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第2話 少女、服を貰う



 青年が現われたのは浴室の入り口のドアからではない。
 『天井』
 大理石張りの天井から、青年の上半身と白い翼の上半分が直接現われているのだ。
 まるで、悪夢か質の悪い冗談のように。
 あるいは、タチの悪い芸術家の作った出来のいいオブジェのように。
 「ああ……。これか」
 青年は何事もないように呟いた。
 「俺、幽霊だからな」
 「ゆ、幽霊???」
 意外といえば、あまりに意外な返答。その返答を聞いた少女は、その言葉を呆気
に取られたように繰り返すだけであった。

 「あの……えっと」
 「俺の事は幽霊でいい。迷宮に幽霊は俺しかいないし、第一名前なんかもう覚え
てないしな」
 青年は少女の隣に腰をおろし…流石に天井から半身を覗かせたままでは少女が恐
がったからだ…そう呟く。
 「じゃ、幽霊さんは、どうして幽霊に?」
 「忘れた」
 あまりに簡潔な返答。だが、少女の瞳に浮かぶ不服そうな表情を感じ取り、幽霊
は再び口を開く。
 「正確に言えば、覚えていない。気付いた時にはここに居た…という所か」
 幽霊はそれだけ言うと、浴室の方へ向かって歩きだした。さすがに天井へと消え
るのは彼女の手前、遠慮したのだろう。
 「では、俺はタオルを探しにいってくる。他に必要な物はないか?」
 「それじゃあ、針と糸があれば……。わたしの服、ぼろぼろだから…」
 しばらく話したせいで幽霊の態度にもいくらか慣れたのか、先程ほど臆す事もな
く返事を返す少女。
 「針と糸より別の服の方が良くはないか? あの服にこだわるというのなら、話
は別だが……」
 幽霊は少女の着ていた服を思い出す。よくは見ていないが、かなり汚れ、擦り切
れてボロボロになっていたように思う。
 「あの…いいんですか?」
 幽霊が肯くのを見て、少女の顔がぱっと輝く。
 「新品…とまではいかんだろうが、あれよりまともな服ならどこかにあるだろう。
ついでだから探してみよう」
 幽霊はそれだけ言うと、浴室をさっさと出ていった。ドアの音が全く聞こえない
所を見ると、浴室を出てからは壁をすり抜けているのだろう。
 「よかったぁ……」
 新しい服が貰える。思っても見ない事だったが故に、少女には単純に嬉しかった。
 そんな事を考えながら、シャワーを手に取る。
 「……………」
 そこで、気が付いた。
 「!!!」
 今度は悲鳴は上がらなかった。だが、その代わりに顔が徐々に真っ赤になってい
く。
 「服………着てなかったんだ……」
 やたらに広い浴場に、シャワーが床を打つ音だけが虚しく響き渡っていた。


 少女が浴場を出ると、丁寧にたたまれた彼女の服の隣に真っ白いタオルと何着か
の服が置いてあった。
 だが、幽霊の姿はない。
 「幽霊……さん?」
 何となく心細くなり、その名を呼ぶ。
 「ちゃんと居るぞ。何か用か?」
 声は扉の向こうから聞こえてきた。少女はその声を聞いて、安堵のため息をつく。
 「どんな服が好みか分からなかったから、洗濯部屋で洗ってあった物を適当に持っ
て来たのだが……」
 少女はしばらく考えていたが、結局一番生地が丈夫そうな物を選ぶ事にした。い
そいそとその服を着込み、濡れたタオルや他の服を抱えて部屋を後にする。
 「意外と早かったな」
 部屋の外では、約束どおり幽霊が待っていた。新しい服を身につけた少女を見て、
ほぅ…と、小さな感嘆の声をあげる。
 少女の選んだ服は、エプロンドレスに似た青い服。俗に言う、メイド服というも
のだった。線の細い少女にはなかなか似合っている。
 「あの……。服とタオル、本当にありがとうございました。洗濯させてもらえれ
ば、洗って返させてもらいますから…」
 幽霊は少女の申し出に、拍子抜けしたように呟く。
 「何だ。一着しか要らないのか? どうせ着る者も居ないのだから、全部お前の
物にして構わないのに…」
 「けど、そこまでしてもらうわけにも……」
 「欲のない娘だ。………まあいい」
 単音節の呪文を唱えて先程の光球を出現させると、幽霊はゆっくりと歩き始めた。
 「次は寝床だったな。ついてこい」


 「ここ……本当に使っていいんですか?」
 少女が案内されたのは、迷宮に無数にある部屋の一つ。
 ベッドと机、それと簡単な応接セットが置いてある小綺麗な部屋だ。割と広い。
 「客などいないからな。好きに使って構わないぞ」
 そう言うと、幽霊は持っていた光球をひょいと上方へ放る。光球はしばらくあた
りをふらふらと漂っていたが、天井の中央辺りでゆっくりとその動きを止めた。
 小さな光球が部屋全体を明るく照らし出す。
 「あれはお前が『お休み』と言えば消えるように設定しておいた。寝たくなった
らそう言えばいい」
 「………あ。は、はい」
 部屋を眺めていた少女はその声ではっと我にかえる。
 「他に聞きたい事がなければ俺は去るが……」
 「あ、あの……」
 「何だ?」
 少女はしばらく逡巡していたが、ようやっと口を開く。
 「……えっと、朝は何時に起きればいいとか…あるんですか?」
 「俺は朝は寝ているし、他の連中も時間の束縛は受けていない。お前が早朝に出
立するというのなら、起こしても構わんが?」
 だが、少女は首を横に振った。
 「いえ、目的のある旅じゃないですし……」
 「そうか。なら、好きなだけゆっくりして行けばいい」
 そこまで言うと、幽霊は部屋を出ようとする。だが、ドアの所まで来るとくるり
と振り向いた。
 「そうそう。折角他にも服があるのだから、ちゃんと寝間着に着替えてベッドに
入るんだな。さすがにその服ではゆっくり眠れんだろう?」
 「え……。は、はい」
 少女の返事に、幽霊は満足そうに肯いて見せる。それは、幽霊の青年が少女に向
かって初めて見せた『笑顔』であった。
 「では、良い夢を」


 少女は布団の中で、今日起こった事を思い出していた。
 広大な森。
 降りしきる雨。
 不思議な洋館。
 そして……
 優しくて、無愛想な幽霊の青年。
 「もっと………お話したかったな」
 少女は旅人である。しかし、生来の内気な性格で、人付き合いの得意なタイプと
はとても言えなかった。実を言えば、人に優しくされる事はおろか、ああやって話
をする事すらも久しぶりだったのだ。
 「それに………」
 彼なら、少女のたった一つの、ささやかとも言える願いを叶えてくれるかもしれ
ない。
 だが、ここは旅の途中に立ち寄らせてもらった場所。明日にはこの館……幽霊は
『迷宮』と呼んでいたが……を出立しなければならないのだ。
 「……」
 少女は布団をそっと引き寄せる。
 やわらかい、羽毛のたっぷりと詰められた布団。
 野宿の連続で、ベッドで眠る事も久しぶり。
 それも、このような上等の布団の中で眠るなど、何ヵ月ぶり………いや、生まれ
て初めてだったかもしれない。
 「………」
 天井からは、幽霊の残していった光の珠が穏やかな光を投げ掛けている。
 「……照らしてくれて、ありがとう。それじゃ、おやすみなさい」
 少女がそう呟くと、光の珠はその言葉に応じて徐々に光量を落としながら、やが
て消えていった。
 明るかった部屋を、漆黒の闇が支配する。
 その闇の中で少女は一人、そっと涙を流した。


 「眠った……ようだな」
 迷宮の屋根の上から少女の部屋を眺めていた幽霊はその一言を呟くと、ついと立
ち上がった。

 「よく眠っている……」
 少女の枕元に立ち、青年は穏やかな笑みを浮かべた。
 青年は人付き合いが得意な方ではない。生来の性分なのか、人に対してはどうし
ても無愛想になってしまうのだ。
 だが、この少女はそんな自分でも、『ありがとう』と行ってくれた。
 「おや?」
 ふと、少女の顔に付いた涙の跡に気付く。青年は少女を起こさないよう指を伸ば
し、そっと涙を拭ってやる。
 「ん………。ゆう…れいさん…」
 ただの寝言だ。だが、少女は不安なのか、何かを求めるようにその白く華奢な手
を伸ばす。本能か偶然か、青年の方へと。
 青年もその手を握り返そうと、そっと手を伸ばすが…
 「………死んだ身ではそれすらもままならぬのか…」
 その手は虚しく少女の体を素通りするのみ。
 青年は幽霊である。魔法を使う事で物を動かす事は難しくないが、かと言って実
体があるわけではないのだ。
 「俺はここに居る。心配しなくてもいいから、ゆっくりと眠れ」
 自らの無力さに歯噛みしながらも、少女の耳元にそっと呟く。
 その一言で落ち着いたようだ。少女は穏やかな寝息を立て、再び深い眠りに付く。
 (こいつの食事の材料を探して来ようと思ったが……まあ、明日でも構わんか…)
 青年は今頃になって、少女の名前を聞いていない事に気が付いていた。
続劇
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