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6.ありがとう、さようなら

「知りたい……?」
 それは、耳にすることもなくなっていた言葉。
「そうだよ」
 崩れ去った世界で、少女はそれをこともなげに口にする。
「私は……お前達にとって、敵だろう」
 善悪に絶対はない。しかし彼は、間違いなく目の前の少女や現実で戦っている少年達にとっては悪だった。
 十三年前のウナイシュでも。
 今この瞬間も。
「だからだよ。ペトラやダンが味方してくれる意味は分かるけど、あなたが敵対する理由は知らないもの」
 だから恐れる。
 だから拒む。
 知らないから。
 分からないから。
 故に、世界は分断された。
 彼が再び起こそうとしている、大後退によって。
「ホントは大後退なんか、する必要なかったんだよ」
 ヒサ家の記憶の中には、その事も記されていた。
 滅びを目前にした世界に考える時間を与えるため、世界は一度、リセットされたのだと。
 カズネはその時代を生きたわけではないから、それが正しい判断だったかどうかは分からない。
 けれど、すべきだった事は……。
「……世界を分けるんじゃなくて、もっとみんな話すべきだったんだよ」
 分けるのではなく、踏み出す事。
 自分の限界を、超える事。
「そんな世界を……やり直すのか?」
「やり直さないよ」
 風然の言葉に、カズネは穏やかに笑うだけ。
「これから、作ればいいんだよ」
「それは……理想だ」
 子供の戯言、夢物語だ。
 話し合うだけで解決出来ないから、この世界では戦が起こる。選択肢を違え、取り返しの付かなくなる事だってある。
 その果てに生み出された解法が大後退であり、時巡りであり……それを司るヒサの一族なのだ。
「うん。……けど、誰かが言ってたんだよね」
 カズネはそれらの言葉を否定しない。
 けれど、肯定することもない。
「理想は追いかける先にあるから、意味があるんだって。……誰だっけ?」
「鳴神様だろ」
 齢七十を前にしていまだ矍鑠たる祖父の姿を思い出し、カズネはそうだったと微笑んでみせる。
「だからさ。きっと理想でも……夢物語でも、いいんだよ」
 必要なのは、そこを目指すこと。
 まずは一歩を踏み出さなければ、どんなに近くても辿り着けるはずがない。
「だから……あなたも、力を貸してくれないかな」
「いいのか……?」
 その言葉と共に差し出された小さな手を、風然はじっと見つめるだけだ。
「もちろん」
「……そうか。良いのか……」
 金属製の少女の手は、いかにもか細く、頼りないもの。
 それにゆっくりと手を伸ばしかけた所で、老人は枯れ木のような手を静かに止めた。
「……ヒサの末裔よ」
 代わりに呼ぶのは、少女の傍らに立つ大柄な少年だ。
「お主は、私を恨んでいるか……?」
 皇家にさえ禁じられた秘儀を授け、影の内に闇の種を仕込み、大陸全てを巻き込む破壊を起こそうとした……かつての一族の長の事を。
 皇家繁栄のためとはいえ、自らの一族を手駒のように扱った老人の事を。
「まあ……恨む気持ちもあるけどな」
 繰り言を上げればキリがない。
 けれどその全てを傍らの少女が水に流してしまった以上、少年がどうこう言っても仕方ないだろう。
 それに……。
「……時巡りを教えてもらった事に関しては、感謝してるしな」
「なんと……」
 少年の言葉は、老人にとっては想像の外だったらしい。今まで微動だにしなかった老人の体がひくりと震え、小さく驚きの言葉を口にしたからだ。
「あれのおかげでカズネが本気になってくれた事がどれだけあったか……」
 剣の稽古に始まって、勉強の失敗、トリスアギオンの訓練、その他諸々の面倒事。しかしダンがその言葉を口にするだけで、カズネは失敗を取り戻すために全力以上の力を出してくれた。
 以来それは、ダンにとってカズネを御するための切り札のひとつとなったのだ。
「だ……だって、ダンがいなくなるの……嫌だもん」
「だから、それは礼を言わなきゃな。……ありがとう、師匠」
 拗ねたように口を尖らせるカズネの金髪を軽く撫でて。
 改めて、ダンは老人に向けて深く頭を下げてみせる。
「時巡りを教えて感謝されるなど、初めてだな……」
 それは、ヒサの家においても呪われた術だったのだ。秘儀やそれに連なる思想を仕込む事を恨まれこそすれ、感謝された事など一度もない。
 けれどそれを疎ましいと思う感情も、いつしか擦り切れ、一族の誰もを駒の一つとしか思わないように変わっていったのだ。
「ならば、キングアーツの娘よ」
「カズネだよ。こっちはダン」
「……カズネ、ダンよ。我が名は風然・ヒサ」
 改めて二人の名を口にし、風然は差し出された少女の鋼の手に手を伸ばしながら……。
「この世界を、もう少しだけ……」
 その言葉と共に、光に包まれた世界の中へと溶けていった。


 放たれた炎弾を切り裂くのは、黒金の大爪。
 けれどそれは、フェイントだ。
 燃えるような翼を羽ばたかせ、爆炎の中を一気呵成に駆け抜けるのはペトラとセノーテの駆る翼の騎士。鋭く振り抜かれた細身の刀は大爪の基部となる両の手首を切り裂き、次の瞬間にはその勢いを殺さぬままに背後へと回り込んでいる。
「はぁぁぁぁぁっ!」
 裂帛の気合と共に背中の翼を切り捨てて、雷の塊を残して急速離脱。
「……ペトラ!」
 距離を置いて雷が炸裂する中、声を上げたのはセノーテだ。
「ダンから?」
 膝の少女は小さく頷き、重なる手には力が籠もる。
 セノーテの長い白銀の髪は、脇の一房が大きく切り取られていた。けれどそれを媒介として、世界樹の内に消えたダンとも思念を交わすことが出来るのだ。
 雷の術が効いたか、それとも内側のダンが上手くやったか、眼前の異形が動く様子はない。そちらに警戒を解かぬまま、ペトラはセノーテの答えを待つ。
「……カズネと一緒だそうです。風然も、消えたそうで……」
「消えた?」
 セノーテもその辺りの事情はよく分からないのだろう。思念だけでは細かい状況は掴めず、困惑しているようだ。
「何だかカズネがやりたい事があるそうで……詳しい説明も合わせて、こちらに来いと」
「罠じゃ……ないよね?」
「恐らくは」
 彼女の言葉を証明するかのように、黒金の異形はこちらにコアを向けたまま動きを止めている。いつの間にか両指の大爪もなりを潜め、攻撃の姿勢を解いたようだった。
「なら……行こう」
 バルミュラの刀を構え、異形の胸に気合と共に突き立てれば。
 辺りに広がるのは、暖かな光の渦だ。


続劇

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