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6.金の月の女王

「ふぁあ……」
 伝声管から久しぶりに聞こえてきたのは、気の抜けたようなあくびの音だった。
「疲れた?」
「そうも言ってられないでしょ。……でも、これって……」
 警戒しながら平野を越え、滅びの原野を突っ切って。イズミルを目前にして前方に現れた反応は、多くのトリスアギオンが入り交じる状況を示すものだった。
「……キングアーツの識別信号じゃない」
 一瞬イサイアスの先遣隊に遅れたかと身を硬くするが、さすがにそうではないらしい。
 だが、かといって安心出来るものでもない。
「イズミルと……徳勝門の軍勢ですね」
 それらが示す識別を信じられずにいるカズネだったが、やがて見えてきた光景は反応と識別信号そのままのものだった。
「戦闘……ですね」
 言われずとも分かる。
 王都で。
 幾度となく遊びに行った、南の国境の城塞で。
 何度も目にし、時には稽古の相手さえしてもらった機体達が、今は敵同士として刃を交えているのだ。
「どうします?」
 セノーテの問いに答えるまでもない。
 体はそれより先に動いていた。
「なんで味方同士で戦ってるの! 双方、剣を退きなさいっ!」
 外部音声と思念通信、無線用の回線を片っ端から解き放ち、あらん限りの声を叩き付ける。
「姫様……!?」
「え……どうしてこんな所に」
「そんな事どうでも良いでしょ! それより、なんでこんな事してるの!」
「それは……」
 声を返してきた兵達は、戦う意思を持って刃を交えていたわけではないのだろう。カズネの声に毒気を抜かれたかのように、空中のエイコーンを見上げているだけだ。
「カズネ! 無事だったんだ!」
 そこに飛んできたのは、彼女も良く知る黒い烏を模した神獣だった。
「リーティ! この騒ぎは何なの!?」
「王都の騒ぎを止めるために、ペトラが徳勝門の兵を動かしたんだよ。イズミル側も万里様とアレク様が出てきてる」
「ペトラのやつ、何やってるのよ!」
 イズミルで別れたきり、ずっと心配していたはずなのに……今沸いてくるのは、怒りだけ。
 恐らくアーレス達と共に動いていたのだろう。無事なことはもちろん良かったが、かといって同じイズミルの兵を相手に兵を動かして良いわけがない。
「こっちも戦いたかったわけじゃないけど、敵をあぶり出す必要はあったしね……」
 そんなリーティの話を聞いているのかいないのか。
 カズネは親友の名を口にしたまま、ずっと黙り込んでいる。
 やがて、少女は改めて通信回線を開き……。
「……ね、リーティ。あたしが戦いを止めてって言ったら、両軍は退いてくれると思う?」
「どうだろう。ペトラも呼びかけたけど、イズミル軍は答えてくれなかったし……」
 だからこそ、こんな泥沼の戦いになっているのだ。
 イズミル軍はあくまでも女王たる万里を戴く軍なのに対し、徳勝門側には大義はあっても旗がない。彼らに立ち上がることを呼びかけた王子一人では、弱すぎるのだ。
「だったら……」
 彼女の足元で戦っていた兵達は、カズネの呼びかけに答えてくれた。恐らく大半の兵は、万里やメガリ・イサイアスでクーデターを起こした者達のように変わってはいないのだろう。
 そんな彼らまで戦う事は、ないはずなのだ。
「……金月を戴くイズミル女王の名の下になら、どう?」
 イズミルに女王は二人。
 そしてその証たる指輪は、彼女の指にはめられたままだ。
「オレ達に協力してくれるって事……?」
「そんなわけないでしょ!」
 けれど、リーティの言葉をカズネは即座に否定する。
「そもそも、あたしはどっちにも怒ってるんですからね! こんなの、どっちも悪いわよ」
 イズミルも悪いが、かといってそれに殴りかかる方も同罪だ。いかに追い詰められていたとは言え、して良い事と悪い事はある。
 そしてカズネの中では、目の前の事態は明らかに後者だった。
「……女王様に叱られちゃ、降るしかないなぁ」
「リーティ!」
「オレは戦が止められれば何でも良いからね」
 徳勝門側は混乱を止めるために戦っているのだ。イズミル側がカズネに降れば、こちらもそのまま飲み込まれる形になるだろう。
 けれどそれで戦いが止められるなら、それでもいいとリーティは思う。
「だったらリーティはそれをみんなに伝えて! あたしは……とりあえず、万里様を止めてくる!」
「どうやって」
 万里を止める方法が分かれば、誰も苦労はしないのだ。それが分からなかったからこそ、こんな事態になっているのだから。
「分かんないけど、きっと何とかなるわよ!」
 相変わらずの無策である。
「……イズミルの本陣では、ペトラとアーレスが戦ってる」
 だが、彼女はそれでいいのだろう。
 分からなくても、何が正しく、何が間違っているのかはちゃんと見えている。彼女自身さえ気付かない所で。
「オレも停戦を呼びかけるけど、姫様もそれまで、出来るだけ色んな回線で呼びかけて」
 故に、リーティはカズネに降ったのだ。
「分かった。セノーテも、もう少しだけ力を貸して」
 伝声管から、返事はない。ただその代わり、カズネの機体は今まで以上の速度をもってリーティの示した先へと飛翔する。


 戦場の遙か西でその成り行きを見定めるのは、鷲翼を備えた青年だ。
 イズミル城の最深部、謁見の間である。
 普段は卓やソファーの類が置かれているだけの玉座なき広間は、地図や無線機などが運び込まれ、臨時の指令所と化していた。
「戦況はどうなっています?」
 青年の問いに席を立つのは、神揚出身らしき若い武官だ。兎の性質を備えた情報部所属の青年である。
「は。数はこちらが圧倒しています。ただ、どうしても士気が……」
 兵の中には、豹変としか言いようがない女王の変化に戸惑う者も少なくない。
 中にはそれを異変と断じ、王子率いる国境軍に加わった者もいたが……多くの将兵は女王への忠義を覆す事も出来ず、板挟みとなったまま戦場へと赴いている。
「それに、行方不明だったカズネ姫が双方に停戦を呼びかけているようです。報告では、金月の指輪を戴いているとか」
 正式な発表こそなかったが、行方不明になったソフィアの女王位がカズネへと受け継がれた事……そして、その証を持ったまま城を追い落とされた一連の事件は、イズミル城内における公然の秘密であった。
 だからこそ、そんな彼女が無事に舞い戻り、イズミル女王の証を手に停戦を呼びかければ、応える者が出てくるのも当然の話だろう。
「貴公もカズネ姫の呼びかけに応えるつもりですか?」
「あ、いえ……」
 声を掛けられた武官は、鷲翼の青年の言葉に口をつぐみ……思わず見開いた灰色の瞳に映った姿に、息を呑む。
 それは、一人の少女。
 青年の翼の影から抜け出すように現れた、鷲翼の娘だ。武官の顔を覗き込むように身を屈め、ゆっくりと顔を近付けて……。
「……私は、我らが主の思うがままに」
 無機的な口ぶりで席へと戻っていく武官の様子に満足げに頷くと、女王の補佐役を務める娘は同じ顔をした青年の傍らへと身を戻す。
「ならば、我らも出ます」
 いずれにしても、このままではイズミルは二つどころか三つに分断されてしまう。そうなる前に、何らかの手を打つべきだろう。
「カンポサントの用意を」
 戦場はイズミルの東の平野。
 彼ら二人なら、一瞬で赴ける距離だ。


続劇

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