…………ごぉぉぉぉぉぉん……
 静かな夜の空気をゆっくりと震わせ、その鐘の音は辺りへ厳かに響き渡った。
「……何故に、こんな雪の夜に私の庵に押し掛けて来る」
 その鐘の音を聞きつつ、やや不機嫌そうに眉をひそめるのは真夜。
 無理もないだろう。人が寝ていた所に大勢で押し掛けた挙げ句、何をするかと思 えば庵にあった鐘突き堂の鐘を狂ったように乱打し始めたのだ。正直、被害者である 真夜の精神状態が『やや不機嫌』というレベルで済んでいるのが不思議でならない。
「別に、深い意味は無いと思うんですけど。ジョヤノカネ、とかいうのがやりたいだ けみたいですから。それに、こんな時間にちっちゃい子二人っていうのは心配ですし ……」
 相変わらず心配性なメイの返答に、真夜は苦笑を浮かべた。迷宮には危険思想を持 つ人間の侵入を拒む防衛本能がある上、ラヴィもハイ・エンドもメイどころか真夜す ら一蹴するほどの桁外れの戦闘力を備えているというのに。
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「ふむ……懐かしくはあるが……」
 除夜の鐘というのは、真夜の住んでいた地域に伝わるある種の宗教儀礼の一つだ。 一年の最も終わりの日の深夜から次の年の最初の一日の朝に掛けて寺院で突かれる、 108つの鐘。
 この鐘の音は人間の邪心を払うと言われ、それ系の宗教が大勢を占める真夜の故郷 ではどこの寺院でもごく普通に行われていた。
今年もよろしくお願いします☆  …………ごぉぉぉぉぉぉん……
 だが。
 既に鐘の音は200回を越えた。というか、それ以前に今日は一年の最終日ですら ない。
「それにしても、誰が言い出したやら」
 鐘突き堂の方からはラヴィやハイ・エンド達のきゃいきゃい言う声が聞こえてく る。よく聞くと二人の声に混じってシフトあたりの声も聞こえてくるのだが、こちら はまだこの庵の住人である真夜に遠慮しているのか、それほど大きくはない。
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「まあ、ラヴィ達があれほど喜んでいるのだ。誰が言ったにせよ、いい事には違いあ るまい」
 子供達の嬉しそうな声を聞くのが嬉しいのだろう。真夜の声は思ったよりも険がな い。それどころか、普段なら滅多に見せない穏やかな笑みすら浮かべていた。
「それに、たまにはこうやって雪を見るというのも悪くはないものだ……」
 そのままゆっくりと天を見上げ、真夜は呟く。
 この迷宮では、これまでの彼女の人生にはない物があった。
 最初は拒んでいたものの、今では「それも悪くない」と思えつつある。
 変化は、悪いことではないのだ。


「それじゃ、言いますけど……」
 穏やかそうな真夜の様子を見、メイはようやく口を開いた。
「幽霊……さんなんですが。何か、お仕事先でそう言う風習を聞い……」
「何……?」
 態度豹変。
「あやつ……またガキどもに変な事吹き込みおって! だから不浄の者どもはっ! 今年こそ……今年こそ我が氷粋の錆にしてくれるわっ!」
 腰に差していた木刀を一瞬のうちに引き抜き、真夜は吼えた。
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「わわわ、やっぱ言わなきゃ良かったぁっ!」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「誰ぞここへあやつを連れてこいっ! こんな夜中に迷惑すぎだっ!」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「ゆ、幽霊さんは今お仕事で出かけてますってばぁっ!」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「知らんっ! それなら私の方から出向いてやるわ! 絶対斬ってやるっ!」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「エステラさん、シフトちゃんっ! ちょっと、ちょっと真夜さん押さえるの手伝っ てぇっ!」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「真夜さん、何してるんですかっ!?」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「あらあら。何だったら、ちょっと静かにして貰いましょうか?」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「いやエステラさん、それはヤバイ……」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「私に……」
 …………ごぉぉぉぉぉぉん……
「私に、あの大馬鹿者を斬らせろぉぉぉぉっ!」
 鐘の音は、さらに加速度を上げて景気良く鳴り始めた。
 その鐘の音に混じって、真夜の怒りの叫びとメイ達の必死の声が交錯する。
 ひらひらと舞い落ちる真っ白な粉雪に吸われ、それらの声はほどんど響く事がない。
 今日も、迷宮は平和であった。

 新年、明けましておめでとうございます。

< 単発小説 >




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