもなく、はいりは正面から拳を叩きつけた。
「問答無用? そういうのも、嫌いじゃないけどねぇ……白っ……」
 迫る拳に黒の少女は身構える様子もない。ただ左の手を振り上げ、その闇の内から白い牙を呼び出そうとするだけだ。
 高速戦と範囲攻撃を司るのが白虎の役目。カウンターは一瞬、それに続く範囲攻撃で、赤い戦衣の少女は文字通りの赤の中に沈むだろう。
 だが。
「っ!?」
 かかげたその手が、弾かれた。
「……でぇぇいっ!」
 印を解かれ、召喚のトリガーを失ったトウテツに迫るのは、正面からのはいりの拳。
 握り込まれたその一撃が、トウテツの白い肌、白い頬に全力で叩き込まれたのだ。結界装甲をまとう彼女に直接のダメージこそ無いが、召喚に必要な体勢を崩すには十分に過ぎる。
 事実、背後に淀む闇の中から、白き虎の気配はじわりとかき消えていく。
「くっ……! そう。そういう事をしてくるのね」
「柚ちゃんが言ってた………。あなたはフォームチェンジの時、一瞬だけ隙が出来るって」
 はいりの背中の向こうにあるのは、長銃を構えた柚子の姿。人工精霊アイゼンの正確無比の照準機構が、白虎を喚ぶ瞬間、トウテツの左手を弾いたのだ。
 浅黄の戦衣が動かなかったのは、戦意を失った同胞を守るため、というだけではなかったらしい。
「それで、私のフォームチェンジを封じるつもり? それならそれで構わないけれど……。朱……!」
 次に掲げたのは右の手だ。
 しかしそれも、印を結ぶ一瞬にアイゼンの弾丸によって弾かれる。
 はいりの頬のすぐ側を抜けた狙撃によって。
「……良い度胸じゃない。背中から撃たれるとは、考えないのね」
「当たり前でしょっ!」
 トウテツの振り上げる鞭の動きを遮るように、襲い来るのははいりの拳。鞭はモーションが大きくなる分、格闘戦の間合となると途端に扱いが悪くなる。
 そしていかに弱い一撃とはいえ、鞭の初動に打撃を与えれば、その動きを封じるのはさして難しいことではないのだ。
「ちっ。うっとうしい……!」
 舌打ちと共に伸びるのは手甲の爪。黒い戦衣から伸びる白い刃を、はいりは正面から受け止める。
「これくらいなら……あたしでも!」
 精霊武装の使えないブルームにあるのは、この敏捷性だけだ。だがそれだけの力でも、四神の召喚と鞭の攻撃を封じられたトウテツの動きを押さえる『だけ』なら、不可能ではない……はず。
「あたしでも……何!?」
 けれど。
 はいりの小さな身体が吹き飛ばされるのは、一瞬のこと。
「……っ!」
 速度は互角。
 防御も互角。
 しかし体術には、トウテツにはるかに分があった。
 彼女にとって、召喚や鞭がなくとも……否、その二つを切り捨ててしまえば、はいりをはじき飛ばす『だけ』のことなど造作もない。
「はいりちゃんっ!」
 さらにはいりを柚や葵の方へと飛ばせば、彼女の体が壁となり、アイゼンの狙撃を受けることもなかった。この一瞬で狙撃銃から誘導弾へと装備を切り替えられるほど、幼いソニアたちは経験を積んでいない。
「押さえるだけなら、何ですって………」
 ブルームの赤い戦衣をはじき飛ばした右手の握りは、既に召喚の印を握っている。
「青龍!」
 影の龍が絡みつき、結界装甲の色を青へと染めていく。そして、伸ばした右手に喚ばれた銃口から放たれる閃光が……宙を舞う赤い戦衣を容赦なく喰らい尽くした。


 閃光の中から吐き出された赤い塊は、大地を穿ってなお勢いを殺しきれず、バウンドしながら二転、三転。
 ようやく動きを止めたのは、柚子のすぐ傍らだ。
「はいりちゃんっ!」
 駆け寄りたい気持ちを必死に殺し、柚子は長銃を乱射する。人工精霊アイゼンの補正によってその弾丸は全てトウテツに吸い込まれてはいくものの、ダメージを与えていないのはその様子からも明らかだ。
 けれどこの弾幕を止めれば、すぐにでも召喚獣からの大きな一撃が来る。
「はいり! 平気か?」
「ごめん。フォームチェンジ、されちゃった……痛ぅ……っ」
 結界獣の声に応じるのは、照れ笑い気味のはいりの声。
 その中に混じる小さなうめきを必死に聞こえない振りをしながら、柚子はトリガーを引き続ける。
「……大丈夫だよ」
 長銃に新たなアタッチメントを召喚し、結合。一瞬でバレルは太さを増し、銃から小型の砲へと姿を変える。
「見て、はいりちゃん」
 呟き、初弾を叩き込んだ。
 小口径砲の強烈な反動をアイゼンの慣性制御で相殺させながら、描く軌跡を瞳で追えば。
 砲弾を弾いたトウテツがまとうのは、青ではなく黒い戦衣。無論、青龍が転じた砲門もなく、手に提げるのはいつもの黒い鞭。
「トウテツのフォームチェンジは、大きな技を使ったら解除されちゃうみたいなの」
 トウテツのフォームチェンジは、人工精霊や彼女自身の力ではなく、呼び出した幻獣の力を使うのだろう。その力が尽きてしまえば、幻獣はもとの影へと戻り、フォームも強制的に解除されてしまうらしい。
「……ってことは」
「うん。失敗しても、次で押さえればいいってこと」
 もちろん次の召喚には、一瞬のタイムラグがある。
 そこをはいりか柚のどちらかが押さえられれば……。
「分かったよ。でも………」
 押さえるだけ、と言うのは簡単だが、トウテツには近接戦で勝てない事が分かっている。同じパターンを受けて、今度は柚達が狙われでもしたら……。
 ちらりと、うずくまったままの葵を見る。
 守らなければならない。
 なんと、しても。
「簡単だろう」
「ニャウ……?」
 はいりの言葉に、小さな結界獣は口角をわずかに歪め、小さくその名を口にした。
「ルナーを使えばいい」
「え……?」
 ルナーフォーム。
 はいりの腕にある、二つのソニアのうち一つ。
 禁断の月光。
「あれなら、精霊武装は使えなくても銃剣がある。素早さも、ブルームよりはあるはずだ」
 ソニアの結界装甲さえ貫くライフルの銃撃と、その加護を受けた短剣の斬撃。それを使いこなす機動力があることも、想像に難くない。
 難くはないが……。
「それはそう……だけど……」
 その強すぎる力を軽んじ、結果何が起こったかは……忘れるにはあまりにも近すぎる、過去とも呼べないつい数時間前のこと。
 目の前の結界獣も、それはよく知っているはずなのに。
「出来ないのか? それとも、またこいつらを同じ目に遭わせるのが、怖いか?」
「…………」
 ニャウの問いに、はいりは答えない。
 答え、られない。
「はいりちゃん………」
 柚はトウテツの動きを少しでも止めようと、砲の引き金を引き続けている。その瞳は涙に潤み、おそらくは正面は見えていないはずだ。
 それでも、はいりと葵を守るために、戦っている。
「…………」
 そして傷つき、うずくまったままの葵も、すぐに戦列に復帰してくれるはずだ。
「来るぞ、トウテツが」
 ならば、自分に出来ることは……。
「はいりちゃん!」
 ゆっくりと、はいりは立ち上がる。
「見てて、柚ちゃん、葵ちゃん。今度は……二人を傷つけさせたり、しないから!」
 そして凛、と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音だ。


 地上を奔る紫の雷に、トウテツは思わずその口元を歪めていた。
「ルナー? まだ来る気なのね……」
 銃剣の突撃は槍と同じ、一直線だ。鞭も召喚獣も使わず、掌底で軽く受け流す。
 刹那、払ったはずの銃剣の穂先が、ふっと消えた。
 そこに繋がるのは、反対からの重打撃。前に掛けていた重心を即座に後ろへ切り替え、銃剣のストックから打ち込む横殴りの一撃だ。
「っ!」
 防御の玄武を喚び出す間もない。右腕一本でそれを受け止めれば、想像以上の重みが身体を一気に押し流した。
 身体が、流れる。
「流石ね……」
 泳ぐ身体に足を踏みしめ、体勢を整えた時には……目前にあるのは、刃を組み付けられた銃口だった。
「青……っ!」
 抗さんと左手で印を結べば、彼方から飛来するアイゼンの銃弾がそのトリガーをかち上げる。
「く………っ!」
 眼前の少女は、無言のまま引き金を引き絞り。
「……ルナー!」
 放たれた閃光が、黒い戦衣を一撃の下に吹き飛ばす。
 宙を舞う細身の身体を、紫電の戦衣は逃げること許さず。
 大地を蹴り、さらなる追撃にかかるのだった。


 銃身での横殴りの打撃に、ストックからの廻し打ち。近接だろうがお構いなしに、隙を逃さず引き金さえも引き絞る。
 トウテツの防御はソニアのような結界だけではなく、物理的にも優れているのだろう。ルナーの銃剣を受けてなお、倒れる様子はないものの……。
 一度失った流れを取り戻すほどの絶対的な鉄壁までは持ち合わせていないようだった。
「はいり……」
 その一方的な戦いを眺めながら、ニャウはその場にしゃがみ込んだ。結界維持の体力は、もう限界に近い。ここで決着が着かなければ、この戦いは負け……しかも、これ以上ないほどの大敗となってしまう。
「大丈夫だよ、はいりちゃんは」
 ライフルとその着弾位置から視線を外すことなく呟くのは、傍らの柚子だ。
「ちゃんと、タイミングを計って攻撃してるし……」
 銃身全体を使った振り抜きが、トウテツの細身の身体を吹き飛ばし。
 大地を二三度転がって、無人の家にぶち当たったところで、ようやく停止。そこに容赦なく降り注ぐのは……ルナーの銃剣からの連弾だ。
「あの目は、いつものはいりちゃんの目だよ」
 そのライフルの弾幕が止み。
 崩れ落ちた家の中から姿を見せたのは……。


「あら………もう、おしまい……?」
 魔法結界を貫く弾丸をここまで受けていてもなお、トウテツの結界装甲はその姿を留めていた。
「…………」
 対するルナーは、無言でトウテツに視線を向けたまま。
「次は、こちらからかしらね……」
 埃ひとつ付かぬ黒く長い髪をゆらりと揺らし、トウテツはゆっくりとその身を揺らす。
 そして、来た。
「…………」
 迫る鞭をルナーは寸前で避け、一気に間合を詰めようとするが……そこに来るのは防御に特化した格闘の受けだ。
 腕を取られ、ひねり上げられそうになる動きを、銃剣で振り払って一気に離脱。
「痛いでしょう? 怖いでしょう? ……貴女!」
 そこに来るのは鞭の追撃。銃剣の乱射で鞭を端から切り裂くが、影から生まれるトウテツの鞭は幾度千切れてもその形を一瞬で元へと取り戻す。
「いい加減、ソニアの鈴を渡しなさい」
 トウテツの言葉にも、ルナーはひたすらに無言。
 ただ迫る鞭を避け、戦場を駆け抜け、合間に伸びる柚たちへの一撃を黙々と打ち落とすだけ。
「………そう。いいわ。ならば………これは、阻みきれるかしら?」
 叫ぶトウテツが選んだのは、召喚だった。
 けれど、右手は鞭を握ったまま。
 左手も印を結ぶ気配はない。
 だがそれでも、辺りの空間は大きく歪み………。
 四方に現れる巨大な影、四つ。
「うちの一体でも喚べれば、こちらの勝ちよ」
 印も陣も使わない召喚に、体勢を崩す今までの手は通じない。ルナーの弾丸も、アイゼンの弾幕も、この一瞬では一人で一体を倒すのが精一杯だろう。どれか一つでもトウテツに重なれば、そこで戦況は一変する。
 そしてさらに、幻獣一体まで相手にするとなれば……!
「せめて、ルナーの精霊武装が使えれば違っていたのでしょうけどね。さ、どうす……」
 そこで、トウテツは言葉を失った。
 絶望的に不利な中、ルナーの浮かべる表情が……。
 笑み、だったからだ。
「待ってたよ……この時を!」
 そして、ルナーは叫ぶ。
 はいりの声で。
 はいりの意志で。
「葵ちゃん!」
 背中にいる、親友の名を。


 紫電の戦衣の向こう側。
 膝立ちに立つのは、青い戦衣の魔術の化身。
「葵!」
 モータルソニア。
「葵ちゃん!」
 雀原葵。
「待ってたわよ、その同時召喚……」
 右手にあるのは人工精霊モータルの精霊武装。
 左手は傷口を押さえるためではなく、印を結ぶためにある。
「バカ猫!」
「おう!」
 結界獣が叫ぶと同時、彼女たちの周囲を覆っていた結界が姿を消す。
 そこから溢れ出すのは、圧倒的な魔力の渦だ。極限まで高められ、練り上げられた魔力の結晶は、物理的な風さえ伴ってトウテツのもとまで吹き抜ける。
「結界を……防御ではなく、魔法を隠すために……っ!?」
 戦意を失ったと思っていた。
 痛みに、泣いているのだと思っていた。
 けれどその全ては、この時のため。モータルソニアほどの魔術の化身が、十分以上に魔力を研ぎ澄ませ、魔術を組み上げるため。
 はいりと柚が必死に守っていたのは、傷つき倒れた仲間などではなく、勝利を掴み取る最後の切り札と、それに必要な時間だったのだ。
「はいりにそんなに痛い目を見せたこと……後悔させてやる……!」
 印をかざし、魔法は完成する。
 トウテツのようにそれを阻む弾丸も、銃剣の一撃が来ることもなく。
「降臨せよ! 『地上の煉獄』!」
 そして現れた本当の破壊が。
 白虎を無数の牙で噛み砕き。
 玄武を堅固な岩で押し潰し。
 朱雀を焦熱の炎で焼き尽くし。
 青龍を渦巻く嵐で引き裂いて。
「な……っ!」
 無限に溢れる破壊の渦が、トウテツの結界装甲さえも打ち砕いていく。
「あなたたち、味方まで……巻き込んで…………?」
 モータルソニアが全力で行使した大魔法だ。四神を挽き潰し、トウテツの結界装甲を打ち破ること自体は不思議でも何でもないが……トウテツの目の前にははいりがいたはずだ。
 いかにソニアの結界服が優れていようとも、ここまでの破壊を受けきれるはずが……。
 はずが……。
「あ……なた………!」
 どうして、目の前で笑っているのか!
「……!」
 目の前の少女がまとうのは、紫電ではなく赤い色。
「ニャウ……!」
 そしてその懐にいるのは、世界の構成を切り分ける結界獣の小さな姿。
「そう。あなたが、防御結界を……」
 葵の詠唱を隠していた結界を解いた後、すぐにはいりの元へと駆けつけたのだろう。魔法を防ぐ結界は、結界獣の得意分野だ。
「……菫」
 交わす視線も。
 呟く言葉も。
 それ以上、互いに届くことはなく。
「トウテツさん、さっき言ってたよね……。痛かったり、怖かったりしないのか、って」
「…………」
「痛くて、怖いよ。当たり前じゃん」
 ならば、と問う口は、もはや動かない。
 はいりには、ニャウのような使命はない。ローリのような宿命もない。
 ならば、どうして戦えるのかと。
 痛みと苦しみを乗り越え、押しつけられたソニアの鈴を守り抜けるのかと。
 問える力は、既にトウテツには残されていない。
「でもね………」
 途切れかけの意識に、はいりの声は静かに響く。
「こんな作戦を考えた柚ちゃんのほうが、ずっと痛くて怖いんだから。あたしが怖いなんて言っちゃ、柚ちゃんがもっと怖がっちゃう……」
「はいり!」
「分かった! たあああああああああああああっ!」
 はいりの放つ最後の一撃に、トウテツの姿は結界世界からかき消されていくのだった。


 廃材の上に腰掛けて。
「……………ねえ、ニャウ」
 崩れ落ちた自分の家をぼんやりと眺めながら、はいりは腕の中の結界獣に静かに問いかけた。
「何だ」
「あの子……は?」
 トウテツの正体は、結局は分からないままだった。
 けれど、彼女たちと年の近い少女だったことは間違いなくて……。
「結界を出されただけだ。死んじゃいねえよ」
 結界獣の結界が取り込めるのは、結界獣が認識した者だけだ。そしてソニアの資格者は、結界服が消滅した時点で結界を吐き出されるように設定されていた。
 だからこそ、かつてのルナーの暴走で、葵と柚は小さな怪我を負うだけで済んだのだ。
 おそらくトウテツの結界装甲も、同じような仕組みになっているのだろう。
「……そっか。良かった」
 見上げれば、駆け寄る親友たちの姿が見える。
「はいりっ!」
「はいりちゃんっ!」
「あ、葵ちゃん、柚……」
 だが、はいりがその言葉を最後まで口にすることは出来なかった。
「え……?」
 結界世界に響くのは、勢いよく頬を張る澄んだ音。
「え、じゃないわよ、バカっ!」
 呆然としたままのはいりを抱きしめ、葵の声は涙声。
「そうだよ! 私たち、すっごく心配したんだからね……」
 柚に至っては、抱きつく前に泣き出している。
「………ごめん」
「ごめんじゃないっ!」
「じゃあ………ありがと」
 耳元で囁く少女の声に、葵は溜息を一つ。
「でもはいりちゃん、怪我がなくてよかった……」
 それに、心配していた暴走もなかったのだ。なぜルナーを押さえ切れたのか柚には分からなかったが、みんなが無事だった事に比べれば些細なことだ。
「そうだ。葵ちゃん、怪我は?」
「あんなもの、とっくに魔法で治したわよ。ほら、あんたも治してあげるから、傷見せなさいっ!」
 叫ぶ葵ははいりを抱きしめたまま、結界服を引きはがそうと手を伸ばす。
「大丈夫だよーっ!」
 慌てて身をかわしたはいりはブルームの機動力で高く跳躍。それを追わんと、葵もモータルの飛行箒をひと挙動で喚び出した。
「ほら、柚! はいりを捕まえてっ!」
「う、うん! ほら、はいりちゃん。待ってってばぁ!」
 葵の言葉に柚もアイゼンに命じて砲を召喚。弾倉をネット弾に切り替えて、照準を合わせてくる。
「だから、大丈夫だよぅ!」
 二人の追撃を必死に避けながら、はいりは楽しそうな悲鳴を上げるのだった。


 拳大の水晶玉を見下ろし、ポニーテールの少女は静かに呟いた。
「……ママ。あの役立たず、負けたみたいね」
 水晶玉には大きなヒビが入り、無数の少女の顔を映し出している。こちらを見下ろす少女の瞳は、呆れたような、見下すような、蔑みの色。
「そんなこと言っちゃダメよ」
 その大きな水晶玉をそっとすくい上げ、少女をたしなめるのは、緩やかに髪を伸ばした、美しい女だった。
 高校生ほどの少女と並べても、とても母子には見えないだろう。
「ちゃんと、時間稼ぎくらいはしてくれたじゃない……役立たずなりに、ね」
 美女は呟き、水晶玉をゴミ箱の上で開放。
 直下に落ちた水晶玉は、プラスチックのゴミ箱の中で鈍い音を立て、完全に玉の形状を失わされた。
「ねえ、あなたも……」
 いらないものを片付け終えた美女は、元のソファーにゆっくりと腰を下ろし、傍らに座る幼い娘をそっと抱き寄せる。
「ちゃんと、私の役に立ってくれるわよねぇ?」
 娘はそれに何の反応を示すこともなく、ただされるがままにするだけだ。かつては少女たち以上に強い色を映していた碧い瞳も、今はゴミ箱の中、砕け散った水晶玉ほどの輝きも宿してはいない。
 そんな娘のふわりと広がる銀髪に、愛おしそうに指を通しながら……。
「……ローリ?」
 美女はローリの薄い唇を、朱い舌でぺろりと舐め上げるのだった。


続劇
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