「ミュウ! ホントにこの結界、大丈夫なんでしょうね!」 少女の呼ぶ名に反論したのは、仔猫ほどの小さな獣だった。 「俺の名前はニャウだ! ミュウじゃねえ!」 「……ニャウ?」 熱を帯びた風に蒼い法衣を遊ばせながら、少女はその名を転がしてみる。 「ニャウだって言ってンだろ!」 正しく呼んだはずの名に、ニャウはさらに反論。 「ちゃんと言ってるでしょ?」 「言ってねえよ!」 「なんですってぇ!」 「そんなのどっちでもいいよ! 二人とも」 まだまだ続くと思われた少女と小動物の掛け合いを遮ったのは、浅黄色の戦衣をまとったもう一人の少女だった。 「よくねえ!」 「よくないっ!」 「よくなくないよ! はいりちゃん、何だか苦戦してるっ!」 浅黄の少女が指した先には、赤い戦衣を着た娘が走り回っている。 「はいりっ!」 彼女の目の前にいるのは……。 世界を震わせるのは、大地踏む巨大な衝撃だった。 一撃、ではない。二撃、四撃、二の倍数を以て、それは立て続けに世界を揺らし、震わせる。 結界魔術によってずらされた世界を、その震撃で元に戻さんとするかのように。 地震をまとって大地を駆け抜け、広げた翼は竜の翼。巨大な体躯と比べれば随分と小さなそれは、竜翼の形を持ちながら、翔ぶ力までは持たぬように見えた。空舞えぬ翼をそれでも広げ、巨大な地竜は天へと向けて咆吼する。 怒りをもって。 悲しみをもって。 「こっち! こっちだってば!」 その叫びの前に、周りを駆ける少女の声はかき消され。大地竜の耳には届くことはない。 得意のスピードで竜の気を引き付けようと駆けだしたはいりだが、悲しいかな肝心の竜は小さな娘の存在など意にも介していなかった。 「そっちじゃないってば!」 大地を揺らす巨大な脚を蹴っても殴っても、翡翠の色を持つ竜鱗ははいりの力を徹す気配もない。目の前を跳び回っても、竜は赤い戦衣の存在など無いかのように優雅な回頭を行うだけだ。 「だから、そっちじゃないって!」 そして、疾走。 「きゃあっ!」 相手は脚だけで自らに数倍する巨竜だ。絶対の防御を誇るソニアの装甲服といえど、その質量で踏みつけられては無事で済むはずがない。 「葵ちゃん! 柚ちゃん! 逃げてーっ!」 慌ててその場を避けながら、巨竜の進行方向にいる友の名を絶叫する。 「はいり! もう準備いいわよ!」 その時だった。 一陣の風に乗せて、鋭い声がはいりの耳に届いたのは。 「……え?」 巨竜の進む先に立つのは、蒼い法衣をまとった少女と、浅黄の装甲服を着込んだ少女。 逃げる気配はどちらも無い。法衣の少女は右手を高く掲げ、装甲服の少女も右腕を正面に構えたまま。 「発動!」 葵の右手が振り下ろされれば、長さ数十メートルはあろうかという氷柱の群れが果てなき蒼穹から降り注ぎ。 「バスター……シュート!」 柚がその銘を呟けば、構えた右腕を中心に、無数の金属片が連続で召喚。続く言葉を引き金に、一瞬で組み上げられた巨大砲が閃光の槍を解き放つ。 氷の剣と閃光の一撃は、迫り来る大地竜を容赦なく貫いて。 元の闇へ、あっさりと打ち砕くのだった。 〜華が丘1987〜 leg.5 禁断の月光 陽光の差し込むリビングに戻ってきたのは、長いポニーテールの長身の娘だった。 「帰ったわよ、あの子」 ソファーに身を沈め、そうひと言。ちらりと外に視線をやれば、来た道を戻っていく赤いランドセルが見える。 確か名前ははいりと言ったか。病欠になっている妹を心配して、ほとんど毎日お見舞いや配られたプリントを届けに来てくれる子だ。 「よく来るわね……まったく」 ポニーテールの娘は届けられたプリントをゴミ箱に放り込み、軽く肩をすくめてみせる。 「で、何の話題だっけ? ママ」 呟き、テーブルで湯気を立てるカップを口に運ぶ。母親の名を呼んだところで、正面に座る美女の姿をちらりと一瞥した。 「大地竜がやられたそうよ。あの子達に」 母親の言葉にも、娘がさしたる感想を抱くことはない。口の中、ふぅん、とひと言だけ転がして、『あの子達』と呼ばれた少女達の姿を思い出すだけだ。 その中には、妹に毎日プリントを持ってきてくれる娘の姿も含まれている。 「レイアがねぇ……。この間は、コボルトとゴブリンの混成部隊もやられてたわよね。違った?」 カップをテーブルに戻し、視線を横へ。 そこにいた『三人目』はソファーには座らず、その場に無言で立っているだけだ。負けが込んでいる割に余裕のある態度に、小さく眉をひそめる。 「ママ。こいつ、使えない」 普段ならムッとした様子を見せる直球の皮肉にも、今日は動じる気配がない。 「そこまでにしておきなさい、リタ。今日は貴女の負けよ」 逆にムッとしてしまった娘の姿に、母親は苦笑い。 「大地竜は貴女の切り札だと思っていたけれど……その様子だと違うようね、トウテツ」 その言葉に、トウテツと呼ばれた少女は小さく一礼。 「大地の竜は一対の片割れ。その怨嗟の声と無念は、天空に住まうつがいが受け止めますわ」 「だ、そうよ。リタ」 トウテツの言葉に、母親もカップの紅茶をひと口。 「……あ、そ」 それが気に入らなかったか、リタはソファーを蹴ってその場を立ち上がる。 「まあ、せいぜい頑張るといいわ。ソニアの鈴の回収任務、あたしの仕事が終わる前に決着を付けてもらえると……楽なんだけどね」 「無論、そうさせていただきます」 余裕綽々なトウテツに舌打ちを一つして、ポニーテールの少女はリビングを後にするのだった。 晴れやかな青空に、軽快なホイッスルの音が響く。 続くのはグラウンドを走る足音と、ばぁんという踏み切り板が跳ね上げられる音。 高い段を飛べた者には賞賛の声が、飛べなかった者には応援の声が投げ掛けられる、体育……飛び箱の授業だ。 「私の魔法に柚の作戦が入れば、完璧ね」 そんな一団の中、跳ぶ順番を座って待ちながら。葵は傍らの柚に穏やかな笑顔を見せている。 「そんなことないよ……」 「そんなことあるよ」 照れる柚に、はいりも笑顔。 事実、柚が三人目の戦士として加わってからの戦いは、格段に楽になっていた。先日の巨大竜もそうだし、その前に戦った小型魔獣の大軍団も、初めて柚が参戦したケルベロスの時も、彼女の作戦がなければ勝てなかっただろう。 「あたしじゃ、柚ちゃんみたいな作戦とか、全然立てられないし……」 小さく呟いて、はいりは体操服の襟元に顔を埋めてみせる。 「そうねぇ……。はいり、柚みたく頭良くないしね」 「もう、葵ちゃん!」 苦笑する葵をたしなめておいて、柚ははいりの顔を覗き込んだ。 「そんなことないよ。はいりちゃんがいないと……」 「……いないと、勝てなかった?」 言われ、言葉に詰まる。 魔獣の軍団を倒したのは葵の範囲攻撃と柚の速射砲だったし、巨大竜の時にはいりが担当した囮役は、まともに機能していなかった。 「え、えっと……」 いくら賢くとも、柚はまだ小学生。とっさの機転が利くほど、人生の経験は積んでいない。 「兎叶! 兎叶ー!」 それを救ってくれたのは、ホイッスルをくわえた先生の声だった。 「はいり、あんたの番だって」 「あ、はーい!」 葵の言葉に押されるように、立ち上がり。 「あの、はいりちゃん、がんばって……ね」 「まかせて!」 柚の言葉に笑顔で応え、スタートラインへ。 (まかせて……か) 体育は得意だ。飛び箱も、目の前の八段くらいなら余裕だった。 はいりが変身するブルームソニアの強みは、今のはいりと全く同じ。地上での運動能力を生かした、高速機動と撹乱だ。 短いホイッスルに弾かれ、走り出す。 だが、それだけ、でもある。 地上での運動能力こそ高いが、モータルソニアの飛行速度よりははるかに遅いし、そもそも空を飛べるわけではない。柚のアイゼンソニアのような防御力や、パワーもない。 そして何より、主力武器である精霊武装が使えないのが致命的だった。 タイミングを合わせ、踏み切り板を思い切り踏み込んだ。反動を推進力に、小さな体を前へと送り出す。 (みんなと一緒に戦うって言ったのに……どうしたらいいんだろう、あたし) 大地竜の時は役に立たなかったし、魔獣軍団の時は相手の攻撃を捌ききれず、むしろ足を引っ張っていた気さえする。 飛び箱に手を突いて、勢いに任せて一気に倒立。爪先で大きな円を描きながら、半ばまで倒れ込んだところで飛び箱から腕の力だけで離脱する。緩い弧を描いて浅く翔び、マットへと着地した。 両手を高く掲げれば……。 「…………」 いつもなら来るはずの、拍手がない。 「……あれ?」 振り向けば、誰もこちらを見てはいなかった。先生はおろか、柚や葵さえも。 「え……?」 皆が見ていたのは青い空。 そこではいりも気が付いた。 空は雲一つ無く晴れているというのに……校庭を、巨大な影が覆っていることを。 見上げ、絶句する。 「こんな所に!?」 空に在るのは二十メートルを超える巨大な翼。赤黒い鱗に覆われたそれを持つのは……。 「魔獣!?」 叫んだ瞬間、世界の色が切り替わり。 はいり達は、結界の内側へと取り込まれた。 「すまん、遅くなった!」 走ってきた猫らしき小動物に、はいりは慌てた声を上げる。 「みんなに見られちゃったよ! ニャウ!」 「ぱっと消えたから、錯覚だと思うだろ! もしくは集団幻覚!」 結界獣の創る結界は、取り込んだ相手を現実世界から切り離す効果を持つ。今の結界の中に、はいり達と魔獣以外の生物はいないし、結界の中でどれだけ建物を破壊しても、現実世界には何の影響も与えない。 持続時間こそ短いが、はいり達にとっては欠かす事の出来ない力の一つだ。 「思わないよ! どうやって誤魔化したらいいの!」 が、その効果は当然ながら、ニャウが結界を生み出してからでないと機能しない。ニャウが結界を張る前に見られた魔獣は、クラスメイト達の記憶にしっかりと残ってしまうはず。 警察に通報されていなければいいのだが……。 「お前らが関係あるって言わなけりゃ、知らんぷりしてりゃいいだろ」 「あ……そっか」 納得したはいりの隣で首を傾げたのは、葵だった。 「ねえ」 結界に取り込まれた存在は、現実世界からは姿を消す事になる。それは即ち……。 「もしかして、私達もみんなの前からぱっと消えてるんじゃないの?」 「……消えてるだろうな」 みんな呆然と竜を眺めていたから、消えた瞬間は見られていないだろうが……。 「なら、さっさとアイツ倒さないと!」 葵たち三人は、行方不明になったきりという事になる。 「そういうことだ!」 ニャウの言葉に弾かれるよう。少女達は右の拳を前に突き出し、手首を支点に軽く一振り。 凛、と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音。 同時に響く三つの音は、天空竜の叫びをかき消し、結界の内に高らかに木霊する。 大きな弧を描き、天を駆ける巨影に向けられたのは、黒鉄の砲口だった。 赤鱗の飛竜は巨大な翼を優雅に広げ、結界の中で青い空を舞うばかり。大地を駆けるだけの緑鱗の地竜とは対照に、地上に降りてくる気配はどこにも無い。 「シュート!」 アイゼンソニアの叫びと共に、右腕の砲口が甲高い叫びを上げる。青い空に金色の直線を描き出し。 「ええいっ!」 そのまま右腕を大きく振れば。その動きのまま、光の刃は飛竜を追って蒼穹を真っ二つに切り裂いていく。 けれど、飛竜の動きは柚より迅い。やがて光条は太さと輝きを失い、空は再び飛竜だけのものとなる。 「柚! 任せなさい!」 アイゼンソニアの右腕を包む金属群が崩れ、魔法陣の中に沈むと同時。今度は葵が一歩を踏み出し、右手を天に振り上げる。 発動の声と共に、輝く左腕の古書から放たれたのは、十七の光弾だ。 直線と曲線、伸びやかな弧を描いた次瞬に鋭角軌道で方向転換。葵の意のままに動く十七の魔術弾丸は、ほんの一瞬で飛竜の動きを捉えきり、赤い鱗に集中砲火を叩き付ける。 爆光。 咆吼。 天の一角を黒煙が覆い。 その中から悠然と現われたのは、無傷の飛竜。 「……そんな、バカな」 全弾直撃の手応えはあったはず。それなのに、竜の飛翔は鈍るどころかより速さを増しているようにさえ見えた。 「防御結界か。シャレになってねえな」 魔獣は魔法そのものは使えないが、結界獣のように魔法に近い能力を使える種は存在する。目の前の飛竜も、魔法に対する強い防御結界を本能の中に得ているのだろう。 常にそれが働いている以上、モータルソニアの攻撃魔法は効果がないと見るべきだ。 「ニャウさんも結界使えますよね。何とかならないんですか?」 「俺は張る専門なんだよ。無茶言うな」 結界破りの魔法は効くかもしれないが、それは魔法使いであるモータルソニアの領分だ。結界獣の能力の限界を超えている。 「もぅ。使えないわね」 小さく呟き、葵は無造作に右手を掲げ上げた。現われたのは魔法の光弾ではなく、飛行用のホウキ。 「あ、葵ちゃんっ!」 ひょいと横掛けに腰を下ろし、はいりの言葉に応じるよりも速く舞い上がる。 「無茶するな、葵!」 蒼穹を我が物顔で翔んでいた飛竜も、自らの世界への闖入者に気付いたのだろう。先程よりも小さな旋回半径で向きを変え。 「……へっ?」 咆吼と共に放たれるのは、一直線の火炎放射。 延べ百メートルほどの直線を一瞬で焼き尽くし、何もない天空に焦熱の地獄を創り出す。 「きゃああっ!」 紅蓮の炎で巻き起こる、熱波を含んだ乱気流に、青い小さな法衣はくるくると翻弄され。 バランスを崩し、失速する。 「葵ちゃんっ!」 大地にその身を打ち据えるより迅く。葵の体を受け止めたのは、彼女より小さな赤い影。 横の動きで落下の加速を散らし、自身が下敷きになることでさらに葵の衝撃を殺す。 「ありがと、はいり」 「へへ……このくらいしか、できないから」 小さな胸元に蒼い法衣を抱きしめたまま、赤い少女は力なく、へらりと笑う。 「きゃああああっ!」 だが、次の瞬間見たものは。 「柚ちゃんっ!」 「柚!」 次弾の火炎放射を受ける、アイゼンソニアの姿だった。 目の前に広がる炎の舌は、柚には届いていなかった。 「あ……りがと、ニャウさん」 自身を中心に張られた半球の壁が、炎の侵入を防いでいるのだ。 やがて炎の蹂躙が終わり、振り向いてみれば。大地に刻まれた炎の傷跡は、半球の結界を起点にし、綺麗に二つに分かたれている。 「……二度目は無いぞ。こっちが保たん」 「はい」 吐き捨てるような呟きと共に、結界は溶けるように消滅。翼のひと打ちで高度を上げる飛竜をよそに、駆け寄ってくるのは二人の親友だ。 「柚ちゃん! 大丈夫!?」 「う、うん」 「よくやったわ、バカ猫」 「結界は……専門だからな」 そう呟いてはみるが、ニャウの小さな足は四本とも軽い震えが止まらなかった。結界世界を維持するための力も決して少なくはない。そこに強力な防御結界を張れば、体力の限界はすぐそこだ。 魔法は通じず、鋼の一撃は当たらない。 守る力も、もはや無い。 「……ねえ、ニャウ」 だからこそ、はいりはその名を口にした。 「ダメだ」 即答。 「まだ何も言って無いじゃない」 「ルナーはダメだ」 ニャウの断定に、赤い少女は口をつぐむ。 向けられた視線の鋭さは、小動物のそれではけしてない。父親や教師でさえ及ばぬそれは……。 戦士の。戦う者の瞳。 「でも……」 息を、飲む。 「でも、このままじゃみんなやられちゃう! あたし、そんなの見たくないよ!」 震えを呑み込み、そして、叫んだ。 「バカ、やめろっ!」 右手をかざし、手首を支点に軽く一振り。 「あたしに出来るのは、もうこれだけだもん!」 凛、と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音。 「スペルリリース! ルナーフォーム!」 赤き戦衣の表面を紫電が駆け抜け、細かなディテールが別の姿へ変わっていく。 紫に染まった右腕に疾走する雷光を束ねれば、その内から姿を見せたのは……。 「これが……」 はいりの胸元程までの長さがある、長銃身のライフルだった。銃口の下に短めのブレードが組み込まれたそれは、銃剣と呼ばれるべきだろう。 「あたしの、精霊武装」 掴み取れば、確かな重さが伝わってくる。けれど、取り扱えぬほどの重量ではない。グリップを確かにする為に必要な重さだけが、与えられている。 そう、はいりには思えた。 「やめろ! はいりっ!」 片手でくるりと一つ回し、腕一本でホールドする。 銃口の先にあるのは、思い通りに赤鱗の飛竜。 思い通りの位置にあるトリガーを、思い通りのタイミングで引き絞る。 衝撃も爆音もなく。直径一センチにも満たない弾丸は、大気を裂くような音だけを残し、飛竜に向けて飛翔する。 豆粒ほどのそれは、表面に防御結界の浮かんだ赤鱗の装甲に音もなく吸い込まれ。 「なっ!」 二十メートルの巨躯を、横殴りに吹き飛ばした。 「行ける!」 「はいりちゃん!」 「うん!」 続けざまにトリガーを絞り、はいりはライフルを連射する。 甲高い音をまとって殺到する弾丸は、赤い鱗を打ち砕き、巨大な翼を引き裂いて、硬質な角を叩き折り。 「勝てる……この力なら!」 筋を断ち、肉を穿って、骨をへし折り、髄を散らしても、弾丸の雨は降り止まぬ。 「……はいり?」 「はいり……ちゃん?」 既に飛竜は原形を留めず、弾丸の起こすノックバックだけで宙に浮いているように見えた。闇に還るより迅く、精霊武装の破壊力に無理矢理現世に引き戻される。 その状態になってなお、無尽の銃撃は止むことがない。 虐殺、でさえない。殺してなお容赦なく蹂躙するその暴虐を、何と呼ぶべきか。 「……ん、ぅっ」 あまりに一方的な光景に、柚はその場に膝を折る。 けれど、柚の嘔吐を耳にしてなお、甲高い弾丸の射撃音は止むことがない。 「ちょっとはいり! やりすぎだって!」 見かねた葵がはいりの肩を引き寄せて。 ぱしゅ、という衝撃音は、ごく至近距離から響いた。 「……え?」 ぐらりと傾ぐ葵の体が、精霊装甲の砕け散る蒼い光の中、音もなく溶け消えていく。 葵自身、何が起こったのか分からないままに。 蒼い光が消えたとき。そこに立つのは、紫の戦衣をまとうはいりだけ。 「あ……葵ちゃんっ!?」 叫んだ柚と、はいりの視線が絡み合う。 「……ひっ」 ようやく滅びの許された竜の骸を背に負って、ルナーの化身はアイゼンソニアに銃口を突き付ける。 「はいり……ちゃ……」 音もなく放たれた弾丸は、アイゼンソニアの装甲結界をあっさりと打ち貫き。 浅黄色の光の中に消えていく柚の姿にも、ルナーの化身は表情ひとつ変えることはない。 「はいり……」 そして銃口が最後に向けられたのは、その場にうずくまったままの小さな獣だった。 既に結界を維持するだけで精一杯。ニャウには爪先ひとつ動かす力さえ、残されていない。 (俺も、ここまでか……) ルナーの弾丸は全ての魔力を打ち貫く。いかに結界獣が強い結界を張れようと、彼女の前には何の意味もない。 「う……」 その時だ。 「うぁ……」 膝を折って崩れ落ちたのは、ニャウではなくてルナーのほう。 「……はいり?」 「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」 二人だけの結界世界に、少女の叫びが響き渡る。 最初に気付いたのは、背中に回された大きな腕と、頬を叩かれる軽い痛みだった。 「兎叶! 兎叶っ!」 うっすらと目を開ければ、そこにいるのはクラスの担任教師。地面に倒れたままの彼女を抱え、頬を叩いているらしい。 「せん……せえ……?」 見れば、周りにはクラスメイト達も集まっていた。 「いきなりいなくなったと思ったら、校庭の真ん中で倒れてたんだぞ? どうしたんだ……一体」 教師の言葉を聞き流し、視線を周りに泳がせる。 「う……」 いない。 「あ……」 いない。 「ああ……っ」 いない! 「あ…ああ…………っ!」 柚と、葵が。 自分が『撃って』『消してしまった』二人が! 周りに、いない! 「ど、どうした、兎叶!」 「いや……いやああっ! 葵ちゃん! 柚ちゃんっ! いやああああああああああああああっ!」 支えていた腕の中、いきなり暴れ出したはいりに、教師も動揺を隠せない。 「せんせえ、葵ちゃんとっ! 柚ちゃんがっ!」 二人のいない校庭に、はいりの絶叫が響き渡る。 |