広間に、穏やかな音楽が響き渡った。
広い空間。何となく教会に似た造りの、屋根の極端に高い部屋だ。だが、宗教色のある装飾品が一切省かれている所から、そうではないと知れる。
その広間の真ん中に敷かれているのは、一本の長いマットレス。
見る者が見れば、和式の茶会などに使う緋毛氈を異様に長くしたようなものと分かるだろう。もっとも、そんな中途半端な物体を何に使うかと聞かれれば……誰もが首を傾げただろうが。
パパパパーン!
そんな一種奇妙な風景の中。今までは静かに流れるだけだった音楽に、高らかなファンファーレが加わった。
ファンファーレに答えるように緋毛氈の上に姿を現したのは、一人の少女。薄桃色のレースをふんだんに使った裾の長いドレス……ウェディングドレス、と呼ばれる類のドレス……をまとい、薄いケープを頭から被っている。
流れる音楽に導かれるよう。そして、ファンファーレに押されるよう。少女は緋毛氈の上、ゆっくりと歩みを進めていく。
歩みの先にいるのは、一人の長身の青年。身なりは長い黒髪を背中で無造作にまとめているだけだが、そんな風体にありがちな不潔感や粗雑感はない。白いタキシードを優雅に着こなし、ヴァージン・ロードの上で悠然と立つ様は、ウエディングドレスの娘に並ぶに相応しい様相だ。
「お待ちしておりました。我が花嫁……」
右手をゆっくりと伸ばし、娘……ヴァージンロードをたった一人で歩んできた花嫁の手を取る。
「え、えっと、あの……」
緊張しているのか、花嫁は男……いや、花婿と呼ぶべきか……のエスコートのまま。心なしか、頬も朱に染まっている。
「大丈夫。緊張しないで」
対する花婿は穏やかな笑みを浮かべるのみで、緊張の色はない。それどころか、花嫁の緊張をやわらげようというのか、僅かに震えるそのか細い手を優しく引き寄せ、甲にそっと唇を寄せる。
「あ、あのっ」
花嫁の照れ具合は尋常ではない。困っているというか、焦っているというか、それどころか一歩くらい引いた雰囲気すらある。……花婿の手が腰に添えられ、退くことなど出来はしなかったけれど。
だが、そんな花嫁に動じる気配もなく、花婿は彼女の耳元に唇を寄せ。
「私は、本気ですから」
小さく、一言。
「え〜。オホン」
花嫁と花婿がヴァージンロードの真ん中あたりでそんなやりとりをしていると、白い髭を豊かに蓄えた老人が声を掛けてきた。
あまりに2人がやってこないので、痺れを切らした神父がヴァージンロードの真ん中までわざわざやってきたのである。どちらにしても祭壇など無いこの広間のこと。真ん中でやろうが隅っこでやろうが、実際はあまり関係がない。
「婚礼の誓いをしたいのだが……宜しいかな?」
花婿の同意を見るや、神父は眼鏡の奥の目を嬉しげに細め、傍らにかかえていた分厚い本を開く。
「汝、花婿は花嫁を永久に愛することを誓いますか?」
「はい。我が剣に賭けて」
男は即答。その返答に、迷いなど欠片すらも見えない。
「花嫁。汝は花婿を永久に愛することを誓いますか?」
「え? えと、あの……」
対する花嫁は、困惑。
そして…………
ぶったおれた。
「花嫁? 汝は……って、メイちゃんっ!」
最後に花嫁……メイの覚えている感触は、慌てたエステラの声と真夜の伸ばした腕の感触。その二つだった。
やや、時間が過ぎて。
「……だから、私はやるとなったら本気でやると言ったろう? 例え、遊びでもな」
広間の隅から隅までヴァージンロード代わりに引き延ばされた緋毛氈をくるくると手際よく丸めながら、真夜は渋い顔でそう呟いた。
「う〜ん。メイちゃん、あんましそういう方に免疫なさそうでしたから。いくらお芝居っていっても……緊張しちゃったんでしょうね?」
それに苦笑を浮かべるのはエステラだ。
そう。上の一件は、全てお芝居だったのである。たまたまメイが迷宮の奥でウエディングドレスを見つけ、ウエディングドレスとは何かを聞いたラヴィやハイ・エンド達が「本物の結婚式を見てみたい」と言い出したのだ。
無記名投票の結果、本人を除く満場一致で花嫁はメイに決まり、花婿も本人とわずか一票を除く満場一致で真夜に決まった。
「まあ、メイもただ緊張していただけらしいし、別にいいがな」
どうやら邪魔になるらしい。背中にまとめていた髪から髪留めのリボンをほどき、真夜はいつものロングヘアに戻した。タキシード姿のままだから、こうなると青年ではなく男装の麗人、といった風になる。
「ええ。シフトちゃんがいれば、大丈夫でしょう」
エステラの方も既に髭と眼鏡は取り去っており、いつもの服装に戻っていた。
「エステラちゃ〜ん、この椅子ってどこに持ってったらいいの?」
と、身長の倍ほどもある長大な長椅子をひょいと抱え、ラヴィ。
そう。力仕事に全く向かない彼女が何故こんな所で真夜達に混じって片付けをしているのかというと、物の置き場所を彼女しか知らないからなのだ。そういうわけで、彼女は椅子の一脚たりとも運んではいない。せいぜい聖書代わりに持ち出していた百科事典を片づけたくらいだ。
力仕事はラヴィと真夜。指示はメイかエステラ。それが、この迷宮での明確な仕事の分類だ。ここには居ないハイ・エンドやシフトは状況に応じて様々に動く。
「ああ、それはさっき楽器を片づけたところに置いといたらいいですよ」
「は〜い」
重い物をかかえた様子は全くなく、とてとてと部屋を出ていく。楽器演奏から魔法までこなせる万能型自動人形のハイ・エンドとは違い、純然たる戦闘型である彼女にとってはこの程度の荷物など荷物の内にも入らないのだろう。
入れ替わりに、そのハイ・エンドが入ってきた。
「メイちゃん、どうでした?」
「うん。寝てるだけだから、大丈夫だって。今はシフトちゃんが看てる」
「そうか……」
やや安心した風の真夜に、ハイ・エンドはにっこりと笑みを浮かべた。
「やっぱ、気になるの? 花嫁さんのこと」
「い、いや、そ、そういうワケではないが……」
変なツッコミの仕方をされて焦る真夜に、エステラも笑み。
「ハイ・エンドちゃん。こういうの、らぶらぶ、って言うんですよ」
「そ、そこ、変なこと吹き込まない!」
うんうんと頷いているハイ・エンドとエステラに、真夜は絶叫。
「大丈夫です。私、そういうのを頭から否定したりしませんから」
「だから違うーっ!」
当分はこのネタで言われ続けるのだろうか……という妙に深刻な問題が頭をよぎり、真夜は内心で顔をしかめていた。
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