「巴里から転校してきたそうです。名前は……」 教師が黒板にチョークを走らせるより先に、その少女は悠然と一礼した。 ふわりと広がるロールした銀髪の柔らかさと、小柄で細身のしなやかさ。地味な揃いの制服も、着る者が着れば優雅な夜会服に変わるのだと、誰もが本能で理解する。 まさしくパリからやってきた、西洋人形のような娘。 「ローリ近原です」 無言の世界に、凛とした声が響く。 砂糖菓子のような外見とは対照的な少女の声に、華が丘小学校五年三組の一同は声もない。 無理もなかった。 都内ならともかく、華が丘はかろうじて市の体裁を持つ程度の地方都市。要するに田舎だ。帰国子女というだけでも目を惹く存在なのに、それが銀髪碧眼の美少女ともなれば、免疫のない小学生達には刺激が強すぎる。 柔らかい笑みでも浮かべれば少しは違ったのだろうが、少女の顔をよろうのは、周囲との交流を弾き返す冷たい表情。 さらに、次の一言が致命傷だった。 「それから、あまり友達は作る気がありませんので。よろしくお願いしなくて、構いません」 この発言をもって銀髪の転校生は、完全にクラスから孤立することになる。 たった一人を除いて。 〜華が丘1987〜 leg.1 神話継ぐ少女 彼女がやってきたのは、一時間目が終わった直後だった。 「ローリちゃん!」 ローリの周囲を包む硬質な空気に誰もが距離を置こうとする中。堂々と机の前にやってきて、元気良くその名を呼ぶ。 「……あなたは?」 淡い栗色の髪の上、ふわふわと二つのおさげが揺れている。声を聞かずとも、それだけで少女の性格は見て取れた。 朝礼の時にクラスの顔は一通り見渡したはずだが、記憶にない娘だ。 「兎叶はいり。出席番号は、女子の八番。あ、ローリちゃんが来たから、今はは九番だよ」 「そう。で、何?」 表情も変えずに問うローリとは対照的に、はいりは笑顔を絶やさない。 「ローリちゃん、前の学校はどこだったの?」 「巴里」 ローリがパリから来たことは朝礼で言ったはずだ。しかし、はいりは素直に驚きの表情を浮かべてみせる。 「へぇー、そうなんだぁ。パリって、イギリスの首都だっけ?」 「フランス」 「そっかぁ……。フランスって、長靴みたいな格好してるとこだよね」 「それはイタリア」 「そうだっけ……?」 はいりの中には欧州の地図が、いまひとつ描き切れていないらしい。不思議そうに首を傾げるはいりを見て、ローリははぁとため息。 「……あなた、何がしたいの?」 抑揚もなくそう問えば、今まで彼女に近寄ってきた物好きは、ほぼ総てが退散してきた。 「ん? ローリちゃんとお話したいだけ」 けれど、彼女は笑顔を絶やさぬまま。 「楽しい?」 ローリの基準でも、到底楽しいとは思えない会話だ。もし彼女がはいりの立場なら、絶対に見切りを付けるはず。 「楽しいよ?」 だが、少女は笑顔。 「あ、そう」 ローリはため息と共に立ち上がると、無言でその場を後にするのだった。 二時間目の終わりにも、彼女はやってきた。 「ローリちゃん!」 「またあなた……?」 相手などしていられないし、する気もない。 しかし、今度ははいり一人ではなかった。 黒髪を左右で結った少女と、淡い髪を短くまとめた少女の二人を連れている。 「友達を連れてきたところで、無駄だから」 会話を盛り上げる気はないし、盛り上がりたいとも思わない。 再びその場を後にしようとして……。 「三時間目、音楽だから。みんなで音楽室に案内しようと思って」 動きを止める。 時間割を見てみれば、三時間目の授業は確かに音楽だ。たて笛テスト、という注意書きまでしっかりと書いてある。 「ローリちゃん。音楽室の場所、知らないよね? みんなで行こう!」 「……ええ」 諦めと共に頷いたローリとは対照に、はいりの顔に満面の笑みが咲いたのは言うまでもなかった。 三時間目が終わった後も、彼女は当然のように一緒だった。 「ローリちゃん、すごかったねぇ!」 相変わらずの満面の笑みだ。音もなく進むローリのかたわら、倍の存在感を振りまきながら歩いている。 「大したことないわ」 「そんなことないよ! ね、柚ちゃん」 はいりの言葉に、柚と呼ばれたショートの娘も静かに首を振った。 「うん。ローリさん、すごく歌、上手いんですね」 時間割にあったように、音楽の授業はたて笛のテストだった。たて笛を持って来ていないローリは、笛の代わりにフランス語の歌をアカペラで一曲披露したのである。 ある意味、周囲の反感を買うだろう過剰なパフォーマンスだったが……それを嫌味とも取らない相手が、約一名いた。 「そう。じゃ、先に行くわね」 ため息と共に、ローリは歩みを一歩先へ。 「ローリちゃん、大丈夫?」 「行きで道は覚えたから」 追い付こうとするはいりを一言で足止めし、階段を一息に舞い降りる。どうやったのか、はいり達が階段に辿り着く頃には、銀髪の転校生の姿は見えなくなっていた。 「それにしても、はいりも物好きよねぇ。あんな子、放っておけばいいのに」 そうぼやいたのは、黒髪を左右に結った娘だ。当然ながら、彼女の口調にはローリに対する非難の色が潜んでいる。 「いいじゃん。あたし、ローリちゃんとはすっごくいいお友達になれる気がするんだ……葵ちゃんや、柚ちゃんみたいな」 呟くはいりに、柚は穏やかに微笑み、黒髪の少女……葵もやれやれと苦笑。 「私が転校してきたときも、そんな事言って。すごかったものね……」 彼女は、当然のように昼休みもやってきた。 「ローリちゃん! お弁当、一緒に食べよう!」 「遠慮します」 だが、少女の誘いにローリは即答。 「……え? なんで?」 対するはいりの答えには、たっぷり三十秒の時間がかかっていた。 「あなた……今朝、一番最初に言いましたよね? 私、友達を作る気はありませんって」 「……そうなの?」 対するはいりの答えには、やっぱり三十秒の時間がかかっていた。 弁当の包みに手を添えたまま。律儀に少女の反応を待っていたローリは、静かにため息をつく。 「ああ、ダメよ。はいりったら、あの紹介の時はぐっすり寝てたから。聞いてないの。あれ」 はいりの傍らに立ったのは、黒髪を左右で結い上げた娘。 嫌いなモノは嫌いと断ずる性分なのだろう。強い意志を秘めた視線は、こちらへの嫌悪と敵意を宿すことを隠しもしない。 「えへへー。葵ちゃんったらー」 「照れるところじゃないから、そこ」 どこか嬉しそうに笑うはいりを、葵は軽く小突く。その瞳に優しげな色があるあたり、根は悪い娘ではないのだろう。 が。 「そう」 そんなじゃれ合いを冷ややかに見届けると、ローリは席を立ち上がった。 「でしたら、もう一度言っておきます。私、この学校で友達を作る気はありませんから」 感情のない平板な言葉の羅列に、葵の表情が険しくなる。 だが、それでも首を傾げる少女がいた。 「なんで? 一人じゃ面白くないでしょ?」 はいりだ。 「何で、って……」 直球と言えばあまりに直球な問い掛けに、さしものローリも言葉を詰まらせる。 「一人なんてつまんないよ。あたしは葵ちゃんや柚ちゃんと友達になってから、学校が何倍も楽しくなったよ?」 「は、はいりちゃん……」 はいりの傍らにいる柚が、そっと照れ……ふと、その先に目が行った。 「……失礼します」 そう言いきると、ローリは弁当の包みをすいと取り上げ、無言で歩き出す。 「あ、ちょっと……」 昼食時間を兼ねた昼休みだ。思い思いに動かされた机の間をローリはすり抜け、進んでいく。そして、行く手を阻む椅子のひとつにひょいと足を引っかけた。 どんな手品を使ったか。ローリの体が床に転がるどころか、椅子がくるりと回転したではないか。 上に載っていた少年ごと。 「がぁっ!」 甲高い悲鳴と激しい転倒音が響き渡り、教室は一瞬で沈黙に覆われる。 「おいこら、てめぇっ!」 床に転がった少年が慌てて立ち上がるが、その頃には銀髪の転校生はドアの所まで辿り着いていた。 「そんなくだらない事を考えているから、足下をすくわれるのよ」 言葉と共に、ぴしゃりとドアが閉じる。 「な……」 少年は無造作に放たれたローリの言葉に、口をつぐんだまま。何を見透かされたか、ローリに反撃するどころか、追い掛ける気配すらない。 「何あれ。愛想がない上に、乱暴者? 信じられない」 無言になったクラスの意志を代弁するかのように、葵が小さく呟く。 その言葉を皮切りに、クラスも凍てつく沈黙から少しずつ元に戻っていった。 「……」 対するはいりは、ローリの出ていったドアを見つめ、無言のまま。 「はいり。あんな子放っといて、早くお弁当食べちゃいましょ。昼休みが終わっちゃう。ほら、柚も」 「そう……だね。はいりちゃん」 「う、うん……」 親友二人に促され、はいりもしぶしぶ自らの席へと戻るのだった。 屋上。 鍵が掛かっているはずのそこに、静かにわだかまる姿があった。 「ローリ。新しい学校はどうだ?」 どこか突き放したような喋りをする声だ。 しかし、屋上に有る影は少女……ローリのもの一つだけ。ローリが携帯電話を持っている様子もなく、問い掛ける存在などいないはずなのに。 「いつも通りよ。ニャウ」 けれど、ローリは姿無き問いに慣れているのか、弁当を広げながらぽつぽつと答えを返していく。 「いつも通り……ねぇ。はいりだっけか? 結構振り回されてるじゃねえか。珍しい」 ニャウと呼ばれた姿無き影は、姿を見せぬままで意地悪く笑み。 「うるさいわね……。それより、ポイントは見つかったの?」 ローリはそう言いながらも、弁当の蓋を取り、中のおかずをいくつか蓋に取り分けてやる。弁当の三割ほどのおかずが乗った蓋を、コンクリートの床にことりと置いた。 「もう少し掛かりそうだ。意外にこのエリア、魔力の密度が高くてな」 すると、蓋の上に置かれたおかずが少しずつ消えていくではないか。 「そう。出来るだけ早くお願いね。まだ食べる?」 「っていうか、お前もちゃんと食えよ。体力付かねえぞ?」 まだダイエットする歳でもないだろうに……と、ニャウはぼやく。もしも姿が見えるなら、そいつはきっと首を振っているところだろう。 「分かってるわ」 「やれやれ。捜索を待つ間くらい、お前も学校生活を楽しめ……とも、言えん身だがなぁ」 本音をぼかしつつ、はぁとため息。 ローリの事情を知っている以上、ニャウとてあまり無責任なことも言えない。言う代わりに、彼の全力を尽くすしかない、といったところか。 「気にしないで。もう、慣れてるから」 半分以上のおかずを残したまま、ローリは弁当の蓋をぱたりと閉じる。もちろん、蓋の側には一片のおかずも残っていない。 「それに、私がやらなきゃならないことだもの」 「そうか……そうだな」 ローリの自らに言い聞かせるような言葉を聞いては、ニャウも静かに行動を開始するしかないのだった。 少女は、その日の帰りもやってきた。 「ローリちゃん! 一緒に帰ろう!」 はいりだ。 「あなた……」 底抜けに明るい少女の言葉に、ローリは思わず頭を抱えた。学習能力がないのかと問い詰めたいところだったが、嫌な答えが返ってきそうだったので必死に押しとどめる。 「柚ちゃんも葵ちゃんも、帰り道が反対なんだよねぇ。ローリちゃんの家はどこ?」 「西町、だけれど」 引っ越してきたばかりの街で、嘘の住所を言おうにも土地勘が無い。仕方なく、本当の住所を答えてみれば。 「やった! あたし東中村だから、途中まで一緒に帰れるね!」 はいりに広がる満面の笑み。 あまりに無邪気なその表情に、ローリは肩を落とす。 「……はぁ。言わなかったかしら? 友達を作る気は無いって」 既に無駄だと分かっていた。無駄と分かってなお、少女は抵抗してみた。 「友達も、出来たら楽しいよ」 「だから、私は……」 予想通り。 あっさりと切り返され、それ以上言葉を重ねても無駄だということを思い知らされる。 「いいからいいから。ほら、帰ろうよ」 ローリの分の鞄まで取り上げて、はいりは少女の背中を押していく。 「まったく、もぅ……」 学校の隣にある神社と公園を抜けて、わずかな市街を過ぎれば、そこにあるのは一面の田と畑だった。 華が丘が『田舎』と呼ばれる所以である。 そんな田舎も近隣都市のベッドタウンとなる構想があり、少し行けば大規模な宅地と幹線道路の工事が進められていた。この辺りの田園風景も、いずれは宅地に置き換わっていくのだろう。 「ローリちゃん」 田んぼのあぜ道を申し訳程度に均した道を歩きながら、はいりは付いてくる少女に声を掛けた。 「何?」 ローリとて別に好き好んではいりに付いてきたわけではない。このあぜ道しか、家に帰る道を知らないのだ。 明日は地図を持ってこようと心に誓うローリの心情を知ってか知らずか、はいりは言葉を続ける。 「お昼休みの時、男子の椅子を蹴り倒したじゃない」 「ええ。それがどうかした?」 別に面白くも何ともない出来事だ。ローリにとっても、正直どうでもいいことである。 「あれ、柚ちゃんにちょっかい出そうとした男子、だよね?」 その言葉に、ローリの表情がわずかに揺れた。 「……よく見てるのね」 ここは、意外というべきか。 「柚ちゃん、男子によくやられるから」 「へぇ……」 活発なはいりや強気な葵と違い、柚は大人しそうな性格に見えた。そんな彼女のクラスでの位置は、ローリの見たとおりらしい。 「もちろん、あたしと葵ちゃんで守るって決めてるから、いじめられたりしないけどね!」 麗しい友情だ。ローリに言わせれば、好きにすればいい、といったところか。 「だから、ローリちゃんも力を貸してくれると、嬉しいんだけどな」 そんなものに、自分まで巻き込もうというのか。 「……」 だが。 「ダメ?」 「……はぁ」 ため息を、ひとつ。 「ねえ、ダメ?」 ローリからの答えはない。 「だから、言ったのに……」 巻き込んだのは、ローリも同じ。 「……え?」 分譲前の宅地のようだ。幸い、人は居ない。 「下がってて。はいり」 「え……?」 はいりが驚いたのは、少女が名前で呼んでくれたことか。はたまた、 「なに、あれ……」 目の前の、黒い少女の姿にか。 「あら、珍しい。お友達かしら? ローリ」 ふわりとふくらんだスカートを揺らしつつ、黒い少女は漆黒の長い髪を優雅に風に遊ばせる。 馴染みの口調だが、その内に潜むのは、明確な悪意だ。 「……悪い?」 ローリの言葉も、はいり達に向けるものとは質が違う。 周囲を拒絶する為の言の葉ではなく、見上げる相手を威圧する為の言霊だ。 「宙に……浮いてる? それに、あれって……」 そう。 そして女は、浮いていた。 「見ない方がいいわ。気が狂うわよ」 風に舞う女の足元に澱むのは影。歪み、脈動するそこから現れ出でるのは、闇色の肌を持つ異形の獣。 魔獣だ。 「まあ、怖い」 驚く少女を庇うように立つローリを見下しながら、黒い娘はくすくすと笑うだけ。 「それにしても、もう嗅ぎつけてくるとはね……トウテツだったかしら? 蚩尤の獣使い」 「追跡の得意なコがいるの。便利でしょう」 トウテツが細い指ですいと指せば、犬の頭を持った異形がゆるりと立ち上がる。二メートルほどの巨躯を持つ、人型の魔獣だ。 「まあいいわ」 嘲りを込めた苦笑と共に。ローリは右の拳を前に突き出し、手首を支点に軽く一振り。 凛、と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音。 「解放!」 言霊と共に放たれるのは、淡い赤の閃光だ。 「ローリちゃん……?」 一瞬の輝きの後。 はいりの目の前に立つのは、ローリでありながら、ローリではなかった。 揃いの黒い制服は赤い戦装束へ。 提げていた黒い傘は背丈ほど有る長杖へ。 帽子も消え、銀の髪が風をはらんで悠然とうねっている。 「はいり。巻き込んでしまった以上、あなたは私が守るから……そこから、一歩も動いちゃダメよ」 が、と長杖を大地に立てれば、無数の花弁が辺りにふわりと舞い広がっていく。 桜花の結界だ。護るべき者には鉄壁の盾となり、遮るべき者には斬鉄の刃となる。 「う、うん……」 桜の結界の中。はいりはただ、呆然と頷くのみ。 「武器も持たずにどうするつもり? ブルームソニア」 ようやく地面に舞い降りたトウテツが、妖しく笑う。 彼女が率いるのは、影から生まれた異形の群れだ。その数は、既に五十を越えようとしていた。 一対五十。 完全な更地の真ん中で、戦術を仕掛ける余地はなく、ローリは足手まといを抱えた上、手持ちの武器もない。常識からすれば、消耗戦を仕掛けられて一巻の終わりの構図だ。 「そういえば……貴女は私と正面から戦うのは、初めてだったわね」 だが、その最悪の状況でさえ、ローリの顔に浮かぶのは、笑みだった。 死を覚悟した刹那の笑みでも、逃走の隙を見つけた会心の笑みでもない。 正面からぶつかり、なおかつ勝利する事を確信した、戦士の笑み。 「教えてあげる。この、ブルームソニアの戦い方を!」 凛、と鈴の音が響き渡り。 それが、戦いの合図となった。 |