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2.ハルピュイアの末妹

「私たちに術と闇を授けた影は、名を名乗りませんでしたが……」
「我らに時巡りの秘術を伝えたそれが……恐らくその風然という人物なのでしょう」
 ヒサの双子によって伝えられたのは、恐るべき真実だった。
「……そんな事が」
 十三年前に風然が死んだ後、時巡りの術は途絶えたとばかり思っていた。秘儀の最後の継承者である瑠璃と沙灯はその一切を伝える事を拒んでいたし、神揚皇家もヒサ家とは距離を置くようになっていたからだ。
 しかし、禁断の術は連綿と受け継がれていた。
 大地の底から再び現れた、風然自身によって。
「なら、カズネとダンも風然の力で?」
 そんな風然が新たに身に付けた力は、もう一つ。
 万里やドゥオモ達を歪め、操った、黒い影。
「恐らくは。我々の時も、突然でしたから……」
 それを語るドゥオモは歯を食いしばり、その端からはうっすらと血さえ滲んでいる。
 ドゥオモが万里達に仕える間も。
 ミラコリがカズネ達の面倒を見る間も。
 それは二人の影からじっと機を窺っていたのだろう。そして世界樹が力を取り戻した時、影は突如として二人の背後から牙を剥いたのだ。
 まるで、二人の忠誠を嘲笑うかのように。
「……その突然が、今になって来たというわけか」
 ペトラが知る限り、ダンはイズミルを脱出するその時までいつもと変わらない様子だった。その間も、影は彼自身の影に潜んでいたという事か。
「恐らくは。ダンの影は、マグナ・エクリシアの制圧に多くが費やされたはずですから」
 風然によって仕込まれた影が動けるのは、恐らく後一度がせいぜい……そしてそれは、保険のためにでも残しておいたのだろう。
 彼の目論見通り、保険は有効に機能した。
 金月の女王を手に入れるという、恐らく最高の形で。
「二人はもう大丈夫なの?」
 今のヒサの双子は、万里の良く知る彼らの様子を保っているようだった。けれどダンが自覚なくその影を連れていたように、二人も今も風然によって泳がされているだけという可能性は否定出来ない。
「分かりません。……ご懸念があれば、処断いただいても構いません」
 万里の問いに、双子は揃って首を振ってみせるだけ。
「もともと落ちぶれたヒサ家から拾って頂いた身。命は、とうにお預けしています」
 自分達は意思を保っているという自覚はあるが、その自覚さえ作られた物ではないという保証はない。いつまた自身の影から風前の影が姿を覗かせるかは、彼女達にも分からないのだ。
「二人は私の元にいなさい。次に何か起これば、迷わず首を刎ねます。……私か、アレクが」
 ちらりと視線を向ければ、アレクも静かに頷いてくれた。
「……御意」
「それまでは、身命を賭して」
「頼りにしていますよ」
 深く頭を下げる鷲翼の双子にそう呟いて、銀陽の女王は静かに上空の大樹を見上げた。既にそれは、先程よりもはるかにその形を明確にしている。
「風前は、前と同じ事を考えているのかしら」
 それを目にして思い描くのは、十三年前のウナイシュ島での決戦のことだ。万里はそのとき帝都で別の戦場に立っていたが、彼の地でのことは多くの報告を聞いている。
 けれど万里の言葉に首を振ったのは、ペトラの傍らにいた白銀の髪の少女だった。
「超神術機関を作るつもりなら、私を媒介に狙うでしょう。風然・ヒサがアークの技術を理解出来るとは思えません」
 際限なく時を巡らせる、世界の全てを手に入れるに等しき所行。
 けれどそこまで複雑なことを成そうとすれば、世界樹に対する多くの理解が必要になる。漠然とした理解だけでは、自身の滅びを生むだけだ。
 十三年前はその部分をセノーテに肩代わりさせる事で成そうとしていたが……。
「でも、ククロみたいに……」
「……父様は特別です」
 技術や研究に極端に偏ってはいるが、彼の持つ視点はセノーテにも到底真似の出来ないものだ。故に彼女は彼を父と呼ぶし、彼女なりの信頼も寄せている。
 そんな彼でも、世界樹は手に余る代物だと言っていたのだ。神揚のそれに凝り固まった風然が、独学で会得出来るとは思えない。
「だとしたら……世界を滅ぼすか」
 アレクの言葉に、誰もが息を呑んだ。
 この大陸の誰もが知っている災いがある。
 薄紫の大気によって大陸の中央部から人類を追いやり、南北の狭い領域に長年にわたって閉じ込めてきた空前絶後の大災害だ。
 大後退。
 かつてイズミルで神王が行なおうとした事を、もう一度起こそうというのだろう。
「なら、ここが爆心地になるわけか……」
 だとすれば、危険を承知でここまで世界樹を持ってきた理由も分かる。
 イズミルがあるのは大陸のほぼ中央。西端のウナイシュで世界樹を爆発させるよりも、はるかに広い範囲に被害を及ぼす事が出来る。
「……ソフィア。マグナ・エクリシアを頼める?」
 そんな結論が出た中で万里が口にしたのは、イズミルのもう一人の女王の名前だった。
「あら。逃げて良いの?」
「マグナ・エクリシアくらいなら変わらないわ」
 既に二十年来の付き合いだ。考えていることは、嫌でも分かる。
 もちろん、この場から逃げるような彼女ではない。
「まあね。……なら、こっちは任せたわよ」
 ここからマグナ・エクリシアなら、ホエキンで急げば一刻もかからない。
 ダンから抜け出した影の支配がどうなっているのかは分からないが、戦闘があるならソフィアの方が向いているだろうし、それでなくともキングアーツ出身の彼女の影響力はマグナ・エクリシアでは絶大な物がある。
「ペトラ」
 頷き、自らの機体に駆け出すソフィアを見送って、万里が顔を向けたのは自らの息子。
「僕も……イズミルの防衛ですか?」
 けれどその言葉に、万里は静かに首を振る。
「あなたは、上に向かいなさい」
 ペトラの表情は、明らかに風然との決着を望む顔だった。
 ここまで隠し事が苦手なのは、自分に似た所為だけではないはずだ。
「それは行きたいけど、アンピトリオンは……」
 ペトラの愛機は陸戦特化で、翼がない。十三年前の戦いではバルミュラから移した簡易的な飛行装備をシャトワールが用意してくれたが、それきり似たものをククロも作らなかったという事は、余程特別な品だったのだろう。
 そんなペトラの服を、小さく引っ張る姿が一つある。
「翼なら……あります」
 それは、彼に身を寄せたままだった、白銀の髪の少女だった。


 背中の連結器を掴めば、そこに設えられた細い金属管は自動的に繋がる仕掛けが施されている。
「君の騎体は、ケライノーの妹機だったのか……」
 今のセノーテが駆る燃える翼のバルミュラは、十三年前の戦いで大破したそれを単純に直した物ではない。ククロによって建造された、新たな力を備えた騎体だった。
「はい。ポダルゲーはそうなるように、父様にお願いしましたから」
 アエロー、オーキュペテー、ケライノー……そして、ポダルゲー。彼女のトリスアギオンの名は、死者の都に伝わる半人半鳥の四姉妹の末妹に由来する。
 エイコーンの支援機として作られた姉たるケライノーと同じように。そして、過去に戻ったペトラが一目で彼女の機体だと分かるように。
 そんな願いから生まれたのが、連結器に対応した爪や伝声管を備え、バルミュラとしての騎士の姿と半人半鳥の姿を使い分ける彼女のトリスアギオンだった。
「やっと、本当の使い方が出来ます」
 翼を大きく羽ばたかせ、猟犬の騎士と一つになった半人半鳥は力強く大空へと舞い上がる。
「……ごめんね」
 ケライノーと変わらない上昇感を得ながらペトラが口にしたのは、そんな謝罪の言葉だった。
「何ですか?」
 戦いに同行したのはセノーテの意思だ。謝られるような理由があるはずもない。
「イズミルの街で会った時……寂しかったよね」
 それは、この時代ではほんの半月ほど前の出来事だ。
 イズミルの街でカズネがペトラを見つけた時……それは、ペトラにとっては初めての出会いでも、セノーテにとっては十三年ぶりの再会だったはず。
 知っているはずの相手に初対面の態度を取られる困惑と寂しさは、ペトラもつい先日味わったばかりだ。
「初めて会った時の私もそうでしたから」
 理由を知って、セノーテは穏やかに微笑むしかない。
 覚悟はあったし、傍らのククロもいた。
 全く寂しくなかったと言えば嘘になるが、何も分からないまま十三年前に飛ばしてしまったペトラよりは、随分とマシな状況だったはずだ。
「……それに私のこと、ずいぶんじっと見てましたよね?」
「そ、そう……?」
 伝声管から聞こえる鈴の鳴るような声に頬を赤らめるペトラだが……目の前の光景に、表情は自然と硬くなる。
「そんなことより、ペトラ」
 目の前に見えてきたのは宙を舞う大樹と、その前に立つ黒金の騎士。
 背中にはポダルゲーの姉機の翼を備え、肩には黒い影を乗せた……カズネの愛機。
「うん……。カズネとダン、取り戻すよ」
 無言で片手半を構える黒金の騎士に、ペトラも双刀を引き抜いた。


続劇

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